■63ーロクサンー前・後篇■ 1年のうちで唯一祝日がない月、6月。その水無月3日金曜日に、定通体連日勝支部大 会が今年も帯広市の総合体育館で開かれた。 5月の北海道は気象情報で何度も「観測史上初」という言葉が聞かれたほど暑い日の多 かった月だが、6月に入ると途端に寒さがぶり返し、ストーブを点けなければ肌寒いほど の日が続いていた。早朝7時に町のマイクロバスと公用車の計3台に分乗して帯広へと向 かった。愚輩は日高高校 OB 事務職員の運転する公用車に配属となった。同乗者は、地歴 公民科教諭と国語科教諭、家庭科教諭、3年栗山富士男子、2年地元日高女子、2年中央 区女子である。 「シンちゃん、夏休みの練習はどうするのよ?」 帯広市内が近づいてきた頃、卓球部顧問である国語科教諭が3年栗山富士男子に話しか けた。 「あー、全国大会に行くことになったらッスか?」 「ああ」 3年栗山富士男子は昨年あと1勝で全国大会の切符を手にするところまでいったのだ。 もし今年全国大会へ出場できることになったら、夏休み中は寮が閉鎖されることから地元 の栗山町に戻らなければならず、練習方法を工夫する必要に迫られる。 「栗山町で練習するしかないッスよね」 「栗山高校に頼んで練習に加えてもらうか?それとも、オレが栗山まで出かけていって練 習するか?」 「そうッスね……」 「ま、もう少し後でゆっくり考えよう」 「まだ時間あるッスからね」 二人がきわめて夢のある会話をしている間に公用車は会場へと到着した。 「あああ……、緊張してきた」 3年栗山富士男子が公用車から降りて会場の体育館を見詰めながら呟く。 時刻はまだ午前9時前。開会式までには十分時間があるため、早速、国語科教諭と二人 でウォーミングアップへと向かっていった。 昨年と同じ観覧席の一角に控え場所を確保し、関係者の方々に挨拶をしていると開会式 をはじめるので選手は整列するようアナウンスがあった。お役目から愚輩は前方の来賓席 に座ったのだが、品格欠如を自覚する愚輩にとって上座というのはどうにも座り心地のよ くないものだ。そうした愚輩の気持ちが伝播したのか、大会長挨拶、優勝杯の返還と順調 に進んでいた開会式で一寸したハプニングが起きた。 「選手宣誓。選手代表、日高高校3年秋田男子くん」 「宣誓!われわれ選手一同は……」 そこで3年秋田男子の台詞がぴたりと止まった。 緊張のあまり、憶えていた台詞を忘れてしまったの だ。目が空中を泳ぎ、必至に台詞を思い出そうと焦 るが、こうした時焦れば焦るほど、頭の中は真っ白 になるものだ。愚輩はちょうど3年秋田男子の正面に座っていたので、緊張を和らげるた め志村けんの顔真似でもしてやろうかと思ったが、逆に笑いすぎて台詞が言えなくなるか もしれないと考え、実行を思いとどまった。 永遠に続くかと思われた沈黙が5秒ほどあった後、3年秋田男子の顔に輝きが差した。 ようやく思い出したのだ。 「……応援してくれる方々に感動を与えられるよう精一杯プレーすることを誓います」 ようやく言い終えた3年秋田男子に、開会式に参加していた全員がホッとしたにちがい ない。愚輩も安堵のあまり、その場で美川憲一に変身して、 「一寸アンタ、心配したけどよかったわよ。フン。よく台詞を思いだしたものね」 と云ってやりたくなった。 開会式後は、選手ではない生徒達を中心とした綱引き交流戦が行われた。 日高高校はこの種目昨年3位である。今年は、着任した教頭先生が体育教師だったこと もあり、前日の練習において秘策を伝授されていた。 「兎に角、へそを上に向けて引っ張れと指導したんですよ」 成程、さすがにプロの指導はポイントを押さえて判りやすい。この調子で聞いたら、健 康器具でも買わされそうな気がしたほどだ。 適切な助言の甲斐あってか、日高高校綱引き部隊は順調に勝ち上がり決勝戦に進出した。 昔オリンピック種目でもあった綱引きは、人生を象徴する競技でもある。 相手の勢いがまさる時にはじっと耐え忍び、ここが勝負という時には一気呵成に攻めて いく。先行逃げ切りか、後半追い上げか、性格や生き方までもが戦略に反映されてくる。 