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2016年(平成28 年)7月14日
関わることの原点が
「気づき」
と
「関係」
をもたらす
連載第10回 実践編④〜急性期病院
変化に追いつかず、動き出す
機会を奪っていないか
「知らないふり」
「見ないふり」を
していた自分へのいら立ち
発症して1カ月半が過ぎた頃、
水頭症に対する
シャント術が行われました。翌日から意識がは
っきりし、
歩行も安定しました。良かったと安心
していた矢先、
Kさんは
「そろそろ帰らないと」
と
荷物をまとめ、
部屋を出て行こうとするようにな
りました。リハビリ室に一緒に歩いて来られる
ようになっても、
何をしていいのか、
まだ私には
分かりませんでした。
そんなある日の夕方、
「帰ります」
と荷物を持っ
て、
Kさんはとうとう部屋から出ていきました。
Kさんを追いかけ、
何とか話を聞こうとしまし
たがどうにもならず、
「どうして帰っちゃだめな
の?」
「ちゃんと戻ってくるから! 少しでいい
から行かせて!」
と必死に、
泣きながら叫んでい
るKさんの声が、
廊下中に響き渡りました。
「私はどうしてKさんがこんなふうになるま
で、
何もしなかったのだろう」
。その姿を見て、
K
さんには動ける能力があることを知っていたの
に、
知らないふりをしていたこと、
見ないふりを
Kさんは部屋の隅々
まできれいに掃除
術後、
すぐにリハビリが開始され、
私が担当さ
せていただくことになりました。術後のKさん
は
「あー、
頭が痛い!!」
と、
身の置き所のないよう
な様子で、
落ち着きがなく、
ベッドから落下しそ
うな姿勢で横になっていました。離床すること
も、
会話ができるような状況でもありませんで
した。
「 今、
私がこの人にできることはないので
は?」
。私は、
ただその様子を呆然と眺めていま
した。
術後の安静が解除され、
頭痛が少し治まってき
たのは、
発症してから2週間後でした。車いすに
乗り、
リハビリ室に行くことができるようになり
ましたが、
2メートル程度歩いては近くのベッド
やいすに転がり込むように寝ていました。
現状を尋ねても、
「私、
入院したの? ははは」
と、
特に気にしていない様子でした。私はこの時
も、
何をしたら良いのか分からず、
横になってい
るKさんの姿を見守るだけでした。
病棟生活でも、
Kさんは自ら何かを行う様子は
なく、
ADLも促しが必要でした。無理矢理歯
ブラシやフォークを持たせ、
「ほら、
Kさん集中し
て」
、
そんな声かけにKさんは、
遠くの私の顔を見
て苦笑いをしていました。私は何も言えません
でした。
Kさんはもっと前に動き出せたのに、
その能力
を発揮する機会を私が奪っていたことに気付き、
Kさんには無理だろうと勝手に思い込んでいた
ことに取り組みました。ADLだけではなく、
料
理や買い物、
掃除など、
Kさんの生活の動き出し
を邪魔せず、
能力を発揮できる環境だけを用意し
ようと思いました。
手際よくハンバーグを作るKさんの姿を見て、
「Kさんはできなかったのではなく、
できない人に
されていただけだった」
と、
改めて気づきました。
今日の日付や食べたものを忘れてしまっても、
失語でうまく言葉では伝えられなくても、
Kさん
が70年以上生きてきた時間の中で、
亭主関白の
旦那さんの妻として、
2人の子供の母親として、
苦労しながら身体に染み付いた記憶はなくなっ
ていない。だから、
料理だってできるし、
掃除も
買い物も、
当たり前のようにできる─。
私は、
Kさんがどのように生活し、
どのような
人生を歩んできたのかを知らず、
知ろうともせず
に、
ただ今の目の前にいる姿がKさんのすべてだ
と受け止めていました。今思い返すと、
Kさんは
私たちの関わりから、
自分ができないと思われて
いること、
信じてもらえていないこと、
そうした
雰囲気を感じ取っていたのではないかと思いま
す。
一つの「できる」を
見つけることから始める
物の見方や受け止め方は、
人それぞれでとても
曖昧
(あいまい)
です。一つだめ
(問題)
なところ
が見えると、
全てがだめ
(危険)
に見える。一つ良
い
(できる)
ところが見つかると、
とても良く
(安
全)
見える。Kさんに対する私たちの見方や受け
止め方は、
そうしたことと似ていて、
Kさんので
きることが一つ見えると、
できる人に見えてい
き、
周りの目が変わっていくことを感じました。
「子供たちによく
作ってるからね」
と、
微笑みながら料理を
するKさん
今、
この人にできることはない?
