ん な み お 世田谷区ゆかりの著名人にご自身の 子どもの頃やお仕事についてインタ ビュー。第4回目は 女 流 棋 士( 囲 碁) の万波奈穂さんです。区立八幡 小・中学校に在籍されていたときの 思い出や、プロ棋士になるまでの道 のり等についてうかがいました。 な 【 第 4 回】 女流棋士(囲碁) ま 万波 奈穂 インタビュー さん 囲碁は年齢差が100歳あっても、 色々な人と繋がりが持てておすすめです! 子どもの頃の夢は ミステリーハンター?! が、大会に出て順位が上がるのが嬉しく 万波奈穂(まんなみ・なお) て、7歳頃から本格的に囲碁を始めました。 ─万波さんはどんなお子さんでしたか。 して、その後はプロ棋士を目指して棋院 昭和60年9月10日生。兵庫県出身。故大枝雄介九段 門下。平成18年入段、20年二段、25年三段。 万波佳奈四段は実姉。日本棋院東京本院所属 平成9年:全国少年少女囲碁大会準優勝(小学6年生) 第23期、24期女流名人戦リーグ入り(2期連続) 第27期、28期女流名人戦リーグ入り(2期連続) 平成24、25年女流秀策杯優勝 著書に「世界一やさしい布石と定石」 (マイナビ) 、 「万波 姉妹のぐんぐん強くなる囲碁Q&A」 (マイナビ) 、 「万波姉 妹の明日は勝てるマジカル手筋」 (NHK出版) 、 「はじめて のヨセと死活」 (マイナビ) 小学校6年生の時に全国大会で準優勝 世田谷へ住み始めたのは5歳頃から の院生になりました。棋院は囲碁の塾の で、八幡小と八幡中に通っていました。 ようなところですが、講習会が土日にある 近所に九品仏(浄真寺)がありましたの 関係で、友達と土日に遊びに行くことはほ で、よく遊んでいた記憶があります。 とんどなくって、運動会などの土日の学校 学校では大人しい子どもで、小学3年 行事も参加できませんでした。全国大会 生頃までは、同じ学校にいた2歳上の姉 決勝戦の日も修学旅行と重なって、小学 (万波佳奈四段・女流棋士)の帰りを待っ 生の時の修学旅行は行けてないんですよ。 さんの人に囲碁の体験会や囲碁教室で て一緒に帰ったりしていました。 私の母がとにかく教育熱心で、家でも 習ってもらえると嬉しいです。 子どもの頃は、両親の影響で歴史に興 母が決めたスケジュールに沿って囲碁の 子どもの頃から囲碁をやっていると集 味を持ち「世界ふしぎ発見!」のミステ 勉強をして、土日も棋院で囲碁を打っ 中力が付きますし、勝ち負けが付くので リーハンターに憧れていた時期がありまし て、学校生活をかなり犠牲にしていたの 相手を思いやる気持ちも育まれます。ま た。家族旅行も結構不思議な場所に行っ で、その分プロ棋士になりたいという気持 た、囲碁は一生向き合うことができます。 ていて、アンコールワットやエジプトのピ ちも強くなりました。 年齢差が100歳あっても年齢を問わずに ラミッド、ケニアの自然を見に行っていま した。 20歳の時に女 流 試 験を受けた時は 「絶対に負けない」という気持ちで我慢強 対等に出来ますので、囲碁を通して色々 な人と繋がりが持てておすすめです。 ─囲碁と出合ったきっかけや、プロ棋士を く打つことができて、予選から本選まで全 私はずっと囲碁の世界にいましたが、 めざした頃のお話をお聞かせください。 勝して合格を決めることができました。 自分の世界とは違う人との交流も大事で 父と祖父の趣味が囲碁で、小さいころ す。特に子どもの頃の友達はすごく大事 かしようと思った時に、引越しが多い関係 友達を大事に、そして 自分の世界を広げていって! でピアノはNGで、持ち運びができるとい —囲碁を打つコツや、子どもたちへのメッ 人とかかわりを持って、自分の世界を広 う理由で囲碁になりました。5歳頃杉並に セージをいただけますか。 げていってもらいたいです。 から存在は知っていました。習い事を何 だと思っています。今でも会っています し、色々な話をします。皆さんも、多くの 住んでいた時に岩田一八段の「子ども囲 囲碁はルールが複雑で本を読んでも分 碁教室」に通い始めたのがきっかけです。 かりにくい部分がありますが、人に教わる 初めは全然好きではなかったのです とすぐにできるようになります。もっとたく 8 ★プロ棋士になってからのことや世界の 囲碁事情について等、インタビューの 全文は区のホームページ(本号7ペー ジ参照または右のQRコードより)に掲 載しています。 問 教育総務課 ☎5432-2745 5432-3028
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