2004.03.01 奥村さん物語 ppt

奥村為男
奥村為男
生年月日:昭和18年(1943年)12月23日
日本敗戦の色濃くなり始めた頃です。
履
歴:・幼稚園は1日だけ(行きたくないと泣いたそうです)
幼稚園名は定かでありません。
・昭和25年 交野市立交野小学校入学
・昭和31年 交野市立交野中学校入学
・昭和34年 大阪府立四条畷高校入学
・昭和37年 同校卒業 浪人生活(この頃から人格変化)
・昭和38年 京都大学理学部入学
・昭和42年 同 大学院修士課程
・昭和44年 同 大学院博士課程
・昭和47年(1972年)28歳 大阪府入庁 生活環境部に配属
公害監視センター調査室に勤務
以来、2004年3月現在に至る。
奥村為男
1958年
15才
交野中学
3年D組
英語部に所属
英語劇をやって
いた頃です。
奥村為男 1970 27才 学生時代東北一周 サイクリング
京都大学 理学部 化学 有機合成化学博士課程
奥村為男 1973年 30才
実業団 大阪府の駅伝選手として活躍? 成績は 不明
奥村為男 1973年 30才
長髪 めがね
どこかの、おばさんみたいです。
若き研究員
奥村為男
白衣を着て、研究中
奥村為男 1973年 30才
1972年 大阪府入庁
大阪府 公害監視センター 調査室
28才の時
大阪府同期の会 ひょうたん会で
20才の奥さんを発見
くどいて、くどいて
1973年 1年半後
29才と21才 結婚
1980年 37才
はじめての運動会
姉 志帆 6才 小学1年生
弟 哲人 てつと 4才
末弟 隼人はやと 1才
1985 42才
バレーの発表会 志帆 12才 6年生
1990 47才
ツール ド 四国 (ひとり愛車で四国を1周)
1990 夏 47才
京都の奥丹で湯豆腐
1990年 47才頃
鹿児島にて、金正日(キムジョンイル)風
1992 49才
インド
二人で初めての外国、緊張し
てきまじめに、夜のパーティ用
正装まで用意していきました。
アジャンタの石窟寺院でカメラ
を落として土産物屋でヤシカの
カメラ購入 後ろを見ると黒山
の人だかり
カメラを買うのは田舎町ではめ
ずらしい。 日本円で1万円でし
たが、インドの通貨(ルピー)で
は、すごくぶあつい札束でした。
1992 49才 インド
有名なイスラムの宮殿タジマハールにて 壁には宝石がぎっしり
埋め込まれていました。時々盗難に逢うとか、警備が厳重でした。
1992 49才 インド エローラ石窟寺院
ヒンズー教の神様 エロティックな仏像が多かった。この頃、子供達に
手が掛からなくなり、1~2年に一度、旅行をするようになりました。
1994(平成6年9月) 51才
バリ島 二人で旅行
関空開港の数日後
バリ島の州都デンパサールに
あるングラライ空港まで直行便
が初めて飛んだ頃。
手続きとか面倒だし、一人でよ
ういけへんのです。
バリの猿は角みたいな毛が生
えていて手が早い。 買った木
彫りのお面をサルに取られた。
追っかけて奪還、 少しかじられ
ていた。取り返した奥村氏も手
が早い。
現地の男性が被るターバン風
の帽子を着てサイクリングする
と、人懐こいバリの人々に大受
けでした。
1996 53才 ハワイ
ハワイでの環境化学会で 表彰式
1996 53才
ハワイ 環境化学会
現地の怪しい娘たち
彼谷先生
松居氏
奥村氏
1996
ハワイ 環境化学会
現地の美人の娘たちと
一緒に。
真ん中でうれしそうに
喜ぶ奥村氏
1996 53才 ハワイ 環境化学会
レセプションの最後は「上を向いて歩こう」の大合唱
1998暮れ
大学 1年生 隼人
大学 5年生 哲人 単位が足りなくて 半年 留年 9月 卒業
現在 大阪府警 巡査部長として活躍(?)もうすぐ結婚します。
2001暮れ
娘 志帆と奥村氏
チボリ公園にて
娘と3人で旅行することが
時々あります。
(息子は付き合ってくれなく
なりました。)
奈良の春
2002.9. 勤続30年 リフレッシュ休暇 石垣島
2003. ニューカレドニア
奥村さんへのメッセージ
後輩から
奥村さんへ
長年にわたり常に黒本調査の先頭に立ち、環境研
