こちら

現代世界とキリスト教
アメリカのキリスト教事情
佐久間 重
アメリカ社会の2つの柱 実利主義とキリスト教信仰
(1)実利主義 → 個人主義 → 自由主義 個人や企業の徹底した利益追求
(2)キリスト教信仰 → 神の審判に基づく正義や隣人愛の追求
二面性の遠因
イギリスによるアメリカ植民地の建設の動機に反映
イングランドの宗教改革
背景
民衆の間にある反聖職者感情
イギリスのキリスト教会は外国の勢力であるローマ・カトリックにより移植されたもの
カンタベリーに最初の教会が成立
その後教会の勢力が拡大 イギリス全王国の富の3分の1を支配し、民衆から搾取を行う
直接の契機
国王(1.
)8世が王妃キャサリン(スペインの王女)と離婚し、女官アン・ブーリンと結婚することを希望
キリスト教の問題(離婚は不承認)に取り組むに当たり、ローマ教皇とイギリス国王のどちらが優位かという問題が生じる
イギリスの教会指導者 国王に味方する
ローマ教皇 イギリスの教会指導者と国王を破門
国王 「国王至上法」を成立さす
ローマ教会から独立した(2.
)を設立
イギリス宗教改革の特徴
・教義や組織は旧来のまま
・イギリス国王が教会を支配
ヘンリー8世 修道院を解散させ、財産を没収
・教皇側のカトリック勢力(キャサリンの子供であるアン女王の側近)とプロテスタント勢力(アン・ブーリンの子供であるエリザ
ベスの側近)の対立
エリザベス女王死後 カトリック勢力の復活
エリザベスにより処刑されたメアリー・スチュアートの子供がイングランドの王位を継ぐ
スチュアート王朝の王位変遷
ジェームズ1世 → チャールズ1世(ジェームズの子供)ピューリタン革命で処刑される → チャールズ2世(チャールズの子
供) 王政復古 → ジェームズ2世(チャールズ2世の弟)名誉革命で退位
アメリカ植民地の建設の時期
イギリスがヨーロッパの大国になったエリザベス女王時代直後で、(3.
)の時(ステュアート王朝の開始時)
最初の植民地活動
・国王(4.
)から(5.
)を得た集団が経済的利益を求めて植民地を建設
ジェームズタウンの建設(1607年) ヴァージニア植民地の基礎
・イギリス国内の宗教弾圧に嫌気をさした集団が宗教的自由を求めて植民地を建設
(6.
)号に乗った102人がプリマス上陸(1620年12月)
指導的立場に立ったのは30人位の国教会からの分離を主張する急進的なピューリタン
航海中に上陸後の秩序ある生活を誓約する
メイフラワー誓約(Mayflower Contract)=キリスト教の厳しい規律を守って生活することを契約したもの
翌年まで生き延びた人数 約60人
最初の収穫を祝う 感謝祭(Thanksgiving)の起源
その後、ジョン・ウィンスロップ(John Winthrop)に率いられた約1,000人のピューリタンが移住→マサチューセッツ湾植民地の
建設(1629年)
ヴァージニア植民地 アメリカの(7.
マサチューセッツ湾植民地 (8.
)の原点
)の原点
ヴァージニアを始めとする南部の植民地
富裕層が本国のジェントリーの立場に就き、本国と同様の農業経営
農場の働き手は、イギリス本国ではヨーマン(自由保有農民)であったが、アメリカ植民地では(9.
北戦争の原因
)を使う→後の南
マサチューセッツ湾植民地を始めとするニュー・イングランドの植民地
(10.
)に基づく社会・文化を形成
マサチューセッツ湾植民地→神聖政治→アメリカの使命感の源流
宗教的異端者の迫害(魔女狩り)1692年
植民地社会の成熟
(11.
