社会調査の目的・意義・立場 - 福島大学学術機関リポジトリ

論 説
社会調査の目的・意義・立場
一島麟稔の社会調査史によせて一
橋 本 和 孝
はじめに
縫会調査をめぐる論点の一つとして、かねてより「誰のための調査なのか1
という瞬題がある、もちろん誰のためのというように声を発した場合、第一義
的には調査書のための講査であるのは言うまでもない。だが調査主体が調査を
行なう場合、必ずしも霧らグ)総題縫心に基づいて調査を行なうとは暇らない.
それが各種の依託講査である場合もある。この場合は発注者と調査者の閣係が
問題となる.これが先の問いに対する第玉の論点である.また1舞らの開題幾心
に基づいて調査を鴛なったとしても、その講査がいかなる意義を蒋つのかとい
う問題が発生する。すなわち地域{主疑のためであったり、労働者のためといっ
た〈立場性>という第2の論点のことである。しかもこの場合主観的意駿と客
観的意義の両方がある。このように述べてくると、さらに調査婦象である被調
査者は、単なる調査の手段であり、道具なのかという問題が鐵てくる。そこで
ここから講査者と被調査者との〈巽購行為〉という第3の論点が登場する.
第iの点については古くは、W・ミルズによって「新しい実罵主義蓬として
幾覇された開題であり、縫合科学者が、自分寳身で選探した麗麗から新しい顧
客の鷺題へと婦象が移っていくことによって官僚的実燦家に縫落する」点を
擾覇した開題である構。その後我が躍ではこの聡題は、井壌牽二によってrア
メ夢力の軍事的鍵舞支醗を§類すための講査王としてのキャメロット詩癖の経
緯と、アメジカにおける桂会科学者の計懸への麟応の検討を通じて「癖のため
の調査なのか」②と問いかけられた縫題であった。いわば大学紛争で問題とな
・一 ま
舞政疑会議無策5巻 第2畢
つた〈産軍学複合体〉の桂会科学版をめぐる縫題であった、ところが、徴証調
査は.と記複合棒によってなされるとは畷らない。逆に労働組合や革新的諸懸体
による依託調査の場合もある.しかしこのケースにおける講者の関係は、これ
まであま轡遥求されてこなかった。宝光井顧雅が、葬調査における蔑主主義∫
という擁座を呈示し、縫会調査を民主主義的に行なうことが鐡来るのは、民主
主義を徹底して発展させることが自分たちの利益であることを認識している琶
会勢力だけであると述べたことがあるが㌫、綾が開題にしたのは調査者と被調
査者との麗係解決の問題であった.
第2の点については、本稿が講象とする島綺稔によって、公害開題を趣1紅
罫延会学者がどれだ浮の発露をなしえたか」と問いかけられ、「強蓄積により
広澱にひきおこされた農民の生活破壊をとらえる十分な選論購戚を欠いていた・
そこでは、一般的な形式論理の生活構造論が前提されるのではなくて、まさに
具体的な生活破壊をめぐる曙綾羅係が潤われるのである」{4}と鋭く、歓会学者
の立場と瑳譲が闘いかけられた麗題である。こ.れは「袿姿調査が民衆の苦難か
らの解放の武雛としての実践姓ま働を持つべきだとする湊谷蕉瞬の提起とも莫通
する。このような立論に鰐して、それはアカデミックな歓会学と構いれない㈲
と反論することも可能であろう.ところが縫会学者であれ歓会調査家であれ、
あるいは琶会調査の諸邊程であれ、彼ないしはそれらが必然的に琶会の中の一
部をなし歓会の索に巻き込まれている以上、アカデミックな立場も客観的には、
…つの立場をとることにならざるをえない.縫方主観的にく実践的〉立場であ
ることを強議したとしても、そのことが客観的に見て(実践的〉か否かは懸問
題である〔7}.ここにこの問題の難しさが内在している。
第3の点は、蝦蟹員一中野論争のポイントである.麟欝賛香野彗は、漁獲年住
民運動調査を逓じて、調査遂行上の困難を感じた。それは、調査者のその鵜題
への取組み方と取扱い方への、披講査春による姿勢の闘いか鯵であ甑醗究者
への不信感であった。そこから、繊鑓貸は異体的な動きにコミットすることを
通じて、講査者と被調査者との〈共疑行為〉の展望を見当したのであっだ駐㌧
2
雛会講糞の欝的・意義・建場(橋本 穣孝)
これに対して、中野は、醗究煮としての役凝鷺係を鞍としてのみ生活の、挙れあ
いがあ翰、たがいに教えあうことも協力することも編来るのであって、逓合で
はなく異質性の認識こそ協力の椴底をなすと犠擁した働。さらに調査者と被調
査考との闘で簡単に、〈其講行為〉が可羨になるわ轄ではない御1のであって、
醗究考としてそのまま参撫させてもらうほかは、講査羅突の方法はないと提起
しだ鷺。この譲争が生じたくしくも講じ年、湊谷はr対言動としての調査を
提起し、「一緒に生緩した並というだけではなく、馨的の共鳶の重要性を搭摘
した鎗.いわばこれ.は蝦蟹貸に遍い立場からのアプ揮一チだが、最近吉原灘
樹はこの湊谷の縫起を、調査考と媛調査者のr縫会的童舞」に横たわる厳然た
る差異を認めた上で、慣的の共有〉竺被調査者のfまなざしの内化」に裏う
ちされた鱗互有為と読み変える観点を打ち罎している‘期.これはある意駿で
霞禽争の豊二湯を目委旨したものと読むことも懸来よう癖
さてこれらの縫会調査をめぐる基本周題に短して、本稿は独察の解答を藏接
的に与えようというのではない,戦後蕪本の農讐後会学と地域祇会学を縫一ド
してきた一人であり、実藷的続会学者であった島麟稔を取皿}二げ、島麟がこれら
の基本縫題にどのように現実の調査の中で婦癒してきたのかということを浮彫
りにすることにより,基本問題について考えようとするものである。
では侮故島麟かということについて触れておきたい.それは第麟こ畠1矯が、
唯物史観の立場に立つ社会学者であったということである.島綺本人は嚢らを
社会科学者と位置づけていた.このような立場に立った時、r講査はそれ欝体
き己§的ではなく、麟争のための縫会変革のための手段であるj醜とされる.
