一 い 乗 寺 鶴 か 林 寺

は りま
ほうりゅうじ
加古川市
かこがわし
県内で最も古い木造建築がある
播磨の法隆寺
じ
はたのかわかつ
しゃかさんぞん
してんのう
まつ
歳の時 、秦 河 勝に仏 教 を 広めるため
か く り ん
鶴林寺
しょうとくたいし
聖徳太子が
してんのうじしょうりょういん
の道 場 をつくるよ うに命 じ 、釈 迦 三 尊 と 四 天 王 を 祀
へきが
る
「四天王寺聖霊院」
を建てたのが始まりとされてい
たいしどう
どろぼう
ます 。平 安 時 代の壁 画 がおさめられた 県で最 も 古い
かいしん
木 造 建 築 で あ る 国 宝「 太 子 堂 」
・
「 本 堂 」や 、泥 棒 が 盗
こわ
どうぞうしょうかんのんりつぞう
んで 壊 そ う と し た ら 声 が 聞 こ えてき た た め 改 心 し
た と 伝 えられている「 銅 造 聖 観 音 立 像 」( あいた た 観
鶴林寺を建てたほか、赤穂市坂越の
町を開いたともいわれ、大 避神社に
まつ
おおさけじんじゃ
は秦河勝が祀られています。
修正会鬼追い
ことう
こくほう さんじゅうとう
日本有数の古塔、
じ
国宝「三重塔」がある
い ち じ ょ う
一乗寺
こうとくてんのう
かさいし
加西 市
ほうどうせんにん
徳天皇の命で法道仙人により建てられ
6 5 0 年 、孝
た と い わ れ る お 寺 で す 。平 安 時 代 後 期 の 1 1 7 1 年 に
さいちょう
てんだいしゅう
くらい
しょうとくたいし
えが
建 て ら れ た 日 本 を 代 表 す る 古 塔 の一つ で あ る 三 重 塔 や 、
しょうとくたいしおよびてんだいこうそうぞう
最 澄 な ど 天 台 宗 で 位 の 高 かった 僧 と 聖 徳 太 子 が 描 か れ た
ほんどう
ごほうどう
みょうけんどう
べんてんどう
ごりんとう
「 聖 徳 太 子 及 天 台 高 僧 像 」が あ り 、三 重 塔 と と もに 国 宝 に 指
じゅうようぶんかざい
定 されていま す 。ま た 本 堂 、護 法 堂 、妙 見 堂 、弁 天 堂 、五 輪 塔
本堂
弁天堂
加西市坂本町821-17 ☎0790-48-2006
は国の重要文化財に指定されており、当時の豊かな仏教文化
年 が 良い年になるよ
い行いを正し、新しい
うに祈る法 要 が修 正
会 で す 。こ の 中 で 、鬼
た ち が 人 々の厄 を 払
う 伝 統 行 事「 鬼 追 い 」
が行われます。
加古川市加古川町北在家424 ☎079-454-7053
にふれることができます。
三重塔
正 月に前の年の悪
本堂
68
69
16
聖徳太子に仕えた飛鳥時代の人物。
音 )な ど の 文 化 財 が あ り 、播 磨 の 法 隆 寺 と も 呼 ば れ
秦河勝
三重塔
太子堂
ています。
鶴林寺ゆかりの人物
ひえいざん
じ
古くから人々が多く訪れる
西の比叡山
え ん ぎ ょ う
円教寺
しょうくうしょうにん
九 州 か ら 京 都へ向 かっていた 性 空 上 人 が 、
もんじゅぼさつ
いおり
文 殊 菩 薩 の お 告 げ に よって 966 年 に 庵 を
かざんほうおう
だいこうどう
こんりゅう
開 いた の が 始 ま り と さ れていま す 。そ の 後 、
花 山法皇が教えを受けに来山。大講堂を建立
し 、書 写 山 円 教 寺 と 名 付 け ま し た 。今 も 多 く
ひめじし
姫路市
姫路市
ら都の皇族や貴族から敬 われました。円教
ロケ地となった作品
寺を開いたあとも仏の道を進み、98歳でそ
しょうがい
きょうどう か い さ ん ど う
じ
こうらい
わきじ
建 て ま し た 。そ の 本 堂 を は じ め 、
