介護新聞連載 第7回 PDFはこちらから

工藤 裕美氏
関わることの原点が
「気づき」
と
「関係」
をもたらす
連載第8回 実践編②〜急性期病院
動き出しを見逃している日常
動き出しの瞬間をゆっくり待つ
た と え 今 は 全 介 助 で あ っ て も、
「 で き な い 」と 思 っ て 見 て し ま う
と、大事な動き出しの瞬間を見逃
してしまう
私は、
いくら声かけに反応がなくても、
「 これ
から横を向きますね」
「 ここの車いすに座りま
す」
など、
Aさんに触れる前に必ず声をかけなが
ら、
関わらせていただきました。
それでも1週間は、
Aさんの動き出しといえ
る動作を見つけることはできませんでした。
「反
応がないのに、
動き出しも何もないのでは?」
。
そんなことを思った時もありましたが、
私の声
かけや関わりはAさんに伝わっていないわけで
はないと信じて、
一つひとつの動作をゆっくり
行い、
待つことに時間をかけました。私の触り
方が少しでも雑な時には顔をしかめることもあ
り、
その都度何がいけなかったのか、
自分自身の
関わりを振り返り、
改めていきました。
1週間が過ぎた頃から、
私の声かけに対して
Aさんはうっすらと目を開き、
うなずきました。
Aさんとの関わりの中で、
最初の動き出しの瞬
他者からの接触に
間でした。ベッドから向きを変え、
起き上がる、
強い抵抗を示したAさん
車いすへ乗る、
一つひとつの動作をゆっくりと
Aさん
(80代・女性)
は、
元々高齢者住宅で暮
行う中で、
Aさんの動き出しを待ちました。
らしており、
軽度の認知症はあったようですが、 すると、
寝返りの際に身体をねじり、
自ら姿勢
ADLは全て自立していた方です。入院数カ月
を変え、
動き出す瞬間がまたありました。
「 でき
前から脱水が続いて体調を崩し、
ADLは車い
ない」
と思って全介助で行っていたら気づくこ
すレベルまで低下していたそうです。そうした
とができないくらいのわずかな動き出しでした
中、
脳梗塞を発症し、
当院へ救急搬送されまし
が、
それが毎日少しずつ増えていくことを感じ
た。入院後、
医師からすぐにリハビリが指示さ
ました。
れ、
私が担当させていただくことになりました。
明らかな四肢の運動まひなどはなかったもの
の、
意識障害が遷延し、
常時固く目をつぶり、
会
話は難しい状態でした。入院直後より、
他者か
らの接触に強い拒否を示し、
少しでも身体に触
れると顔をしかめ、
うなり声を上げる、
手を払い
のける、
つねるなどの反応がみられるようにな
りました。
私が最初に関わった際にも、
血圧を測ろうと
した私の腕をAさんは払いのけ、
大声を上げま
した。
「自ら動くことのできないAさんを離床さ
せることはおろか、
触れることもできない…」
。
私はどのように関わって良いのか迷いました。
Aさんの抵抗に対し、
「高齢だし認知症があるか
ら元々暴力的だったのかな」
「意識障害があるか
2週間後、
Aさんはしっかりと目を開け、
周り
ら仕方ないかな」
と、
私は安易に思い、
その行動
の様子を見て微笑むようになっていました。立
の原因はAさんにあるように考えました。
ち上がる時に、
自ら車いすに手を伸ばすような
しかし、
自分自身の最初の関わりを振り返って
反応もみられるようになりました。一つひとつ
みると、
介入時の私の頭の中は、
「意識障害があっ
の動作を声かけしながら行い、
Aさんの動き出
て、
元々認知症の方」
ということばかりで、
Aさん
しを待ちました。
事例から学ぶ
関わり方導く
「動き出す瞬間」
日本医療大保健医療学部
リハビリテーション学科
私たちの目は、
目の前で起こる明らか
な物事を正確にとらえているようで、
実
は見たいものしか見えていないという
特徴があるようです。言い換えると、
目
の前の患者さんの状態についても、
意識
して見ようとしなければ見えてこない
も の が た く さ ん あ る と い う こ と で す。
「動き出す瞬間」
。それは取りも直さず、
患者さんが私たちに教えてくださる何
らかのサインです。
しかし、
私たちが先に先に治療や介助
という大義で手出しすることで、
そのサ
インを見落とします。あるいは、
サイン
を出す隙を与えられていないという可
3週間後に
は、A さ ん は 1
人 で 座 り、コ ッ
プを自分で持ち、
お茶を飲みました。
私の顔を見て
「おはよう」
と言い、
「調
子はどうですか?」
という私の声かけに、
「 まあ
まあだよ」
と微笑みました。車いすにも自ら移
乗できるようになりました。
そして4週間後には、
自分の手でご飯を食べ、
歩行器を使って歩けるようになっていきました。
大堀 具視准教授
能性もあります。
工藤さんの報告にある通り、
私たちと
障害を抱えた患者さんや高齢者の方と
では、刺激を受け止め、反応するまでの
スピードは全く異なります。私たちが、
