日本の世界遺産 • 四季折々(おりおり)の彩(いろど)りにあふれる国、アジ アの東の果(は)てで四方を海に囲まれた島国・日本。そ の海が育(はぐく)む、瑞々(みずみず)しい自然は、実り 豊かに人々の暮らしを支えてきました。海はまた、異国 の文物(ぶんぶつ)を運ぶ道でもありました。古来の文化 と彼方(かなた)の文明は、そうして一つに解け合い、独 特な花を咲かせたのです。二回にわたってお送りする日 本の世界遺産の全てを訪ね、遥(はる)かな歴史の旅に 出かけます。 広島平和記念碑《原爆ドーム》(広島) • 失ってはならない記憶がある。古(いにしえ)の美の記憶・ 危機(きき)に瀕(ひん)した命の記憶・あるいはこの原爆 ドームに刻(きざ)まれた悲惨(ひさん)な負(ふ)の記憶、 その全てを未来に伝えたい、それが世界遺産にこめられ た願いです。 法隆寺地域の仏教建造物群(奈良) • 日本で初めて登録された世界文化遺産、それはまさに、こ の国の夜明(よあ)けを象徴するとも言える遺産です。法 隆寺を生んだ時代、仏教とともに大陸の文物や制度(せい ど)を進んで受け入れ極東(きょくとう)の小さな島国は歴 史に大きな一歩を踏み出したのです。 古都奈良の文化財 • 中国の唐(とう)に倣(なら)い、天皇(てんのう)を中心と した天皇中央集権的(しゅうけんてき)な律令(りつりょう) 国家への変貌(へんぼう)を遂(と)げた古代日本。その シンボルとなった絢爛(けんらん)たる都・平城京では、さ らに国の威信(いしん)を内外に誇示する大プロジェクト が推進されました。大仏(だいぶつ)の造営(ぞうえい)で す。平城京(へいじょうきょう)を舞台に外来文化を吸収し、 独自の美をはぐくんだ奈良時代、それはヨーロッパのル ネッサンスにも匹敵(ひってき)する日本の芸術(げいじゅ つ)開化の時代でした。 古都京都の文化財[京都・奈良] • 奈良(なら)時代が終わり、新たな都(みやこ)となった平城 京、この国の都で貴族(きぞく)から庶民(しょみん)まで日 本文化は大輪(たいりん)の花を咲かせました。 • 中国の影響を脱し、建築に庭園(ていえん)にと、洗練( せんれん)を極(きわ)めてた日本の美。貴族の世から武 士(ぶし)の世へ時代は変わっても、京都は変わらず文化 の発信地(はっしんち)でした。 • 明治維新(めいじいしん)による東京遷都(とうきょうせんと )まで1000年にわたり、日本の都であり続けた京都、そこ で、人々に守り抜かれた17もの神社・仏閣(ぶっかく)と城 が世界遺産となりました。 • 雅(みやび)の王朝文化から町人(ちょうにん)たちの都 市文化まで、人々の営みが幾重(いくえ)にもこの伝統 の町を彩(いろど)ってきました。そこはまさしく、日本の 永遠の文化の都なのです。 厳島(いつくしま)神社[広島(ひろしま)] • 神々の住む島と海とが出会う場所にその聖(せい)なる 社(やしろ)は築かれました。 • 島国日本の内海(うちうみ)に浮かぶの建築、天然の美 と絶妙(ぜつみょう)に解け合ういな景観を産み出した のです。 • 仏教を受け入れる一方で、生き続けた日本古来の信仰 、やがて、それは神々の住む山でひとつになります。 紀伊山地(きいさんち)の霊場(れいじょう)と参詣道(さんけ いどう)[三重(みえ)・奈良・和歌山(わかやま)] • そこは日本の心のふるさと。 • 古くからの山岳(さんがく)信仰と大陸伝来の仏教とが結び 合い生まれた修験道(しゅげんどう) • 厳しい修行(しゅぎょう)を通(とお)し、人知(じんち)を越え た力の獲得(かくとく)をめざす実践的(じっせんてき)な宗 教でした。修験者(しゅげんしゃ)たちの苦行を忍(しの)び 、皇族(こうぞく)から庶民(しょみん)までが辿(たど)った 巡礼(じゅんれい)の道。それは、背負った業(ごう)を振り 返る過去の道であり、来世(らいせ)の救済(きゅうさい)に も通(つう)じる未来への道でもあったのです。 琉球王国(りゅうきゅうおうこく)のグスク及び関連遺跡群(か んれんいせきぐん)[沖縄(おきなわ)] • 南北に長くつながる島国・日本。それは、一つの文化にくく りきれない人々の多様な営みがありました。 • 南の果(はて)の沖縄。かつて、ここにはアジアの国々と交 易(こうえき)で栄(さか)えた海洋(かいよう)王国があった のです。 • 450年に亙(わた)り沖縄に君臨(くんりん)した琉球王国。 グスクと呼ばれる城には、沖縄文化を代表する高度な石 積(いしづみ)建築が見られます。琉球王国が九州の薩摩 藩(さつまはん)に征服(せいふく)されたのは、江戸(えど) 時代の初め、日本文化は成熟(せいじゅく)の時代を向か えようとしていました。 姫路城(ひめじじょう)[兵庫(ひょうご)] • 江戸幕府(えどばくふ)の誕生により、天下太平(てんかた いへい)の世(よ)を迎えた日本。それまで険(けわ)しい山 に砦(とりで)として築かれた城は城下町を造るのに適した 平地(へいち)へと移りました。幕藩(ばくはん)体制の強大 な権威を誇示した天守閣(てんしゅかく)。それは、日本建 築の美のシンボルともなったのです 日光(にっこう)の社寺(しゃじ)[栃木(とちぎ)] • 日光東照宮(とうしょうぐう)の中心。500体の彫刻(ちょうこ く)で覆(おお)い尽(つ)くされた陽明門(ようめいもん)。こ れほどまでに過剰(かじょう)な色と装飾(そうしょく)に溢( あふ)れた建築は世界にもほとんど例がありません。そこ は、まさしく江戸幕府が総力を挙げて飾った、きらびやか な光の聖地だったのです。 白川郷(しらかわごう)・五箇山(ごかやま)の合唱(がっしょう )造り集落(しゅうらく)[岐阜(ぎふ)・富山(とやま)] • 毎年大雪(おおゆき)に見舞(みま)われる日本の秘境(ひ きょう)。小さな村に身を寄せ合い人々は暮してきました。 勾配(こうばい)の急な茅葺(かやぶ)きの屋根たち。合掌 造りの家は雪国(ゆきぐに)の知恵(ちえ)と技(わざ)の結 晶(けっしょう)なのです。 • 日本人の暮らしの原風景(げんふうけい)は村にあると言 われます。ともに働き、助け合い、折々の行事に励んだ村 人たち。村への帰属意識(きぞくいしき)を彼らは暮らしの 中でもっとも大切なものとしてきたのです。 • 掛(か)け替(が)えのない地球の記憶。世界遺産。2006年 現在ユネスコに登録された、その数は830。そのうち、日 本の文化遺産は10件を数えます。過去からの呼び声に耳 を傾(かたむ)け、鍛(きた)え、磨(みが)いて文化遺産を 辿(たど)る歴史の旅は、未来を創造する無限(むげん)の 知恵を与えてくれるのです。
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