ポインダーの視点:10年を経て

ポインダーの視点:10年を経て
Ten Years After / by Richard poynder Information Today Vol.21 No.9 October 2004
Richard poynder : 英国のフリージャーナリスト。知的財産権および情報産業が専門
オープンアクセス運動はどのように始まりどのような経緯をたどったのか。
1994年から2004年までの10年間の軌跡。
ポインダーの視点によるOA運動の歩み
1990
GinspargがプレプリントサーバarXivを創設する
1994.10
Harnadがメーリングリストに、自ら「破壊的提案」と呼んでいる意見を投稿する。
1998
SPARCが発足する
1998
世界初の商業OA出版社BioMed Centralが発足する
1999
VarmusがE-Biomed構想を提案する
様々なセルフアーカイブ・ツールキットが登場する
2000.2
上記の構想がPubMed Centralとして実現する
2000.11
Varmus,Eisenらが、PLoS(Public Library of Science)を創設する
2001
PLoSがOA出版社として再出発する
2002
BOAIが開始される
2003
OA出版に関するベセズダ声明書が公表される
2003.10
ベルリン宣言が生まれる
2004.7
英国の下院科学技術委員会が科学出版に関する報告書を発表する
2004.7
米国の下院予算委員会がNiHに、NiHの助成を受けた研究論文すべてにつき、出版6ヶ月
後にPubMed Centralにアーカイブされるような計画を策定するよう勧告する
起源
●1990 物理学者のPaul Ginspargがインターネット史上初のプレプリントサーバarXivを創設
※arXiv・・・長々とした出版プロセスに比べてより迅速に物理学者の間でアイデアを共有できる
ようにするために作られたもの。
●1994.10 認知科学者のStevan Harnad教授が、バージニア工科大学で運営されている
電子ジャーナル・メーリングリストに自ら「破壊的提案」と呼んでいる意見を投稿する。
ハーナッドの提案はオンライン上で大きな議論を引き起こす。
※「破壊的提案」・・・研究者は自分の考えをできるだけ多くの同僚と共有するためであれば
喜んで自分の論文を無料で提供するとし、インターネット上にセルフアーカイブすることを直ちに
開始し、それにより影響力を最大化し、また世界中の研究者に、より効果的に自分の考えを
届けるべきであると提案した。
●1998 高騰する一方の雑誌価格の改善を求めて米国研究図書館協会が創設した組織
SPARC(Scholarly Publishing and Academic Resources Coalition)が、発足する。
※SPARCの最初の取り組み・・・代替となるより価格の安い雑誌の推奨(商業出版社に対抗
する出版ベンチャーを支援した)
※OA運動のルーツとみなす説が多い
PubMed CentralとPLoS
●1999 ノーベル賞受賞者で当時NIH(国立衛生研究所)所長であったHarold Varmus
が、E-Biomedと呼ばれる新しい生物医学研究論文サーバを提案する。
※ E-Biomed・・・プレプリントとポストプリントの両テキストを含むフルテキスト研究論文の包括
的なリポジトリで、完全な検索機能を持ち無料で利用できる電子公共図書館を目指した。
●2000.2 上記の構想がPubMed Centralとして実現するが、初期の構想とはかけ離れ
たものとなる。→出版社や学会がE-Biomedへの攻撃的キャンペーンを行ったため。
※その結果、プレプリントはアーカイブから削除され、論文の出版からアーカイブに至るまでの間に
遅延が生じた。また、出版社は出版した論文の著作権を当然のように獲得したのPubMedCentral
は出版社の協力に頼ることになった。→開設後4年たった段階でも保管されている雑誌がわずか
161誌。そのほとんどはWeb上のどこかのサイトで無料で利用できるものとなってしまった。