したがって「誰のための調査か3という総懸は、根底的な問題になるからであ
る。第2は、主著魏圭会科学としての続会講査遜の著者として、後会調査論の
専闇家でもあったし、中央大学文学灘においても疑会調査論を講じていたこと
から、この麗麗を考える縫聾の立場にあ一)たからである.換えて第3に、縫会
調査家であったということである.後述のようにほぼ生涯にわたって縫合調査
を行なってきたのであり、瑳実にどう対処したかは興駿深い講題だからである。
3一一一
行鮫縫会譲葉 第5巻 第2号
歪.島綺稔の歓会調査史概要
最初に島麟稔の社会調査経験について莞ておこう.表1は島麟の主な調査歴
を記したものである。これを見ても大学卒業直後の欝尊年から、亡くなる薄俸
の姫88年まで、ほぼ闘織なく毎年のように調査を繰返してきたことがわかる。
大雑建iに調査史を区分すると次のように捲摘できるのである。第i期は董949年
から5G年にかけて実施された騰立馨語醗究訴時代のヂ善誘生活3に関する調査
の時擬である。第2簸は欝騒年から57年であ善、講本人文科学会による一連の
調査で、農村調査第至難と瞠べるものである。続く欝60年から63年が第3簸で
あり、縮本震誉社会の購造と論煙雲(欝65年)へと結実する「農疑馨分解論墜
の実証と農基法農致の検蓬の縛禦で、農村調査算盤期に属していた。以後欝縄
年から雄77年が〈都南と農村〉論の展開の第4期であ吟、簿78年から85年が第
5類、すなわち重化学工業都市分析の時類であ静,それ以降が第6期として区
分できよう.
しかし、意躰なほど依託調査は少ない。行政との関わりをもつ調査は、かの
『地方薬毒垂(欝磁年〉としてまとまっていく糸魚絹調査i凝だけである。縫方
運動凝体との麗わりで行なわれた調査は、酒懇市政講査、著名な安中公害調査
そして堂雰野種生物基金という厳密な愚昧での運動懸体とは言えないが{購、
後箱の2度にわたる自然保護調査に過ぎない.飽は依託調査という樵路の調査
ではない。むしろ実議的性格の強い調査が多い噛.そこで以下、実鰐的であ
れ実践的であれ、疑会的要請が濃厚で、ヂ誰のための講査か」という鶏題が直
接浮き彫りになる依託的性鰺の強い調査を取セ}上げながら、一L記基本開題に接
透することにしたい。
4
続会講査の§的・意義・立場(橋本 稲孝〉
表i 島麟稔の主な講董歴
「時期(年〉i 講 査“一一壌‘一
一発注春または講壼童体
玉璽 i八丈廃業語講査
玉鱗§ 撫鋳欝周辺警語講萱
鑓立蜜語欝究霧
玉95暮 鶴郷毒麗透叢話…鐸■査
欝53 一翻生織勃調査
聯i雛轟灘査
1葺本人文科学会
毒
魚
糸
歪§58−6倉 糸魚ノ暮靄三蓋
玉総暮 …書癖警護査
鞭1簾
濤毅霧労連
、類、,…馬簾難欝変
寛学会連合
ig鰯8i諏訪噸本調査
中大経済醗突瞬
轡73ヲ§r
中大経済藩究霧
安中公害弁護鑓
齢ll撲嚢愚鞭
麟禰壼
欝75ヲ6:安中公害講査
圭977…鹿購査騰
雑穀1翻
中左翼金聾学灘窒暫..
「蘇難欝基金
婚85遷81新潟薦再器発・農樗調査
中大セ1二会科学観窪醗
2.島綺社会講責の原点一東邦亜鉛安中調査
酵立蜜語醗究駈の3年闘を経て、福武獲の紹介で島綺は欝52年高麟青立短霧
大学へ赴任する。ここで後に田本人文科学会の『近代鉱工業と地域縫会の麗麗護
としてまとまる薪安中講査葺を欝騒年行なうのだが、この調査は蘇馬票碓氷都
安中町に立地している東都亜鉛安中精練藩の桂会的影響に絶する調査であった。
これはヂ企業城下警」の調査と霞ってもよく、全地域続会的な矯模と影響力を
一 5…
行政義金論集 第5巻 第2弩
持つ精練辮が、具体的に地裁縫合にどのような影響をもたらし、地域住民がど
のように反応しているか瞬らかにし、とりわけ深鋪なイッシューとして現われ
ていた鉱害蟹題と労働争議について、誌落籍造を焦点において分衝したもので
あ一)た船。
薦麟短大には、3名の精練醜に通っている夜学生がいた。綾らは、様々な事
実と争議の状浅を伝えに来たが購、この労鱗運動に参撫している夜学生から
講査の要請があ蓼.それに基づいて始ま/)たのが,「安中調査」であったので
ある。
この調査はいくつかの意義とエピゾードを残すことにな・)た。すなわち「縫会
学麹としては公f、警醗発の先駆という意義をもち、それだけでなく、安中公審裁
擁の武器にもな〆)たのであ静、越えて鮮述は避けるが鋤唯鞠史観に到達するこ
とになる調蕊経験でもあった。その意駿では、鶏麟にとって調査の原点でもあった
のである。布趨・小林の言葉を欝酵れば「地域縫合における資本一賃労働の進
展、その藤本的特質を麟鐵しながら、具体的には企業捧と繋直せられた村落社
会の変動を、進んで《都市と農村》関係として難饗する」総合的地域縫会調査
醗究の一方晦の鐵発点となった{鋤、これに依擁するならばその後の島麟く都
市と農村〉論の原型をなしたと評慰しうるものであった。しかしこの調査の遜
程で東都亜鉛は島綺を調査暴からはずすよう福武にクレームをつけ、鞍告書髭
行後糎者であり、安中調査の班長でもあった福武直は、東都藝鉛から強硬な銃
議を受け、人文科学会会長の尾高輔雄とともに鱗被をなだめにいかねばならな
いというこ.とが生じたのであり、さらに調査協力にともなって東都亜鉛の従業
曇2ノ、が解雇されるということも生じたのであ一)た。
この後者の経験は島麟に大きな癒撃をあたえ、調査のあ鯵方に反省を迫った
ものと奮えるであろう。犠牲者を墨すような講査をやってはならない、調査活
動と縫会的実践とを綾遷する必要性を痛感したものと思われる。島崎は、簿56
年徒会調査のあり方として騨接ctlc譲tyを越える実践性を強調しているが爾、
このことは決して矯期的な震争の手段に役に立つという意喋ではないだろう。
6
縫会講奎の羅的・意義・立場(橋本 鞍孝/
したがって以後の調査は、社会的実践に結びつくような調査活動よりも、実証
醗究を叢観して硬究を行なってきたのである・それはウェーバー的な禁欲と言
ってもよい。島鋳は、運動から鶏題を談期するのは、科学的ではないことを捲
撫し、「この選鉱は、マックス・ウェバーの方法的厳しさを麗な立場からもう
一度考えてみる必要があるのではないかと思う」‘鰭、と実践にひきづられない
暴究に禁欲してきたわけである.だからf調査醗究における科学的慧度達とし
ては、「…応ζ懸値舞辮雛絵書の主張を承認」{黝したのである.