の方から声をか
け ら れ、K さ ん
は今日あった出
来事を楽しそうに話していました。
Kさんは病棟生活をまるで自宅のよ
うに過ごし、
帰ろうとすることも、
院外へ出て行
こうとすることも一切なくなっていました。私
を含めた周囲のスタッフも、
Kさんが一人で出て
行くかも? と疑う人は誰もいませんでした。
「できない人」に
されていただけのKさん
能力を発揮できる
環境が生活の動き出
しに
私の勤務する脳卒中急性期病棟には、
大きな手
術をして間もない方がたくさん入院されていま
す。発症後間もない時期は意識障害や高次脳機
能障害など、
多種多様な症状が出現しやすい時期
です。
しかし、
昨日まで目も開かなかった方が、
次の
日には座ってお話ししているなど、
患者さんの状
態は1日1日大きく変わっていく時期でもあり
ます。その変化に、
関わる私自身が追いつかず、
「これはまだ難しいのでは?」
と、
患者さんが動き
出す機会を奪っていることに気づくことがあり
ます。
今回、
Kさんとの関わりを通して、
私が学んだ
ことをお伝えします。
Kさん
(70代・女性)
は息子さんと2人暮らし
で、
ADLは自立されていました。友人と一緒に
行っていたアルバイト中に倒れ、
当院へ救急搬送
されました。
くも膜下出血と診断されて緊急手術
が行われ、
その後合併症である水頭症を併発した
ため、
発症1カ月半後に再手術が行われました。
最終的に失語症や記銘力低下は残存したもの
の、
2カ月半の入院を経て、
当院から自宅に退院
することができました。
「おうちに帰れてよかっ
た」
。退院日を迎え、
私はそう思いましたが、
介入
当初に考えていたこととは真逆の結果でした。
していたこと、
そうした自分の関わりにいら立ち
を感じました。
日中、
家に一人でいるのは無理だし、
料理なん
てしたら、
家が火事になるかもしれない、
薬も飲
めないし、
何かあっても電話もできない…こんな
状態じゃ、
家には帰れそうもない─。それまで何
もしていなかった、
当時の私の考えでした。
手稲渓仁会病院リハビリ
テーション部作業療法士
工藤 裕美氏
当初、
「こんな様子じゃ、
家には帰れませんね。
この先が心配です」
と話されていたご家族も、
「母
はここの皆さんのこと気に入っているみたいだ
し、
ここからまっすぐ帰ってきてくれれば最高で
す」
と言ってくれるようになりました。回復期リ
ハビリ病院への転院待ちでしたが、
ご家族の協力
もあり、
外出や外泊など退院に向けての準備を進
め、
2カ月半の入院期間を経て自宅退院となりま
した。
「何ができないか」という予測が
「できないであろう人」をつくり上げる
発症早期に関わる私たちは、
症状を把握するた
め、
問題点を探り、
生活の中で何ができないかを
発症して2カ月が過ぎた頃には、
院内での生
予測していくところから関わりを始めてしまっ
活を受け入れ、
慣れていただけるようになりま
ているのかもしれません。それは一歩間違うと、
した。朝いつも病棟に行くと、
Kさんは部屋の一
Kさんのような
「できないであろう人」
をつくり
番端のベッドに座り、
私の顔を見て
「行くかい?」 上げてしまう可能性があります。
と、
リハビリの時間を待っていてくれていまし
だから私は、
一つのできないことに惑わされる
た。私はKさんと一緒に雪道を歩いて何度も買
のではなく、
一つのできることを見つけ、
「〜がで
い物に行ったり、
料理をしたり、
大掃除をしたり、 きそうな人」
「〜ができる人」
という視点で、
その
日々の生活に近い時間を共有させていただきま
動き出しを信じることから関わりを始めていき
した。
たいと思います。それを続けていくことが、
多く
リハビリから部屋に帰ってくると、
「今日は何
のことを学ばせていただいたKさんにできる、
恩
してきたの? どこに行ってきたの?」
と、
同室
返しだと考えています。
事例から学ぶ
日本医療大保健医療学部
リハビリテーション学科
大堀 具視准教授
小さな「できる」の積み重ねで未来が広がる
私たちが落ち着いて、安心して生活できてい
るのは、さまざまな生活課題に直面しても、こ
ちらがダメならまたこちらと、幾つかの選択肢
を想定して実行できるという背景があります。
例えば、外出先で急にトイレをもよおしても、
駅やコンビニ、洋式や和式でも何とかその欲求
を満たし、
事なきを得ます。
しかし、入院中、あるいは障害がある場合は、
トイレの場所一つとっても、選択肢は非常に限
られ、常に不安な状態です。未来に予測が立た
ない状況、つまり予測できない未来は人を不安
にさせます。
Kさんの
“少しでいいから行かせて”
という
思いは、急性期における身体状況の中で発信さ
れた
(医療者には受け入れ難い)
不安の中の限
られた選択肢であったと考えることができま
す。
工藤さんは掃除や料理など、小さな
「できる」
をKさんと実践しました。一つの
「できる」
は、
次なる選択肢につながり未来が広がります。
そうした関わりによって、Kさんは本来の落ち
着きを取り戻していったのだと思います。
“家に帰らせて”
─。その時点では遠すぎる
未来でしたが、近くの
“できる”
を知ること、信
じることが、その先につながっていることを伝
えてくれた事例でした。