文系総合問題( 100KB)

平成二十八年度
一
O O点満点
特色入試問題
︽総合 人 間 学 部 ︾
文系総合問題
︵注意︶
一、問題保子および解答冊子は係員の指示があるまで聞かないこと。
二、問題冊子は表紙のほかに 4ベ!ジ、解答冊子は表紙のほかに 5ページある。
なお、別に下書き用紙日枚在配布する。
一一、問題は 1題︵2問︶である︵1ページから4ページ︶。
四、試験開始後、解答冊子の表紙所定欄に受験番号・氏名をはっきり記入すること。表紙には、
これら以外のことを京引いてはならない。
五、解答はすべて解答冊子の指定された儀所に記入すること。
六、解答に関係のないことを書いた答案は無効にすることがある。
七、解答冊子は、どのページも切り隊しではならない。
八、問題冊子、下書き用紙は持ち帰ってもよいが、解答冊子は持ち帰ってはならない。
以下の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。
めいなのか、どうか説明してほしいのだ。
で生きる者にとって耐えがたいと感じられる生活はどちらだ
私が尋ねたいのは、文明の生活と自然の生活のうちで、そこ
疎外の概念自体は独自の哲学的伝統をもっている。その起源は神
ろうかということなのだ。私たちの周りを見渡してみよう。生
カギとなるのはルソーが提示した自然状態の概念である。自然状
しさ﹂を嘆いているのとは対照的に、自然人たちは心安らかに生き
ルソーによれば自然状態は平和である。文明人たちが﹁生活の苦
活の苦しさを嘆く人ばかりではないだろうか。
態とは一七世紀頃から盛んに論じられるようになった概念である。
ている。さて、なぜルソi は自然人の生活を、 そのような、 ﹁惨め
一七七八︶ にあると言われてい
学にまでさかのぼれるが、近代的な疎外の概念の起源は一般にジヤ
ン日ジヤツク・ルソ|
それを論じながら哲学者たちは、 人間たちが自然の状態、 つまり、
さ﹂からほど遠いものとして織くことができるのだろうかつ
一六七九︶である。ホッブズとルソ|の自然状態論を
ルソーよりも前に自然状態について論じたのがトマス・ホッブズ
︵一友人八
比較することでこの問題について考えよう。
照的に、自然状態を戦争状態として描い
ホップズはルソーとは対 m
た。自然状態において見られるのは、 ﹁万人の万人に対する闘争﹂
であると、主張した。ホッブズがそのように主張する根拠は大変興味
深いものである。
この状態︹自然状態︺におかれた人間はきわめて惨めな存在で
った意味ではない。人間など一人一人はどれも大して変わらないと
等の権利をもっているとか、平等に扱われなければならないとかい
ホッブズの考えはこうだ。人間はそもそも平等である。それは平
あると、 これまで繰り返し指摘されてきた。︹・・・︺ しかし、自
いうことである。
たとえばルソi は次のように述べている。
そのように主張する。
社会であり、文明社会こそが人間に疎外をもたらしたのだと、彼は
人間たちは善良に暮らしている。人間に不幸をもたらしたのは文明
は大変有名なものの一 つである。ルソi によれば自然状態において
この自然状態論にはいくつかのバージョンがある。ルソ|のそれ
考えた。
政府や法などが何もない状態ではどのように生きるのかについて
ー
七
由で、心が安らかで、身体の健康な人間がどのような意味で﹁惨
-1-
る
たしかにカの強い人間もいるし、反対に非常に力の弱い人間もい
る。しかし、どんなにカが強い人間であっても、何人かで徒党を組
んで立ち向かえば打ち倒せないほどではない。人間の聞のカの差と
じてそれを攻務しようとするだろう。なにしろ、そうしなければ自
分たちが攻蜘卒されるかもしれないのである。
こうして人間の問には闘争状態が、無秩序が生まれる。これがホ
ホッブズの考えでおもしろいのは、彼が平等を無秩序の根拠と考
ツブズの一言う戦争状態である。
て彼らに指示すれば、カの強い人簡を押さえつけることができるだ
えているところだ。不平等なら秩序が自然に生まれる。だれがだれ
はその程度のものである。体を動かせない人間ですら、仲間を集め
ろう。人間の力比べは所詮ドングリの背比べの域を出ない。ホップ
に従わねばならないかが明確であり、疑いようがないからだ。だが、
人間のカは平等であり、たいした差はない。それ故に︿希望の平等﹀
ズはこのような人間の力の平等を議論の出発点とする。
ここから次のような帰結が導き出されることになる。人間がその
さて、自然状態が続く限り、人聞はこの息苦しさ、生命の危険を
が、そして無秩序が生じる。
を希望すると予想されることになる。なぜなら、ァあいつがあれを
感じ続けねばならない。では、それは人間がそもそも望んでいた事
-2
カにおいて大差ないとすると、人聞はだれもが同じよテに同ひかれい
もっているなら、俺もそれをもっていていいはずだ﹂と思えるよう
態かと言えば、もちろんそうではない。人聞はやはり平和を欲して
しかし、自然状態ではだれもが自分の生命を守るために好き勝手
になるからだ。 これを︿希望の平等﹀とぎぅ。
もっているから、他の連中もこれを狙っているかもしれない﹂と予
なことをしており、それ故に平和が訪れない。そこには、だれもが
いるのである︵これを第一の自然法則と言う︶。
恕するようになるからだ。何かをもっているときでも、何かを希望
自分の身を守ろうとするが故に、全員の身が危うくなっているとい
︿希望の平等﹀ は不安を起こさせる。なぜなら人は、 ﹁俺はこれを
しているときでも、自分には競争相手がいるという感情が生まれる。
この矛盾をどう解消すればよい
う矛盾がある。
ならばどうすればよいか?