それでは以後全く実績的であれ実践的であれ、蔽述のように請負的な調査を
得なわなかったかと言えば.必ずしもそうではない、そのような申で、待政と
の関係での曜一の調査が糸魚燐調査であった.
3.依託調査としての糸魚綴講査
糸魚癖調査が始まる経緯については、本人も藷ってお鯵、最近瞬野鑛紹夫も
書いている伽}。それを踏まえて纏の資料とも突き合せるならば次のような軽
愚で始まったのである。新潟梁佐鍍出身の中央大学の佐藤蟹雄は、当蒔の新潟
県知事と知り合いだった。そこで人陰の高齢化と畜外流失とを危ぶんだ糸魚燐
市長串縫又七郎が、その原霞の調査を佐藤に依頼したのであった.佐藤は福銭
直に櫓談し、橿武が島麟を紹介したのであった.これに録して都市調査は籾め
てだった島麟は、自分にr全藻まかせてくれるのなら」撰受けると返答し、饒
藤が了承したことによって、島綺は祇会構造班の夢一ダーとなったのである。
聡は二遊纏綾からな鯵、政治・行・難政聡iは小鉢丈発が中心になった。調査の
委嘱は欝57年であり、糸魚郷市長は、調査躍に帰して次の要望を縫示した.市
の現状にメスを入れ、その病源を舞挟することを主鰻とするとともに、i、裁
判や学術論文にとどまることなく、現実の毒政と麗わらせること、2、産業瞬
発の具体的振舞を見鐵すように努力すること、3、広域行政の鶴野にたつこと、
4、潜在失業人置の消化を考えること、5.観光事業の総合的基盤を晃鐵すこ
一 7一
行政縫合論集 第5巻 第2弩
と、以一とであっだ覇、これは依託講査として、かなり重い足かせであると言
うことが撮来るが、結果はどうであったのであろうか。
産業構造については、零細燈摸の土建業と貧農屡の滞留が穣幹的難題点であ
って、大橋摸な建設工事に支えられた消費景気のうちに停滞的要素が含まれて
お鯵、その改革と、製造工業の振興の必要性、そのための外離資本一工場誘致
が余儀ないことを指摘しだ翁。このように踏込んだ提言がなされた簸森もあ
吟、一と記要望に嬉嬉するように、ヂ労醗市場の地域的構造と市人霞の流数(2
章)や罫広竣毒敬と霞村政涯(4章3籔§P意識調査による「白馬温泉騰発
についての意麹(5章i簸§3)といった項蔭もあったが、全体としてみる
と提言行なうというより、地方都毒の実態調査という性格が強いものであった。
だから佐藤智雄がr講査結果と政治施策の捲針とは、もとより完全に一致する
ものではな」く、「調査結果は現地にあらわれた現実の状涜に対応する政策の
総醤を振示することはできない」齢と遠べたのである。
島綺は一方でこのような突っ込んだ提言を行なうとともに、島麟都南醸究の
原点をなす曝級一一賠懸分擁を、欝58年度の市民税譲税台鰻を羅矯して、こ
の調査で行なった.囎級一階馨分観1を依託調査の中で実施するというのも、
かな撃強い醗究への態度を必要とするが、課税台緩を麟稽して醗究が鐵来たと
いうのは依託調査ならではの成果であり、毒の積極的な協力なしでは不可能な
成果でもあった.霞野綺は、嚢蟻的な成果と位置づけつつ、「おそらく今雛な
らば種々の麟約があって不離龍であろうし、もしできたとしても桂会的に異議
をよぶかもしれない」(鏑と遠べている。
島綺は糸魚辮調査を踏まえて、その後『現代§本の都議縫会垂(北耀隆吉と
の共繍〉という形で、その理論化をはかっていくわけで、依託調査を鄭にそれ
だけにとどめず、実証と理論の一体性として提示したのであった.さらにこの
調査から見出されることとして、調査課題それ自体を嚢めて忠実に行なうとと
もに、淡してそれに全癒的に没入しないで類帰化するという二面性が示されて
いることがあった.すなわち依託調査としての捷書の緩行と極対匙としての「賠
一 8一
縫会調鳶の翼的・意義・立場(橋本 和孝/
綴 賠屡分勧という二葉の軸線グ)なかにそれが箆畿されるのである.この点
は後の機会でもまた登場することになる。
4.地方自治を住民の手に一酒羅市政調査一
糸魚辮調査は行政との関わ警の依託調査であったが、島綺が唯物史観の立場
に立つ以上、離述のように数は少なくても運動体との麗わりで調査を行なうこ
ともあった。島綺は住罠に寄与するということを次のように述べている。F穰
窒者としての『“地観}をみる融と運動としてのぎ“地域サを動かすカオの薦
者の穆互理解と権互協力とによって“地域”におけ喬実践的な役割が果されな
ければならない1のであって、r“地域”をみる鍬とはr問題の本質を見抜き、
婦象への深部へ入り込みこれをつかみとる『則葺僻}に飽ならないのである。
いわば運動体と砥究春の聞の立場の違いを踏まえて講者が協力する必要性を提
起したものだが、以下真棒的に島綺が調査を通じて運動鉢とどう関わったのか
見てみよう.
