1606Hikari_no_joudo

神通寺報
7/17
PM1:00 〜
( 日 ) 〜
PM7:00
神通寺定例法座 JINZUJI
焼きそばをいただきます!!
6 月のご法座では、八軒町の大野光夫さんより、冷
やし中華を振る舞っていただきました。7 月は、引き
続き大野さんより、焼きそばを振る舞っていただきま
す。お腹をす
かせてお参り
下さいませ。
第 273 号
(2016 年 6 月号)
〒 506-0021
高山市名田町 5-30
明林山 神通寺
住職 朝戸 臣統
0577-32-3614(TEL/FAX)
カラー版神通寺報はこちらから!→
[email protected]
www.jinzuji.com
神通寺報 配布スタッフの皆様(敬称略)
不破 朝子・三枝 勝・黒田 はな・中垣 久美子・中澤 一弘・塚本 清洋・中田 泰子・永富 登代子・
石垣 美代子・洞口 義武・松尾 衿子・片岡 節子・畠山 正一・松本 文男・阿多野 正昭・
柴田 和子・安藤 礼子・成畑 瑛子・松川 浩幸・大萱 勝・谷口 忠雄・若田 義隆・千原 繁・
大野 光夫・原田 尚子 1
第 273 号(2016 年 6 月号)
ひ か り
じ
ょ
う
光の浄土
ど
最 近、 神 通 寺
の 周 辺 で、 家 の リ
フォームや建て直し
り
をされるところが
く
数件あります。思い返すと、神通寺も、庫裡を建て直し
て か ら、 す で に 十 二 年 が 過
ぎ ま し た。 当 時、 ま だ 小 学
ら、家中を見て回ったその日の夕方、少年野球の練習か
ら帰ってきた長男が、こう言ったのです。
「お父さん、今日の夜、八時頃に、友達が遊びに来るか
らね。
」
「えっ、夜の八時? 何して遊ふの?」
オバケ屋敷と言われたから
には、私がオバケの格好をし
「 う ん、 み ん な が オ バ ケ 屋
敷の探検をしたいって・・・!」
とりを通して気付かせても
て驚かしてやろうかと思った
六年生だった長男とのやり
ら っ た こ と を、 懐 か し く 思
のですけど、それはやめてお
た ち と「 探 検 」 し て み ま し
ま っ た 庫 裏 の 中 を、 子 ど も
中、 壁 が 打 ち 抜 か れ て し
分 別 解 体 で、 徐 々 に 古 い
庫裡を解体していく作業の
な・・・。
」 友 達 は、 暗 闇 の
「あき君、ちょっと暗いで、
あんまり奥まで行かんとこう
ます。
探 検 に 来 た 子 ど も た ち は、
真っ暗な一階から入っていき
きました。
た。
す。
中でたいそう怖がっていま
め く れ た 板 や、 釘 の 飛 び
出た柱の横をすり抜けなが
ぶんべつかいたい
☆★☆★☆★ ☆ ★
い出します。
「拝読 浄土真宗のみ教え」より。
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であると気付かされるところに、私を照ら
り ま せ ん で し た。 本 当 の 暗 闇 の 中 に あ る 私
や が て 階 段 を 上 っ て、 二 階 へ と 登 っ て い き ま す。
さ て、 一 階 で あ れ だ け 怖 が っ た の で す か ら、 二 階 で
して下さる光明の明るさを知らされるとい
大
「改造 劇的ビフォー・アフター」より。
はどれだけ怖がるのだろうかと期待しながら子ども
うことでもあるのでしょう。
☆★☆★☆★☆★
た ち の 反 応 を 待 っ て い ま す と、 ま っ た く 怖 が る 様 子
はありません。
私はその言葉を聞いてハッとしました。夜の外出
と い え ば、 明 る い 部 屋 か ら 暗 い 外 へ 出 か け る こ と だ
れていたのでした 。
二 階 に は 月 明 か り が 届 き、 足 元 が 明 る く 照 ら し 出 さ
実 は、 す で に 屋 根 の 部 分 を 取 り 壊 し て い た た め に、
開放的に造り替えられていました。使えな
