課せられた条件が組織の在り方を方向づけた~独立採算で養殖研究を

Essay
課せられた条件が
組織の在り方を方向づけた
~独立採算で養殖研究を行う近畿大学水産研究所の挑戦~
近畿大学水産研究所 所長
升間
クロマグロ完全養殖までの歩み
主計
のです。結局、3年間で成果はほとんど上げられませんでした。
クロマグロはマグロの中でも最も味が良いとされる高級魚です。
み、今すぐ役に立たなくても論文を書いて発表すれば評価されます。
と同じようなやり方ではうまくいかないでしょう。トップが方向性を
しかし、我々の研究はすぐに役立たないといけない。今飼っている
決めるところまでは一緒でも、あまりきつく縛って風通しが悪くなる
近畿大学水産研究所は、近大初代総長の世耕弘一が戦後の食
しかし、乱獲により個体数が激減し、近年は捕獲量が制限されてい
魚が育たないと研究所を維持していけなくなり、死活問題となるの
といけない。協力しあう関係も大事です。私は新人の頃、エサの担
糧難に苦しむ日本を救うため、周囲に広がる海に目を向け、「海を
ます。一方、従来のクロマグロ養殖は、天然の稚魚を使っているた
です。そうした状況を突きつけられていたからこそ、今の水産研究
当を任されたのですが、手が空いたら必ず他の仕事の手伝いに行く
耕し、水産資源の自給を目指す」という発想から、和歌山県白浜町
め、乱獲が進むと養殖魚も食べられなくなります。そこで、採卵・
所の在り方が形づくられたのだと思います。
ように言われました。役割分担が決まっていても、我々の仕事とい
に臨海研究所を開設したことが始まりです。それゆえ、もとより教
人工孵化から魚を育てることで天然資源に依存しない完全養殖の
その一方、設立当初から自由に研究をさせてくれるという気風も
育や基礎研究ではなく、食糧生産のための実学研究に主軸を置い
技術の確立が期待されていました。近大水産研究所は、水産庁の
ありました。そこには、世界に先駆けて養殖技術を開発したいとい
ています。もう1つ、近大水産研究所を特徴づけるのが、独立採算
プロジェクトが終了した後も自己資本を使って独自に研究を続けた
う世耕弘一総長の強い信念があったと思います。最近は成果主義と
今や養殖研究において世界をリードする水産研究所ですが、当
制の組織であることです。一般に大学の付属研究所は大学から研
のです。そして多くの苦労を重ね、着手から32年経った2002年、
いうか、3年くらいで結果が出ないと打ち切りになる風潮がありま
面の目標は病気の予防や死亡率の低下など、一つ一つの技術のレ
究費が支給されますが、近大水産研究所ではそれを自分たちで賄
ついにクロマグロの完全養殖に成功しました。その成果により文部
すが、当時の近大は法人本部も気長に構えてくれるところがありま
ベルアップを図ることです。クロマグロの完全養殖に関してはコスト
うことが最初から条件として課せられていました。魚を育て、それ
科学省の21世紀COEプログラムの拠点に採用され、メディアでも
した。やはり、金銭面で自立できていたことが大きいでしょう。ハ
面でまだ大きな課題があり、産業化に向けて生産効率を高めていく
を売って稼いだお金で研究をする。おそらく研究所としては他に類
取り上げられるようになり、日本だけでなく世界にも近大水産研究
マチなどの養殖で稼ぎながら、人類にとって夢のまた夢であったク
ことが重要です。
を見ないでしょう。
所の取り組みが知られるようになりました。
ロマグロの完全養殖にチャレンジする。それは魚飼いとしての気概
さらに漁業を取り巻く世界は変化してきており、海洋資源の保護
であり、何としてもやり抜くという意志によって継続されていったの
を図るための認証制度が欧米を中心に広がってきています。日本は
です。
まだそこまで意識が高まっていませんが、海外に向けて日本の魚を
今でこそ数多くの魚種の養殖を手がける近大水産研究所ですが、
当初は失敗の連続でした。最初に成功したのはハマチの養殖です。