その第一瞳が酒欝調査である.欝59年酒露礁長選に徒業続一候補として立候
補した酒雛の露寒の水繊孫次郎は、9票差による勝舞で革新市長になった。小
出市政は、辮政の堤状について中央の学者にアドバイスしてもらう必要盤を痛
感し、市の行政ラインと毒職労の自治籏活動の二つのラインでこれを行なおう
と考えたのである.島麟はこの後者のラインに換わっていくのだが、その経緯
は次のようなものである。小出講授の友人であ鯵、農村握欝の選挙対策糧当で
あった佐藤繁実(当時農業総合醗究瞬駐村醸究員)が、小出とともに土嬉凝度
史学会の会員として島蠕と灘識があった〔灘。その佐藤が下落合の島騎宅で酒
をくみ交わしている時.三琵耀農鵜の誌がでた。この茨城県玉里村玉燐農協の調
査は、実は欝磁年に中央大学が行なう科綴耀調査の一鶴なのだが,ここで佐藤
に島崎が語ったのは、それ以前に学生とでかけたピクニック的なヒア夢ング調
査のことであった.玉辮地区は、畜産を中心に農業構造改善事業を進める農村
9
行政社会論集 第5巻 第2号
として知られており、庄内では養豚の後発地区として主産地形成の動きが生じ
てお鯵、そのことが念頭にあって島綺の名が海霧調査にク窪一ズアップしたの
である。
酒田市政調査は、酒懇毒労連の依託調査であり、総合員や市費甕身が中心と
なり、麟究者は協力者として纏わったといわれている。メンバーには小沢辰男、
簾兎泰助、皆繕勇一、島綺稔、松下圭一、大島太躯という著名な陣容を揃えて
いた.島麟はヂ毒農政の方翻を糧聾し、補論で皆燐が「農業の環状と構造改
善まを執筆していた。鞍告は、農業購造改姜事業を中心に据え、それが農民に
欝金だけを残すという効果になる危験樵を詩っていることから、毒のトンネル
的事業をいましめ、それを韓独志という農民の講遷の下に推進していくために
は、いかなる農民の経織化が必要なのか麗われているとし、串蔑称行政の警邏
維織と農業憑依との有機的な連騰、それが無還な場合には生産組合の再編によ
る「構造改善推進協議会まの主体的な懇織イヒの必要性を揚摘した雌}。
欝57年に始まった農治労の自治醗全馨婿究集会は、珍6i年その基本テーマを
「題方欝治を住民の手にゴと銘打つことになったが{泌、この年から港瞬市労
連は調査に関わったのであり、しかも全職員の2割遍い2§O人程度が参撫した
調査で、f一つの嚢治体でこれだけ多くの人が参撫して、これだけの量と質を
持つ成果を上げたのは、全国に綱を見ないことまだといわれ、嚢治体労勝者の
調査活動としての先駆姓を示したのであった繊。
この調査は、労総の依託調査という内容を持ちながらも、ただそれだけに留
まらず、島鋳の調査史.藝こおいては農業構造改善事業を焦点に据えたことによ
って、実は農基法農敢の検証という農村調査第鰹簸の調査の建長線上に位置づ
けられ、るものであった。
5.農民の“生活破壊書とは何か一安中公害調査一
その後当分このような調査に翼与することはない。ところが欝欝年代後半か
欝一
歓会調沓の霞的・意義・立場(橋本 櫓孝)
ら公害誘訟が激化する状溌の下で、先の安中においても公害反対’運動の盛雛一と
が陰を見せることになった。ここで再び島綺が運動体と関わ瞬を待つ調査に麗
与することになるのである。
簿69年4月6舞の「東邦亜鉛公害をなくす群馬桑錠集会まは、欝欝年i月8
馨以来の公害反懸の淡起集会であった。69年の6月には東邦璽鉛の違法増設工
場認苺取消し請求が起こり、簿72年4∫きには原告鎗8名による撰害賠嬢請求訴
訟が提趨されることになつだ鋤。この訴訟の中で、それまで安中との繋が鯵
が窮れていた島瞬に原告綴の譲i人として訴訟に関わるよう要請が来たのである。
その心中をr老い∫というエッセーのなかで露量している。f私は、三見東
奈でも讐の舞った十八・十九の爾蓉、東邦亜鉛安中精練霧の公害裁覇の前橋地
裁現場検蓬を逓えての現地集会によびだされた。堤場検証にこぎつけるまでの
段購で激)たくしは、時に、裂地農民の読経をうけた辱、弁護醗にかつて集めた
安中調査の原資料の提供を求められた瞬、地元紙のインタビューに答えたりし
て一定の協力はしてきたのであるが、雑羅に追いまくられていることを嚢実に
あまり積極性を示しえないでいた.……譏った一入の弁護士の紹介があ甑二
〇年前のわたしたちの講査鞍告書にふれ、これまでの斗いに貴重な資料となっ
たことを達べていた.二〇年前の調査が今に生きつづけて幸いの武雛たりえて
いる、これほど醗究者冥葦llにつきるものはあるまい。……わたくしも最後に二
艮問の理場穣証の印象として、二〇年前を患い鐵しながらもあらためて・斗い
のなかでこそ事実は窮らかにされる、ことを述べて安中を去った。安中公害裁
報の法莚斗争では、どうやら謹人をまぬがれられないことになってきたようで
ある3鶴.この文章からも明らかなように、島蟻は当初あま雛積極的に公害裁
半彗に関与する意講ではなかった・安寧公害弁護鑓の事務局長であった高霞新太
難弁護士は、rそれではもう一度やってみようか三という形で残受酵たと語っ
てお馨、そのバックアップは美代子夫人の励ましぬきには考えられないもので
あった、科学者証言としての弁護懇の依頼に蠕して、島綺は前彎調査と講様な
規模と暗闘をかけた調査は不可籠であ鯵、生活破壊の実鋳招握と統計資料の験
一珪一
行致歓会譲集 第5巻 第2弩
討に絞って堤地に入ることにしだ鋤.