)養成のための高等機関としての大学設立
ハーヴァード大学(1636年) イェール大学(1701年)など
1700年代初頭 啓蒙思想(Enlightenment,人間の理性を尊重する思想)の拡大に反比例してキリスト教の信仰熱が低下
植民地に様々な宗派が定着
マサチューセッツ植民地 会衆派(Congregationalist)
ペンシルベニア植民地 (宗教的に寛容)
クエーカー派(Quaker),メノ派(Mennonite),ルター派(Lutheran), 長老派(Presbyterian),再洗礼派(Anabaptist,Amishの源流)な
どが混在
ニューヨーク植民地 オランダ改革派(Dutch Reformed)
ロードアイランド植民地 バプティスト派(Baptist)
ニュー・イングランドに定着した会衆派、長老派がアメリカのプロテスタントの主流派(Main Line)を形成
1730年代から40年代 信仰復興運動始まる
キリスト教信仰熱の復活→第1次大覚醒(The First Great awakening)の始まり
ピューリタニズム(権威への絶対服従を求める)への挑戦
代表者:
(1)ジョナサン・エドワーズ(Jonathan Edwards)
マサチューセッツで人間の能力を認めるアルミニウス主義(Arminianism)を批判し、神の絶対と人間の堕落を強調するカル
ヴァン主義(Calvinism)を(12.
)の自然科学やロックの啓蒙思想を活用して再解釈する説教により人気を集める
(2)ジョージ・ウィットフィールド(George Whitefield) メソディスト派(Methodist)の巡礼牧師
イギリスからアメリカに渡り、信仰心が厚ければだれでも天国に行けることを巡回説教して評判になる
信仰復興運動の中に情緒主義が蔓延 → 大覚醒の退潮
大覚醒の産物
各キリスト教集団の自立化(denominationalism)を促進
植民地政府からの援助への依存を絶つ
教会支援の大学の設立(例Brown, Dartmouth, Rutgersなど)
植民地文化の特徴
大商人や大地主 貴族的階級を形成
(13.
)文化への憧れ
植民地独立への経緯
植民地の防衛 イギリス兵が行う
フランスやインディアンの勢力の存在
模範は本国の貴族階級
(14.
英仏対立の最終戦争(七年戦争 1756~63)での(15.
)兵の駐屯は植民地人も認める
)の勝利→ 植民地防御の必要性が軽減→ 独立へ
イギリス本国の財政悪化 植民地への(16.
)で対処
イギリス本国政府の政策への反対運動
1765年 (17.
)税法制定
反対運動のスローガン「代表なくして課税なし」
1773年 (18.
)税法制定 →植民地に輸入される(19.
)には税金をかけるが、東インド会社(イギリスの貿易会社)
が販売する場合には免税とする
1773年12月 植民地の(20.
) インディアンに変装し、ボストン湾に停泊中の東インド会社の船を襲い、
(21.
)箱を海に投げ入れる →ボストン茶会事件
イギリス本国政府
懲罰諸法(1774年)を制定し、ボストン湾を閉鎖
植民地側
ジョージアを除く12植民地 1774年 (22.
)で会合 →第1回大陸会議
大陸会議は、愛国派(本国政府に反対)と国王派(本国政府に賛成)に分裂
マサチューセッツの愛国派 (23.
)に武器庫を作り民兵を訓練
ヴァージニアの愛国派の1人 (24.
) 「自由か死か」の演説で植民地防衛体制確立を主張
1775年4月 武器庫押収に向かった(25.
)軍と植民地民兵の武力衝突 →独立戦争の始まり
(26.
)とレキシントンで
第2回大陸会議 大陸軍総司令官に(27.
)を選出
1776年6月 独立宣言起草委員会で(28.
)が独立宣言の草案を提案
啓蒙思想家(29.
)の理論を裏付けにして革命権を主張
1776年7月4日 独立宣言の公布 →アメリカ植民地のイギリス本国からの独立
次第に大陸軍がイギリス軍を圧倒 → 1783年 パリで講和条約を結ぶ
独立後の各植民地 共和制憲法を採用し、邦(state)を形成
独立後 13の邦は(30.
)という契約の下で緩やかな連合体を形成→(31.
強力な(32.
)政府の必要性が主張される
)政府なし
アメリカ合衆国(33.
)の制定へ
→イギリス本国とは異なった政治制度の採用
(34.
)制と大統領制
憲法草案批准を巡る議論
フェデラリスト 草案に賛成で、(35.