城 主・榊 原 忠 次 が 現 在 の 本 堂 を
さかきばらただつぐ
て焼 かれてしまいました が 、姫 路
た 。1573年 に 別 所 長 治 によっ
べっしょ ながはる
基 が 増 位 山 山 上に移 築させまし
ますいやま
ら 始 ま る 古 刹 で 、天 平 年 間 に 行
こさつ
聖 徳 太 子 が 寺 を 建 て 、高 麗 の
えべん
僧・恵 便 を 住 ま わ せ た と こ ろ か
ず い が ん
随願寺
ぎょうき
じ
行基が大きく発展させた寺
聖徳太子が建て、
しょうとくたいし
ます。
もくぞうびしゃもんてんりゅうぞう
木 造 毘 沙 門 天 立 像 が 、国 の 重 要
1 0 0 0 年 、性 空 上 人 が 9 3 歳
の時にこの地に移り、庵を開
わ き じ ぶ つ
文化財に指定されています。
おど
ふ
やくしにょらい
すず
の小鬼が、鈴と
たいまつを持って踊ります。
の化身・空鬼と
動 明 王 の 化 身・青 鬼 、薬 師 如 来
どうみょうおう
す 。毘 沙 門 天 の 化 身・赤 鬼 、不
けしん
われていた 行 事 と されていま
を 祈 る 儀 式で 、平 安 時 代 か ら 行
いの
一年 の 厄 を 払 い 、作 物 の 豊 作
姫路市
軍師官兵衛の撮 影風景
じ き ど う じょうぎょうどう
はいでん
りました。法 華経を全て記憶し、徳の高さか
経堂、開山堂などの建物や脇侍の
写真提供:姫路フィルムコミッション
姫路市夢前町寺1051
☎079-335-0330
さつえい
の人 々の信 仰 を 集 め 、西 の比 叡 山 といわれて
じゅうようぶんかざい
ほんでん
うやま
名門貴族の家に生まれ、修行を重ね僧とな
くの映画やドラマで見ることができ
文化財に指定されています。
い た の が 始 まりとい わ れ る
やく
彌 勒仏、両 脇侍仏が国の重要
みろくぶつ
います。大 講 堂 、食堂 、常 行 堂その他 多くの建
物が国の重要文化財に指定されています。
1200年以上の歴史を持つ
くろだけ
じ ん じ ゃ
黒田家ゆかりの神社
ひ ろ み ね
廣峯神社
くろだ か ん べ え
733 年 に 中 国 か ら 帰 国 し
けんとうし
き び の ま き び
た遣 唐 使の吉 備 真 備によって建
しげたか
てられた 神 社です 。黒 田 官 兵 衛
の 祖 父 重 隆 は 、廣 峯 神 社 の お
礼 とともに黒 田 家に伝わる 秘
伝 の 目 薬 を 売って 財 を な し た
き そ
といわれ 、のちの 黒 田 家 発 展 の
ほうきょういんとう
基礎を築きました。本殿 、拝殿 、
やくびょうがみ
その 年 の 稲 が 豊 作 にな る よ う に 、
災いを も た ら す 害 虫 を 疫 病 神 と し
て神 社に閉 じ 込 め 、大 地に祈 りをさ
ぎしき
関わる 儀 式の中で最も重 要な行 事
さげる 儀 式 が 御田 植 祭です 。農 業に
と して 、1000年 以 上 前 か ら 今 に
つ
かけだ
かけこ
ほけきょう
円教寺の静かで神秘的な風景を、多
70
71
姫路市書写2968
☎079-266-3327
姫路市広嶺山52
☎079-288-4777
受け継 がれ、姫 路 市の無 形 民 俗 文 化
財に指定されています。
弥勒寺
み ろ く
駆込み女と駆出し男(映画)
ほか
性空上人が開いた円教寺の奥の院
軍師官兵衛(ドラマ)
●
性空上人
鬼追い
姫路市白国3-12-5
☎079-223-7187
ぐ ん し か ん べ え
●
の生涯を終えました。
ラストサムライ
(映画)
●
円教寺ゆかりの人物
円教寺
ロケ地ガイド
お に お
宝 篋 印 塔 が 国の重 要 文 化 財に
お た う え さい