証書は76年6月2§馨、9月7馨、12肩7馨の3回にわたって費やされたが、
それはあくまで農渓繋1に蔭らを位置づけつつ科学者という立場からの発言であ
り、それによって穀告の客観性を貫こうとしたのである.調査は、75年から76
年にかけて延べ婆醤堤地に入る形で行なわれ、農林統計の専門家であった舞藻
の栗原源太、生活破壊の醗究の専門である縫会政策の専醗家の江嚢英一、農業
経済の専門家の大須真治の協力を得て鴛なわれた.島鋳は農民は小生産者であ
り、ダ生産と生活まが未分離となっている。そして未分離のまま統合されてい
る時に、察給部分を欠くことが農民の“生活破壊”に繋がるのであ辱、離落の
なかで§然的で其癖体的な結びつきのなかでヂ生産と生油が保障されている
存在が農蔑であると、前提に位置づ轄た‘鋤、それが纒iであり、この保瞳が
麟玉 「農家」再生産の過程と形態
噛
綴
攣1
一と一
共
講
{
生産と生活(消費/
撚 話
欝1葬
島綺稔窪生産妻と『生活遜(消費}の分離をめ
ぐって」ゼ農林統議調査露 第2§巻6月畢
急激な外座によって失われ、不安定な就業状態におかれる時、農民は生活破壊
にいたると譲理づけたのであった.しかし被告{選は農林統計を掻樋に農罠の被
害濡減載事実を認めなかった.これに薄して島綺は被告灘の「農林統計利熱
一i2一
縫会講査の馨的・意義・立場(橋本 鞍孝}
に絶する致命的欠陥を捲嫡した。農鉢統計が、“農林省の出張藪が置かれている
範囲内、郡単位にサンプルが割り振られることから、『察単盤ではある程度、
正確な数字が積み上げられますから、それでできるんであ離まずけれども、そ
れ以下の単位になりますと、これは誤差が葬常に大きくな瞬ます」、こう述べ
農業被害があるかないのかということは、「出張漢からあがってくる数字から
は離せないというふうに、言わざるをえないわけでありますユと撹覇した。す
なわちサンプ夢ングの開題として帯野村単位の地域統計としての数学的糧鑓を
持っていないことを論証したわけである。そして、具韓的な農渓の‘‘生活破壊勝
を次のように論霊鑑した。
繋象地域における全醤的傾向には解消しえない土地の荒廃乾と労働力の弱体
紀が、農家経済を猛追し、それに養蚕駈得率の低下と野菜作付けの自給部分の
喪失も換わる。特に主婦の常雇化が養蚕の纏小へと繋がり、その結果として男
子労働力の遊林化が生み鐵されることになる・飽方鉱害簡題は村落生活に様々
な亀裂を生じさせ、農民の生活秩序の破壊を惹超して地域歓会の活力の喪失に
結びついていく.縫えば、滝野殿においては、部落の役職は、三つの緯の有力
や
な一族(マケ/の本家、分家騎が青め、それによって必然的に峯組に集中した。
被害地匿の鉱害鰐策委員会も役職であむ、そこに幌舞金善が渡さ鳥、工作が
繰返された.その結果原告縷への参趨はほぼ峯継の不参撫と西継の参撫に統一
されているものの、継の串でも分裂が見られ、それは薄策委員に象徴される役
職保持と家の系譜縫係との接合によるものとした融。
島麟は証言後も、集会や新年会に顔を鐵し、裁覇の解決まで纏わりを持ち続
けたといわれているが、渡して公害反撃運動の方向を示したり、運動のあり方
にタッチしょうとはしなかったのであった.つまり麟究者の役割と運動家の役
塞を綾駕していたのである.この調査でも私たちは、島綺の“生活破壊搾の論
証において、農疑の立場に立つというく踏級性〉と科学者としてのく客観性〉
を貫くという二面燧iを見ることが農来るのである。
一i3一
術数被会論集 第5巻 第2暦
5.南西諸島と自然保護
安中の科学者藷需を通じて農民の“生活破壊”を論証し、それが実は「生活
構造論」への撹覇という意義も持っていると見通していた麟綺であったが、反
公害の志雄やがて購じ環境問題の翼然保護の問題へと結びついて行った。欝82
年島綺らは、イ群オモテヤマネコの保護と嚢表島の露発および島民の生活との
関連について、鍵鼻聾性生物基金饗本委員会から、野性動物学考の小原秀雄の
紹介で調査依頼された、調査は欝82年と83年にか浮て行なわれ、島綺の鰹、吉
沢輝難・瞬麟嘉元・大野晃が参撫した.82年調査は島の産業基盤と島民の縫会
生落の捲握に重点が置かれ、さらにイ夢オモテヤマネコの保護についての住民
の意見を捲導者麟を中心にヒア夢ングしたものであっだ灘。薦表高を含む哲
富跨は、;本土と沖縄、本島と離島という免二重の格差鴛に媛定されつつ、きび、
パイン、黒隼などの農業と野宿、売店等の観光総連産業を主な産業としてきた・
しかし糧敏農業の域から墨ていず、r自然壕保護からくる農業生産活動への一
定の規麟と“貧しさ”のはざまに島民は立たされていた.島の経企題係として
重要な役割を果しているのが、r郷友会量であり、r疑継母材∫と表現され、選
挙の燦の候補者の支持基盤をなしてお撃、アカマタ・クロマタという祭絶組織
がもう一つの強露な縫帯をなしていた。イ貸方モテヤマネコの生存に対しては・
島疑は郵誇鯵」を詩ちながらも、島の発展に対・する r郷魔者意識3「ありがた
迷惑意識まを共有していた。保護行致に帰しては幾鵯が見られ、「焦民不在」
が、反発を生じさせていた・躰部資本導入による観光鷺登に瞭しては、反講運
嚢が生じていて、農然保護との講諏を踏まえた鳴興し運動葺とそれの結びつ
きがあった。エコノミーとエコロジーの矛盾のなかで、醒は島疑の主体的な動
きを尊重し、自然的管謹から嚢覚的管礫の歳熟を助ける方向で行敢的援勤を講
ずるべきであり、まず進められるべきこ.とは産業・生活基盤の整備であると鮨
擁した。この報告について、島鋳は中潤報告であると述べているが、いわゆる
一翼
縫会調査の蒙的・意義・立場(橋本 鞍孝〉
仮説検証型ではなく鉾actイ睡δ魏薯型の調査であった。続く83年は縦縞嘉元が
作成した離「イジオモテヤマネ灘の徐護と醗発∫についての調査票を下に、
2器縫帯を靖象にアンケート調査を行ない、講査結果を通じて島民の意発と恵
まれていない生活条件を考慮せずに察然保護散策を実行するのは纒めて瞬難で
あると、繕誌づけていた{鰯.
