中貝市長の徒然日記(P8~9)(PDF文書)

待
で
き
ま
す
。
ラ
ッ
ク
に
比
べ
、
良
い
記
録
が
期
す
く
な
っ
た
他
、
従
前
の
土
の
ト
し
、
雨
天
時
で
も
競
技
が
行
い
や
に
ゴ
ム
チ
ッ
プ
ウ
レ
タ
ン
を
舗
装
を
行
い
ま
し
た
。
走
り
高
跳
び
、
や
り
投
げ
の
競
技
1
5
0
0
m
走
、
5
0
0
0
m
走
、
し
、
1
0
0
m
走
、
8
0
0
m
走
、
生
、
高
校
生
、
社
会
人
が
参
加
▲30mの試走式(左から椿野市議会議長、中
貝市長、玄武岩の玄さん)
▲新しくなった全天候型の陸上競技場
本
市
の
素
晴
ら
し
さ
を
伝
え
ま
す
。
と
愛
着
を
深
め
、
世
界
の
人
々
へ
映
像
は
、
住
む
人
が
地
域
に
誇
り
見
る
人
を
引
き
込
み
ま
す
。
こ
の
優
雅
で
流
れ
る
よ
う
な
映
像
は
、
ケ
ッ
チ
を
す
る
よ
う
に
撮
影
さ
れ
、
家
の
藤
原
次
郎
さ
ん
。
ま
る
で
ス
撮
影
は
、
但
馬
出
身
の
映
像
作
チ
﹂
が
完
成
し
ま
し
た
。
地
域
を
撮
影
し
た
﹁
豊
岡
ス
ケ
ッ
域
ご
と
に
制
作
し
、
今
回
、
豊
岡
ス
ケ
ッ
チ
﹂
。
平
成
23
年
か
ら
地
詰
ま
っ
た
風
景
映
像
﹁
ふ
る
さ
と
四
季
折
々
の
風
景
や
出
来
事
が
策
定
委
員
会
6
日
・
豊
岡
市
障
害
者
福
祉
計
画
ア
ル
オ
ー
プ
ン
事
業
開
催
4
3
1
日
日
日
・
・
・
・
﹁
29 市 ン 第 イ 一
陸日議グ
2 ノ般
上︶会﹂回ベ社
選
ー
競
定手職シ団
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例権
︵場ン人
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﹂
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リ
岡
会日﹁
ニ
観
︵
歩
ュ
光
∼︶キ
ー
新
し
い
競
技
場
は
、
ト
ラ
ッ
ク
て
行
っ
た
記
録
会
で
は
、
小
学
∼
自
然
や
風
風土
景を
映映
像
像
﹁に
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る
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し
ま
し
た
。
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ー
と
市
民
陸
上
記
録
会
を
開
催
の
完
成
を
祝
い
、
記
念
セ
レ
モ
さ
ん
が
、
30
m
を
試
走
。
続
い
野
市
議
会
議
長
、
玄
武
岩
の
玄
カ
ッ
ト
の
後
、
中
貝
市
長
、
椿
族
に
寄
り
添
う
気
持
ち
を
大
切
に
齢
の
方
ま
で
、
患
者
さ
ん
や
ご
家
︻
6
月
︼会
推
進
懇
話
会
30
日
・
豊
岡
市
男
女
共
同
参
画
社
27
日
・
豊
岡
市
総
合
教
育
会
議
視
察
の
た
め
来
訪
乳
幼
児
の
お
子
さ
ん
か
ら
ご
高
日
、
新
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く
な
っ
た
陸
上
競
技
場
ル
オ
ー
プ
ン
し
ま
し
た
。
6
月
4
﹁
陸
上
競
技
場
﹂
が
、
全
天
候
型
陸
・イ
禮エ講
山サン式
郡グン
︵
韓
国
︶
の
郡
守
ら
・
豊
岡
稽
古
堂
塾
第
3
期
開
定
委
員
会
﹁∼
陸但
上馬
初
競の
技全
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﹂候
リ
ニ型
ュ陸
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ン
事
業
開
催
豊
岡
総
合
ス
ポ
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セ
ン
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ー
ま盟 で
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レ 。公 記 た
認 録 、
モ
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ニ
録 、 真
ー
と 日 判
で
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は
て 陸 装