お寺です。本 堂や、本 堂 内 の
16
指定されています。
御田植祭
じ ん じ ゃ
きょだい
以上もある巨大な石
ほうでん
一辺が6
お う し こ
たかさごし
ほうでんやま
ちゅうふく
え と
ています。
か
た
えが
ほんでん
じ ん じ ゃ
まつ
しそうし
宍粟市
むろまちじだい
月 に 翌 年の干 支 が
わざわ
じ ん じ ゃ
きのやまじょう
たつの市
られた 本 殿 が 国の重 要 文 化 財に指 定 され
菅 原 道 真 が 祀 られ 、1544年 に 建て 替 え
く られた 神 社です 。学 問の神 様 といわれる
南 北 朝 時 代 、城 山 城に災いをもた らす 方
角 を 守 る た めの寺 が 建て られ 、その中 につ
なんぼくちょう
て ん ま ん
天満神社
菅原道真が祀られている
すがわらのみちざね
学問の神様、
ています。
で あ る「 正 福 寺 桜 」が あ る こ と で も 知 ら れ
しょうふくじさくら
描 か れ る ジャンボ 絵 馬 や 、兵 庫 県 固 有の種
定 されていま す 。毎 年
殿は室 町 時 代
1527年に建てられた本
とくちょう
後 期の特 徴 がみられ、国の重 要 文 化 財に指
み
御形神社
え ま
干支の絵が描かれた
けず
宝殿山の中腹にある神社で、山
ジャンボ絵馬が有名
しんたい
を 削 り 出 し てつく ら れ た 巨 大 な
う
石 の ご 神 体「 石 の 宝 殿 」が あ り ま
す。水 面に浮いているように見え
うきいし
十七条の憲法をつくりました。
しせき
かんいじゅうにかい
12
ることから
「 浮石 」ともいわれ、国
助けて政治を行いました。身分や家柄でなく一人一人の才能を重視して、
の史跡に指定されています。
は延べ140人もの西国大名が訪れたといわれています。
けんぽう
高砂市
たいしちょう
太子町
シーボルトのスケッチ、歌川広重の浮世絵「播磨龍山」な
ど18種類以上の絵図が刊行されており、古くから多くの
「石の宝殿」がある
で ら
い ぼ ぐ ん
人の心をひきつけてきたことが分かります。江戸時代に
有能な人を役人にする冠 位十二階のしくみや、政治の決まりごとを定めた
生石神社
しょうとくたいし
聖徳太子によって建てられ、
い か る が
今も町の中心となっている寺
斑鳩寺
すいこてんのう
古天皇から揖保郡の水田を授
推
いかるがのしょう
かった 聖 徳 太 子 が 、この地 を「 鵤 荘 」と
名 付け、その中 心にお寺 を 建てたのが
始まりといわれています 。その後 鵤 荘
しょうえん
たり栄えました。
「日本三奇」の一つに数えられる巨石。ドイツの医学者
72
73
聖徳太子は飛鳥時代に生まれた皇 族で、自身は天皇にならず、推古天皇を
こうぞく
宍粟市一宮町森添280 ☎0790-74-0013
たつの市新宮町宮内 ☎0791-75-5450(埋蔵文化財センター)
石の宝殿
聖徳太子
斑鳩寺ゆかりの人物
古くから多くの人が訪れた
揖保郡太子町鵤709
☎079-276-0022
m
は、法 隆 寺の荘 園 として千 年 近 くにわ
三重塔
高砂市阿弥陀町生石171
☎079-447-1006
か め や ま
ほ
ん
はしば
あ が
と
く
亀山本徳寺
ひ め じ し
とよとみ
ひでよし
じ
今の姫路市英賀に 世紀
末 、蓮 如 上 人 に よって 開 か れ 、
かめやま
1580年 に 豊 臣( 羽 柴 )秀 吉 に
ほんどう
にしほんがんじ
しんせん
治 の 初 め に 本 堂 が 焼 失 し 、新 撰
よって 亀 山 に 移 さ れ ま し た 。明
ぐみとんしょ
組 屯 所 だった 京 都 西 本 願 寺の集
会 所 が 移 さ れ ま し た 。NHK 大
