お客様のニーズにアンテナを張りながら、「個店対応」の

季刊 イ ズ ミ ヤ 総 研 Vol .107 (2016 年7月)
今号ではイズミヤの「生鮮強化」と「個店対応」を担うららぽーと EXPOCITY 店を取り上げる。ららぽー
と EXPOCITY は、1970 年に開催された大阪万博(EXPO’70)の記念公園「エキスポランド」跡地に開発された、
水族館、体験型英語、シネコン、305 のテナントを含む西日本最大級の複合商業施設であり、周辺にはガン
バ大阪のサッカースタジアムも開業されるなど、立地としても、施設の内容としても独特の SC となっている。
そうした施設の特殊性ゆえに、イズミヤのららぽーと EXPOCITY 店のベーカリーが記録的な売上を達成して
いることは間違いない。しかし、そこには日配、ベーカリーのマネジャーとして奮闘されている藤本さんの努力
も見逃すことはできない。食品プロトタイプ店舗として期待される「個店対応」がどのように展開されているの
か、また藤本氏が過去の経験をどのように活かしているのか、その秘密を探ることにした。
毎日、上司に怒られた思い出
藤本さんがイズミヤに入社したのは、20 年
前の 1996 年、
就職活動では商売に関心があっ
たため、百貨店をはじめいろいろな小売業を
受けたが、一番先に内定をもらったのがイズ
ミヤであった。実家が阿倍野にあり、小さい
時に家族に連れられて花園店によく行った記
憶があった。当時買い物といえば、普段は阪
南市場など公設小売市場に行っていたが、花
を受けるかたちであった。和泉府中店は、農
産部で年末 1,000 万円も売り上げた記録を持
ち、配属される一年前の年末もまだその名残
をとどめていた。
最初のチーフは西村さん(現在は伏見店長)
で、売上も絶好調であったため、いけいけど
んどんの雰囲気があった。当時は、ともかく
毎日怒られた記憶があるという。ただし、精
神的に追い詰められるような怒り方ではなく、
園店に行くことは子供心にも「ワクワク」す
るハレの日の買い物だったという。そうした
怒った後はさっと楽しい会話に転じるなど、
後に残ることはなかった。今から思えば、社
馴染みもあり、
「ここで商売の経験をしてみ
よう」と、迷わず入社することになったそう
だ。
最初に配属されたのは和泉府中店の農産部
会人としての意識が足りなかったり、食品部
門の社員として動きが遅かったのではないか
と振り返る。藤本さんの方も、一度怒られた
ら同じミスは二度としないことを肝に銘じて
であった。昔は現在実施されているような部
門別の全体研修はなく、入社して直ぐに店舗
いたため、後に「藤本君は、よく怒ったけど、
同じミスはしなかったな」と言ってもらえた
へ配属され、店舗のチーフの下で全ての指導
ときはうれしかったそうだ。
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季刊 イ ズ ミ ヤ 総 研 Vol .107 (2016 年7月)
自分なりのプラスαが必要 !
西村さんは売場の計画を線密に立てていた。
出会うだろうと覚悟したという。
一年目はチーフの下で仕事をさせてもらっ
藤本さんは、入社一年目だったため、発注や
売場の図面に深く関わることはできなかった
ものの、
「本部の言う通りにすれば、そこそ
たという感覚だったのに対し、二年目からは
チーフと一緒に部門の運営に参加させてもら
うという関係に変わった。発注も一部担当す
この売上をあげることはできても、実績を超
ることになったが、値下など数値管理ができ
えることはできないんや」と、教えられた。
「では、どういうふうに仕事に取り組めば良
いですか」と聞けば、「自分の中でアンテナ
を立て、これだと思うことを自分で考えて売
場に反映させなかったら、売上は伸びない」
というのが、西村さんの口癖であった。
「なる
ほど、商品部が提案する内容に、自分なりに
考えた工夫が必要だ」ということは、その後
も記憶として残ることになる。もちろん、当
時は商品部の提案さえ実施することがままな
らない状況で、すぐにその教えを実践するこ
とはできなかった。レベルの高い教えであっ
たが、そこを目指しながら日々頑張ったお
かげで、今では多少なりとも実践できている
という自負が生まれているとい
う。
ず、この商品ラインの売上が達成できないの
はなぜか、「君はどう思う」と聞かれても、
的を射た回答はできなかったそうだ。一人で
