予想外の利下げに追い込まれた韓国経済

Jun 20, 2016
No.2016-028
伊藤忠経済研究所
Economic Monitor
主席研究員 武田
淳
03-3497-3676 [email protected]
予想外の利下げに追い込まれた韓国経済
中央銀行である韓国銀行は 6 月 9 日、1 年ぶりとなる利下げを実施した。この 1 年間、景気は輸
出の減少を主因に緩慢な足取りが続いていたが、ここにきて政策効果もあって持ち直していた個
人消費の回復力に懸念が生じており、住宅頼みの固定資産投資にも増勢に陰りが見え始めてい
る。朴政権は「産業改革」によって成長率を高め雇用の拡大を目指す方針であるが、総選挙の結
果、政権与党の国会議席は過半数を割り込み、政策運営は厳しさを増している。景気回復に向け
て、今後も金融政策に期待のかかる状況が続こう。
韓国銀行は 1 年ぶりに政策金利を引き下げ
6 月 9 日、韓国銀行(中央銀行)は、大方の予想に反して政策金利である7日物レポ金利を 1.50%から
1.25%へ引き下げた。利下げは 2015 年 6 月以来、1 年ぶりであり、政策金利は史上最低を更新した。以
下に述べる通り、低迷が続く景気に改善の兆しが見られないことに対応したものである。
足元の状況は言うまでもないが、韓国銀行が政策金利の引き下げを見送った 1 年間も、韓国経済は緩慢な
足取りが続いていた。実質 GDP 成長率は、
2014 年 10~12 月期に前年同期比で 3%を割り込み(+2.7%)
、
以降、3 四半期連続で 2%台に低迷、2015 年 10~12 月期に+3.1%へ持ち直したものの、2015 年通年の
成長率は前年比+2.6%にとどまった。さらに、2016 年 1~3 月期の実質 GDP も前年同期比+2.8%と 3%
を下回った。韓国の潜在成長率(実力ベースの成長率)は 2010 年以前の 4%前後から最近は 3%前後へ低
下 1したという試算が多いが、実際の成長率も実力の低下に伴って減速したことになる。
実質GDP成長率の推移(前年比、%)
10
個人消費
政府消費
固定資産投資
在庫投資
純輸出
実質GDP
実質GDP成長率の推移(前年同期比、%)
個人消費
在庫投資
6
8
5
6
4
政府消費
純輸出
固定資産投資
実質GDP
3
4
2
2
1
0
0
▲1
▲2
▲2
▲4
※統計上の誤差のため合計が一致しない年がある
▲6
2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015
( 出所) 韓国銀行
※統計上の誤差のため合計が
一致しないことがある
▲3
▲4
2011
2012
2013
2014
2015
2016
( 出所) 韓国銀行
輸出:中東・中南米向け自動車のほか中国向けが幅広く減少
成長鈍化の主因は、輸出の伸び悩みである。実質 GDP 成長率は、上記の通り、2014 年の前年比+3.3%
から 2015 年は+2.6%へ鈍化、最近の動きに限れば 2015 年 10~12 月期の前年同期比+3.1%から 2016
年 1~3 月期は+2.8%へ減速したが、主な需要の動向を見ると、個人消費(2014 年+1.7%→2015 年+
韓国の潜在成長率について、韓国銀行は 2015~18 年に 3.0~3.2%へ低下したと試算した。また、LG 経済研究院は 2010~2014
年の平均で 3.6%、2015~19 年の平均で 2.5%と、韓国経済研究院(民間)は 2011~15 年の平均で 3.2%、2016~20 年平均を
2.7%と、それぞれ試算している。なお、韓国経済研究院によると、2000 年代初めの潜在成長率は 4.7%、後半は 3.9%であった。
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、伊藤忠経済研
究所が信頼できると判断した情報に基づき作成しておりますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告
なく変更されることがあります。記載内容は、伊藤忠商事ないしはその関連会社の投資方針と整合的であるとは限りません。
1
Economic Monitor
伊藤忠経済研究所
