細 川 先 生 と 関 先 生 の 往 復 書 簡 私 も 「 さ ん わ 」 で 建 て ま し た

細川先生と
関先生の
往復書簡
合掌 先生、長い間ありが
とうございました。このこ
とばは何度いってもいい尽
くすことができません。福
岡学芸大学時代、本校で先
生にお遇いし、仏法にあわ
せていただき、大きな世界
のあることを知らせていた
だきました。あの当時二年
制で教員になることも可能
出
店
私 も 「 さ ん わ」
で建てました
日
でしたが、四年制課程で本 お念仏「南無阿弥陀仏」を
校に行けたことがいかに大 いただいた故に、生きるこ
きなことであったか、今に とができ、お念仏いただい
してつくづく思います。先 た故に死んでいけます。も
生にお遇いできたことが、 し、お念仏におあいしてい
最大の収穫でした。その後、なかったら、今ごろこのベッ
卒業以来も久留米を中心に ドの上でのたうちまわって
仏法を語っていただき、時 いると思います。肉体的に
福岡市西区
I氏
様
国見町に先祖の墓が多数
有りましたが、母が亡くなっ
たのを機に、日出町に墓地
を、と考えておりました。
ごあいさつ 6月14日
ご無沙汰しています。
先だっては、私の実家 墓
じまいにおきまして親身に
又、ご丁寧に労を執って頂
日出町川崎
土谷 保史
予定地を選択する際「さん
わ」さんと縁が出来、今回
建立に至りました。
今月無事ご先祖の霊と母の
納骨も無事済ませました。
じ ゅ う ふ た い て ん
んかんき )乃至一念 な(い
これに対して細川先生が、しいちねん )至心回向 し(
二日後の二十六日にお手紙 しんえこう )
を書かれます。実は細川先 如来の至心回向によって、
生も癌を患っていたんです。
、われらは信心念仏を賜わり、
が んしょうひこく
願生彼国と生きていく方向
そくとくおうじょう
を知り、即得往生
住不退転 ここが浄土の
関君、いよいよ大事な時に
なったなあ。この病気は後
になるほど痛みが増すと聞 南無阿弥陀仏となる。
いているが、君もさぞたい 死ぬも南無阿弥陀仏
へんだろう。慰めようもな 生きるも南無阿弥陀仏ただ
い。南無阿弥陀仏 な(むあ
このこと一つ
みだぶつ 。)
残った者は私の死を見て、
南無阿弥陀仏におあいでき 何かを得て、それぞれの人
て本当によかった。これが 生を歩む。私は願う、
人生のすべてであった。私 どうか良い縁を得て、
は昨年十二月以来入院して、この道に立ってくれよ、
このことをいよいよ知った。 南無阿弥陀仏、と。
君も同じだと思う。本当に このこと一つを願い、
良かった。南無阿弥陀仏。 このこと一つを南無阿弥陀
たく
人間、最後の場に立った
仏に托して歩んでゆく。
とき、心に残るものが二つ すべてを如来におまかせし
あるという。
て進むとは、この事である。
一つは死んだらどうなるの こうして念仏道に立つ者に
かという問題。
は、残る問題は一つもない
一つは残った者はどうなる
のかということ。
諸有衆生 し(ようしゆじよ
第 4 面 (裏 ) に 続 く
う )聞其名号 も(んごみよ
うごう )信心歓喜 し(んじ
叶わなくなり随分たってい
ましたところの思いがけず
突然の出来事でした。それ
で納骨を終えた頃に墓じま
いの件を(福岡の納骨堂に
移す)姉たちに話し、業者
さんを探し依頼することと
なりました。ホームページ
本当に感謝の気持ちでいっ
ぱいです。そして、無念で
はありましたが亡き兄にも
ありがとうの気持ちでいっ
ぱいです。
合掌
又、夫の実家もわたしの実
家の墓じまいがきっかけに
なり、墓じまいをする事に
なり(母親がしてくれた)
夫も少し安心したみたいで
す。本当にありがとうござ
います。今では皆んな穏や
かな気持ちでいられる事に