つまり人は相互不信の状態に、 そして疑心暗鬼に陥る。
当然そうした不安に人聞は耐えられない。ならばどうするかとい
ホップズの議論は簡単だ。自分の身を守るために全員が好き
勝手にしているのを、全員で止めればいい。自然が人間に与えた﹁何
うと、不安を取り除くために防衛策を講じる。 一人では力の強い者
にはかなわない。だから徒党を組み、自分のカを強めようとする。
でもできるし、何をしてもよい﹂権利、すなわち﹁自然権﹂を放棄
?
それだけではない。自分たちを脅かす他の人間集団があれば、先ん
t
J
,
こうして、全員で一つの国家を形成し、 一つの権威に従うという
し、法の支配を打ち立てればよい︵これを第二の自然法則と一吉田う︶。
を描いたのではなくて、それらの名の下に、社会状態と国家状態と
だからこう言ってもいいだろう。ホッブズは自然状態と社会状態
でも言えるものを描いていた。 ルソーによれば、 ホッブズは、
会のなかで生まれた考え方を自然状態のうちにもち込んで、自然状
社会契約の必然性が導き出される。ホッブズによれば、社会契約は、
戦争状態たる自然状態を考察するなら必ずや導き出される必然的
ルソーはそのようにホッブズを批判して、そうした人間集団その
態について議論しているコ
さて、ホップズの自然状態論を読むと次の疑問が生まれるに途い
ものが成立する以前の状態を考察する。では、集団生活が開始され
な行為なのである。
ない。なぜルソ!はホッブズとは正反対に、自然状態を﹁惨めさ﹂
好きなときに好きなことをする。だから、どこかの集団にとどまっ
人間は自然状態において自然権を認歌している。勝手気ままに、
おうか
る以前、自然状態を生きる人間はどのような存在だろうかつ
それはルソーが性善説を信じるような人間だったから
からはほど遠い状態として描き、善良な自然人の像を提示したのだ
ろうか?
要するにこの違いは、ルソ!とホップズの個性の差な
ている必要はないし、それどころか、だれかと一緒にいる必要もな
-3
だろうか?
のだろうか?
い。ルソーがはっきりと述べているが、男女が出会って一晩を共に
したとしても、次の日に二人が一緒にいる理由はない。
そうではない。この点をルソl の性格や感情などから説明しては
ならない。両者が異なった結論に至ったことには理論的な漂白があ
や家族はすこしも自然な集団ではないのだ。なぜなら、自然状態に
自然状態では強い者が弱い者を抑圧すると主張される。 しかし、
おいては、 人関をどこかに縛り付ける粋など存在しないからだ。
カップル
るのだ。
その理由は実に簡単なものである。ルソーによれば、ホッブズの
きう﹁自然状態﹂は自然状態ではない。それは既に社会が成立した
とルソーは一一一一回う。社会状態では暴力で支配する者がいるだろう。し
この﹁抑圧いという語が何を意味するのか自分にはよく分からない
ホップズはある程度の数の人間が集団生活を送っている状態を
かし、自然状態では隷従とか支配とかそういったものがそもそも成
後の状態、要するに社会状態を撒いているにすぎない。
想定している。しかし、自然状態から社会状態への移行に聞出して問
り立たない。
たとえばだれかが集めた果実や、その人が殺した獲物、その人が
わなければならないのは、まさしくそのような人間集団の成立なの
である。
ネ
土
﹁所有するも
使っていた洞窟を、別の人が力ずくで奪うことはできる。 しかし、
どうやって他人を服従させることができるだろう?
のが何もない人々の間で、他人を自分に依存させる︿鎖﹀をどのよ
問 一 本 文 を 踏 ま え て 、 ルソ|︵ Rと略記可︶とホップズ
︵
Hと略
記可︶ の考え方を郎O O字以内︵句読点を含む︶ で比較しまとめな
間二本文を踏まえて、暴力や抑圧と人間集団や社会の問題につい
−
;
、
。
E
し ︵二五点︶
ルソーがここで﹁所有﹂に言及していることは緩めて重要である。
て、私たちのまわりをとりまく状況や、あるいは世界の歴史や現状
うにして作り出すことができるのだろうかコ
所有がなければ人を隷属させたり抑圧したりはできない。自分はこ
などに具体的に言及しながら、自分自身の考えを一一一O O字 程 度
︵句読点を含む︶ で述べなさい。 ︵七五点︶
れを所有しているから、俺の命令に従うならこの所有物を分けてや
ろうというロジック、が働かない限り、人を自分に従わせることはで
きないからだ。
-4ー
所有は一 つの制度であり、複数の人間が共通の法秩序に従うこと
を前提としている。自然状態においても、他人が占有するものを暴
カで奪い取ろうとする裁はいるに違いない。しかし、だれかが自分
の住みかを奪ったなら、自分は別の住みかを探せばいいだけである。
カの強いヤツがいたところで、そいつは何もしないで人に一言うこと
をきかせたりできるだろうかつ
闘分功一郎﹃暇と退服の倫理学機補新版﹄太田出版、
ニO 一五年、一七五ー一八一一賞。強澗原文。出向、引用
にあたり、小見出しと注を削徐し、算用数字を淡数字
に改めた。
出
』
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