はまだまだやっていけない状況だったのであ
る。
野菜、果物を扱う農産では、筍、松茸、苺
など特定の時期しか出てこない商品が多く、
年間を通じて、「この時期にこの商品を売る」
というタイミングがあり、そのチャンスを逃
すと売れない。だから、計画をしっかり立て
る必要があったが、一年目は全体の流れがわ
からず、商品についてメモを取るのが精一杯
であった。ともかく一年経過しないとわから
ないし、二年目はようやく発注を担当したも
農産特有の難しさ
二年目は西村さんが転勤され
たので、鮮魚経験の長い芝池さ
ん(現在は我孫子店長)がチー
フになった。農産の経験は長く
ないということで、二年目の
藤本さんにもよく意見を求めら
れ、農産への理解を刺激しても
らった。ただ、年次を積んでい
る人でも、畑違いの部門だと一
から勉強し直さないといけなく
なり、自分もやがて同じ状況に
売場作りには自分なりのプラスαが必要と語る藤本さん
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のの、
「あっという間に旬が終わっていた」
という状況が続いたそうだ。農産売場は「店
考え方は、貴重な財産になっているという。
農産部で優秀だと言われていたチーフのも
の顔」であり、季節感もあり、色目もかわる
ので、面白いものの、それだけに難しいこと
を実感しながら、二年目が終わろうとしてい
とで、三人三様の売場づくりを体験できたこ
とは、幸運であった。すごい陳列をして、大
胆な売場で売上をつくるタイプもいれば、三
た。
個入り、四個入りといった商品企画にこだわ
忙しい年末のセールが終わった大晦日に、
統括長に呼ばれ、近くにできる和泉中央店に
異動することになった。和泉中央店と和泉府
中店は距離的には近いものの、来店されるお
客様の特徴は違う。和泉府中店は昔から住ん
でいる方が多いのに対し、和泉中央店は新興
住宅地で、来られるお客様の層は若返り、交
通の便が良いので、遠くから買いに来られる
人も多かった。
って、売上をつくるタイプもある。細かい数
値管理によって数字をつくリ上げていくタイ
プもある。
三年目は、芸術家タイプのチーフの下、よ
り仕事を分担して任されることになったため、
売場だけでなく、パートさんのシフト管理な
ど、とくに勉強になったそうだ。しかし、新
店でもうすぐ一年が経とうとする頃、また転
勤となった。
感銘を受けた情熱的な売場づくり
新店であったために、オープン時には大勢
のバイヤーが連日応援に来ていた。大抵のこ
とはチーフに聞けたが、それでもわからない
点はバイヤーに「この場合はどうするんです
か」と直接尋ねることができた。基本から体
系的に学ぶ貴重な体験になったという。
一方、農産担当の小川チーフは売場づくり
に関心が高い人で、綺麗な売場をつくること
に情熱を傾ける芸術家タイプの人だった。良
チーフとして、DQ 鳳店へ
99 年1月から、デイリーカナート鳳店へチ
ーフとして赴任した。ちょうど一人でやって
みたいという時期でもあり、やりがいをもっ
て仕事に取り組むことができたという。
鳳店は売上の少ない小規模店だったが、パ
ートが一人しかいない時間帯もあり、どうに
も人員が足りなかった。かといって売場はし
っかりつくらないといけないし、どうしたら
うまくいくのかを常に前もって考え、シフト
い売場をつくることに対する情熱が半端では
なく、そういうチーフがつくる売場を日々見
ることは、とても勉強になったそうだ。
当時、農産にはダイナミックな売場づくり
の調整に取り組んだ。普段からコミュニケー
ションはしっかりとっていたために、パート
さんたちも「絶対無理」と言わず、快く対応
してくれたそうだ。
を目指すチーフも多かったが、小川チーフの
売場はとくに繊細で綺麗であった。その後も、
チーフになったので、それまでの経験を生
かして色々なことを試してみたかった。まず
「こういう売場をつくったら、なるほど売れ
るんだ」という売場を見せていただいた。お
客様が反応される売場づくりという基本的な
平台を使って旬の野菜や果物をお客様にアピ
ールしようとしたが、鳳店は平台の数が限ら
れていた。「こちらを打ち出したら、あちら
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は打ち出せない」という状況で、常に取捨選
択を迫られた。どちらも売りたくて、最初の
プアップしようと意気込んで行ったものの、