)連邦政府を求める
アンティ・フェデラリスト 草案に反対で、(36.
)連邦政府を求める
最終的には批准されて、合衆国憲法が成立(1788年)
権力の中枢
イギリスからの移住者
特徴(白人でアングロ・サクソンでプロテスタント )→WASPという概念の始まり
独立後のアメリカ----領土も小さく、ヨーロッパの国々より産業・文化の面で遅れている
アメリカの領土の拡大 (37.
)の購入(1803年)
第3代大統領トマス・ジェファソンがフランスの指導者(38.
購入したことによる
フランスの(40.
)から(39.
)を1,500万ドル(15億5千万円)で
)を巡る国際紛争----アメリカはフランス寄りになりイギリスと対立
英米戦争(1812~1814年)(41.
)の没落と共に終結
戦後 アメリカ人の関心が国内に向く 好感情の時代=派閥対立のない時代
ヨーロッパの影響力の排除が必要 (42.
)の採用(1823年 第5代大統領ジェームズ・モンローの宣言)
西部開拓の始まり
イギリス文化への劣等感を脱却
アメリカ的自立の精神を高める----アメリカの(43.
)主義の源流
理屈よりも(44.
)を尊重 ---- 反知性主義の原因
フロンティア(辺境)精神 ---- 進取の気性の形成
政治の担い手----独立戦争の貢献者から西部開拓者に移る
第7代大統領 アンドゥルー・ジャクソン(西部---テネシー州出身の大統領)の登場(1829年)
アメリカの産業革命 1830年代以降
要因
・英米戦争後の関税法により(45.
)産業が保護されたこと
・ニュー・イングランドに繊維産業などの伝統があったこと
・西部開拓により国内市場が拡大したこと
産業の発達----北部と南部の産業構造に違いが明確になる
北部 工業化
南部 (46.
)を使ったプランテーション
(47.
)の問題の浮上
西部開拓と平行して(48.
)が発展
フランス人のアレックス・ドゥ・トクヴィル アメリカの監獄制度の調査のために訪米し、フランスに帰国後著作を残す
『アメリカの民主主義』(1940)の中でアメリカの民主主義の成長要因を分析
・合衆国憲法で自由が認められていたこと
・アメリカ人の生活習慣の中で自立の原理が根付いたこと
他方、民主主義は多数派の横暴に陥る危険性があることを指摘
ニュー・イングランドでの文化運動 超絶主義(Transendentalism)が広まる
ラルフ・W・エマソン (Ralph Waldo Emerson) Unitarian(イエスの人間性を強調する教派)の牧師として経歴を始める
講演と著作により超絶主義〔人間の個性と(49.
)を尊重する思想〕を広める
オリヴァー・ホームズ エマソンの講演『アメリカの学者』(1837)をアメリカの知的独立宣言と呼ぶ
キリスト教信仰復興運動が発生 第2次大覚醒(The Second Great Awakening)
(50.
)重視の風潮への反発
バプティストやメソディストなどの信仰グループがキャンプ・ミーティングを繰り返し、信徒の数を増やす
以後、バプティスト、メソディストは、主要な教派に成長
事例:モルモン教の発展 → 1820年代にジョゼフ・スミス(Joseph Smith)がニューヨークで布教を始める
重婚を認める独自の教義のため迫害を受ける スミスは暗殺される(1844)
ブリガム・ヤング(Brigham Young)に率いられ信者は西へ移住し、現在のユタ州に定住(1847)
領土の一層の拡大
1845年 ジョン・オサリヴァン アメリカの発展は神によって与えられた明白な運命(manifest destiny)である、と主張
1845年 テキサス併合 スペインの影響を受けたメキシコ軍との紛争の結果 アラモの砦の悲劇(アメリカ軍人と開拓民
が全滅)の代償の結果
ヨーロッパからアメリカへの移住を促進した要因
(51.
)での飢饉(1845年) → ローマ・カトリック教徒の増大
(52.