今度は簿85年奄美大島のアマミノクロウサギの保護についての醗究を再度童
舞野性生物基金貸本委員会から依託される.参簾者は.島麟の纏、安原茂、吉
沢羅郎、大野晃といったメンバーであった・調査は、奄美振興事業を中心とし
た南部地域の騰発政策と自然保護の縫孫を簡題にしたもので、エコノミーとエ
コロジーの関係を闘うものであっだ韓.欝53年以降実施されてきた奄美大島
の露発事業の重点は、交通基盤整備に置かれ、大統摸な土木工事を伴うことに
より、脅然への影響が避けられないものであった。天然替の伐採と人韓秣の造
成は、アマミノク買ウサギの生、態地を狭め、苗木はその食害に遵うことになっ
た.南部地区の農業は、果樹生産に重点が置かれ、漁業はフグ養殖であ駄そ
の鱗料がヘドロ紀して海を汚染していた。アマミノク韓ウサギに講ずる住疑の
ヤ
意識は、三つの類型に分れ、第iは大私村民に見られる〈誇り意識〉型であ甑
第2のタイプは林業関係者の(有難めいわく型〉であった・そして第3のタイ
プが〈無縫心型〉で、このタイプが多かった。翕然生態系の保全のためには、
保護行政と一体化した地域住民の取蓼緩みが必要と撰摘し、現代的な自覚的管
遅の確立の必要穫!を提起した。具体的な露覚的管選iについても触れ・最後に地
域注疑の生活の安定の上にたった自然保護を捲撫し、地場産業の振興という内
発的発展を最大の課題に位置づけた。
吉沢螺郭は、「村落縫合礪究会で大会其通課題の募集があると、島綺先生は
『農村の環境鷺題遷と書か蕊ていたゴ醐と報じているが、その後も島綺は環境
問題への関心を持ち続けたのであった。この依託調査の場合も単なる霞然保
護だけの立場に立っていない.エコノミーとエコ賞ジーの矛盾という表現に瞬
白なように、あくまで住民の生活向上を前縫にした轟然保護のあ辱方を開題に
rO
ま
行政雛会論集 第5巻 第2聾
してお管、独§の観点を貫いていることが特徴的なのである。
むすび
以上島綺の調査史、特に依託調査としての性賂の強いものを取り上げて、島
麟が愛案にどのような形で講査に縫与してきたのか擬観した。そこで再度、先
の縫会調査の基本開題について考えよう。第iの点についてだが、まず島麟は
葬常に限られた数でしか依託調査を撰受けなかったことである.篠武嚢に蝦し
て島綺は、聴本の縫会学者で福武氏ほど政策に直接かかわ号をもったものは
少ないであろう」麟と幅武直著作薬量第7巻のr解説墜の蟹頭で述べている
が、島綺の場合対・照的に行政機関であれ、住民懸館であれ、ほとんど関与しな
かったということを挙げられる.その意秩では噺しい実薦主義まとは程遠い
存在であったということである。その上で糸魚燐調査から轟然保護調査に翌る
まで、淡して調査議題を忠実に行なうだけに留まらなかったということである。
縫えず自分の藩究議題との結びつきを考え、あるいは調査課題に韓する椿麟化
が晃られたのである。
第2の点については、その〈立場娃〉は極めて窮嚢であった。高矯明善は島
綺の生涯を通じて一貫していたものとして「強烈な友権力意識窪{輸を挙げてい
るぶ、そのことは本稿の冒頭の島綺の発言でも明窃であるし、先のf解説の
末尾でも、葬農民の当面する諸要求の実現をはか鯵ながら政治革新への組織化
を進め、下からの農民的な『零纏農垂重傷のエネルギーを蓄積してゆくことで
あろう.その綴りで政策にかかわってゆく途が農村歓会学にも存在するはずで
あるま㈱という主張の申にも見鐵せるであろう,それにもかかわらず、その
笹湯性>とは、安中公害調査は舞外にして決して講査を鰹期的な藤争の手段
にするということではなかったのである。しかも安中公害調査は、そもそも法
廷絶筆のための論礫であるのだから、必然的に篶期的に騒争のための手段にな
らざるを得ないものである.その安中公害調査にしても、決して当初から積極
一一鯵一
縫会調査の欝的・意義・宣揚〔橋本 熱孝〉
的に縫与する意向で1まなかったことは、蔚遠の通琴である.島綺は、鑑と会讐
学としての縫会調査遼の中で、厳・ウェーバーについて撹覇的な立場から、そ
の「極値寒露3について触れ、それは聚蝿論的〉藪纏関係と 〈箋践的〉儘i値
繁雑鱗(評懸〉とは厳に区幾されるべきであって、科学がなしうることは、知1性
に支えられた慕釣合運的な事実半鞭露こ駿られる野7}というものであると捲撫し
ているが、これは単に島麟にとって幾鞍的に葬り去るべき論点であったとは思
えないのである。それは第2章で幾に見た選弩であるし、島麟が爾究者として
の駆け墨しの時代、ウェーバーを単に弓i絹する以上に依挺していた時代があっ
たからである醐.だから史的艦勅論者一〈立場樵〉一麗争の手段としての集
銭的な調査という連関は、島綺の場合には擬ち切れているのである。
また〈立場鍵〉の主観的意瞭と客観的意義ということでは、「農村鶏題ヨか
ら農村社会学への麗心を向ける契機となった嚇苦い安中講査の裡紅集中的に
示されている。労籐運動への協力という〈主観的>意図獄、結果として従業嚢
の解雇に繋がるという意味、それにもかかわらず安中調査の鞍告は、安中公害
裁醤の遍程で貴重な資料としてたびたび弓瞬捲れるという、文字どおりr尊い
の武雛」になったのであり、調査の痔つ意練はそう単純ではないことがわかる.