究に対する熱き心を、身をもって示し、我々に大きな
勇気を与えてくれました。
こてこての大阪弁での、講演パフォーマンスは、多く
の心酔者を生みました。
「こころ」と「わざ」を、伝えてくれましたが、とりわけ
熱い「こころ」を受け継いでいきたいと思います。
兵庫県立健康環境科学研究センター
中野 武
奥村さんといえば、農薬をガスクロ分析するときに
は標準溶液にエチレングリコールをちょっと入れると
ピークがきれいとか、本には書かれない分析の
ちょっとしたノウハウをいろいろ教わって、その卓越
した職人芸に感じ入ったことを思い出します。
大病なさったあと、激やせでランニング着て大阪城
公園をジョギングしていたらホームレスのおじさん
に”あんたも長いのかい?”と聞かれたそうですけど、
このエピソードは皆さんご存じかな。
神奈川県環境科学センター
長谷川敦子
長い間「化学物質環境汚染実態調査」という新しい化学物質
の分析法の開発の要として、ご活躍をされましたことに敬意
を表します。
私は、「化学物質環境汚染実態調査」事業に係わって日が
浅く、お近づきになる機会が無かったことを残念に思っており
ます。
今後はご健康に留意されまして、今後とも我々後輩にアドバ
イスをお願いしたいと思っております。
なお、奥村さんと交友させて戴いた前任者から、メッセージを
預かっておりますので、下記に添付します。
石川県保健環境センター
坂本 藤夫
私が右も左もわからず黒本調査に取り組みはじめたころから、
奥村先生には化学物質分析に関していろいろご教授いただ
き、本当にお世話になりました。
今はもう会場がかわってしまいましたが、所沢の環境研修セ
ンターでの環境科学セミナー懇親会が非常に楽しく懐かしい
思い出です。
今回、会に同席することができず、非常に残念ですが、これ
までのご指導・ご鞭撻に深謝いたしますとともに、今後も先
生のご活躍を楽しみにいたしております。
石川県 環境安全部 環境政策課
原田 由美子
奥村 為男様、 定年を迎えられると聞いて、過ぎ去った時間
が偲ばれます。思えば、今から16年ほど前、昭和の時代に
環境庁委託の化学物質環境汚染実態調査で、GC/MSモ
ニタリング担当者会議で所沢の公害研修所でのセミナーに
参加した時が初対面でした。
当時、GC/MSの研究会に参加されていた方は、いずれも
個性的な方たちばかりで、皆さんの知識と精力に感心させら
れるばかりでした。
その中で奥村さんからも、実際に分析をした体験例から、化
学物質分析の前処理方法やGC/MS操作のノウハウを分
かり易く教えていただきました。
石川県 環境安全部 環境政策課
堀 秀朗
お陰で、曲がりなりにも石川県で化学物質の分析ができたと
いう感じでした。 その他、金沢での大気汚染学会での講演な
ど助けて頂くことばかりで、いつかは、お返しをしなければと
思いながら、私の方が先に化学物質分析の現場を離れてし
まい、今になってもお礼ができなかったことが残念です。
奥村さんとの縁が続いていると言えば、水環境学会のGC/
MS分科会で委員を引き受けたばかりに、水環境学会の会
員になって、13年後の今も会員のままです。今後は、水環
境学会誌を見るたびに、奥村さんを思い出すことになりそう
です。
大阪府を退職後も、精力的にご活動されることと思いますが、
斯界では、功成り名を遂げられた感のある奥村さんですから、
まずはゆっくりと休まれることを祈念しています。
石川県 環境安全部 環境政策課
堀 秀朗
奥村為男 様へ
北九州市環境科学研究所の門上です。
本日は,奥村さんの送別会をかねた環境科学セミナー懇親
会に出席できず,申し訳ありません。
奥村さんとは,私が研究所に異動してきて以来のお付き合い
ですから,20年以上になります。環境省の化学物質調査だ
けでなく,日本環境化学会など化学物質を接点に永くお付き
合いをさせて頂き,私にとって化学物質は有害では無く,奥
村さんをはじめとして全国に多くの友人得ることができた,有
益なものです。
微量化学物質分析において,奥村さんが果たしてきた役割・
貢献は,あらためて話す必要もないくらい大きなものがあり