地で道なりも儘ならない状
態のところでした)その場
所のお墓の写真を送って貰
い1切をお願いする事とな
りました。当日は天候にも
恵まれ滞りなく済ませる事
ができました。「さんわ」
さんの社長さんの活発的な
動きには驚きと共に感謝の
気持ちでいっぱいでした。
翌日、熊本大分の地震があ
り前日に事を終えていた事
にも何か先祖や急逝した兄
に守られているような気持
ちになったものです。
被(災された方達には心よ
りお見舞い申し上げます)
にて(さんわ森町店)さん
さんわ森町店様
を見つけ見積りをお願いし
今年1月に、私のすぐ上の ましたところ、とても快く
兄が急逝しました。
引き受けて下さいました。
その兄が入院中に夫婦で見 (墓は共同墓地、山の最上
墓地は広く、日当たりも良 きありがとうございました。 舞いに訪れた際に、その時
く自宅より徒歩10分程で おかげさまで現在、心穏や 案じていることの1つとし
お参りが出来ます。
かに過ごす事ができていま て墓の心配を夫に話してい
今回、ご先祖供養の区切り す。先日、事務員の方から ました。実家の墓の事でし
がつき、尽力下さった墓地 お電話にて連絡がありまし た(夫ならしてくれると思っ
関係者の工藤様、、
「さんわ」 て・・・「さんわ便り」に
てくれていたんだと・・・)
様に感謝し、紙面にてお礼 投稿してくれませんか?・・ 墓は大分県犬飼町にあり、
申し上げます。
というお話でした。私も読 兄が元気な時には少なくと
ありがとうございました。 んだ ことが あり ました ので、 も2年に1回は妹たちを連
不束ではありますが当時の れてお参りに行っていまし
気持ちなどを書いてみまし た。私たち夫婦は夫の実家
た。本当にご親切にご丁寧 が大分ということもあり帰
森
町
店
な対応をありがとうござい 省の折には子育て中は年に
ました。又、大変お世話に 2~3回、過ぎてからは年
なりました。
かしこ
に1回は近年まで、参って
いました。然し、兄妹たち
も皆、歳をとり、墓参りが
たけど、五十六歳で癌で亡 に父のごとく、時に教育者 はたいへんきついです。す
くなりました .
ともなり、私を育んでくだ わるのもちょっとの時間で
その癌で亡くなる一ヶ月前 さいました。
しかできないくらいです。
に細川先生に宛てた手紙と、前後しますが、大学四年の でも、心は平安です。
それに対して2日後、細川 時父がなくなり、その時先 先生を通して、たくさんの
先生から関先生に宛てた手 生にいただいた〝日輪没す お同朋をいただき、にぎや
紙の掲載です。。
る処、明星輝き出ずる如く、かです。先生、本当にすば
人生の終焉は永遠の生の出 らしい人生をたまわりまし
関先生がお亡くなりになる 発である″ということばは、てありがとうございました。
一ヶ月前に細川先生に出し その当時私の大きな救いと 最後の一呼吸までは生きる
た手紙
なりました。そして、今、 ための努力を続けます。先
病床でこのことばをかみし 生、本当に長い間ありがと
めています。以来三十数年、うございました。先生は、
先生のみ教を通し、夜晃先 病気回復期ゆえ、どうかお
生、親鸞聖人、七高僧、釈 体お大事になさってお同朋
尊と連綿とつらなる深い歴 の大きな光となってくださ
史観を頂きました。このこ い。
とは私の人生をいかに豊か ことばは尽くせません。
にしてくださったことでしょ ありがとうございました。
うか。また、教育をしてい
平成五年六月二十四日
きます上でも大きな励みと
関 真和
なりました。
福岡教育大学教授の細川先
生とその教え子であった関
真和 せ(きまさかず 先)生―
関先生は小学校の先生でし
平成28年6月25日
さんわ便り
第150号
平成28年6月25日
さんわ便り
第150号