徳川賞受賞講演100313(2)

身内敬語意識の変化予測
-社会的レキシコン(Social lexicon)の生涯発達仮説-
社会言語科学会・第9回徳川賞受賞記念講演
於:慶應大学日吉キャンパス
2010年3月13日
横山詔一*・朝日祥之*・真田治子**
*大学共同利用機関法人・国立国語研究所
**埼玉学園大学
1
この研究の目的は?

本研究は,愛知県岡崎市で1953年,1972年,2008
年に国立国語研究所が実施した敬語調査(以下,岡
崎調査)の新たな意義について考える。

研究者のこれまでの関心は,おもに,地域社会にお
ける言語生活の実態記述(記録)にあった。

約50年間にわたって蓄積された言語変化データを
別の角度からながめることで,言語習得研究のほ
か,脳科学や加齢医学など言語学以外の分野にも
寄与できる知見を見いだせるかも。
2
岡崎市とは?
 愛知県に位置する
 調査地域の人口
約6万人(2008)
cf. 市全体では30万人
 徳川家康の生誕地
3
徳川家康公の生誕地:岡崎城のいま
4
Q. Your neighbour suddenly became ill, and (s)he
needs a medication. You were asked to go to the
hospital. Doctor like one on the picture showed
up in front of you. What would you say to ask him
to come over to your neighbour’s house?
5
第1回調査(1953)の写真:調査者は柴田 武氏
6
突然で恐縮ですが・・・「社会脳(Social




brain)仮説」とは
人間どうしが,うまくやっていくための社会的能力をコン
トロールする特定の部位が,脳内にあるという説。
その特定部位が果たす役割は二つ。
一つは「周りの人がいまどう感じているかとか,いま何を
したいと思っているかという情報をうまくキャッチするこ
と」。
もう一つは「集めた情報をもとに社会の中で実際に適切
に振る舞うこと」(村井俊哉,2007)。
→ 敬語の運用とも関係がありそうな話・・・
7
縦断(実時間経年)調査と社会脳仮説のコラボ

たとえば,愛知県岡崎市で縦断的(経年的)に実施された敬
語調査のグラフには,岡崎市民の脳内に蓄積・記憶されてい
る言語的記憶の平均像に関する経年変化が投影されている,
と考えてみてはどうだろうか。

これは,ある地域社会の話者集団における(語用論的な)記
憶装置としてのレキシコンに関する仮説であるから,これか
らは新たに「社会的レキシコン(Social lexicon)仮説」と呼ぶ。

レキシコンの生涯変化に関するデータは,加齢(aging)によ
る認知症(dementia)や失語症(aphasia)の医学研究にも有
用な知見を与える可能性が期待される。
8
社会的レキシコンの生涯変化について

レキシコンは言語形成期(以下,言語習得期もし
くは臨界期という場合もある)を過ぎると変化しな
い。→レキシコン固定説

レキシコンは臨界期を過ぎても,生涯を通して変
化し続ける。→レキシコン変化説
どっちやろ?
9
横断調査:見かけ上の時間変化


グラフの縦軸は英語の動詞
sneakの過去形として
sneakedではなくsnuckが使
用される率を,横軸は年代層
(世代)。
ここで「臨界期に獲得された
レキシコンは,臨界期を過ぎ
ると変化しない」というレキシ
コン固定説に立つと,snuck
の使用率がsneakedのそれ
を逆転したのは約50年前で
あったと推定できる。
図1 カナダ英語における語形交替の例
「sneaked → snuck」
【Chambers(2006)より】
10
見かけ上の時間変化:レキシコン固定説に立脚



その理由は次の通り。
snuck使用率が50%を超え
てsneakedを上回るのは60
歳をすこし過ぎたあたり。臨
界期が10歳前後だとすると,
60歳代の住民が臨界期を迎
えたのは,年齢から約10年
をマイナスした約50年前。
その時期に,その地域社会
でのsnuck使用率が50%を
超え,ちょうど臨界期を過ご
していた住民の脳内にその
痕跡が記憶された。
図1 カナダ英語における語形交替の例
「sneaked → snuck」
【Chambers(2006)より】
11
レキシコン固定説の検証