●2000.11 Harold Varmus、科学者のMichael Eisen、Patrick Brownらが、PLoS(Public
Library of Science) を創設する
※PLoS創設の目的・・・「自社が出版した研究論文を出版後6ヶ月経ったらPubMed Centraの
ようなオンライン公共科学図書館で利用できるようにする」ことを拒む雑誌には論文を投稿しな
いことを誓う公開書簡に署名するよう科学者たちを説得すること。
※PLoSは大きな運動となったが、ほとんどの出版社はPLoSの書簡を無視した。さらに署名
した科学者のほとんどは誓いを破り、それらの雑誌に発表を続けた。
セルフアーカイブ・ツールキット
セルフアーカイブをするにあたり問題点が浮上してきた。
これらの問題点を解消するためにセルフアーカイブ・ツールキットが次々と誕生した。
※EPrintsソフトウェア
※多くのOAI用Google 有名なもの「OAIster」・・・ミシガン大学が開発。OAI準拠の様々な
リポジトリから定期的にレコードを収集することによりOAI準拠のすべてのアーカイブからコン
テンツを集め、1つの検索インターフェースによりこれらのアーカイブの横断検索を提供する
もの。
※ParaCiteサービス・・・サウサンプトン大学。該当する論文が見つかったら、このサービスを
使って、Web上で最も利用し易いその論文のフルテキストを見つけることができる。
※Cite Base・・・サウサンプトン大学。セルフアーカイブした論文のインパクトを知り
たい場合に使用。最も多く引用された著者や論文など、多くの要因を使ってセルフアーカイブ
された論文の順位づけを行う。
OA出版
OA出版社の登場→読者に購読料を支払わせるのではなく、著者に論文を出版するための
掲載料や投稿料を支払わせた。それにより、出版社は研究論文を無料で利用できるようにして
もなお出版にかかるコストを請求することができると考えた。
●1998 カレント・サイエンス・グループ会長Vitek Traczが、世界で最初の商業出版社BMC
(BioMed Central)を創設。BMCが発行したすべての雑誌はPubMed centralにアーカイブ
されると同時にWeb上で直ちに公開されている。
●2001 これまでの活動の限界とBMCの成果に気づき、PLoS がOA出版社として再出発する
※OA出版は新しいタイプの雑誌を作りだし、「すべての出版済研究論文は無料で利用できるようで
あるべき」との要求に応えるものとなった。しかしOA出版が強固な基盤を持つことは、OA運動の
将来に不安をもたらす元にもなった。
不安材料1・・・OA出版を過大評価することによるセルフアーカイブの軽視。
不安材料2・・・ 著者支払いモデル。→OAの受入れを阻害する強力な要因であると見られて
いる。
↓
OA運動はもっと大きな問題に直面していた
第一の当事者である研究者自身が興味を示さなければOA化は進まない
BOAI、英国、米国
●2002 BOAI(Budapest Open Access Initiative)が開始される
※注目点1・・・OAの定義化
※注目点2・・・OA実現のための2種類の戦略。
→ 1.セルフアーカイブ =BOAI-1=グリーン・ルート
→2.OA出版= BOAI-2=ゴールド・ルート
●2003.6 OA出版に関するベセズダ声明書が公表される
●2003.10 自然科学および人文科学における知に対するOAに関するベルリン宣言が
生まれる
●2004.7 英国の下院科学技術委員会が科学出版に関する報告書を発表した。
※内容・・・科学技術情報のOA化を支持し、研究成果へのアクセスを改善するために、すべて
の高等教育機関に機関リポジトリを設置することや、公的資金を受けた研究の成果の無料提供
を勧告している。また、著者支払い型の出版モデルを実験的に推進すること、そして現行の
事務処理に関わる費用を政府が負担することも勧告した。
●2004.7 米国の下院予算委員会は、米国連邦政府における最大の科学助成団体である
NIH(国立衛生研究所)に対し、NIHの助成を受けた研究のすべての論文が出版6ヶ月後に
PubMed Centralに確実にアーカイブされるような計画を策定するよう勧告した