決勝戦では一進一退の攻防が続くかと思いきや、ズルズルと相手側に引き込まれだすと 途端に戦意喪失する反体制分子が現れた。ピンクのスウェットに身を包んだ桃レンジャー ・3年兵庫女子など、片方の引き手を完全に綱から放し、殆ど力を抜いている。 「いやーん♥」 こんな時に乙女心を発揮してどうするというのか。あきらめの早さが今後の進路指導に マイナス おいて、 負 面に働かないことを願うばかりだ。 交流戦の綱引きを終えると、バスケットボール、バドミントン、卓球が各コートに分か れて開始された。それぞれの競技が進む中で、ひっくり返るようなニュースが飛び込んで きた。卓球の優勝候補と目されていた3年栗山富士男子が、初戦に敗れたというのだ。し かも1セットも取ることができずにストレート負けだという。 何があったのか。すぐに会場の第2体育館へ様子をうかがいに行くと、3年栗山富士男 子は頭からタオルをかぶって、まるで世界タイトルマッチで敗れたボクサーのように俯い て座っていた。 「初戦、負けたんですって?」 傍にいた顧問の国語科教諭に声をかけた。 「そうなんですよ。緊張して固くなったのか、いつもの動きが全然できなくて……」 「―――」 「でも、次、勝てばまだチャンスはあるンで大丈夫かとは思うんですよね」 「そう」 「気持ちを切り替えさせて、頑張らせます」 「うん」 そんな会話の横で当事者の3年栗山富士男子は、はあ~と大きなため息をついた。 想定外の敗戦というのは、いつでも大きなショックを伴うものだ。だが、それが事実な ら結果を正しく受け入れるしかない。 3年栗山富士男子の2戦目が始まった。素人目には落ち着いているように見えるが果た してどうなのか。顧問の国語科教諭は、腕を組んで唇を固く結んでいる。 何度かの打ち合いの後、相手側に立て続けにポイントを奪われた。完全に相手側のペー スである。次第に相手側の攻めに押されつつ、自らのミスによる失点も増えてきた。 (ここが踏ん張り時だ。耐えてチャンスを窺え) 愚輩の心の応援が届いたのか、3年栗山富士男子はポイントを挽回し接戦に持ち込む。 「§æõ♯ Æ £―――!!!!」 ポイントを取る度に、ガッツポーズで雄叫びを上げる。福原選手の「サーッ!」みたい なものだが、愚輩には一体何と云っているのか聞き取れない。隣で応援していた3年山梨 男子に聞いてみた。 「おい、ポイントを取る度にアイツ何て云っているンだ?」 「オレも良く分かんないけど、『天気予報』って云ってるように聞こえる」 「天気予報!?そんなことは云ってないだろう」 「云ってないと思うけど、そう聞こえる」 3年山梨男子はてるてる坊主のような顔をして真顔で答えた。 この会話の直後、3年栗山富士男子は2連敗となった。どうにも気になったので後刻、 本人に聞いてみた。 「ねえ、3年栗山富士男子。キミがポイントを取る度に叫んでいるのは、一体何て云って いるの?」 「あー、『ラッキー、OH』ッスか?」 「ああ、『ラッキー、OH』って云ってるんだ」 「そうッスね」 「『天気予報』って云う奴はいる?」 「天気予報?なんッスか、それ。そんなこと云う奴いるわけないじゃないッスか」 「だよね」 そんな馬鹿なことがあるものかと思いつつも、いやひょっとしたらと3年山梨男子の言 葉の微かな可能性を捨てきれずにいた愚輩は正真正銘の阿呆だが、ピュアと言い換えるこ とも出来ないこともなくはない。 失意の卓球会場から再びメイン会場に戻ると、ちょうど2年栃木男子のバドミントンの 試合が始まるところだった。淡々としたペースだが、2年栃木男子は高い身長を生かして サーブ、スマッシュともに順調に得点を重ねる。あっという間にセットを奪い、あっとい う間に試合を終えた。 「おう、見てたよ。良かったね勝てて」 控え席に戻ってきた2年栃木男子に声をかけた。 「ありがとうございます。どうにか優勝できました」 「えっ!?今の試合、決勝戦だったの?」 「はい」 「あらあ。それはどうも失礼しました。決勝戦だとはつゆ知らず、緊張感のないまま応援 しちゃった」 「大丈夫です」 「ハハ……。でも優勝なんてすごいじゃない。あ、女子の試合はどうだったの?」 「2年中央区女子が準優勝です」 「お。