業績は伸びず、はじめて挫折を味わったとい
頃は「ぐちゃぐちゃ」した売場になっていた
が、
「今週はこれ、今日はこれ」と、ようやく
売場にメリハリをつける習慣を身につけるこ
う。
農産の経験がある人ではなかったが、鮮魚
の先輩チーフに相談すると、「君は若いのに、
とができるようになったという。
売場は若々しくないよな、あまり売場が変わ
小規模な店舗だったため、お客様から話し
かけられることも多く、
「お兄ちゃん、こんな
にたくさん要らないのよ」、「別の店にはあっ
たけど、まだ入荷しないの」とか、お客様と
の会話の中からニーズを探り、売場に反映さ
せることもあったという。
本部から送られてきた売場の図面を参考に
しながら、最終的に綺麗な売場を作ることが
できた。まずまずの出来上がりで、本部の担
当者にも、
「買い易い売場になった」とお褒め
の言葉をいただいた。それが売上に直結した
かどうかは別であったが、自分なりの売場作
りができたことは何よりも自信につながった
ようだ。
鳳店では、何よりも部門を一人でコントロ
ールできているという感覚を持つことができ、
店舗オペレーションの流れをはじめて体感で
きたという。
それまではチーフのもとで、チーフが立て
た計画に基づいて行動していたのに対し、自
らないよなあ」と言われた。確かに、お客さ
んから見たら、管理はよくできていても、
「面
白くないかもしれない」。西村さんの大胆な
売場でもなければ、小川さんがつくっていた
綺麗な売場でもない、と反省。とりあえず売
場を毎日変えてみよう。お客様に目につく平
台を使って「今日はきのこフェア、98 円均一
フェア、天ぷらフェア」などを開催し、とも
かく毎日変えることにした。作業的には大変
だったが、試行錯誤しないと気が済まなかっ
た。そうこうしているうちに売場に変化がつ
いてきて、少しずつ売上も増えてきた。
ただし、毎日売場を変えようとすると、一
人ではできないので、パートさんに役割を分
担してもらう必要があった。自分は「売場を
こうしたい」という思いを伝え、
「何曜日は、
○○さんがボードを変える係、陳列変更は○
○さんの担当」というように協力も得ながら、
いかにパートさんに自分の担当として認識し
て働いてもらうかが重要であることを再認識
分がチーフになると自分で計画を立てて実績
を出すことが求められる。小さい店舗であっ
たが、
とても意味のある一年であったそうだ。
しかし、同店が閉店したことに伴い、わず
したという。
店長にも、「最近、売場が良くなった」と
評価もされ、一年ぐらい経ってようやく壁を
克服できたと実感したそうだ。
か一年経った 2000 年 4 月から、奈良の王寺店
へ転勤となった。
そうした状況で思い出されたのは、かつて
の西村さんの「毎日自分で必死に考えて売場
はじめての挫折
鳳店での成功体験を踏まえ、さらにステッ
をつくらないと、売上は伸びない」という口
癖であった。店舗ごとに微妙にお客さんのニ
ーズが違い、全店一律にはならない。現在、イ
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ズミヤ全店で展開しようとしている個店対応
がまさにそれで、本部に言われるままの売場
段を下げて売り捌く羽目に陥った。日配は定
番の維持管理が重要であるが、その商品が一
をつくっても、なかなか売上が上がらないの
である。店舗の周辺にはどんなお客様が住ん
でおられるのか、大家族なのか、単身世帯が
日どのくらい売れるのか全く見当がつかず、
発注が多過ぎたり、足りなかったりを繰り返
していた。農産では自信を持って仕事ができ
多いのか、家族構成によって買い方が変わっ
ていたが、日配では全然通用しないことを痛
てくる。どんなお客様が来られているか、ど
んな商品を求められているか、どんな買い方
をされているか、それを掴んで、売場に反映
する必要があることを再認識した。
王寺店で農産の業績が好転しだしてしばら
くした後、同店の日配売場へ異動となった。
藤本さん自身も、そろそろ違う部門も経験し
たいと思うようになっていた。しかし、農産
と日配ではやることが全然違うため、戸惑い
も大きかった。店舗には日配の経験者もおら
ず、訊くこともできなかった。そのため、最
初は農産の感覚でやっていたが、発注が合わ
なかった。
「これ平台に出したら売れる」と思
って発注したところ、大量に売れ残って、値
感した。
自分でもよくわからないまま半年が過ぎ、