2.2%→2016 年 1~3 月期+2.2%)がやや持ち直し、固定資産投資(+3.4%→+3.8%→+3.0%)は比較
的堅調な拡大を維持したが、輸出(+2.0%→+0.8%→+0.7%)は明確に減速している。
財別の動向を輸出数量指数で見ると、全体の 13.0%(2015 年)を占める輸送用機器が 2014 年の前年比▲
0.2%から 2015 年は▲2.8%へマイナス幅が拡大、2016 年 1~3 月期には前年同期比▲8.7%へ落ち込みが
加速している。景気が低迷している中東や中南米向けの自動車輸出の減少が主因である。
輸出数量の財別動向(季節調整値、2010年=100)
180
170
160
合計
石油製品
化学製品
輸送用機器
電子電気機器
150
140
130
120
110
100
※最新期は4月単月
90
80
2010
2011
2012
2013
2014
2015
輸出金額の仕向地別動向(季節調整値、2009年Q1=100)
210
200
190
180
170
160
150
140
130
120
110
100
90
中国 含む香港
2010
2016
( 出所) 韓国銀行
※最新期は4~5月平均
2011
2012
中南米
北米
中東
2013
2014
2015
2016
( 出所) 韓国関税庁
また、仕向地別の輸出金額を見ると、それぞれ全体の 5.8%(2015 年)を占める中東向けや中南米向けが
速いテンポで減少を続けているほか、最大(シェア 31.7%)の輸出先である中国(含む香港)向けも減少
傾向に歯止めが掛かっていない。中東・中南米向けの落ち込みは前述の自動車が中心であるが、中国向け
は石油製品や鉄鋼製品、半導体などが価格下落や需要減、現地メーカーとの競合などによって減少してい
る。
個人消費:政策効果により持ち直すも持続力には疑問符
個人消費は、2015 年初めから年末にかけて持ち直しの動きが続いていた。前出の GDP 統計では、2014
年 10~12 月期の前年同期比+1.1%を底に、2015 年 10~12 月には+3.3%まで伸びを高めた。ただし、
個別消費税 2の引き下げによる効果が含まれている点に留意が必要である。
韓国政府は、2015 年 8 月 27 日、乗用車や大型家電製品などに課せられている個別消費税を引き下げた。
これを受けて、
乗用車販売台数は 2015 年 7 月の年率 127.9 万台から 12 月には 164.7 万台まで増加した
(当
研究所試算の季節調整値)。また、小売販売指数(実質、季節調整値)は、2015 年 4~6 月期の前期比+
0.7%から 7~9 月期に+1.3%、10~12 月期に+3.1%と増勢を強めたが、なかでも耐久財の増勢加速が顕
著であった(4~6 月期+0.8%→7~9 月期+2.0%→10~12 月期+8.2%)
。
個別消費税の減税が終了した 2016 年 1 月は、反動により乗用車販売台数が年率 118.4 万台(前月比▲
28.1%)へ急減、小売販売指数は前月比▲1.4%と減少した(うち耐久財▲13.4%)
。そのため、政府は 2
月 3 日に発表した景気対策の中に個別消費税減税の 6 ヵ月延長を盛り込み、1 月 1 日に遡及して適用する
こととした。これを受けて、乗用車販売台数は 2 月以降、再び増加傾向となり、5 月には年率 145.8 万台
まで回復、小売販売額指数も持ち直しつつある。
2
乗用車や大型家電製品、一部の漢方薬や化粧品など、特定の品目の購入に、付加価値税に加えて課せられる税。今回、税率は
自動車や大型家電が 5.0%から 3.5%へ、漢方薬や化粧品は 7.0%から 4.9%へ引き下げられた。
2
Economic Monitor
伊藤忠経済研究所
実質小売販売指数の推移(季節調整値、2010年=100)
115
半耐久財
110
非耐久財
150
140
140
130
耐久財(右目盛)
105
乗用車販売台数の推移(季節調整値、年率、万台)
150
130
120
100
120
110
110
100
95
100
90
90
90
80
※最新期は4月単月
85
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
※最新期は4~5月平均
80
70
2008
2016
( 出所) C EIC DAT A