さて,「言語習得期に獲得されたレキシコンは,臨界期を過ぎると
変化しない」のであれば・・・

ある地域社会で生年がほぼ同じ調査対象者集団を経年的に繰り
返してランダム抽出した場合(あるいは同一人物を追跡した場合),
彼(女)らが臨界期を迎えた時期はほぼ同じだと想定してよい。

臨界期の時期が同じなのだから,成人後かなり長い時間が経過し
た後でも,同じ調査項目に対しては,回答傾向がほぼ重なる。
つまり,変化のカーブは1本につながるはず。
12
レキシコン固定説を支持するデータ:
山形県鶴岡市における共通語化縦断調査




図2は音韻項目207「ネコ:非
語頭におけるカ行有声化の有
無」の結果。
「生年」だけを説明変数とする
S字カーブが観測値とうまく一
致。カーブは1本につながる。
すなわち,同一生年の世代の
回答は変化なし。
「臨界期に獲得されたレキシ
コンは,その後は変化しない」
というレキシコン固定説が実
時間調査によって検証された
典型例。
100
90
80
共
通
語
化
率
70
60
50
● 予測値111
40
□ 第3回 1991
30
△ 第2回 1971
20
○ 第1回 1950
10
0
1860
1880
1900
1920
1940
1960
1980
生 年
図2 「ネコ」項目207の共通語化
【横山詔一・真田治子(印刷中)より】
13
レキシコン固定説はいつも通用するのですか?

いいえ! 社会言語学の経年調査では,成人期発
達を示唆するデータが少なからず存在する。

海外では,話者の発音が言語習得後も言語共同体
全体の変化と同じ方向に変化するという報告
(Boberg,2004;Sankoff,2006)のほか,見かけ上
の時間による調査は変化の速度を過小評価する傾
向があるという説(Sankoff,2006)が出されている
(松田謙次郎,2007)。
14
そこで,やっと本題・・・岡崎敬語データ





愛知県岡崎市での半世紀以上にわたる縦断調査。
レキシコン固定説が正しいのであれば,言語変化のカーブ
は一本につながるはず。
質問項目207(身内敬語意識を調べる質問)
「家の中でも,年上の人や目上の人には敬語を使わなけれ
ばならないでしょうか。それとも家の中では使わなくてもい
いでしょうか。」
使うべきだ/時や場所や相手による/使わなくてもいい
映画『晩春』(小津安二郎監督):娘は父親に敬語を使う。
さて,岡崎調査の結果は・・・
まずは,過去2回調査の結果と,第3次調査の予測を示そう。
15
0.5
Observed
Probability
0.4
1953
※このグラフの謎
生年は臨界期の時期を決める。
(臨界期を新しい時代で過ごした
人ほど身内敬語意識はうすくなる
ようだ。)
では調査年は何に影響するのか?
0.3
1972
0.2
0.1
0
1880
1900
1920
1940
1960
1980
2000
Year of the birth
Fig.1. The observed probability with which respondents
said that honorifics shoul be used towards the oldest or
senior family members at home in 1953 and 1972.
16
生年は臨界期の時期を決める。
現実社会
(同じ生年だと同じ時期に臨界期を迎える。)
では調査実施年は?
心内辞書
接触して聞く頻度
社会的使用頻度
記憶痕跡
【生年に依存】
臨界期記憶
他者に配慮した
言語表現の選択
好み(選好)
【調査年に依存】
加齢効果
+
時代効果
単純接触効果
なじみ(親近度)
17
現実社会
敬語意識の変化をロジスティック回帰モデルで予測。
log [p/ (1ーp) ]=a1×生年+a2×調査年+b
心内辞書
接触して聞く頻度
社会的使用頻度
記憶痕跡
臨界期記憶
他者に配慮した
言語表現の選択
好み(選好)
加齢効果
+
時代効果
単純接触効果
なじみ(親近度)
18
ロジスティック回帰分析の模式図(横山・真田,2008)
ヨコ軸が身内敬語意識にかかわる要因(生年など)
タテ軸は「身内でも敬語を使うべきだ」と回答するポテンシャル
影のついた面積が実際に回答する確率
19
第1次・第2次調査から第3次の結果を予測する
身内敬語意識データはレキシコン変化説を支持