ようやく売れる数がわかってきて、売上が安
定してきた頃に、今度は新店の泉北店への転
勤が決まった。自分でもまだ日配自体が把握
できていないという不安があっただけでな
く、新店のため全く経験のないパートさんの
教育もしなければならなかった。
農産部門へ異動、安売り競争の経験
日配については、王寺店でわからないなが
らも半年、泉北店では一年弱経験して、よう
やく面白くなってきた頃に、また農産売場へ
異動となった。
7月から一年半農産を担当し
たが、ここではお店の目の前に
八百屋と果物の専門店があり、
常に競い合っていた。向こうも
露骨に値段を見に来るし、こち
らも値段を見に行くような状況
で、こちらがキャベツを 150 円
で売り出しする予定でも、相手
が 100 円の場合はこちらも 100
円に下げ、相手の価格に合わせ
る対応をした。
この時期は、目の前にいる競
売り場に変化を付けることの難しさを共有する
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合店にどう対応していくかが課
題で、綺麗な売場をつくりた
かったものの、そういうやり方
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はあまり通用しなかった。ともかくお客様に
買っていただく、量を捌くためには何が必要
った。統括長の補佐として、畜産だけでなく、
統括長の不在時は食品全体をケアするよう指
か、単に価格を安くするだけでなく、鮮度も
追求していたそうだ。前日に無理に売り切っ
て、翌日の鮮度を上げたこともあり、価格で
示され、もう少し広い視野で店舗全体のマネ
ジメントをしないといけないと、関心が向く
ようになった。そうして三年間の関東勤務を
も鮮度でも自分がリードできた、と自信をの
経て、2008 年 3 月、十年ぶりに和泉中央店の
ぞかせる。
しかし、売上も順調に伸びてきた頃、板橋
店の畜産売場へ転勤することになった。
加工食品部門へ転勤することになった。
関東へ転勤、初めての畜産売場に
関東店舗では、牛肉は基本的に店内でカッ
トする体制となっていた。しかし、藤本さん
は畜産の経験が全くなく、スライサーに触っ
たこともなかったため、閉口したという。
店舗には牛肉の卸しメーカーが派遣する職
人さんが週に3~4日、加工技術をパートさ
んに教えていた。しかし、いつのまにか作業
を職人さん任せになり過ぎていたため、パー
トさんがスライスできない本末転倒な状況に
陥っていた。そんな点を改善して欲しいと統
括長に頼まれたそうだ。
そうしたものの、藤本さんも加工の腕はま
だなく、いきなりその体制をやめることもで
きなかったので、とりあえず職人さんを週一
回にしてもらい、残りは自分たちで回すよう
マネジャーとしての自覚
関東に行くまでは自分は若手だと思って、
ちょっと甘えていた部分もあったが、関東か
ら大阪へ帰ってくると、自分よりも年次の低
い人や、その間に採用された若年次社員も多
く、マネジャーとして若手にアドバイスすべ
きなのに、正直どう振る舞っていいのか、戸
惑うこともあった。ようやく立場を自覚しそ
れなりの行動がとれだしたのは次の小林店に
行ってからであり、当時は単に加工食品の
チーフとしての役割をこなしていただけだっ
たと振り返る。
小林店には四年在籍したが、最初の三年が
日配、最後の一年が農産売場を担当した。こ
こでは、新卒二年目の社員の女性をどう育て
ていくかが課題であった。それまでは販売計
画を自分で立てていたが、ともかく新人の彼
女に販売計画を立てさせ、それを自分が確認
に変更した。
同期のバイヤーに相談しながら、
自分はどこまで加工作業をしたら良いのか、
職人が抜けたら人が足りなくなるのでパート
さんはどのようにやりくりしたら良いのか、
するという姿勢で動いた。二年目の社員だっ
たので考え方も拙いところがあったが、やが
て一人でもできるようになり、
「人を育てると
いうのは、こういうことなんだ」とあらため
などの解決策を模索、一年ぐらい試行錯誤を
繰り返し、最終的には職人さん抜きでも、自
て認識し、指導者としての喜びを実感できた
そうだ。
分たちで運営できるような仕組みを構築でき
たという。
関東二年目の夏に、食品のマネジャーにな
また、当時の店長である古角さんは、食品
の社員が気づかないような改善を次々と実践
された。もっとお客様に訴求するような売場
