当日こちらにメモ書きしていた資料で

第32回(通常開催)鹿児島哲学カフェ
「あなたはどこまで遊べますか」
「遊び」って? 1
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自立、自律してないとできない。ちゃんと「遊ぶ」には。遊ぶときは比較的、遊ぶ!と意識して遊ぶ。
仕事が楽しいこともある。明確に遊びと遊びじゃないのラインはあるか?ファジー?
遊んでたものが楽しく無くなる、つまらなくなることもある。(ビリヤード)
遊びが市民権を得ている。認められてきている
ハンドルの遊び。遊びがないと危険。多いとか、ちょうどいいとか言っていた
「遊ぶために生まれてきた」 たぶん、明治の頃にかわってしまった。遊びがたくさんあったほうが人生は
輝くのでは
「遊び」捉え方次第。
8割仕事、2割仕事。そのほうが楽しい!
仕事の終わりのカウントダウンを始められる時がある。どこかに楽しみがあれば、遊びになれる
楽しい=遊びかな
浜ちゃんをかかえていられる鈴木建設=遊びがある。包容力がある
遊びの話ができないような会社は今後は・・・なのでは?
「遊び」って? 2
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遊び=余裕みたいなもの?
仕事をしたぶん遊びたくなる。仕事と遊びは分かれている
遊びはそのもの自体を楽しむ。生産性を考えていない。その分自由度がある。それが生産性に結びつけ
ば仕事になる
スポーツ:プロとアマの差。金銭が伴ってくると、責任や義務が生じる。そうすると遊びではなくなる。義務
や責任を楽しめればラッキー
Play 生産性を考えないこと
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「遊び人」の生態が変わってきたのでは?
持つもの持っている人。定職についていない人。はぐれ雲
いいイメージと悪いイメージがある。
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かっこいい。自分で責任がとれて、遊び続けていられる、楽しそう、「誰にでもできるわけではないから、
あんなふうになっちゃだめよ」
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「粋」
富裕さがバックにあると、かっこよさが半減?
遊んでる最中に、遊び以外のことを考えない=遊び
目標を据えてしまうと、自由度が減る 遊びではなくなる
上達する喜び=遊びになってくる?
意味を成さないと思うと、遊びではなくなってくる
遊びの対義語・・・退屈、本気、労働
3歳 ごっこ→3-6歳から ゲーム(義務も責任も遊びとして捉える) 歳とともにかわってくる
自分は遊べてる?・・・分析しはじめた時点で遊びではない。遊んでるなって思った瞬間から遊べてない
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楽しい場であればあるほど楽しめない
誰かが渋い顔をしていると楽しめない
楽しむこと自体が目的になると楽しめない
楽しいには個人差がある
期待と反すると、楽しめない
あらゆる人間の文化は遊びから始まっている。
なぞなぞから哲学、討論から法学、
遊びのシステムの進化
遊びをより遊びにできるために
それを阻害する原因をどう排除できるか
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経済・・・仕事
ボードリヤール 他者から見られたがっている オシャレなファッションを考えるのも労働 ひとの視線を
記にしないことが遊び 没入
「ごはんですよ はーい」がなくなると、狂った世界になる。現実があるから遊びになる。オンとオフは必要
ラッセル:産業革命、資本主義。労働が楽しいと錯覚させはじめた。4時間しか働かなくてよくなったら、そ
れ以外遊べる?そんな能力がある?
おひさまが花全体にあたってくれてるんだなって思うだけで幸せ
風でも太陽でも、人間はいくらでも楽しめる
遊びそのものが承認を求めるものになってきている
遊びの翻訳はもともとネガティブだった。学問の世界では遊戯になった。
遊びは個人的。一人がいい。誰かと一緒は気をつかう。
変化が遊びに欠かせない。哲学カフェもいつも同じメンバー、場所だとあきてしまう。
恥という概念があるかぎり、遊びきれないのでは
遊ぶのには体力が必要・・・
今ある自分のありかたからゆらぐ→遊び。意識してゆらぐのは遊びではない。立ち位置がずれたと思え
る瞬間、遊び