6.都市の文化

都市を見るまなざし
フランクル・アリオナ
と
エステルハージ・ペーテル
ハンガリーってどんな国?
• 面積は約9万3千平方
キロメートル
• 人口約1000万人
• 首都はブダペスト(約
176万人)
• 言語はハンガリー語
ウラル語族
• ハンガリー人のルーツ
東方からやってきた
ブダペストのパノラマ
ドナウの真珠「ブダペスト」
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漁夫の砦
鎖橋(1849年)
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国会議事堂(1904年完成)
ドナウ両岸とブダ王宮地区は1987年ユネスコの世界遺産に
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蒸し風呂、泥風呂、屋外に巨大な温泉プール
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カフェ・ヤパーンの絵葉書(1907年)
カフェ・ツェントラル(1887~1949)
カフェ・ニューヨークと並ぶ文学カフェ、『ア・ヘート』の編集
フランクル・アリオナ
ルゴシ・ルゴー・ベーラ
『消え去り行くブダペスト』
• 「わたしは自分の家に表札はかけません。家
や建物のほうが継続してそこにあるもので、
わたし自身はたまたまそこにいると思えるか
らです」
• 「古い世界が好きなのは、そこに時間の流れ
が感じられるからです」
エステルハージ・ペーテル
• 「これらの写真に映っているもの、それはベデ
カーに載っているような町ではない。そう、ル
ゴーとアリオナは「見えない都市」について
語っているのだ。……年老いた職人たちの顔、
失われゆく世界の最後の瞬間をとらえた写真。
……私たちの人生の一部はもう写真のうえに
しか存在しない。……これらの写真はノスタ
ルジックなものでも、悲劇的なものでもない。
たんに過ぎ去るということについて語っている
のだ」
• 「今日あるがままのブダペストを描きだすとい
うことにはまた、ブダペストの過去のいっさい
が含まれているはずでございましょう。しかし
都市はみずからの過去を語らず、あたかも掌
がいくつもの手相線を秘めているように、通り
の角、窓の格子、階段の手すり、避雷針、旗
竿などに過去を刻み込みながら、自らのなか
にその過去を秘めているのでございます。す
べての線には、さらに新たなひっかき傷、のこ
ぎりの痕、のみの刻み目、小さな線が刻みこ
まれていくのでございます」
ナーダシュ・ペーテル
アンドレ・ケルテース
André Kertész
ケルテース・アンドラーシュ
Kertész András
1894-1985
1925年 パリへ
1936年 アメリカへ
ケルテースがとらえたブダペスト 1919年
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ブラッサイ
Brassai
ハラース・ジュラ
Halász Gyula
1899-1984
1924年パリへ
「夜のパリ」で一躍有名に
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霧のパリ 1934年
ロバート・キャパ
Robert Capa
フリードマン・エンドレ
Friedmann Endre
1913-1954
崩れ落ちる兵士(1936年)
スペイン内乱を取材中、決定的瞬間をとらえた写真で
一躍有名になる。フランスのグラフ雑誌VUに発表。
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マーティン・ムンカッチ
Martin Munkácsi
ムンカーチ・マールトン
Munkácsi Márton
1896 – 1963
コロジュヴァールに生まれ、
ニューヨークで没した
1928-34 ベルリン
1934年からアメリカ
ファッション写真で活躍
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