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ができないか、ということでノンフードの商
品とコラボして宣伝販売をさせてもらったり、
いよいよららぽーと EXPOCITY へ
新店舗については、
「これは面白そうだが新
業種の垣根を越えて加工食品の前進陳列を
する時間を設けたりもした。
「部門の仕事を越
えて、もっとマネジャーとして動きなさい」
店は大変だ」と経験から思ったそうだ。ただ
声がかかること自体光栄であり、お客様が多
い店舗でもう一度商売したいという思いが強
「次長の動きを見て、自分も同じようなこと
くなった。
ができるようにしなさい」というアドバイス
をいただいたことが記憶に残っている。
店長からは、担当はベーカリーと日配だが、
日配については担当者を一人付けるので、藤
本さんはベーカリーの立ち上げ成功に向けて
尽力して欲しいと言われたという。
オープンに向けた研修では、店舗周辺 1km
圏内は誰も住んでおらず、どうやって売上を
上げていくか、そのコンセプトづくりから始
まった。1km 以遠のお客様に「わざわざ」来
店していただくには、加工食品と日配だけで
なく、生鮮食品が強い店でないとダメという
プロトのコンセプトは、まるとく市場で感じ
ていたこととシンクロし、食品プロトタイプ
店舗一号店の新大宮店の成功が理解できるよ
うになったという。研修では、生鮮に手をか
けるという方向性で、先進事例の広島のエブ
リイ、千葉のららぽーと内のロピアを視察し
て、確かに加工食品や日配も安いが、生鮮食
品が重要であることを痛感した。
また、新店研修中、
「自分はこういう売場を
つくりたい」というコンセプトを長い時間を
まるとく市場門真南店へ異動
2014 年7月、まるとく市場門真南店に赴任
した。この店舗では店の金庫を開けた後、野
菜や魚の品出し、その後は加工食品・ノンフ
ードの売場づくり、また総務系の処理に戻っ
て、次は夕方の売場整理、など仕事が広範囲
にわたった。やる作業自体はすぐ終わること
が多かったが、もともと部門の人員が足りて
いなかったので、自分以外でも、部門を越え
て人を融通しあうのが当たり前であった。こ
れまでの経験を総動員してなんとかこなして
いた。
まるとく市場は、コストをかけず、その分
価格を安くするという業態である。しかし実
際それだけではお客様にはあまり来ていただ
けなかった。加工食品や日配の価格が安くて
も、生鮮に魅力がないとやはり難しいのかと
感じたので、店のメンバーに声をかけて、そ
こを盛り上げようとした。しかし、人員が少
ないので、毎日はできない。せめて火曜日と
週末には特売と凝った売場で盛り上げようと
かけて考え、それを皆の前で発表するという
機会は、苦手という人もいたが、自分にとっ
ては面白く貴重な体験であった。
したが、すぐに結果は出なかった。ただ、や
り続ければ効果は出てくると信じながら、奮
現状の課題
イズミヤの店舗だけでも、平日は 4,000 人、
闘していた一年であった。この取り組みは、
ららぽーと EXPOCITY 店でも生かされるこ
とになる。 週末は 6,000 ~ 8,000 人の来店者がある。平
日はそれほど昼食の需要はないが、週末にな
るとパンや惣菜の売上が顕著に違ってくると
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いう。客数が圧倒的に多く、なかでも若いお
客様、小さな子供連れのお客様が多い。モー
が掛かり、新商品に変更すると一時的に効率
が低下するという問題があるが、次の展開を
ルに遊びに来たお客様が、施設内にレストラ
ンやフードコートもあるものの、そこでは価
格が高い、もっと簡便に済ませたい、と思い
考えたときには、必ず対応していかなければ
ならない事項でもある。本来であれば、両部
門とも味の良い商品、目新しい商品を打ち出
来店される場合が多いのだが、その分客単価
すべきであり、それが今後の課題として残さ
はかなり低くなってしまう。客数は想定通り
だが、売上目標が達成できていないのは、日
常の買い場として、つまり SM 使いがされて
いないからと分析する。
ららぽーと EXPOCITY 店は、それまで近
くのスーパーなどで購入しているお客様にも
わざわざ来店していただくという最初のコン
セプト通り、
時間がかかっても、
「価格が安い、
鮮度が良い」
といった認識を持っていただき、
生鮮の売上を増やすことで、店全体の売上を