河 ド ラマ「 新 撰 組 !」「 軍 師 官 兵
じ
衛」
のロケ地にもなっています。
ほ う ら く
かみかわちょう
神河町
ひめじし
姫路市
お く さ ん
奥山寺
じ
かさいし
加西 市
ほんどう
道 仙 人 が開いたお
65 年に法
たほうとう
寺 で あ る といわ れ 、多 宝 塔 は 県 の
かえで
に登る階段の両脇には楓の木があ
り 、秋 に な る と 市 内一の 呼 び 声 も
りょうわき
文 化 財 に 指 定 されていま す 。本 堂
ほうどうせんにん
姫路市亀山324 ☎079-235-0242
ぼ
っ
け
じ
高い紅葉をみることができます。
る
❷
ひ
よ
し
じ ん じ ゃ
日吉神社
さず
お よ そ 1300 年 前 に 、
おうみ
ひよしじんじゃ
近 江の日 吉 神 社 から神の
さる
み た ま を 授 かって 建て られ
みざる
いわざる
た 神 社 で す 。神 の 使 いは 猿
ちょうこく
で、本殿には、「眼猿」「口 猿」
きかざる
さんどう
とりい
「 耳 猿 」の 彫 刻 が あ り ま す 。
参道にある鳥居が県の文化
じ
加西 市
神河町
ふるぼっけしぜんこうえん
家八代のお墓があります。
まつ
あ
え
じ ん じ ゃ
おお
うわつつのおのみこと
へきめん
はりまちょう
播磨町
ひわだぶき
おきながたらしひめのみこと
壁面に彫られた
5体の仏様
が あります 。
に彫 られた4体の地 蔵
へ 向 か う と 、同 じ く 岩
す 。そ こ か ら 川 の 上 流
ことが記されていま
に 彫 ら れ た もので あ る
た 仏 像 で 、1 3 5 3 年
揖 保 川 に 沿って そ び
かべ
え 立つ 岩 の 壁 に 彫 ら れ
はしさき ま が い ぶつ
觜崎磨崖仏
たつの市
中 筒 男 命 、表 筒 男 命 、息 長 帯 姫 命
なかつつのおのみこと
て ら れ て お り 、そ れ ぞ れ 底 筒 男 命 、
そこつつのおのみこと
社 で す 。4つ の 社 は 全 て 西 向 き に 建
し た 社 が 4つ 並 ん で い る 珍 し い 神
やしろ
檜 の 皮 で 屋 根 を 覆っ た 檜 皮 葺 と
い わ れ る 作 り が み ら れ 、同 じ 形 を
ひのき
阿閇神社
「神の使い」猿が
いる!
を 祀って い ま す 。
されていま す 。ま た 境 内 には 池 田
貴 重 な 建 物で、県の文 化 財に指 定
です 。本 堂 と 山 門は茅 葺き 屋 根の
かやぶ
供 養 す る お 寺 )と して 建てた 寺 院
1665年に初代福本藩主であ
いけだまさなお
ぼ だ い じ
れい
る 池 田 政 直 が 菩 提 寺( 先 祖の霊 を
徹心寺
て っ し ん
財に指定されています。
加西 市
ほ
法 華 自 然 公 園 内に
古
ある古法華寺には、およ
そ 1300 年 前 に 彫 ら
せきぞううきぼりにょらい
れた 日 本 最 古の石 仏 と
及両脇侍像」
がおさめら
およびりょうわきじぞう
さ れ る「 石 造 浮 彫 如 来
むさし
れています。またNHK
なっています。
ASHI」
のロケ 地にも
❺
❼
加西市池上町7
☎0790-45-1616
❶
❽
法楽寺
ばんしゅういぬでら
州 犬 寺 」と もいわれる 法 楽 寺
「 播
あ す か じ だ い
は 、飛 鳥 時 代 に 当 地 に 住 ん で い た
まいぶ
とむら
枚 夫という 有 力 者 が、飼っていた2
ひき
匹の忠 犬 を 弔 う た めに 建 立 し た と
いわれる 寺 院です 。本 堂 、春日 社 が
ふ
古法華寺
加古郡播磨町本荘4-11-21 ☎079-435-2918
❷
❸
❻
❽
❹
❹
❸
❼
同じ形の
4つのお社!