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
( 出所) 韓国自動車工業協会
ただし、延長された個別消費税減税は 6 月末に期限を迎えるため、今年初同様、7 月以降は反動により個
人消費が一旦停滞する可能性が高い。その後、再び持ち直すかどうかのカギを握るのは、所得環境や消費
者マインドによるところが大きいだろう。
その所得環境は、所定内賃金(基本給)の安定的な伸びや特別給与(ボーナス)の拡大により、賃金合計
の上昇率が 2016 年 1~3 月期には前年同期比+5.4%まで高まっている。加えて、
消費者物価上昇率は 2016
年に入り前年同月比 1%前後で低位安定しており(5 月は+0.8%)
、賃金は物価上昇を除いた実質で見て
も比較的堅調な増加を維持していることになる。一方で、消費者のマインドを左右しやすい雇用環境につ
いては、2016 年に入り就業者数が 1~3 月期に前期比 4.4 万人増へ減速、4 月、5 月は減少が続いており、
雇用の量的な拡大が一服している。そのため、失業率も 1~3 月期の平均 3.8%から 4、5 月はともに 3.7%
へ若干改善したとはいえ依然として水準は高く、改善には程遠い状況である。特に若年層(15~29 歳)
の失業率は 5 月も 9.7%と高止まりしており、問題視されている。
平均賃金の推移(前年同期比、%)
就業者数と失業率の推移(季節調整値、万人、%)
10
2,650
平均賃金(名目)
8
4.5
就業者数
2,600
平均賃金(実質)
※最新期は4~5月平均
失業率(右目盛)
2,550
6
2,500
4
4.0
3.5
2,450
2
2,350
▲2
▲4
2010
3.0
2,400
0
2.5
2,300
2,250
2011
2012
2013
2014
2015
2.0
2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016
2016
( 出所) C EIC DAT A
( 出所) C EIC DAT A
こうした状況を反映して、消費者マインドを表す消費者心理指数は、2016 年に入り 2 月に 98、5 月に 99
と好転・悪化の境目である 100 を下回る月が出始めるなど、芳しくない。内訳を見ると、国内景気につい
ての指数が昨年 12 月の 75 から 5 月は 70 へ、雇用の先行きに対する指数が 84 から 74 へ低下しており、
景気の低迷を受けて雇用への懸念が強まっている様子が窺える。今後、景気の回復が遅れれば消費マイン
ドが一段と冷え込み、個人消費は景気対策の効果が剥落する 7 月以降、低迷する恐れがあると言えよう。
固定資産投資:堅調拡大ながら牽引役の住宅投資に陰りも
比較的堅調な拡大を維持する固定資産投資(機械投資、建設投資、ソフトウエア投資などの合計)の最近
3
Economic Monitor
伊藤忠経済研究所
の動きを詳しく見ると、うち機械投資が 2013 年から始まる拡大局面を維持する中で、2015 年には建設投
資も復調し、全体では 2014 年の前年比+3.4%から 2015 年は+3.8%へ増勢を強めた。ところが、2016
年に入ると機械投資が 1~3 月期に前年同期比▲4.5%と約 3 年ぶりのマイナスに転じたため、建設投資が
+9.6%まで伸びを高めたものの、全体として伸びはやや鈍化(前年同期比+3.0%)している。
建設投資の内訳(前年同期比、%)
58
機械投資
建設投資(右目盛)
千
機械投資と建設投資の推移(2005年価格、兆ウォン)
36
10
8
35
56
34
54
33
52
32
50
▲2
31
48
▲4
30
46
6
29
2010
2011
2012
2013
2014
2015
44
2016
( 出所) 韓国銀行
4
2
0
土木等
非住宅建物
住宅
建設投資
▲6
▲8
▲ 10
2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016
( 出所) 韓国銀行
機械投資の動向を先行指標である機械受注で見ると、非製造業での落ち込みが目立っている 3。また、報
道によると 4上場企業の 2015 年の設備投資計画は太陽電池関連などで大幅に減少、景気の悪化を受けて
