【スペシャル・インタビュー】 アコーディオン。 土着と先進の深遠に挑む アコ ー ディオニス ト と し て 世 界 の 頂 点 に 立 ち 、作 曲 家 と し て も 活 躍 す る 氏 。演 奏 家 としての原 点は、﹁ 何でアコー ディオンなの﹂という 疑 問 への憤りだった 。そして東日 本 大 震 災 。演 奏 家はまた 大きな転 機 を 迎える 。 という 歳の決断でした﹂ 。 日 本の音 大にアコーディオンの専 科はな 業 した 。 歳の時 、東 洋 人 として 初めて 地 〟イタリアに 渡 り 、音 楽 院 を 主 席で 卒 い。演奏教育でも生産量でも世界一の 〝聖 ﹁何でアコーディオンなの﹂ ーー。 小学校時 そのポテンシャルの高さは、 生 命 体 のよ う だ 代の同級生の驚き、 進路指導での音楽教師 の言葉、 留学から帰国後に受けた新聞記者 養が求められるコンクールであった。 しない﹄﹃ソロ演奏はしない﹄﹃カバー曲は ディオンへの誤 解 を 解 きたいと﹃ 伴 奏は 演奏しない﹄ の3つのことを封印した。 し ﹁大学では、 オールドスクールのすべてのエ キスを身につけることに全力を挙げまし かし 年後、 その封印を解いた。 きっかけ た。 新しいアートに挑もうとすればオール ドスクールをなめてはいけない。 好きなも 宮城県名取市での被災者支援のミニコ は東日本大震災だった。 ンサート。 同市は、﹁松島大漁節﹂ の発祥地 のは、 歴史と型を徹底的に自分に刷り込ん で、 そのうえで壊すのです﹂ 。 ﹁なんで大漁節をやらない。 ここに来てやら だ。 演奏を終えると一人のお母が言った。 ビョー ク と 大 震 災 。 音 楽 の 本 質への 旅 食べていくことすら難しかった。 スタジオ 思いでした。 伴奏だろうが、 カバー曲だろう ﹁これが音楽だ、 と本質を突きつけられた き出すと、 避難所生活を送るお父たちが立 ち上がって歌い出し、 お母たちは手拍子で ないのはダメだぁ﹂ 。 ♪マツシマァ∼ノと弾 民族音楽の演奏で多用されるが、 自身とし 応える。 ついには、 伏せっていた大漁節の名 ワークなどでしのいだ時期を経て、 年か アコーディオンは、 ポルカやタンゴなど 斯 界の最 高 峰 世 界アコーディオン C . M . A コンクールで第1位 を 受 賞 。 バロックからオ てはロック調の音楽と演奏を確立したい 人まで会場に駆けつけた。 本名:小林靖宏、1959 年生まれ、長野県出 身。伊ルチアーノ・ファンチェルリ音楽院ア コーディオン科を首席卒業。東洋人として 初めて C.M.A 世界アコーディオンコンクー ル第 1 位受賞。91 年、初アルバム『シチリア の月の下で』をリリース。日本レコード大賞 特別賞受賞。95 年よりビョークのワールド ツア ー に 参 加 。以 後 も 、世 界 各 地 でコン サ ートを 開 催 。番 組 挿 入 曲 や C M 曲 でも 500 以上の作品を持ち、映画『 顔 』では日 本アカデミー 賞 音 楽 賞 優 秀 賞を受 賞 。 ト レードマークのボーダーシャツは、 「 アコー ディオンの魅力を世界に伝えたのは、船乗 りたちだった」 という畏敬を込めてのもの。 の質問。 そのすべてが一本の糸でつながっ リジナルまで音 楽 家 としての広 く 深い素 と考えていた。 しかし、 音楽探しどころか coba(こば) ていた。 自身もアコーディオンは好きな楽器で はなかった。 音楽好きの父親の手ほどきで 3歳からピアノを始めた。 アコーディオン を弾く父親を見ていると、﹁重くて、 辛くて、 ダサい楽器﹂ に思えた。 しかし父は、 小学校 4年生の誕生日プレゼントにアコーディオ ンをくれた。 正直、 困った感じだった。 当時 のアコーディオンは、 伴奏のための楽器と 見られ、 ピアノのように奏者の主体性がな らアイスランドの世界的な歌姫、 ビョーク み出せないのであれば新しいアートもな が、 人の魂である曲を届け、 生きる力を生 い。 歳の決断は、 この日のためにあったの のワールドツアーに参加。 ロックバンドとの 合奏に自信を深めた。 今 後 は 、新 し い ス タ イ ル の オ ペ ラ と かと思いました﹂ 。 訪ねてきました。 新しいアートを創りたい ショーパフォーマンスの2つをなんとして ﹁私のコンサートの楽屋にビョーク自身が と願うミュータントたちは、 思いを共有で をかけ る﹄ の人生でいい。 夢の本質に近づ も創造したいと思っている。﹁ ﹃夢は枯れ野 出会いでした﹂ 。 きる人間を常に探している。 そんな幸せな 14 HOT TOPICS ただ、 アコーディオンの高いポテンシャ 山形から「夏」を追う ける体験ができれば、 それで十分です﹂ 。 川崎MAGターボ ® 年に初アルバムを出した時、アコー JET SKI ® いのも嫌だった。 16 海から地球を守る 「K‐ECOS」の貢献 coba ルには魅入られていた。﹁右手で旋律、 左手 で伴奏。 蛇腹で空気を取り込みリードで音 を生む。 その多能さや仕組みはまるで生命 高校1年生の進路指導の時、﹁俺は何者 体を扱っているようです﹂ 。 な の か ﹂と 苦 悶 し た 。そ う し て 確 信 に 変 わってきたのがアコーディオンへの思い だった 。﹁ポテンシャルが高いからこそア クが強い楽器の素晴らしさを誰も分かっ ていない。アコーディオンは 伴 奏のため 【川に見る・日本の四季】 12 【 TechnoBox】 「下水曝気用」磁気浮上式 高速電動機直結単段ターボブロワ 10 02 Kawasaki News 183 →詳しくは「Epoch maker」 ( 9ページ)をご覧ください 20 時代を切り拓く【Epoch Maker】 09 疾走するJET SKI ® 95 (アコーディオニスト・作 曲 家) ∼「時 代のパイオニア」たちに聞く∼ の道具なんかじゃない。 俺が、 その恨みを Special Feature 04 スペシャル・インタビュー 【先駆者たち】 02 [表紙] 16 21 coba Contents 91 『 cobacabada 』 COCB-54133/2,800+TAX 日本コロムビア (株) Interviews with Today’s Pioneers c o b a 晴らす。 醜いアヒルの子を白鳥にしてやる、 最新アルバムは自身初の カバーアルバム Vol.09
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