わたしたちの命と財産を守るための、 大河津分水路の改修工事が始まっています。 のだ~ 「 洗 堰 」は 全 閉 、 「 可 動 堰 」は 全 開 で す 。そ れ で も 大 河 津 分 水 よ り 下 流 で 信 濃 川 に 合 流 す る 刈 谷 田 川 、五 十 嵐 川 、加 茂 川 な ど が 洪 水 と な り 、信 濃 川の水は三条から大河津分水に向 か っ て 逆 流 。ま た 、中 ノ 口 川 で は 堤 防 上 ま で わ ず か20cm の 高 さ ま で 方向 流下 大河津分水路の課題と改修 上の写真は、平成 年7月に発生 し た 新 潟・福 島 豪 雨 の も の で す。こ の時も大河津分水路は、越後平野を 水害から守ってくれました。もしこ の濁流が燕市から新潟市までの低平 な平野に襲いかかってきたとした ら、ど れ ほ ど の 災 害 に な っ て い た で *2 名、床 上 浸 水 月に発生した洪水 (魚野川 想定を超える災害に備える て い ま す。平 成 57棟にのぼりました。 年 に 全 戸 配 布 し、 燕市では、大河津分水、信濃川、大 通川の洪水ハザードマップを作成し どんなに治水を強化しても、想定 を超える自然の力には逆らえませ 燕市公式ホームページでも公開して 上浸水1110棟、床下浸水が74 山地部掘削 しょうか。 今、大河津分水路は改修を必要と しています。近年の異常気象を思い 出 し て く だ さ い。こ の 季 節、日 本 各 地でゲリラ豪雨などが頻発していま す。設計から100年以上経過した 現在、当時と流量に変化があるので す。実際に、平成 年の新潟・福島豪 *1 雨では、渡部観測所で戦後最大流量 と な り、可 動 堰 上 流 で は、計 画 高 水 年 位 を 超 え て し ま い ま し た。ま た、昭 和 で 破 堤、県 内 の 死 者 1446棟、床下浸水1502棟) と 同規模の洪水が発生した場合、分水 路上流の長岡市付近までが計画高水 位を超過してしまい、大河津分水路 においても計画高水位を超過する可 能 性 が あ り ま す。こ れ に よ っ て、も し大河津分水路の右岸堤防が決壊し た場合、新潟市西区付近まで浸水し てしまうことが想定されています。 しかありませ 大河津分水路は、可動堰付近の川 幅が約720 あるのに対し、河口 付近では約180 ん。流 下 能 力 が 不 足 し て お り、川 幅 年 が 経 過 し、施 設 が の 拡 幅 が 急 務 と な っ て い ま す。ま た、通 水 か ら とこがため 老 朽 化 し て い る こ と も あ り、第 二 床固の改築や川幅拡幅などに向 年を け た 大改修が昨年から始まりまし た。事業の完了は、平成 渡部橋 拡幅 低水路 石港床留 ん。平成 年の新潟・福島豪雨では、 予定しています。 野積橋 拡幅後は約280 m 第二床固改築 事業区間延長3.3㎞ 副堰堤 第二床留 流下方向 現在は約180 m 五十嵐川や刈谷田川などの堤防が決 などが水害時にどのくらい浸水する い ま す。こ の 機 会 に、自 宅 や 勤 務 先 壊し、県内で死者 *3 名、住 宅 の 全 壊 20 の場合の大河津分水の堰の状態は、 水6117棟の被害がありました。 棟 、床 上 浸 水 2 1 7 8 棟、床 下 浸 棟 、半 壊 5 3 5 4 棟 、一 部 損 壊 後それに対応したハザードマップを なお、5月に新たな浸水想定が国 土交通省より示されたことから、今 のか、確認してみてください。 作 成 す る 予 定 で す。完 成 次 第、皆 さ 年 の 新 潟・福 島 豪 雨 で ま た 、平 成 *4 んにお知らせします。 8 2016.07.01 2016.07.01 N 44 棟、床 は、県内で死者4名、住 宅 の 全壊 棟、半壊792棟、一部損壊 48 * 1_ 計画高水位:堤防を設計する時の基にした水位。この水位を上回ると堤防が危険な状態になります。 もと *2_ 国土交通省北陸地方整備局 HP 信濃川の概要(平成 21 年 10 月 24 日)より抜粋 / * 3_ 新潟県 HP 平成 16 年 7月 13 日の大雨等による被害関連情報より抜粋 / * 4_ 新潟県 HP 第1回平成 23 年7月新潟・福島豪雨対策検討委員 会資料 平成 23 年 7 月新潟・福島豪雨災害の概要(資料1) より抜粋 9 44 野積橋架替 2 15 えっ ! ? 河 津 分 水 路 河 口 付 近、2 道 金 上 空、3 23 23 m m 94 23 1 な話 8 16 3 水位が上昇した個所もありました。 先 樋口 生 小 須 戸 橋 上 空。こ の 時 、信 濃 川 上 流 越後平野の水害をなくすために 1730 年から 2006 年 にかけて建設された大小さまざまな放水路や隧道は、大 河津分水路も含めて18 本もあります。こんなところは 日本の中で越後平野だけ。いかに 「水害のない暮らし」の ために先人が尽力してきたのかわかりますね。そのおか げで、越後平野は大きく発展。農業関係では水稲収穫量、 えだまめ作付面積、チューリップ産出額、工業 関係では金属洋食器出荷額、石油ストーブ 出荷額は日本一 ( ※ ) です。弥彦山頂 から越後平野を見下ろすと、遠くま で広がる美田に囲まれるように、 銀色に輝く工業団地や家々が点 在し、そこを貫く高速道路や新幹 だった 線、そして信濃川を目の当たりに そう ん できます。人の手で作られた越 後平野の絶景。この素晴らしい故 郷を守り後世に伝えていくのは わたしたちなのだということを 実感させられます。 ※新潟県全体での数字 域 、下 流 域 の 両 方 が 洪 水 で し た 。こ ず い ど う 流下方向 2 平成 23 年新潟・福島豪雨の時の、1 大 越後平野は、人が作った川だらけ!? 56 94 70 このページの写真提供:国土交通省北陸地方整備局 平成の大改修、 はじまる。 1 2 0 年目の感謝。
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