、
認 上 置
テ
定 競 の
ー
さ 技 導
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プ
わ
っ
て
ま
い
り
ま
し
た
。
や
緩
和
医
療
、
訪
問
診
療
に
も
携
高橋診療所長
太田秀明
コ
ウ
ノ
ト
リ
野
生
復
帰
を
上
競
技
場
と
し
て
、
リ
ニ
ュ
ー
ア
小
児
科
を
は
じ
め
、
高
齢
者
医
療
大
学
や
病
院
に
勤
務
し
、
専
門
の
で
す
。
こ
れ
ま
で
は
大
阪
府
内
の
ま
し
た
。
豊
岡
市
城
南
町
の
出
身
療
所
に
勤
務
い
た
す
こ
と
に
な
り
い
い
た
し
ま
太 す
田 。
秀
明
存
で
す
。
ど
う
ぞ
よ
ろ
し
き
る
よ
う
、
精
一
杯
努
力
26
日
・
豊
岡
市
地
域
福
祉
計
画
策
∼
6
月
高1
橋日
診か
ら
療U
所タ
長ー
ン
勤
くす 貢 し 太
務
おる 献 て
願所 で 、 田∼
ッ
チ
﹂
完
成
▲「豊岡スケッチ」の映像
※市ホームページ(豊岡市ムービーラ
イブラリー)から閲覧できます。
7
日
・
京第
都 12
︶回
水
害
サ
ミ
ッ
ト
︵
東
25 19
日日
・・
6 ﹁豊
﹂チ
岡
参ャ市
加レ行
ン
ジ政
デ改
ー革
2 委
0 員
1 会
ン
検
討
会
議
18
日
・
豊
岡
市
図
書
館
未
来
プ
ラ
遣
︵
∼
26
日
︶
難
所
運
営
業
務
に
職
員
派
こ
の
た
び
、
縁
あ
っ
て
高
橋
診
但
東
地
域
の
地
域
医
療
に
秀
明
さ
ん
就
任
︻
17 5
日月
・
平︼
成
28
年
熊
本
地
震
の
避
∼
主
な
市
政
の
動
き
∼
広報とよおか 2016(平成28)
年7月号 8
事
業
モ
デ
ル
校
の
三
方
小
学
校
で
コ
ミ
ュ
ニ
ケ
ー
シ
ョ
ン
教
育
推
進
目
指
し
ま
す
。
習
プ
ロ
グ
ラ
ム
と
し
て
の
実
施
を
で
日
本
語
を
学
ぶ
7
人
の
学
生
が
、
し
、
大
学
の
単
位
取
得
可
能
な
学
与
の
平
田
オ
リ
ザ
さ
ん
。
同
大
学
呂
博
子
さ
ん
と
本
市
芸
術
文
化
参
他
の
海
外
の
大
学
に
も
参
加
を
促
し
ま
し
た
。
今
後
、
こ
の
事
業
は
、
講
師
は
、
同
大
学
准
教
授
の
野
シ
ョ
ン
講
座
﹂
を
開
催
し
ま
し
た
。
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﹁
ィ ド学
生
ラと
日 マ
本 テの
語 ィ国
際
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で
、
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ク
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リ
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大
学
で
、
城
崎
国
際
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ー
ト
セ
ン
タ
ー
創
作
し
、
最
終
日
に
成
果
を
発
表
素
を
ド
ラ
マ
化
し
た
日
本
語
劇
を
中
に
気
付
い
た
日
本
の
文
化
的
要
城
崎
温
泉
の
旅
館
で
の
就
業
体
験
を
小
学
生
と
一
緒
に
受
け
た
り
、
ど
を
行
い
ま
し
た
。
ま
た
、
滞
在
や
市
内
各
所
で
ホ
ー
ム
ス
テ
イ
な
5
月
25
日
か
ら
6
月
5
日
ま
国
際
コ
ミ
ュ
ニ
ケ
ー
シ
ョ
ン
教
育
▲滞在中に気付いた日本の文化的要素を日本語劇
で発表するビクトリア大学生ら
そ
の
際
に
、
豊
岡
の
人
た
ち
が
あ
9 友
あ
り
遠
方
よ
り
来
る
、
で
す
。
の
は
残
念
な
こ
と
で
し
た
。
で
も
ま
で
飛
ん
で
い
っ
た
鳥
が
死
ん
だ
と
を
喜
び
た
い
と
思
い
ま
す
﹂
。
韓
国
の
鳥
が
日
本
ま
で
飛
ん
だ
こ
を
﹁
生
き
も
の
共
生
の
日
﹂
と
い
う
同
団
は
、
県
立
コ
ウ
ノ
ト
リ
の
ん
学
ん
で
ほ
し
い
﹂
と
エ
ー
ル
を
締
結
し
て
い
ま
す
。
こ
と
を
教
え
て
く
れ
る
。
た
く
さ
帰
に
関
す
る
友
好
交
流
合
意
﹂
を
成
25
年
に
﹁
コ
ウ
ノ
ト
リ
野
生
復
し
ま
し
た
。
本
市
と
禮
山
郡
は
、
平
を
は
じ
め
と
す
る
視
察
団
が
来
訪
南ナ
ムリ
道ドの
禮イ
エ野
山サ
ン生
郡グ
ン復
か 帰
ら に
