第25号 - 金刀比羅神社

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第 25 号
平成 28年7月
います。
毎日のように多くの方々が汲みに来られて
社神域の御山から涌きだすご神水です。
ご神威に預かれる美味しいご神水として、
います。
常に潤沢に金鉢から溢れている水は、神
れていたことから、字名も「泉」とされて
この一帯では古くから良質の涌き水に恵ま
の姿で再建されています。
当社の御山は隣の愛宕山から続いており、
年の北丹後地震で倒壊し、昭和八年に現在
「水屋」と呼ばれていました。以降昭和二
まだ「嗽水鉢(うがい水の鉢)上家」や
そうすいばち
います。明治二十八年に新築される際には
湛えていることから「金鉢」と親しまれて
かなばち
めに行います。
当社手水舎は大きな鋳鉄製の水鉢に水を
手と口を清め、心身清々しくお参りするた
てみず
手
水は神社にお参りして神前に進む前に
金 鉢 の ご 神 水 ★
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水屋設計書 設計図
楷の木 すくすくと
金刀比羅神社 役員名簿
敬称略
敬称略
責任役員
井上
敏 ︵代表総代︶
錦織
隆
稲 葉 悦 男 ︵総代兼任︶
中山
力 ︵総代兼任︶
松 本 研 二 ︵総代兼任︶
総
代
西垣徳彦
山本喜与志
松﨑
修
藤原邦夫
井上五朗
森
一彦
寺田厚生
顧
問 吉 村 孝 道
神社委員 安田清志 山本英雄 岸田利道
金 刀 比 羅 会 役員名簿
地区評議員
指名評議員
地区委 員
会
長
稲葉悦男
副 会 長
西垣徳彦
松本研二
監
事
藤原邦夫 井上五朗 横井邦夫
元町区
川島三次
山下重雄 諏訪部英雄
岡崎一芳
阿武克宜
田中修一郎 吉岡博泰
吉岡
勲
井上
敏
池田芳昭
吉田國隆
安田清志
中村
静
吉見英次
木崎祥緒
田中啓一 西木邦夫
金田敬三
横井邦夫
山本英雄
尾早敏明
荻野正二
由利敏雄
森
一彦
木村成信
中西
実
寺田義明
淡路弘之
中川芳隆
粟 倉倉 倉
惣 之輔 赤岩康利
三木邦彦
俵
公喜
木下譲太郎 奥田晋也
増田和久
小西哲夫 今田
守
赤井鐵昭
松本鐘三郎
十十十
十
区
九
区
八
区
二
区
三
区
四
区
五
区
六
区
七七
七
区
一
区
十一区
十二区
十三区
由良隆彦
中村健之
望
中井
沖
一 一 小野甚一
十四区
岸村 進
十五区 吉田件昨
岸田利道
廣野勇夫
田中良剛
岸本博一
真岡修治
十六区
植垣齋紀
粂山敏博
西村郁生
十七区
十八区
現在の手水舎
現在の手水舎
手水舎再建設計図
昭和8年 竣功
手水舎の来歴
明治二十八年に竣功した手水舎 屋根の形状なども少
は、明治二十六年四月に「郷社嗽 し違って見えますが、
水鉢上家有志名簿」で寄付を募っ 柱の数が設計では四
て造営されています。当時の「水 本だったのが、竣功
屋設計書」にも詳細な仕様が遺さ した物は四隅に三本
れていて、 大正末 期の写真でも本 ずつ十二本の柱で支
げぎょ きばな
こうりょう
瓦葺で懸魚や木鼻と虹梁に彫刻の えられる特別な構造
施された趣のある建物だったこと となっています。
当時の建築委員な
が解ります。
北丹後地震で倒壊後、昭和八年 どの関係者や棟梁ら
に銅板葺きで再建されたものが現 がシンプルな設計に
在の建物です。再建の際に京都府 満足せず、独自に思
の技官によって起こされた設計図 いのこもった匠の技
面が遺されていますが、竣功した を発揮したのかもし
姿は多少違ったものとなりました。 れません。
紅葉
奉納御礼
植樹
神門を背景にした鮮やかな紅葉
は当社の象徴的な風景でしたが、
一昨年に枯れてしまい大変寂しい
状況となっていました。
方々からこれを
憂う声が上がる
中、当社崇敬者の坪国造園㈲坪倉
国男社長が若紅葉三本を奉納植樹
して下さいました。
再び紅葉のこんぴらさんの風情
が戻ることが期待されます。
紅葉の植樹
昭和2年 北丹後大震災で倒壊
大正末期の写真
平成二十六年に丹後こ
ども
論語塾で植樹していただいた
「楷の木」もすくすくと成長
しています。
楷の木は「孔子木」ともよ
ばれ、孔子霊廟に繁茂してい
る中国原産の木で、各地の藩
校跡や孔子にゆかりの地に植
えられて増えているそうです。
大木に育ち秋には見事な紅
葉をする姿が楽しみです。
論語塾生による植樹
論語塾生による植樹
楷の木
失われる
る前の紅葉風景
失われる前の紅葉風景
紅葉の植樹
郷社嗽水鉢上家有志名簿
水屋設計書