横山詔一・朝日祥之・
真田治子(2008)は,
過去2回の調査データ
を解析し, 第3次調査
の結果を予測。
生年が同じ調査対象
者集団なのに,経年調
査の回答傾向は重な
らない。
数量的な予測に用い
た変数は「生年」と「調
査年」の2つ。
多変量S字カーブによ
る理論的な予測値が
「落ち込み現象」をうま
くとらえていることが明
らかになった。
0.5
Observed
0.4
Probability

Predicted
1953
0.3
1972
0.2
0.1
Web
0
1880
2006
Theory
1900
1920
1940
1960
1980
2000
Year of the birth
図4 身内敬語意識の変化予測
タテ軸は「身内でも敬語は使うべきだ」の
回答確率【横山・朝日・真田(2008)より】
20
第3次調査の結果は・・・
0.5
Observed
Predicted
Probability
0.4
1953
0.3
1972
0.2
2008
0.1
Web
2006
Theory
0
1880
1900
1920
1940
1960
1980
2000
Year of the birth
図5 第3次調査の結果
タテ軸は「家の中でも敬語は使うべきだ」の
回答確率【横山詔一・朝日祥之(2010)より】
21
まとめ(1) 生年と調査年の背後にある潜在的要因をモデル化
臨界期記憶+成人期発達 → 身内敬語意識の変化



「臨界期記憶」←言語習得期←生年
「成人期発達」←時代効果+加齢効果←調査年
今後の発展可能性として,山形県鶴岡市における音韻やアクセントの共
通語化予測に利用。→ 横山詔一・真田治子「言語の生涯習得モデルに
よる共通語化予測」『日本語の研究』(2010年4月1日公刊予定)に具体
例を示す。
Circular model by Yokoyama(2007)
Exposure
frequency
Language
policy
Social frequency
Utility
Familiarity
Preference
Mental lexicon
22
発展例その1:山形県鶴岡市のアクセント共通語化予測
100
90
80
共
通
語
化
率
70
60
50
40
30
20
10
第6回 2051年
第5回 2031年
第4回 2011年
● 予測値111
□ 第3回 1991
△ 第2回 1971
○ 第1回 1950
0
1870 1895 1920 1945 1970 1995 2020 2045
生 年
図3 アクセントの共通語化
【横山詔一・真田治子(印刷中)より】
23
発展例その2:山形県鶴岡市の音韻共通語化予測
100
90
80
共
通
語
化
率
70
60
50
40
30
20
10
第6回 2051年
第5回 2031年
第4回 2011年
● 予測値111
□ 第3回 1991
△ 第2回 1971
○ 第1回 1950
0
1870 1895 1920 1945 1970 1995 2020 2045
生 年
図4 「エントツ」の共通語化
【横山詔一・真田治子(印刷中)より】
24
まとめ(2) 岡崎調査の方法は横断法と縦断法の組合せ!


岡崎調査のような調査手法は,生涯発達心理学や加齢医学にもあり,
「コーホート系列法(cohort sequential method)」と呼ばれている。
世界最長のコーホート系列法!ほかの分野や海外にも宣伝を!
1953
1972
2008
Random
Sample
434
Random
Sample
400
Random
Sample
306
Panel Sample
185
Panel Sample
62
Panel Sample
20
25