当日配布資料 - 老子・荘子 同好会

荘子勉強会
内篇 逍遥遊篇 第一 (後半)
2011/10/19 担当 土川
【逍遥遊篇の概要】
荘子の言う竟的超越者である「至人」、「神人」、「聖人」という 何ものにも束縛されることのない
絶対的に自由な人間、その生活、その境地を、荘子独特の奇想天外な比喩と機知で描いたもの。
(福永光司著「荘子」(講談社)の表現をモジる。 「竟」は「きわめる」の意.。)
【逍遥遊篇の構成】
〔前半〕 「大なるもの」と「小なるもの」の違いの記述から、理想的人間像としての超越者を提示
■ 自然界における「大なるもの」と「小なるもの」の比較
小
大
鵬の大いなる飛翔
地上生物の小さな飛翔
←→
自己の小さな飛翔を至上な物
と思う卑さ、小ささ
■ 人間界における「大なるもの」と「小なるもの」の比較
小
大
理想的人間像: 至人、神人、聖人
■
何ものにも依存せず、天地・自然に
身を任せ、無限世界にいる自由人
■
世俗的、人間的、地上的なものを
超越した人
「至人無己、神人無功、聖人無名」
世俗的人間:
←→
■
常識的な価値と規範の世界
に安住する人間たち
■
優秀といわれている宋栄子、
列子といえども小物
← 老子の「無為自然」からの更なる展開
〔後半〕 対話形式の逸話による竟的超越者なるものの補足説明
■ 堯と許由の対話: 堯から天子の位を譲られても断る、名を求めない聖人許由の話
■ 肩吾と漣淑の対話: 肩吾の理解を越える姑射山の神人の話
■ 恵施の荘子への批判と荘子の反論: 大きい瓢/あかぎれの薬/曲がった木の話 他
恵施 「荘子の話は超世俗的過ぎて役に立たない。」
荘子 「無用の用。世俗的無用の中に真の有用がある。世俗的な価値観からの超越。」