74
75
大河ドラマ
「武蔵 MUS
加西市西長町1096
❶
1
茅葺きの
屋根がある!
15
県の文化財に指定されています。
神崎郡神河町中村1048 ☎0790-32-0164
新撰組の
刀傷がみられる!
日本最古の
石仏がある!
神崎郡神河町福本402 ☎0790-32-0161
❻
加西市国正町15
❺
市内一の
紅葉の名所!
犬伝説が
伝わるお寺!
つ
や
ま
むか
た い さ い
み
つ
全国から訪れる神様を迎えるための
と
美しい山が作られる
ひ
や
ま
ひめじし
姫路市
た い さ い
一ツ山大祭・三ツ山大祭
ふじわらのすみとも
おに
すこ
じゃき
いの
に
お
とうこうじ
いなみちょう
か こ が わ
こうおん
うすきはちまんじんじゃ
はちようじ
稲美町
福崎町
はら
鬼たちによって災いや邪気を払い
お
かくりんじ
ひ め じ し
ずいがんじ
じんしゃくじ
加西 市
人々の健やかな暮らしを祈る
鬼追い
鬼 追 いは 、さ ま ざ ま な 災
あくりょう
いや 悪 霊 を 鬼 た ちによって
せ と な い か い
戸内海で起こった藤原純友の乱が静まる
一ツ山大祭・三ツ山大祭は、瀬
よう 願いをささげたことから始まったといわれ、播 磨をはじめ全 国の神
かざ
払 う 行 事 で す 。ここで 登 場
ぞうか
様 を 播 磨 国 総 社に 招 き 、総 社の神 様 と と もに 国の平 安 と 発 展 を 祈 る 祭
す る 鬼 と は 、昔 話 に 出 て く
るような悪さをするもので
はりまのくにそうしゃ
りです 。祭 りでは、人 形 や 造 花 などで美 し く 飾 られた 高 さ 約 mにもな
は な く 、仏 様 が 姿 を 変 え た
じ
えんぎょうじ
ことができます。
福崎町の神積寺などで見る
ふくさきちょう
円 教 寺 、随 願 寺 、八 葉 寺 、
寺、姫路市の魚吹八幡神社、
市 の 鶴 林 寺 、稲 美 町 の 高 薗
し
す。加西市の東光寺、加古川
か さ い し
の 健 や か な 暮 らし を 祈 り ま
る こ と で 邪 気 を 払 い 、人 々
を もって 踊 り 、激 し く 暴 れ
おど
鬼 た ち が 松 明 や 鉾 、槌 な ど
つち
る「 山 」が作られ、これが神 様を迎えるための場 所となります。山を作る
い せ
ほこ
ための見本をひな型といい、国の重要文化財に指定されています。
一ツ山
の で 、豊 作 や 厄 ば ら い な ど を 願って 全
むろまちじだい
国 各 地 で 行 わ れて き ま し た 。も と も と
たいまつ
も の と 考 え ら れていま す 。
年 に一度で 、臨 時 祭 と して 三ツ山 大 祭 が
りんじさい
年 に一
大 祭 が 行 わ れ る のは
やく
い
獅 子 舞 は 、獅 子 の 面 を か ぶった 踊 り
たいこ
ねいろ
手 が 笛 や 太 鼓 の 音 色 に 合 わ せて 踊 る も
度 行われます。
一ツ山 、三ツ山 祭とも、県の無 形 民 俗 文 化 財に指 定されて
います。
わざわ
か
災いや厄を
し し
ま
う
は室 町 時 代に伊 勢の国( 現 在の三 重 県 )
いちかわちょう
市川町
❷
県指定無形民俗文化財
追い払う
し
獅子の一噛み
し
