作曲家・舞台音楽家 宮川彬良 さん ストーリーや言葉というのは、僕にとって 音楽を作るインスピレーションとして欠かせないもの 00 「マツケンサンバⅡ「クインテット」 」 そして 「せたがや音楽研究所」 。 作曲家・舞台音楽家として、また演奏家として多彩な活躍を続ける 宮川彬良さんの原点とは、今後のビジョンとは。 なぜ、 「せたがや音楽研究所」 を始めよう になって、保坂さんは音楽が好きな方だか と思ったのですか? ら、マインドが共通してるところがあるん 「僕は20年も世田谷に住んでいるのに、毎 ですよね。音楽が好きな人ってどこか、考 年、こどもの日は兵庫県立芸術文化センタ え方に共通点があるでしょ? ジャズであ ー、お正月は新潟市民芸術文化会館、お盆 ろうとクラシックであろうとレゲエであろう は千葉県少年少女オーケストラ、と必ずど と。自分が住んでいるところの区長が自分 こか地方で仕事をしていて、今はオオサカ・ のマインドと共通してたら、ますます区の シオン・ウインド・オーケストラの音楽監督 ためにも何かしたい、って思いますよ」 にもなったので、ますます地元にいないん せたがや音楽研究所は、まったく飽きさ です。世田谷でコンサートやってないって、 せない音楽エンターテインメントで、コ どうなの?って思ってたときに、担当者に ードの講義もわかりやすかったです 相談を受けたんです。クラシックはクラシ 「音大でやってもいい感じでしょ、あの内容 ックでも、クラシックファンじゃない人にも だったら。世田谷区はホールがないので、客 楽しんでもらえるステージ、ジャズやロッ 席とステージさえあればどこでもできるとい クや歌謡曲も含めて、ジャンル関係なしに うコンテンツを作ろうと思っているんです。 コンサートやイベントができるプロデュー それが財産になるだろうと。2時間くらいの サーを探している、と」 舞台コンテンツを10作品くらい作って、今月 地元で、地域密着のコンサートがやりた は烏山、来月は区民会館、みたいに、あちこ かった、ということですね ち持って回りたいとも考えているんです」 「ラジオなんかに出ると、地元の豪徳寺商店 街で会うお魚屋さんのおばちゃんとか本屋 次回は湯川れい子さんがゲストで、テー マはビートルズですね。楽しみです さんのご主人が、今朝のおもしろかったわ 「湯川先生はビートルズの生き証人ですから 〜、なんて言ってくれるわけ。お店の方た ね。僕が自発的に音楽をやり出したきっか ちってラジオつけっぱなしで仕事してます けはビートルズだったんです。僕が小5か からね。そうやって、地元の人の耳に届く 小6のときにビートルズは解散したんです ような、目に入るようなことをしたいな、と が、解散の記事が新聞に載ったのを見て、 いうのもあったし、世田谷区長が保坂さん ポールが30歳と書いてあって、そんなにお 5 じさんだったってことにびっくりして (笑) 。 いたけど、練習が大嫌いで。楽譜から音楽 学校でもビートルズの解散は話題になって、 をやるということに抵抗があったんですよ 同じクラスの兄姉がいる情報豊富な奴ら ね。映画で、ポールが譜面を見ずに両手で が、今、テアトル銀座で『Let It Be』をやっ ピアノを弾いているのを見て衝撃を受けた てるよって教えてくれたんです。そんな仲 んです (笑) 。で、Let It Beを耳コピすると 間と観に行って、これだー!!ってすっかり ころから始めて。そのうちピアノの先生に はまっちゃってね。当時ピアノは習っては もちゃんとつきたくなって」 自発的に音楽を やり出したきっかけは ビートルズ ミュージカルに興味を持たれたのも、子 いになるとね、バンドって、ちょっと不良の ども時代なのですか? ものだって気がつくの (笑) 。僕は文化系少年 「Let It Beの前年に、母親と一緒に 『West 6 だったもので、授業をサボったりしてる奴ら Side Story』 (音楽レナード・バーンスタイン) がブルースなんかやってるのを横目で見な を観たんです。