一部の製造業でも設備投資に慎重になっている模様である。
一方、好調な建設投資は、2015 年以降、住宅投資の拡大が牽引している。建設投資の伸びは 2016 年 1~
3 月期には上記の通り前年同期比+9.6%まで拡大したが、うち 7.5%Pt を住宅投資が寄与した。ただ、住
宅投資の動きを前期比で見ると 2015 年 10~12 月期まで 5%前後の伸びが 4 四半期続いた 5後、2016 年 1
~3 月期は+1.4%へ急減速している。その背景として、供給過剰感の強まりや金融機関のローン審査厳格
化などが指摘されている。また、家計の債務負担の大きさが懸念材料として指摘されて久しいことも併せ
て考えると、今後は住宅投資の増勢が鈍化する可能性が高く、足元の機械投資の状況と合わせて、固定資
産投資の堅調拡大にも陰りが見え始めている。
総選挙に大敗し経済政策運営が困難化
韓国国会の議席数
、これま
こうした中で、朴政権は 4 月 13 日の総選挙直後(4/27)
で進めてきた労働・公共・金融・教育の四大構造改革に新産業育成
選挙後
と構造調整を加えた「産業改革」の推進により、成長率を高め雇用
6 月1 6 日
選挙前
4 月1 3 日
を拡大する方針を示した。労働市場の柔軟性向上を目指す「労働改
セヌリ党
126
122
146
革」や経済活性化に向けた「サービス業発展」の推進だけでなく、
共に民主党
123
123
102
税制改正や金融面での支援などによって IoT やバイオ、スマート・
国民の党
38
38
20
正義党
6
6
5
無所属
7
11
17
300
300
292
カーといった新産業分野を育成すると同時に、国際的な競争激化に
より苦境にある造船・海運業界については構造調整を促進するもの
である。
合計
(出所)各種報道から伊藤忠経済研究所が作成
非製造業からの機械受注は、2015 年 4~6 月期に前期比▲21.5%、7~9 月期に▲23.0%と大幅減が続き、10~12 月期には+
33.6%と反転したものの、2016 年 1~3 月期には▲26.5%と再び大幅に減少している。
4 2016 年 5 月 10 日付け NNA 記事。
5 2015 年 1~3 月期に前期比+5.4%、4~6 月期+6.5%、7~9 月期+6.2%、10~12 月期+4.8%と高い伸びが続いた。
4
3
Economic Monitor
伊藤忠経済研究所
しかしながら、4 月 13 日に行われた総選挙では、周知の通り朴政権の与党セヌリ党の議席が過半数を割
り込み、第一党の座を「共に民主党」に奪われる大敗を喫した。その後、無所属となっていた元党員を復
帰させることで第一党に返り咲いたものの、依然として議席数は過半数に届いておらず、こうした経済改
革を進める上で法改正が大きな障害となることが懸念されている。
そのため、即効性のある景気刺激策として、当面は金融政策に頼らざるを得ない状況となっており、そう
した中で今回の利下げが行われたとみることもできよう。しかしながら、現在の 1.25%という政策金利の
水準は史上最低であり、利下げ余地は乏しくなっている。しかも、従前より懸念されている海外への資金
流出の加速だけでなく、ただでさえ過剰になりつつある家計の債務を一段と拡大させる恐れもあり、その
意味でも利下げによる景気刺激はそろそろ限界に達しつつあると言える。
こうした朴政権の置かれた状況や景気の現状を踏
社債の格付別利回り(%)
まえると、経済政策においては野党の同意を得られ
9
やすい施策が優先され、金融政策においては金利の
8
2014/01/02
7
2015/01/02
6
2016/06/17
低下以外の経路を通じた景気刺激策が検討される
5
こととなろう。後者においては、例えば現状の格付
4
けによって利回りの格差が大きい社債市場の現状
3
に鑑み、社債買い入れを含めた量的金融緩和による
2
企業の資金調達コスト引き下げなどが具体策とな
1
0
り得るのではないか。いずれにしても、輸出依存度
AAA
AA+
AA
AA-
A+
A
A-
BBB+
BBB
BBB-
( 出所) C EIC DAT A
の高い韓国経済を、海外経済の足取りが緩慢な中で
回復に向かわせるためには、内需を強力に刺激する大胆かつ実効性のある経済政策の導入が不可欠であろ
う。
5