私たちの目線やペースでは気づくこと
ができないサインがたくさんあること
を知る必要がありそうです。
一つの声かけ、一つの身体への接触、
全てが患者さんに届いていると信じら
れると、待つことが文字通り、
「 期待」と
なります。そして、
「 動き出す瞬間」
に出
会うことは、
私たちに関わり方を導いて
くれます。
わずかな動き出しの
積み重ねが、食事や歩
行など大きな変化につ
ながっていくことを感
じた
私が勤務する脳卒中急性期病棟には、
脳梗塞
や脳出血などを発症した方が毎日のように搬送
されてきます。年齢も生活歴なども全く異なり
ます。発症して間もない患者さんの中には、
意
識障害や失語などで意思を発することが難しか
ったり、
運動まひによって身体が思うように動
かない方も多くいます。
そうした方々との関わりを振り返ると、
どの
ような方であっても、
何かのあるタイミングで
ご本人から動き出す瞬間があるように感じま
す。しかし、
その動き出しは、
私たちの想像する
動き出しとは少し異なる場合もあります。
「自ら
手すりにつかまり立ち上がる」
といったように、
目に見えるはっきりとした動き出しは誰でもす
ぐに気づくことができますが、
目や首など身体
の一部のわずかな動きであったりもします。
そのわずかな動き出しは何の前触れがないこ
ともあれば、
予測できることもあります。慌た
だしく過ぎていく臨床の中で、
動き出した瞬間
を見逃し、
わずかな変化に気づくことができて
いない自分に気づくことが多々あります。
『昨日
できなかったことが、
今日はできたかもしれな
い…』
。それを発揮する機会を奪ってしまって
いるのは、
実は私たちなのかもしれません。
自らの経験を振り返りながら、
「動き出しは当
事者から」
の実践を通して、
患者さんとの関わり
の原点を考えていきたいと思います。
に対して私が誰で、
今何をするのか、
しっかり声
かけを行っていないことに気づきました。
「もし、
自分がAさんだったら…」
と想像して
みると、
寝ている時によく知らない人が、
声かけ
もなく身体に触れてきたら、
当たり前のように
抵抗します。そうであるなら、
Aさんの反応は
問題でも何でもなく、
ごく普通のことではない
かと思えたのです。抵抗する反応ばかりに目を
向け、
Aさんの身体の動き出しを邪魔してしま
っているのは、
私の関わりなのではないかと気
づきました。
手稲渓仁会病院リハビリ
テーション部作業療法士
2016年(平成28 年)6月23日
今日できなかったことを
明日できることに変えていく
介入初期に関わっていたスタッフがお話しし
ているAさんの姿を見て、
「奇跡みたい」
と言いま
した。しかし、
運動まひなどの動きを阻害する障
害のないAさんにとって、
これは奇跡でも何でも
なく、
ごく普通のことであったと思います。
高齢者や何かしらの障害を抱えた方々は、
私
たちのようなスピードで反応することや動き出
すことが難しいと思われます。それなのに、
私
たちは自分自身のペースで行う声かけや動作に
反応がないと、
それは伝わっていないと安易に
考え、
待つのをやめてしまうことはないでしょ
うか。そして、
自分自身の関わりに抵抗があれ
ば、
それは
「問題行動」
「認知症」
と、
全て患者さん
の問題としてとらえてしまいがちです。
Aさんと初めて関わった時、
私自身もそうで
した。
見たくないものや聞きたくないものには、
目をつぶり、
口を閉ざし、
見たいものや話したい
人がいれば目を開き、
言葉を話すのは普通のこ
とです。それを
「意識障害」
「認知症」
といった専
門的な知識が邪魔をしてしまっているように感
じます。
救急搬送され、
病衣を着せられた時から、
患者
さんは
「患者」
という立場の、
私たちとは全く別の
人に仕上げられてしまっているようにも感じま
す。だから、
私たちは
「この人が自分だったら」
と
いう視点で考えることをやめてしまうのかもし
れません。目をつぶって反応がないから何もで
きない、
抵抗すれば問題行動があるととらえるの
ではなく、
「この人が自分だったら」
と考え、
動き
出しを待つことが関わりの第一歩になります。
私が関わらせていただいている患者さんの多
くは、
Aさんのように表情や身体で何かを表出
できる方もいれば、
その術がない方もいます。
その思いや考えは、
身体が自由に動く私たちに
は分かり得ないものです。だからこそ、
「動き出
しは当事者から」
が大事なのだと思います。
その方が何を思い、
どのタイミングでどのよ
うに動きたいのか、
それはご本人ではないと分
からないからこそ、
私たちはその動き出しを信
じて待ちます。Aさんのように、
その動き出し
の最初はわずかなものかもしれません。
しかし、
そのわずかな動き出しの積み重ねが、
今日でき
なかったことを明日できることに変えていくも
のだと思います。私はAさんとの関わりを通し
て、
そのことに気づかせていただきました。