獅子舞
で 飢 え や 病 を 追い払 う た め に 獅 子 の 頭
をかざり、正月にそれをかぶって舞いを
踊った こ と に 由 来 す る といわ れていま
あこうし
赤穂市
たつの市
❸ ❶
国指定重要無形民俗文化財
加西市上万願寺町392
県指定無形民俗文化財
す。その後 全 国に広まり、こどもの手 足
姫路市
姫路市
とうこうじおにえ
加古郡稲美町野寺851
☎079-495-0027
県指定無形民俗文化財
部を紹介
神崎郡福崎町東田原1905
☎0790-22-0339
あまじ
❹ 甘地の獅子舞
❺ 赤穂八幡宮獅子舞
播磨の獅
子舞
ほんの一
❶
東光寺鬼会
あこうはちまんぐう
や 頭 を 噛 むと 災いや 病 払いになる とも
いわれるようになりました。
姫路市
おおしおてんまんぐう
❷
高薗寺鬼追式
なぎはちまんじんじゃしんじ
16
20
76
77
❶ 大塩天満宮獅子舞
❸
神積寺鬼追い
❻ 梛八幡神社神事獅子舞
県指定無形民俗文化財
県指定無形民俗文化財
❹
❻
❷
❶
❺
❸
いぬかい
まうら
❷ 犬飼獅子舞い
❸ 真浦の獅子舞
姫路市総社本町190 ☎079-224-1111
県指定無形民俗文化財
60
神様が宿る存在として、
ね
て
ん
ま
ん
ぐ
う
ひ
と
つ
「一ツ物」と呼ばれる子どもが登場
そ
も
の
ん
高砂市
し
曽根天満宮一ツ物神事
じ
なだ
みこし
勇ましく神輿をぶつけあう
灘のけんか祭り
ま
つ
ば
ら
は
ち
ま
ん
じ
ん
じ
ゃ
し
ゅ
う
き
姫路市
れ
い
た
い
さ
松原八幡神社秋季例大祭
やたい
い
松 原 八 幡 神 社で 行 われる 秋 季 例 大 祭では 、豪 華 な 屋 台の美 しさ を 競
ね
みこし
い合 う「 練り合わせ」と、神 輿を打ち合わせる神 事 が行われます。その神
ごうか
「一ツ物 神 事 」と 呼 ばれる 行 事 が 行わ
曽 根 天 満 宮では、秋 祭りのときに
れま す 。
一ツ物 と は 、祭 りのと きに 登 場 す る 特 別 な 衣 装 を 着 た 子 ど もの
め が
輿を激しくぶつけ合うことから
「灘のけんか祭り」
とも呼ばれます。これ
ご い な お と
じんぐうこうごう
こ と 。祭 りの間はこの一ツ物に神 様 が 宿 ると 考 えられ、
一ツ物の話 すこ と
は神功皇后が九州からの帰途妻鹿の港に立ち寄り、船についたごいなと
ゆいいつ
を神様の言葉として受け取っていました。万が一のことがあっても他に変
で、「 碁 似 名 落し」神 事と呼 ばれ古 くから行われています。掛け声ととも
い う 小 貝 を 船 と 船 を 寄 せ 合 わ せ て か き 落 と し た とい う 故 事 に よ る も の
りといわれています。県の無形民俗文化財に指定されています。
姫路市白浜町甲396 ☎079-245-0413
に神輿がぶつかる姿は勇ましく、全国のけんか祭りの中でも最大級の祭
か
時には地面に足をつけないように馬や人の背に乗せられるなど、大切に
えるこ とのできない唯一のもの、という 意 味 か ら一ツ物 と 呼 ばれ、祭 りの
あつか
扱われます。県の無形民俗文化財に指定されています。
は り ま
播磨の歴史
高砂市曽根町2286-1 ☎079-447-0645
78