、 取
黄
り
全ソ
ン組
奉ボ
ンむ
郡 忠
守 清
は
﹁
コ
ウ
ノ
ト
リ
は
、
さ
ま
ざ
ま
な
学
ぶ
こ
と
が
多
い
﹂
と
話
し
、
市
長
会
談
で
、
黄
郡
守
は
﹁
豊
岡
か
ら
は
、
舎
で
中
貝
市
長
と
会
談
し
ま
し
た
。
の
取
組
み
を
視
察
。
そ
の
後
、
本
庁
フ
ァ
ン
チ
ュ
ン
チ
ョ
ン
戸
島
湿
地
で
、
湿
地
生
態
系
保
全
と
も
45
年
ぶ
り
の
快
挙
で
す
。
野
外
で
の
ひ
な
誕
生
は
、
少
な
く
上
絶
滅
し
た
と
さ
れ
て
い
ま
す
。
ア
の
オ
ス
が
撃
ち
殺
さ
れ
て
事
実
韓
国
で
は
、
1
9
7
1
年
に
ペ
見
る
限
り
、
あ
の
鳥
は
本
能
的
に
中
貝
﹁
G
P
S
で
飛
行
経
路
を
と
の
情
報
が
入
っ
て
き
ま
し
た
。
巻
き
込
ま
れ
て
死
亡
し
た
よ
う
だ
島
の
空
港
で
飛
行
機
の
乱
気
流
に
誕
生
し
ま
し
た
。
お
願
い
し
ま
し
た
。
残
念
な
が
ら
、
年
の
5
月
20
日
、
2
羽
の
ひ
な
が
1
組
の
カ
ッ
プ
ル
が
で
き
て
、
今
さ
れ
た
8
羽
の
コ
ウ
ノ
ト
リ
か
ら
て
行
方
を
捜
し
て
い
た
だ
く
よ
う
興
奮
し
、
島
の
町
当
局
に
連
絡
し
き
ま
し
た
。
ぼ
く
た
ち
は
色
め
き
、
昨
年
韓
国
イ
エ
サ
ン
郡
で
放
鳥
飛
来
し
た
、
と
の
情
報
が
入
っ
て
∼
韓
国
か
ら
コ
ウ
ノ
ト
リ
リ野
初生
復
放帰
鳥を
の視
地察
﹁∼
5
月 26 韓
日 国
、
韓 の
国
で コ
コ ウ
ウ ノ
ノ
ト ト
条
約
湿
地
で
あ
る
ハ
チ
ゴ
ロ
ウ
の
▲コウノトリ文化館を視察する黄郡守(左から
3人目)
ら
中
国
の
越
冬
地
を
目
指
し
て
飛
び
5
月
26
日
、
イ
エ
サ
ン
郡
の
記
念
日
に
し
て
い
ま
す
。
送
り
ま
し
た
。
コ
ウ
ノ
ト
リ
が
つ
立
ち
、
折
か
ら
の
強
風
で
東
に
流
広報とよおか 2016
(平成28)
年7月号
フ
ァ
ン
郡
守
が
市
役
所
に
お
越
し
な
ぐ
日
韓
の
架
け
橋
は
、
こ
れ
か
まめ 沖そ の んて がび ま 気さ
フ すな 永れ 中 だあ 沖続 せ がれ
ァ ﹂
。い 良が で のの 永け ん しな
で 部せ 死 で鳥 良、 。 まが
ン
﹁
く のめ ん はは 部や 迷 すら
私
だ 人て だ な、 でっ い 。飛
も
さ 々も の く絶 しと に 途び
、
い にの だ 、望 た見 迷 中続
悲
と はこ と 生の 。つ い にけ
し
話 自と 思 きう しけ な 島た
む
し らで い るち たた が はよ
よ
て をし ま 希に が陸 ら あう
い 責た す 望死 っ地 飛 りな
り
。 。
羽
は
、
コ
ウ
ノ
ト
リ
の
郷
公
園
か
に
な
り
、
ひ
な
誕
生
の
報
告
を
い
ら
も
広
が
り
続
け
ま
す
。
5
月
20
日
は
、
日
本
の
野
外
で
ら
韓
国
に
贈
ら
れ
た
鳥
で
し
た
。
た
だ
き
ま
し
た
。
ひ
な
が
生
ま
れ
郷
公
園
や
コ
ウ
ノ
ト
リ
文
化
館
43
年
ぶ
り
に
ひ
な
が
か
え
っ
た
の
こ
ん
な
会
話
も
あ
り
ま
し
た
。
た
カ
ッ
プ
ル
の
親
鳥
︵
ひ
な
の
ジ
化
日で
本国
語際
コ交
ミ流
ュ∼
ニ
ケ
ー
シ
ョ
ン
講
座
﹂
開
催
で
、
コ
ウ
ノ
ト
リ
の
保
護
増
殖
の
と
同
じ
日
で
す
。
豊
岡
は
そ
の
日
フ
ァ
ン
郡
守
﹁
韓
国
か
ら
日
本
イ
ジ
と
バ
ア
バ
︶
4
羽
の
う
ち
3
﹁∼
ビ
ドク
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マリ
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ッ学
クの
コ学
ミ生
ュが
ニ芸
テ術
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説
明
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受
け
た
他
、
ラ
ム
サ
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ル
忠
清
南
道
禮
山
郡
﹂
の
郡
守
来
訪
祝
ひ
な
誕
生
!
104
昨
年
11
月
26
日
、
沖
永
良
部
島
に
韓
国
で
放
鳥
さ
れ
た
1
羽
が
、
い
た
こ
と
に
感
謝
し
て
い
ま
す
﹂
。
ち
こ
ち
連
絡
し
て
捜
し
て
い
た
だ