それまたすごいね」 「でも、2年地元日高女子は全道出場決定戦に負けたので地区予選敗退です」 「そうなんだ……」 ふと見ると、2年地元日高女子はコートをじっと見詰めながら観覧席で昼食のおにぎり を食べている。涙が頬を伝い、おにぎりの味を一層塩辛くさせていた。 勝つも青春、負けるも青春。神様はそれぞれに応じた試練を与えてくれる。人の世では、 あれもこれも思いのままにはならぬものだ。 2年地元日高女子よ、いい勉強をしたな。 バスケットボールは、3チームによる巴戦が行われていた。日高高校は優勝すれば4連 覇となる。 初戦に勝利した後、2戦目は控え選手を含め全選手が出場するという総力戦であったが、 このことが逆にチームの結束力を一段と高めた。試合に出てくる控え選手が軒並み活躍し たのだ。取り分け2年埼玉男子の活躍には、ベンチ応援席ともに熱くなった。 自他共に認める「鉄ちゃん」である2年埼玉男子は、普段はどちらかというと温和しく 寮での生活もディズニー映画に出てくる「くまのプーさん」のような暮らしぶりである。 そのくまのプーさんが、シュートを連発したのだ。 「おおお。2年埼玉男子がシュートしたよ。すごいじゃない」 と親心のようにゆとりを持って感心していたのが、次第にシュートがはずれる度に 「があああああああっー!」 と歯ぎしりし、ついにはシュートが決まると 「うおぉー!!!!」 と津波のような歓声が巻き起こった。 周りの興奮を尻目に当の本人はポーカーフェイスのまま、まれに得点を決めた時に片唇 をニヤリと上げるから、まるで20世紀のハリウッド映画のヒーローである。 「イケメンに見えた……」 地歴公民科教諭が後に打ち明けたほどだ。 「あと20秒―――ッ!」 マネージャーとしてベンチに入っている3年愛知女 子が、長崎佐世保のジャパネット通販会社前社長のよ うな甲高い声で叫び、残り時間を告げる。 ピィー!!。突然、審判の笛が鳴った。えっ?まだ、試合終了ではないだろう。混乱した 愚輩は、隣で応援していた桃レンジャー・3年兵庫女子に聞いてみた。 「今の笛は、何?反則?」 すると3年兵庫女子は両方の掌を上に向け小首をすくめると、欧米人のように 「ワカンナ~イ」 と云った。 バスケットボールのルールは複雑である。3歩以上歩くなとか、24秒以内にシュート しなければならないだとか……計っているのか。いや、その、記録席ではちゃんとタイマ ー表示により計られているのだが、素人にはそこらあたりが「チッ」といった劣等感に近 い感情を抱かせるのだ。第一、いつからゴール下のエリア表示が台形から長方形に変わっ たのか。上底たす下底掛ける高さ割る2という極めて美しい数理的処理能力が、これでは 小学1年生で習う縦掛ける横という味も素っ気もない式で処理されてしまうではないか。 国際数学教育連盟(FIMA)という組織があるのだったら、ぜひとも抗議してもらいたいも のだ。 閉会式では、2年栃木男子が全身の関節を全く曲げることなく緊張した動きで表彰状を 受け取った。決勝戦の時の方が余程リラックスしていたほどだ。 結局。バスケットボールは4連覇を達成し、総合成績でも日高高校は2連覇となった。 だが、しかし。愚輩は、「勝つ」ことよりも「負ける」ことから生徒には多くのことを 学び取ってほしいと願う真っ当な教師の一人である。勝者の背後には必ず敗者がいる。本 気で全国大会全道大会を目指し、不運にもその夢を成し遂げられなかった者たちにとって、 勝者の戦い方は敗者の存在証明となる。少しでも手を抜いたり中途半端な戦いをしたなら ば、自分たちの負けた相手がそうした戦い方をすることを許さないだろう。顔に泥を塗ら れたといった気持ちにもなるだろう。 あの北海道定時制通信制体育連盟日勝支部予選会から、すでに2週間が経つ。 敗者となった3年栗山富士男子も2年地元日高女子も、日常生活ではすっかり元気を取 り戻している。だが、その元気のよさが微妙に変わった。 あつ 明るい顔で笑うその姿は同じでも、そこに 篤 い深みが加わった。 愚輩にはそう映って見える。
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