渋谷のパンテオン。それから、 がら、自分はやっぱりウエストサイドみたい ウエストサイドのレコードも毎日のように聴 な曲を書きたいんだなと改めて思ったんで いて、あのなんともいえない、赤い血潮のよ す。ウエストサイドには、バンドも入ってい うな音楽がやりたいという気持ちは、中学か るし、ミュージカルも入っているし、血湧き ら高校にかけて大きくなりましたね。ビート 肉躍るショーの音楽も入っているし。そうい ルズは永遠に好きだけど、やっぱり自分が曲 う、あらゆる要素が入ってる音楽。ジャズも を書くとしたら、ウエストサイドみたいなも クラシックもビートルズも大好きだけど、僕 のが書きたかった。 中学から高校にかけては、 にとってはバーンスタインがいちばんなんだ 僕もバンドをやってたんだけど、高校生くら なと気づいたんですね」 「普遍性」 をいつも探し求めているんです そこから、藝大を目指したわけですね 自由とか、普遍性のあるテーマや言葉っ 「そうですね。こういう音楽を作るためには、 てやっぱり強いでしょ? これは親父 (作 和声の勉強を、クラシックの勉強をしなけ 曲家の宮川泰氏)が音楽を作ったんです ればいけないとわかったので。作曲の勉強 が、アニメの 『宇宙戦艦ヤマト』 は40年前、 をしてみると、これがほんとにおもしろくて。 『West Side Story』 も55年前の作品です ソナタ形式とかね、形式美、様式美、有機 けど、今もまったく色褪せず、人を感動さ 的な音の扱い方とか、勉強すればするほど、 せてくれるし、新しいファンも生まれてい 本物の感動ってこういうところにあるんだ ますからね。僕も、普遍性というものをい なということがわかったんです。2時間のス つも探し求めているんです」 テージを、特定の音楽家のファンじゃない 今後の、音楽人生のビジョンは 人にも楽しんでもらうためには、やはり古 「僕は自分の身体が動くうちに、なるべく自 典が大事なんです。歌舞伎でもシェイクス 分でパフォーマンスして、宮川さんはこん ピアでもいいんだけど、何か古典から学ん なことやってたなぁ、という記憶に残ってく でいないと、本物のエンターテインメント れればいいなと思っています。親父の曲も として成立しないものなんですよ」 よく演奏するし、結果的に音楽を継承して ミュージカルは、ストーリーが重要な要素 いるのかもしれないけど、意識的には全然、 ですが、そういった音楽理論とストーリ 継承しなければ、なんて思ってないんです。 ーの両立した世界に宮川さんが惹かれた 僕は自分が興味あることをやってるだけ。 というのも興味深いです 僕の究極の理想は、自分が死んでも生きな 「僕は小さい頃からレゴが大好きで、構造 がらえる作品を作りたい。有機的な作品を を知り、構築する、ということが大好きだ 作りたい、ということなんです。究極の作 ったんです。それと、ストーリーや言葉と 品は命なんですよ。 命を表現したい。 それは、 いうのは、音楽を作るインスピレーション ベートーヴェンもマーラーもビートルズも として欠かせないものでもあった。愛とか みんなそうだったと思います」 pro f i l e 宮川彬良さん 東京生まれ。東京藝術大学在学中より劇団四季、東京ディズニーランドなどのシ ョー音楽を担当。その後、数多くのミュージカルなどを手掛け、舞台音楽家とし て活躍。 「宮川彬良&アンサンブル・ベガ」 「Osaka Shion Wind Orchestra」 の音 楽監督、せたがや文化財団スペシャルプロデューサーも務める。作曲・編曲・指揮・ ピアノ演奏、解説を行いつつ進める独自のコンサートスタイルも人気。 取材/手塚美和 撮影/渡邉誠 7
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