)での金鉱の発見(1848年)
開拓された土地が連邦に加盟する際に、奴隷州とするのか自由州とするのかが問題となる
次第に自由州の数が多くなる → 南部諸州 連邦脱退を振りかざす
北部での奴隷制反対運動
キリスト教の見地から奴隷制に反対
ストウ夫人(Harriet Beecher Stowe)(女子神学校の教師)『アンクル・トムの小屋』(1852)を出版し、ベストセラーになる
内容:南部で主人と幸福に暮らしていた黒人奴隷が奴隷市場で売られたことから始まった悲劇を描く
南部と北部の対立の激化
1854年 奴隷制反対勢力が(53.
)党を結成 → 奴隷制賛成派は(54.
1860年の大統領選挙
奴隷制に比較的穏健な候補者である(55.
)(共和党)が当選
)党へ
1861年2月 南部諸州は連邦を脱退し、南部連合国(The Confederate States of America)を結成
大統領:ジェファソン・デイヴィス
首都:ヴァジニアの(56.
)
南軍 サウス・カロライナのチャールストン港内にある連邦のサムター要塞を包囲
大統領に就任した(57.
) サムター要塞を奪還 南北の軍事対立の激化 → 南北戦争の開始
北軍 (58.
南軍 優秀な(59.
)が豊富
)が多い
1863年 リンカン大統領 (60.
)を出す 連邦の回復が狙い → 実質的な効果はない
北軍と南軍の激戦
(61.
)(ペンシルヴァニア州)の戦いの跡地で追悼演説 「・・・人民の、人民による、人民のための政
治・・・」
1865年 (62.
)軍の勝利で南北戦争終結
ワシントンで観劇中に、リンカンは南部人の俳優によって暗殺される
副大統領ジョンソンの昇格
南部の再建中の混乱
南部の白人 民主党の下に団結
南部の白人による黒人や共和党員への脅迫
秘密結社組織Ku Klux Klan (KKK)の起源
南北戦争後 (63.
)中心の北部の経済体制がアメリカの体制になる 以後急速な工業化
(64.
)鉄道の完成(1869年)が工業化を促進
西部への移住を促進→国内資源の開拓→市場の拡大→大規模農業の発展
(65.
)の活躍(19世紀末まで) 西部劇の題材
南北戦争後の19世紀後半の急速な工業化
労働力への需要が高まる 海外からの移民を受け入れる
東欧・(66. )欧からの文化の流入----文化の多様化 都市部のローマ・カトリックやギリシャ正教徒の増大
政府は経済の問題に介入しない→(67.
大企業や大富豪の誕生 ロックフェラー家など
努力による成功の道が開かれる→(68.
)の風潮
)の起源
工業化に伴う労働問題や都市の社会問題の拡大
政府は消極的な対応 キリスト者の運動の高まり
金権政治と政治腐敗の蔓延
資本主義を正当化する理論→チャールズ・ダーウィンの(69.
)を基にした(70.
イギリスのH・スペンサー(Herbert Spencer)、アメリカのW・サムナー(William Graham Sumner)
南北戦争後の西部を題材にした文学の誕生 マーク・トウェイン『トム・ソーヤの冒険』
)
1870年代
アメリカの哲学と呼ばれるプラグマティズム(Pragmatim)が発展
代表的哲学者:
チャールズ・パース Charles Sanders Peirce (1839–1914)
ウィリアム・ジェームズ William James (1842–1910)
ジョン・デューイJohn Dewey (1859–1952)
パースの主張:科学的方法により全ての人が同じ結論に到達したのであれば、それが真実である。
ジェームズの主張:あらゆる人間の経験と満足の得られる関係になる考えが真実である。
デューイの主張:人間は経験の中で生活の知恵を得るとし、人間の自発的な成長を促すための環境を整えるのが教育の
役割だとした。
少数企業による独占の傾向
例:鉄道 ヴァンダービルト社、ハリマン社、ヒル社が支配
トラスト(多くの会社が株式を一つの会社に運営を委託する形式)による独占
1882年 (71.
)家のスタンダード石油会社が多くの会社を支配
政府はトラストを規制
トラストから(72.
)制に転換
20世紀初頭 92の会社がアメリカの産業の大部分を支配
社会問題の拡大→政治家の指導力への期待→政府の役割の拡大の時代へ
19世紀末のアメリカの変化
アメリカの工業化が原動力
孤立主義からの海外進出へ
1867年 ロシアから(73.