もともと窓がなく、薄暗い建物でしたが、
新 た に 窓 が 取 り 付 け ら れ、 内 部 は 明 る く、
た予算でリフォームする、
という内容です。
た。築百三十年以上という板倉を、限られ
うど「古民家再生」をテーマにしていまし
こみんかさいせい
「 大 改 造 劇 的 ビ
先 日 放 送 さ れ た、
フォー・アフター」という番組では、ちょ
と い う 私 の「 あ た り ま え 」 と は 正 反 対 の 言 葉 だ っ た
くなった廃材も上手く再利用し、古さと新
子どもたちが怖がらない理由は、すぐにわかりま
し た。 彼 ら は、「 お お、 明 る い!」 と 叫 ん で い ま す。
からです。
窓 も な く、 外 か ら の 明 か り が 入 っ て こ な
(破闇)
」ということがあります。
は あん
あ ら た め て、 光 の は た ら き に つ い て 考
え て み ま す と、 ひ と つ に は、
「暗闇を破る
し さ が 調 和 す る、 素 晴 ら し い 建 物 に 生 ま れ
変わっていたのが,とても印象的でした。
くらやみ
真っ暗なところにいた子どもたちは、同じ外の世
界に出てきたときに、「おお、明るい!」と叫びまし
た。 光 の 届 か な い 暗 闇 の 中 に い た 人 は、 月 明 か り を
とても明るく感じるものなのです。
自分が明るいところにいると思い込んでいる私は、
足もとを照らして下さる月明かりに気付くことはあ
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むりょうこうみょうど
議光如来なり、土はまたこれ無量光明土なり。
」
ど
い真っ暗闇の建物であって
ぎこうにょらい
も、 ひ と た び 扉 を 開 け て 光
浄土は、無量の光に満ちあ
私の人生の行き先であるお
ふれた世界であると仰るのです。それは、自分自身が暗
正信偈のおつとめの後は、お聴聞。
が 差 し 込 め ば、 長 い 間 の 暗
闇の中にあると知らされたからこそ、その暗闇を照らし
な も あ み だ ぶ つ
じょうど
闇もあっという間に明るく
てくださる大いなる光で満ちあふれた世界に往き生まれ
う
照 ら さ れ ま す。 長 い 間 の 暗
ることができるのが、南無阿弥陀仏のお念仏のみ教えで
ゆ
闇 だ か ら、 長 い 間 光 を 照 ら
あるということなのです。
「死んだらおしまい・死んだら
私のいのちの行き先は、
無になる」という、むなしく終わっていく人生ではあり
ねんぶつ
さなければ明るくならない、
光 が 差 し 込 む 瞬 間 に、 闇 は
ません。お浄土の光により、
と い う こ と は な い の で す。
破られていくのです。
て 生 き て い る 私 の 暗 闇 が、
光に包まれてさとりの功徳
くどく
様々な悩み・苦しみを抱え
じょうど
「私の歩み
もう一つには、
ちょうじゅく
を 導 い て く だ さ る( 調 熟 )
」
と い う は た ら き が あ り ま す。 暗 闇 の 中 を さ ま よ う 道 中 は
に転じられていくのです。
てん
不 安 で い っ ぱ い で す が、 そ の 先 の 目 的 地 に 明 か り が 灯 っ
す。
き先を知らされ、確かに歩
じょうど
ていれば、私の行き先が知らされ、歩みを導くはたらき
お浄土の光により、不安
の中で歩みを進める私の人
となるのです。
し
生が、光に導かれて私の行
ねんぶつもう
か
☆★☆★☆★☆★
しん ら ん し ょ う に ん
ふ
んでいくことができるので
あん
ぶつ
親鸞聖人は、お念仏申す私の人生の行き先を、こう示
されます。
しんぶつど
「つつしんで真仏土を案ずれば、仏はすなはちこれ不可思
美味しい冷やし中華をいただきました。
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