したがって島麟は、調査者と被調査者との襲係において、瞬究考は運嚢の
鰯にお鯵てこいという“おりてこい論勢の反省の一とに」立って「醗究者が‘‘地
域”を外綴からみると言うとき、一…現実との緊張関係が含まれているのであ
って、単に傍観者的立場で‘‘地域蹄をみるのではない」‘灘と述べたのであり、
この意駿で第3の講点では醗究者の立場からの介入というある意糠では中野牽
と講じ地点に立っているのである。だから醗突者の「掠奪講査」ではなく、講
査者と破調査官の〈莫瞬行為〉としての酒灘南政!調査においても、単なる依託
講査以一1二の意駿を持/)たのである。
こうして島麟の調査史を見てくると、以.ヒの基本難題は意外な形で決着され
ていることがわかる.そしてそこから基本開題は、依然として未決着の問題で
あることがわかる。そのことは第2、第3の譲点を見れ’ぱ醗奏である。唯勅諭
一i7
蒼敬桂会論集 第5巻 第2号
者だから、明露な(立場姓〉・したがって震争の手段として実践的な調査に纏
わらなくてはならないとは単純に言えないのであ穆、調査者と被調査養の(共
暴行為〉が具体的な動きにコミットすることだとは震えないからである。島麟
の調査スタイルを誰も誤っているとか歪統なスタイルだとかは規定できず、社
会調査家の一つのモデルなのは明らかだからである.そして溺のモデルがあり
うることもまた当然のことだからである.とりわけ思弁的物語であれ、解放の
暢語であれ「大きな勅語まの信憑牲を喪失したくポスト・モダン〉‘識の下では、
裳らの簸籏観に邸して先の基本簡題を考えてゆかざるを得なくなっているので
ある.ただその際麺会調査史の先駆者たちには、時代的現実との格翻が晃られ
たことは、私たちも銘記すべきことだと欝えるだろう.
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・厩
/玉)C.Wr19嬢Ml嚢s,丁魏S⇔伽lo解al睡灘黛勲tl{}簸,Ox鹸毬恥lvers髭yPress、
欝灘,Flrst琶ver戴総員磁瓢《殖.G驚vεPress.懲醍,餓.9シ96、鈴本広訳罫琶会
学的想像力蓋紀律轡縷壽篠、i蝿5年.i蟄∼捻5ページ.逆にラザースフェルドは、
戦後アメ1タカ後会においては縫会学と政驚や疑問機関との関係を抜きにして学
闘を考えることはできなくなったとして、調査羅甕と政策実践の麗係を考究し
ている緯&撰F、L&z欝s{継6&綴」繧鴛ey(}.震eltz,汽舞1搬roδ肥壷め舞韓A即11e4
sOc圭(}1{層y.籏sevlerSc圭e糞瘻量。皺むlls醸梁.欝75.斎藤吉雄監訳ぎ応用社会学壌
悔璽蛙舞竺閣、婚89年参蕪)。
鯵 井壇章二r梅のための講査か(至〉…麟家権力と縫合講糞一」『評識縫会科学茎
第3号、豊97董年
鱗 宝売聾顕雅「縫会講奮における野壷主義」大婚隆憲・宝光井額雅・吉原直撰
編罫縫会講盗論遥法律文紀縫、憾85年、67∼簿ページ
儘 驚綺稔ギ社会群学としての縫会調藤東京大学乏雛菱会.欝79年、欝§ページ
(鱗 浜谷!釜…購「講登における方法的立場」罫一達喬論叢」第74巻第5弩・、欝75年、蕊
ぺ一ジ
一i8一
縫会講喪の霞的・意義・立場〔橋本 和孝/
麟盆e融&r(玉黎e躍x段蓄羅Gt縢t蓑er飾職、Sc離農rs勧農磁P欝tls芝鵬曲ゆ,乏擁一
翠ers鍵v{鍾C譲譲〉r躍a要)ress、欝7i,郷父鑛選譲『学離と党濠鞭/マックス・ウェ
ーバー論考墨みすず二霧溝.欝75年、i27ぺ一ジ
!7) この点については、撥橋「生活講沓講の離離的羅懸崖郵鑓践生活醗鑑嘩第25巻
第2弩、雄8§年、磁∼翻ベージで鞭に指難した、
(8)鎌美唄香跨「緩会講登の蜘ラ働懇P圭第24琴,響4年
鋤 中野摩ヂ縫合学的講糞iにおける披講沓肴とのいわゆる医業瞬行為1について」
『表裏選第鱒2号、簿75年、29∼鵠ベージ
織 購「歓会学的な講鳶グ)方法と講変音・披講査春の1講係l i『未来美第欝3弩、29
ベージ
1謬 瞬「環境と入麗についての緊急調査と長期講査」罫未来選第灘4一琴.48ページ
・懸 浜谷麟掲論文参照
吉漂濃楼r縫合講査史礪:究のために」『総会学識叢≦第糞2謬、欝鱗年、227∼
228ページ
∫舞… 矢澤轟多次蟄暴 「肇赴会議貸方隻重譲禽弄芋叢毒」 『書至会零落些糞醗究彗三鞭}983{鋲籔雲 合1轟轟難蔽、
路§ページ、粥みに矢澤慧この文章の後rこのことは全く正しい,しかし、それ
だからといって、そこから轟ちに構を講査するかがきまるわけではない.今El
の直接的な綴争のための手段として役克たないものも、轡譲の長期的な灘争の
ために大いに役立つことが旗来る」(講蕃雛総∼嬉7ベージ)と達べている、
…難 この点でr一一つのパラダイムとして、環境テーマは、…織綾的な霜害鷺係の、
まさにイデオロギー的神秘化なのである涯と達べたマニュエル・カステルの発
誘“が想起され、る(M鼓畿主屈C&stel露,(〕lty.C駿sga蟹纏)(〉wα、M我£醗濃薦、鯵78,§.