)を購入
1898年 フィリピンの独立を支援し、スペインと軍事衝突 →(74.
また、元はスペイン領だったグァムを併合
同じ頃(75.
)併合
)戦争、その後フィリピンはアメリカ領
社会問題に対するキリスト教による改革運動→第三次大覚醒(The Third Great Awakening)
(76.
)主義の弊害 貧富の差の増大、都市のスラム街
社会福音運動(Social Gospel Movement) W・ラウシェンブッシュ(Walter Rauschenbusch)(バプティスト派の牧師)が中心
キリスト者の社会改革が現実世界を「神の王国」に変えると主張→YMCA、YWCA、救世軍の創設
政治における改革運動の始まり → (77.
)(Progressivism)
連邦政治、州政治、市政治での改革
改革運動の支持者 都市の労働者、農民
1900年の大統領選挙 共和党のウィリアム・マッキンレーの当選
翌年 大統領暗殺 副大統領(78.
)の昇格
改革政策を実行→ 内政・外交に積極的に関与
・(79.
)運河の建設
・中国に進出 → 国務大臣ジョン・へイの(80.
)宣言
・日露戦争後の講和会議 → (81.
)会議の斡旋
・独占的企業の摘発
ローズヴェルト 2期大統領を務めて勇退、その後ウィリアム・タフトが後継者になる
1912年の大統領選挙 ローズベルトが政界復帰を図ったために(82.
)党が分裂
民主党の候補者 ウッドゥロー・ウィルソンの当選
ウィルソン 理想主義に基づく改革政策を推進
・税制改革 (83.
)所得税の導入(レーガン大統領の時まで続く) 高額所得者ほど税率を高くする
・銀行制度の改革 これまでは中央銀行がない→(84.
)(現在まで続く)の創設
アメリカ国内の金利を一括して統制
・外交 国際社会に正義を確立する 宣教師外交
1914年ヨーロッパでは(85.
)が勃発
イギリスとドイツの植民地獲得競争から
イギリス・フランス・ロシア → 三国(86.
)
ドイツ・オーストリア・トルコ → 三国(87.
)
3C(カイロ・ケープタウン・カルカッタ)政策
3B(ベルリン・ビザンティウム・バグダッド)政策
アメリカの対応→ウィルソン大統領 アメリカの伝統的な孤立主義に基づく(88.
)の立場
ウィルソンの姿勢 → キリスト教の正義の現実社会で確立すること → 宣教師外交
1917年 ドイツによる無制限潜水艦攻撃の開始
アメリカの商船が撃沈される
アメリカはドイツに宣戦布告 →第1次世界大戦への参戦
戦時中の米国内 ドイツ系住民への攻撃
参戦国での変化 1917年3月 ( 89.
)革命 社会主義政権の誕生
第一次世界大戦の結末
ウィルソン大統領 14ヶ条(民族自決、国際連盟の設立など)の提案により戦争終結を図る
ドイツの敗色濃厚 1918年11月 ドイツに革命が起こり皇帝ウィルヘルム2世退位 ドイツ降伏
1919年 (90.
)で講和会議
イギリスなどとドイツとの講和条約=(91.
)条約・ドイツへの苛酷な賠償金の請求
1919年11月 アメリカ上院 (92.
)条約の批准を否決 ウィルソン外交の敗北
アメリカは戦後設立された(93.
)に不参加
第1次世界大戦(1914~18年)の後 アメリカは国際連盟に加盟せず
伝統的な(94.
1920年代 アメリカの大繁栄の時代
消費文化の到来
フォード社(会社の設立は1907年)の(95.
)の増加 → 道路網の整備
1922年 (96.
)社、朝食シリアルを大々的に販売
ラジオ番組などの(97.
)の一般化
)への回帰
1920年代の反動的な風潮
・1924年移民法=(98.
)の制限、日本からの(99.
)を禁止
アメリカは反日に転換 → 太平洋戦争の遠因
・プロテスタント優越主義(Protestant Supremacy)
反ユダヤ・反カトリック → 東欧からの移民に反発
キリスト教のファンダメンタリスト(聖書を忠実に信じる人達)の増加→(100.