ます。その奥村さんが,ご退職という節目に至ったと言うこと
は,何か一つの時代が終わったような気がします。
北九州市の環境科学研究所をはじめとして,全国の環境関
連研究所は,現在大きな転換期に差し掛かっています。高
度な技術や知識が,若い世代に技術移転できなくなりつつあ
ります。もし,奥村さんの持つ世界的な技術や知識が,うまく
次世代に伝わっていかなければ,日本の化学物質分析分野
の大きな損失です。今後は,大阪だけ,また地方研究所だけ
ではなく,全国の民間分析機関を含めた化学物質分析に携
わる全ての分析者・研究者へ,その知識や技術を伝えていっ
てほしいと思います。
退職してのんびりする暇はありません。技術移転で益々ご活
躍下さい。今後とも宜しくお願い致します。
北九州市環境科学研究所
門上 希和夫
奥村さんの想い出 国立環境研究所 鈴木 茂
はじめて奥村さんと会った(正確には見た)のは,1980年代
のはじめころです。今日お集まりの中にはその頃は幼年期
だった方々もいるでしょうね。当時の奥村先輩の風貌は,白
髪こそ少なかったですが,けっこうな親父さんでした。
場所は大阪城近くにあった国家公務員共済の会館(いまより
ずっとくたびれた建物)です。私は,当時30代の前半で,は
じめての全国的な集まりのGC/MS研究会に心ときめかせて
参加していました。なにかのグループ会議のとき,2,3名の
ベテランとおぼしき人が遅れて入室してきました。そのなかに,
ひとりだけ赤茶色のジャンパーを羽織ったけったいなおっ
ちゃんが,みなさんに挨拶をはじめました。至って簡単に,
「みなさん,堅いこと抜きで・・・」と,一杯飲んでできあがって
いるようなご様子・・・奥村さんでした。
それから1,2年経って,このおっちゃんがすごいお仕事をさ
れているのを知りました。
奥村さんの想い出
国立環境研究所 鈴木 茂
化学物質分析法開発研究発表会での奥村さんの切れ味鋭い発表
ややり取り,ほれぼれとしました。所沢の環境研修センターで2泊3
日で行われるこの発表会は,私だけでなく参加していた地研の研究
者にとって年に一度の晴れ舞台でした。互いに自分の最高の作品で
ある分析法を披露し,褒め会い,叩き合っていました。奥村さんはそ
のリーダーの一人でした。奥村さんはじめ当時のリーダーたちは,私
を含めまだ血気盛んな地研の若輩には暴走を抑え,臆している者に
は「ここは学会じゃない。仲間内の集まりだから,遠慮無く・・・」と励ま
していました。夜,廊下の一番奥にある狭い部屋で,地酒やら珍味
やらを持ち寄って,化学物質の分析の話しに花が咲いていました。
奥村さんの自己紹介はこんな調子です。「大阪府から来ました奥村
です。臭い臭素の,へへへ」,沢山の経験と知識を持った先輩のこと
ばは至って控えめでした。この雰囲気を作るまでには,いろいろあっ
たことと思いますが,ともあれ,30年以上続いている黒本調査の礎
は,こうした努力で作られたものとしみじみ感じます。
奥村さんの想い出
国立環境研究所 鈴木 茂
それから数十年,化学物質も,地研も,かなり変わってきまし
た。今でも,我が国の化学物質分析技術は世界に誇るもの
があると思います。化学物質の若手研究者にそれらを発展
させていただきたいと思うのは数十年前の若手の思いです。
化学物質一筋に研究されてきた奥村さんの業績が非常に大
きいことは多くの方が実感されていると思います。奥村さん
の頭の中に詰まっている“あふれんばかり経験とノウハウ”を,
若手研究者に注いだら,素晴らしいと感じるのは私だけでは
ないと思います。最近,できればNPO「化学物質分析塾」で
も作って,ご活躍いただければと思ったりします。これからも
「あんなー,これは・・・するとあかんねん」と奥村節を聞かせ
ていただきたいと願っています。とはいえ,一区切り,ご苦労
様でした。そしてこれからもよろしくお願いいたします。
奥村 様
ご無沙汰しています。福岡市の中牟田です。
今回の環境科学セミナーに参加できませんので,ご挨拶をと思い
メール致しました。
奥村さんといえば,いつも,抜群のセンスで精力的に研究を行っ
ていらっしゃる様子を拝見し,見習わなくてはと思っておりました。ま