上げる方向に進むことに覚悟を決めているよ
うだ。
もう一つの課題が、絶好調の惣菜とベーカ
リーのさらなるブラッシュアップである。惣
菜は、
当初のコンセプトでは「尖
り商品」とよぶ価値ある商品を
志向するはずだったが、まだ対
応できていないこともある。お
弁当や揚物にも「こだわり」が
必要なことはわかっていても、
れているのである。
「個店主義」を目指して ららぽーと EXPOCITY 店は、足元商圏で
わざわざ買い物に来られるお客様とモールに
遊びに来たついでに購入されるお客様という
二つのターゲットをどのようにバランスをと
りながら、売上を確保、拡大していくかが課
題になっている。ただし、生鮮対応は時間を
かけて「じわじわ」とお客様の支持を集めて
いく以外に方法はないのに対して、モールに
遊びに来るお客様には、従来のイズミヤには
ない個店対応が課題になっているといえる。
というのも、来店されるお客様が特殊だから
そこまで手が回らないのが現状
なのである。
ベーカリーも一緒で、目先を
変え、飽きられないようにする
のが、当初のコンセプトであっ
たが、今はともかくパンを供給
することを最優先させているた
め、新商品の提供ができていな
い。焼きたてパンは作業に手間
ららぽーと EXPOCITY 店の「個店対応」に期待すると語る加藤教授
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である。
それを象徴するような出来事がある。例え
《感想》
冒頭でも、記したように、現在イズミヤで
ば、
藤本さんは最寄りのセブン - イレブンで森
永乳業の「リッチカフェラテ」という商品を
見かけ、それがモノレールの吊り広告でも宣
食品プロトタイプ店舗のコンセプトである
「生鮮強化」と「個店対応」が、現場において
強力に推し進められていることを再確認した。
伝されていたことに関心を持った。
「これは売
もちろん、すべてコンセプト通り、計画通り
れる」と思い、仕入れたところ、爆発的に売
れたという。普通のカフェラテよりも値段は
高いものの、即食のエリアに持ってきて販売
したところ、4月までの累計で 500 個も売れ
たのである。売上2位の店舗が 80 個なので、
「ぶっちぎり」と言ってよい。また同様のこと
は、ハーゲンダッツの話題の新商品について
も、チラシを配布したわけでもないのに、
「こ
こに全種類安く置いていると聞いたのです
が・・・」とお客様が来店するようになった。
若い人の間では、SNS で情報が回っている
のである。
若いカップルや友達同士で来街するお客様
は、先の出来事が示すように、面白いモノや
コトに敏感である。ららぽーと EXPOCITY 店
は、来街者数が多く、それだけ変わった体験、
珍しい商品に反応するお客様が多いと考えら
れる。そういったお客様が多いことは、とく
に新商品や話題商品の販売について絶好の実
験店舗となることを意味している。とすれば
に進められているわけではない。ららぽーと
EXPOCITY 店は、その立地の特殊性ゆえに、
生鮮は苦戦中で、ベーカリー・惣菜では期待
以上、全店の中でもトップクラスの驚異的売
上を達成している。いずれの場合も、計画と
現実との調整、いわゆる現場対応力が藤本さ
んのような担当者に求められることは、言う
までもない。藤本さんが、そのキャリアの中
で「毎日自分で必死に考えて売場をつくらな
いと、売上は伸びない」という先輩の教えを
基礎に、その後の体験の中で培った売場づく
り、
「個店対応」力が、今後はいっそう求めら
れていると言える。
同店はポテンシャルがあり、やり方一つで
売上が大きく跳ねることが期待される店舗で
あろう。従来のチェーンストア理論に基づく
店舗運営では、ららぽーと EXPOCITY 店の
ポテンシャルを最大限実現することはできな
いに違いない。特殊なケースではあるが、イ
ズミヤの個店主義が成功するかどうか、また
面白い仕掛けや企画ができるのではないか
と、藤本さんの期待が膨らむ。それを推し進
めていけば、まさに店舗が主体となって、売
場づくりを行い、売れる商品を探し出し、そ
基本的方向を占う上で、同店はまさに実験店
舗となっているのである。その成果に期待し
たい。
れを本部にアピールすることで好循環を生
む、究極の個店主義を実現できると言っても
よい。
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