1925年 テネシー州デートンの高校生物教師ジョン・スコープス 公立学校で(101.
スコープスは有罪になるが、釈放される
・KKKの復活
・(102.
)(1920年制定、 1933年廃止)
マフィアによる密造酒の販売 (103.
)の暗躍
大衆娯楽の拡大
1927年 漫画映画(104.
)の開始
映画産業の隆盛 (105.
)映画の登場
映画産業の拠点としてロサンゼルスの(106.
)
(1918年頃に設立)が興隆
新しい産業の映画業からニューヨーク資本を排除するため
プロ・スポーツの人気向上
プロ野球の(107.
)の活躍
(108.
)のニューヨーク・パリ間無着陸横断飛行への関心
)裁判
)を教えたために告訴される
消費文化への反発
アメリカの文学者がアメリカ文化を嫌い、ヨーロッパに移住(例:アーネスト・ヘミングウェー)
代表的文学者:
アーネスト・ヘミングウェー(代表作『陽はまた昇る』)、
ドス・パソス(代表作『マンハッタン・トランスファー』)、
ウィリアム・フォークナー(代表作『兵士の報酬』)、
スコット・フィッツジェラルド(代表作『グレート・ギャツビー』
古き良きアメリカの農村や自然への回帰を主題にする
繁栄を支えた投機(株の売買)の過熱 借金をして株を買う風潮が起こる
ニューヨーク株式市場の株価の大暴落(1929年10月)→借金をしている個人や企業の破産→アメリカ経済を大混乱にする→
(109.
)の始まり
世界的な不景気をもたらす → 第2次世界大戦の遠因
プロテスタントの新正統主義(Neo-Orthodoxy)の思想形成
ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)
原罪を強調し、人間は罪深い存在であることを強調
社会正義の確立のために、キリスト者は現実政治へ関与すべき
1932年の大統領選挙で民主党のフランクリン・ローズヴェルトが当選
ローズヴェルトの政策
(110.
)(新規巻きなおし)政策
政府主導による経済運営政策
大恐慌への対応
・不況からの脱出のため統制経済を採用
日本 → (111.
)
ドイツ → ヒットラーのナチズム(国家社会主義)
イタリア → ムッソリーニのファシズム(全体主義)
・イギリス・フランス・アメリカは民主主義の維持
全体主義国と民主主義国との対立の激化
第2次世界大戦
ドイツ・イタリア・日本などの全体主義国とイギリス・フランスなどの民主主義国との軍事対立
アメリカは最初は(112.
)
日本軍の(113.
)(日本時間、1941年12月8日)
後に参戦→次第に民主主義国が優勢になる
第2次大戦終結と兵員復員によるアメリカ国内の祝賀ムードの高揚
兵員の帰還 郊外住宅の増加に伴う(114.
)と家庭電化製品の普及
大戦後の米ソの冷戦
自由主義陣営のリーダーとしてのアメリカの役割が増大
アメリカの(115.
)の世界的浸透 アメリカの民主主義の宣伝にアメリカの映画を活用
1950年代(アイゼンハワー大統領の時代)のアメリカ文化
保守化とそれへの反発
保守的な傾向 → (116.
)との対決
連邦議会での知識人の喚問 中心人物 共和党上院議員ジョー・マッカーシー(Joseph McCarthy)
マッカーシー旋風(McCarthyism)の進展(1950~1954)
共産主義者への取り締まりの強化
反共産主義の基盤としてのキリスト教信仰
アメリカ文化の自由が制約される
喜劇俳優(117.
)のイギリスへ帰国
アメリカ的な生活様式の確立
1955年 マクドナルド社ハンバーガー・ショップ
シカゴでオープン
テレビの一般化(50年代末にはアメリカのほぼ全家庭が白黒テレビを所有)
既成の価値観の中心であるキリスト教の(118.