欝§.石綿淳志監譲歩駕毒・晦緩・権力、1法政大学墨蔽購、懲89年、235ページ)。
鮪!島綺稔の講鳶史の金棒像については、懸橋菱鶏麟稔の籠会調査愛≦石摺淳志・
安原茂編罫続会調奮愛糞(鍍題/法鼓大学毒薮潟.欝欝年霧行予定参黙
聡 農鋳稔r近代鉱工業の地域縫会に及ぼした諸影響≦E{本人文科学会『還代鑓
£業と地域縫会圭東京大学墨版金.雄蕊年,757ベージ.高矯涜・馬騎稔r束綿
亜鉛争議の社会的・経済的条件ゴ罫季葎労徹法凄第箆矯,懲55年
鰹 高橋漉「縫合科学者、鶴綺嚢の原点一安申請奮と高鱗時代の礒懇一3馬麟稔追
樟文集群行委翼会煽ぎ繋懇・島麟稔墨鋳潮雛,懲懲年、83ページ
ig一
行政琶会隷集 第5巻 第2号
麟 挫穂麟掲r島麟稔の教会講査兜参照
懸 霧施鉄治・小称甫罫現段購における地域続会婿究・序説」地域縫会羅究会編
罫地簸社会襲究の現毅賠的課題薩時潮祇、響7§年、37ページ
鱗 島綺稔「縫会講套の動晦とその麗麗意識」福武直編罫藏本歓会学の課題垂有
斐観、雄56年、4§2ページ
鯵 島麟稔薪意識醗究についての感想ま罫桂会学評論選第蕪巻第3・4号、欝磁年,
欝5ページ
鱒 島綺稔「調室と確実の関連一疑会調査の二警めぐって涯舞彗本読書斎国王欝58
年7月7馨響
鱗 藤灘弘夫・木本嘉美子「島綺稔先生に難く一綴麟調査をめぐ!)て墜地域縫合
学会編畢擁毒・農馨の新局醜時潮緩,謄毅年、2逡∼2捻ベージ、曙野鋳昭夫
r島綺稔と社会学醗究室一その執蹄を逡って一」ぎ紀要雲縫会学科、第i畢・欝蛋
年、巖董ページ、あわせて飯霧良鱗「佐藤智雄発生の人と業績3畷野織繧夫・広
瀬英彦・鉢茂緯編『現代縫会とコミュニケーションの罷譲圭嚢草妻房、捻88年、
3溌ページ参照
齢 中替又七郎r庫」佐藤智雄編罫地方都毒ま葉京大学議版会.懲麟年、1ページ
綱 鳥総稔罫産業構造の開題点ゴ麟霧:、絡4∼薦5ページ
騰 佐藤智雄rはしがき」屍毒,羅ページ
欝 蟹野麟前掲論文玉42ページ
雛 島綺稔r地域鱗究における理論と実証一硬究者の織からの発言として 」第鴛
羅地裁・糞治体霧題全露醗究大会報告、懲82年慧鴛皺襞 (大野髭による要約、
大野見ζ『地域を見る躍と罫地竣を軸かす力遷のかかわりあい」農治体問題羅
究漸煽ぎ地域と自治体雲第稔集、欝治体聯究社、謄83年、2鎗ページ)
鱒 馬騎稔聴待」盤藤繁実複賀会記念誌雛遷、欝欝年,欝ベージ、および観
藤繁実「庄内農耕と島綺稔教授ゴ島綺稔逡擁文集鷺行委員全編前掲書、篤4ページ
騨 酷麟稔「市農政の方肉≦廼海市労連馨治績事務局ゼ灘蟹革新藩政のあゆみ」
玉9§3年
繍 小沢長男瞭治体運動と察治醗活動」島恭彦・露本憲一編狼本の地方糞治
と地方購敏垂有斐麗、欝68年、i簿∼i驚ページ
懸 弩ましがき茎漉譲毒労連幾擢1霧、2ベージ
一2§一
社会調査の聾的・意義・立場(橋本 舞孝〉
騒 高藏新太難縞著蓼安中鉱害書御茶の水書霧.欝75年参顯
縫 島麟稔「老い」『藩究通薦垂第籔号、欝欝年4薦、替落社会醗究会、22∼23ぺ
一ジ
鱒 安中公害裁醤証人講書、雄76年6月29銭
鵬 島綺稔r『生産密とゼ生活毒(溝費)の分離をめぐって」謬農躰統計調査書第26
巻6鍔号.捲76年参蕪
鱒 島綺稔罫安中鉱害と農厩の“生活破壊”一法麺騰争の論慶と実証として一」
舞重落鮭会婿究雲第欝集、無茶の水霧房、稽ア7年
雛 島麟i稔・吉沢醗難・大野晃・燐綺嘉元「糞表島垂こおける環境鵜題と農裟村桂
全一イ登オモテヤマネコの保護と島畏の生活をめぐって一」量雰野性生勃基金
薦本委員会科学委員会『南藝諸轟とその馨然保護選その至、欝84年
麟 絹綾嘉元馨イ夢オモテヤマネコ垂の保護と灘表島の駿発をめぐる住艮意識∫
購書、鍵5ページ
織 耀麟嘉元r藪表での教談」繭掲騒想・島綺稔、66∼67ページ
磐 島鑛稔・安籐茂・吉沢懸藻・大野晃「奄美大島爾鶏の開発と蒙境総懸一アマ
ミノク貸ウサギの蝶護と縫達して一」量暴野性生霧基金嚢本委貴会科学委員会
『爾溝諸島とその議然保護遷その翼、珍85年
籔 吉沢露簾「島麟先生と安中公害ま蓼ニューズ・レター 醗究遠縁蓋第i畢、簿蟹}
年8鍔25欝,簾愛桂会学務究会、震ページ
縛 島麟稔「農致と社会学者」ぎ橿載直著俘集書第7巻、東窯大学鰻飯会、懲76年,
囎7ページ
縛 中央大学(文〉島騎ゼミナール煽ぎ島鋳稔先生を給ぶ遜雄92隼、鷺ページ
鱒 島麟稔離掲農政と社会学者、5演ページ
縫 島綺稔前掲社会科学としての祇会調董、鎗ページ
縫 篠稿ドモダーン・ソシオヨジストとしての島綺稔一島綺稔の社会講賓史序章一」
ぎ行政桂会論集遷第塵巻第護葺、婚92年参顯
鱒 島綺稔賠;本震轡縫会の構造と譲運毒藁蓑大学農蔽会、鴛65年、墨ページ
鰯 大聾晃麟掲r地域を見る翼」とr地籔を動かすカゴのかかわりあい、2鎗∼2墳
ページ
毒諺 Je鼓舞Fra簸§o墨sLyotaで6,La C()避透玉tlo穀Post灘。{翌er錘ε,ε{灘tloηs虚e醗垂範穀lt,i{}79.
小躰籏央訳ぎポスト・モダンの条件』書肆懸の薔葎、懲総年、齢ぺ一ジ
一2i一