た,分析法開発では,積極的にご指導をなさり,頼もしく思っており
ました。今回のセミナーでリタイアーなさると聞きとても残念に思うと
ともに,時の流れの速さをしみじみと感じています。
セミナーには,福岡市から,若者が参加いたします。まだ,経験は
浅いのですが,これからを担うカワユイ女の子です。どうぞ,アドバ
イスをお願いします。
とりとめのない話になりましたが,今後は,どのようになさるので
しょうか?おそらく,環境分野で更なるご活躍をなさること思います。
どうぞ,体に気をつけて,福岡に来られる機会がありましたら,研究
所にもぜひお越しください。(福岡ドームの隣にあります。)
福岡市保健環境研究所 中牟田啓子
懇
親
会
実
行
委
員
会
環
境
科
学
セ
ミ
ナ
ー
平
成
十
六
年
三
月
一
日
こ
こ
に
深
く
感
謝
い
た
し
ま
す
ま
し
た
。
に
伝
え
、
勇
気
を
与
え
て
下
さ
い
と
「
わ
ざ
」
を
、
熱
き
心
で
後
輩
査
の
先
頭
に
立
ち
、
「
こ
こ
ろ
」
あ
な
た
は
長
年
に
わ
た
り
黒
本
調
奥
村
為
男
殿
大
阪
府
環
境
情
報
セ
ン
タ
ー
感
謝
状
奥村さんへのメッセージ
家族から
結婚生活について
破綻すれすれで なんとか、もたせている。(冗談ですよー)
秘訣と言えば ..... あまり 会わないことでしょうか
(奥村氏は朝早く 家を出て 夜は早く寝る。)
近況
3年ほど前から、東京の神社仏閣、記念碑、石碑、墓地などを訪ねて
写真に撮り、記録するという本人曰く「江戸学」の「取材」を始めました。
きっかけは、出張中に神田の古本屋さんで見つけた大正時代の本だ
そうです。
やがて消えていくかもしれない古いものを記録しておこうと、情熱を傾
けています。近頃は、その取材範囲を京都、奈良へと広げています。
<メッセージ>
長女:志帆
お父さん、定年退職おめでとう! 何かと口うるさい娘ですが、
実はひそかに自慢の父親です。これからはお酒もひかえて少し
からだをいたわって下さい! 娘より
長男:哲人
朝早くから夜遅くまで働いて、疲れてるだろうに休みの日には
よく遊びに連れて行ってもらったのを覚えています。 私ももうす
ぐ家庭を持つ身になりますが、おやじのように家庭を大事にでき
るおやじになろうと思います。 本当にお疲れ様でした。
<メッセージ>
次男:隼人
お疲れ様でした。仕事好きのお父さんには辛い事になると思
われますが、今まで大阪府のために尽くしてきたお父さんのして
きた事がこれからも社会のためになっていく事を僕は信じていま
す。僕が見るなかでですが、お父さんは何かに熱中しなければ
いけない性格なようで、そんな貴方も、新しく熱中できる「江戸
学」を見つけたようです。これからは「江戸学」の研究を続けて
いってください。新しく「江戸学」を学んでいく人のために研究を
続けていくと思われます。最後に本当にお疲れ様でした。
次男は、父親が本当に江戸学の研究を始めたと信じているよ
うで、やや勘違いしているようですが、これは父親の言葉を素直
に受け取った結果です。私のみるところ、為男は仕事も趣味も
同じ情熱で取り組むようで、もしかしたらこれまでの研究生活も
趣味の一部だったのではないかと思っています。
それにしても、子供達がそれぞれ携帯電話でメールで送ってく
れたメッセージ、ちょっときれい過ぎる感もありますが、仕事ばか
りしていた父親を、案外よく理解してくれていたんだなと胸が熱く
なります。
結婚生活も30年、長いようですが過ぎてみればあっという間
でした。頑固で人の言うことをちっとも聞いていなくて、地団太踏
むほど腹立たしい時もありますが、裏表のない皆さんのごらん
になったままの性格で、根っから人の好い人間です。
私にとっては、いろいろな話題で手ごたえのある会話を楽しめ
る相手でもあります。
近頃、ようやく土日は仕事に行かなくなりましたが、そのかわり
京都や、地元奈良を歩き回っての取材に出かけ、ちっともじっと
していません。
これからもう少し、ゆっくりとふたりで人生を楽しんで行きましょ
うね。
敬子