)への反発
若者文化の興隆
・『理由なき反抗』(1955年)俳優ジェームズ・ディーンの人気
・ロックン・ロール音楽の人気向上
映画『暴力教室』(1956) Rock around the Clockがヒット
若者中心の新しいアメリカ文化 世界の若者に浸透
エルビス・プレスリーの登場
白人以外の文化への関心の高まり
黒人の音楽(ジャズやブルース)やスポーツの認知
テレビに押されていた映画産業の復興
カラー映画の増加 テクニカラー
ワイドスクリーンの開発 シネマスコープ
ディズニーのアニメ映画の人気
→ テーマパーク(119.
)の開園(1955年カリフォルニアのアナハイムで開園)
黒人への差別の撤廃と公民権(Civil Rights)の拡大を促進
1954年 連邦最高裁判所 公立学校での黒人分離教育(アメリカ南部は白人と黒人の教室を別にする)に違憲判決
以後、黒人差別への違憲判決が続く
1960年代 黒人への(120.
)撤廃の気運の高まり
黒人の権利の主張 → ブラック・パワーの主張(キング牧師の非暴力主義とマルコムXの暴力主義の対立)
大学入学や就職に際し、黒人に一定の割合を割り当てる
→逆差別(黒人への一定の割合の保証)を生む
ヴェトナム戦争(1965年~1973年)→ 反戦運動が既成のアメリカ文化の否定へと結びつく
キリスト教の体制側と見なされたMain Lineの教派(会衆派や長老派)が衰退し、反面、ビリー・グラハム(Billy Graham)などが
行う巡回説教に人気が高まる → 第4次大覚醒
ピューリタニズム(キリスト教の原理主義のようなもの)が否定される
サブ・カルチャー(反体制派や黒人などの少数民族の文化)の認知
ベトナムでは白人と同様に黒人等の少数民族も兵士として活躍したことによる
反体制文化の象徴
イギリス出身の音楽バンド(121.
)の人気の高まり
ヒッピー流の自由な生活スタイルの流行→長髪や(122.
)の増加
1970年代の社会の多様化
アメリカ文化の多様化 → 仏教を始めとする(123.
)の文化への関心の高まり
様々な規制の解除 権利の主張→訴訟の増加、 女性差別の解消、ポルノの解禁
ジミー・カーター大統領(1977-1981)
ヴェトナム戦争による国内の混乱や分裂を治めるために、キリスト教信仰を重視する
外交政策 → 人権外交
1980年代 (124.
)大統領の登場 保守主義への回帰の傾向が強まる
ジェリー・ファルウェル(Jerry Falwell)(南部バプティスト派)のモラル・マジョリティ(Moral Majority)が選挙支援
聖書の記述を遵守する保守的思想
1986年10月 税制改革法 (所得税の累進税率の簡素化と低減化)→ 高額所得者の所得税が軽減され、所得格差が
拡大
社会保障政策の切り詰め 黒人への優遇策の是正→逆差別の是正
1990年代
米ソ冷戦の終結に伴い、アメリカの経済や文化の世界的な拡大→アメリカの功利主義の世界的拡大
イスラム教徒との対立 → (125.
)を導く
アメリカ国内におけるキリスト教、特にテレビを通して福音主義(エバンジェリカリズム)が台頭
テレビ・エヴァンジェリスト(TV Evangelist) テレビやラジオなどのメディアを利用して聖書の福音の伝道を積極的に行う→キ
リスト教主義の復活
(126.
)の普及による情報の蔓延(1995年のWindows 95の発売)
2000年代
2001年9月11日 同時多発テロ事件
ブッシュ政権内で(127.
)(新保守主義者)の影響力の拡大
ネオコン(Neo-Conservative)→キリスト教に基づくアメリカの伝統的な価値観の信奉者
アメリカとその協力軍のアフガニスタンのタリバン政権の打倒
2003年3月20日 アメリカとその協力国軍イラクへの侵攻を開始 (128.
)戦争の開始
アメリカ国内でのブッシュ政権への批判の拡大
2008年 バラク・オバマ(Barack Obama)政権誕生
ラインホールド・ニーバー思想への傾倒
国内政策:社会民主主義的改革
(129.
)制度改革法案成立 (2010年) 国民皆保険を目指す
対外政策:アメリカの軍事力の抑制
イラクから米軍分完全撤退(2011年)