成功の要因となったのが、のちに2代目所長となる原田輝雄先生が
考案された小割(網いけす)式養殖でした。それまでは湾を仕切って
なぜ成果を上げられたか
うのは一本でつながっています。全体を見ていないと、自分がやっ
ている仕事に対する意識づけができません。
売る時には認証が必要となります。完全養殖は認証取得に有利で
すが、エサとなる配合飼料に魚粉が多く含まれているため、それを
組織の気風と今後の目標
養殖を行っていましたが、網いけすによって効率的に魚を飼うこと
近大水産研究所というと、一般にはクロマグロで有名ですが、養
が可能になり、養殖技術を大きく発展させたのです。この網いけす
殖業者の間ではマダイが高く評価されています。成長の早い稚魚を
は、現在の養殖でも広く使われています。
選んで何代も飼育を繰り返す選抜育種によりつくられた近大マダイ
私は今年4月に6代目所長に就任しましたが、実は2代目から5代
天然資源を使わないエサでいかに美味しい魚をつくれるか。そのた
は、製品化が短縮できるというメリットがあります。人工種苗(人工
目まで師弟関係によって所長職が継承されてきました。師弟という
めには、研究開発においてまだ多くのブレークスルーが必要である
1970年に水産庁から要請を受けてクロマグロ養殖の研究を開始し
孵化による稚魚)の技術も上がってきており、現在養殖マダイの
強い絆も長大なプロジェクトを支えた要素の1つといえるかもしれ
と考えています。
ました。プロジェクトの期間は3年間です。
100%が人工種苗によるものです。
ません。もう1つ、近大水産研究所の伝統といえるのが、家族的な
ハマチに続き、ヒラメやマダイの人工孵化など実績を重ねる中、
クロマグロを養殖するには、まず天然の稚魚を捕獲し、生きた状
先述したように、近大水産研究所は魚を育てて売ることにより組
つながりです。原田先生は奥様と一緒に施設に住み込み、そこにス
態でいけすに入れることから始めます。これを活け込みといいます
織を運営しています。昔は研究と事業の両方を行ってきましたが、
タッフや学生がよく集まっていたと聞きます。昔は何もない場所でし
が、当時は水産研究者や漁師から絶対に無理だと言われていまし
売上の拡大とともに事業部門を切り離し、今は水産養殖種苗セン
たので、みんなで寝食を共にし、研究に明け暮れる生活を送ってい
た。というのも、クロマグロの皮膚は非常にデリケートで、人の手
ターが事業化のベースをつくっています。さらに最近は、大学発ベ
ました。そして原田先生が方向性を決めたら、後は全員がそれに向
で触っただけで感染症を起こして死んでしまう恐れがあるからです。
ンチャーとしてアーマリン近大を立ち上げ、そこを通して種苗や成
けて突き進んでいく。それが水産研究所のカラーであり、今もそう
そのため、釣り上げても針を外すことができない。さらにマグロは
魚の販売を行うようになりました。
した雰囲気は残っています。
網にぶつかって死ぬことがよくある。生き残ることが非常に難しい
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通常、大学の研究というのは10年後、20年後を見据えて取り組
ただし、最近は若い人たちの考え方も変わってきているので、昔
いかに減らすかが課題として残っています。とはいえ、ただ減らせ
ばいいというものでもなく、魚として美味しいかどうかも重要です。
プロフィール / Shukei Masuma
広島大学水畜産学部水産学科卒。
九州大学にて博士号(農学)
取得。社団法人日本栽培漁業協会(現:国立研究開発法人水産
総合研究センター)にて長らくマグロ類に関する研究に従事。
2012年4月より近畿大学水産研究所教授。奄美実験場長、白
浜実験場長、水産養殖種苗センター長などを経て、2016年4
月より近畿大学水産研究所所長に就任。
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