YMN004102

謙
介
直談の説話の位相
本
伽草子と直談﹂をあげることができるが、直談・談義の場における
⑤
成果として廣田哲通底﹁中世法華経注釈書の研究二の第六章、﹁御
1日光輪王寺天海蔵﹁直談因縁 集 ﹂をめ ぐって 1
コし
、
説話の実態と、それらが文学作品の生成とも関わる現象は、いま少
﹁中世に於
直談あるいは談義本に関する研究は、夙に宮崎目連丘
し事象の指摘を積み上げなければならない状況にあるといえよう。
ける唱導と談義本﹂において、﹁説話の豊富なことは驚 くべきもの
そうした点からも、ここに取り上け
。6日光輪王寺天海蔵コ直談囚
甚だ多 いか
で、一種の説話集の観がある﹂、﹁因縁説話を交へること
縁集﹂天地二冊は、多くの材料を提供し得る恰好の テタストであろ
は ならぬ﹂
ら、 少くとも中世の説話文学の研究には相当顧慮されね
ぅと思われる。
との提言がなされ、永井義愚民﹁講経談義と説話| ﹁
法華経鷲林拾
この書についてのおおよその概略を記すことにする。
﹁小さな説話
葉 鈴レ に見えたる さ Ⅰやき付物語 | ﹂ や、岡見正雄氏
この写本は天正十三年︵一五八五︶の書写奥書を有しており、下
学 ・桃華因縁㎏﹂による更なる啓発を経てのち、天台
本1手庵の文
館平塚最勝寺住持群雄の手になることから、おそらくは関東天台に
哲。
通廣
底田
門中世伝
法華経系統のものを中心に進められつつある
れる。原本に存したと思われ
り所収﹁直談系の法華経
書注
と釈
その周辺﹂などにお おいて作成・享受きれたものと考える
教説話の研究
る欠損部分が空白として示されることなどから、本書は親木より最
集
は、
も説話
で
いて、説話の機能の面からの考察が纏められる一方
低 一度の書写を経たものであり、そのことはまた、本書が天正十三
ちろん御伽草子等との関係が活発に論じられるに至っており、その
一一一一
ほ じめに
Ⅰ『
u
年 をさかのぼる時点で既に成立していたことを保証するもので あ
る。猶、喜 写者の舜雄の書写活動については、阿部泰郎氏による報
吉 が為され
,
抄 ﹂等 が
本書はひ とつ書きの体裁を以て四百余話の説話を綴っており、
の数はコ砥華経 直談紗 ﹂をも凌駕する。また、﹁法華経直談
一四
﹁直談因縁 集﹂の﹁沙石集﹂受容
福者の発表の一部に基づき、ここに考察を加えることとする 0
一
︵一︶
﹁直談因縁 集﹂所収の四百 話 を超える膨大な説話群は、 いかなる
笹は 、﹁ 一、善知識 ト 宏二 村テ ﹂、﹁ 一、往詣神所 コ直談因縁
世界であり、その所産としての同法華経鷲林治葉 鈴口 や ﹁法華経直
できないのは、コ直談因縁集 しそのものの背負う天ムロ 古本法華直談の
来歴を経て一処に集成されたものであろうか。その基 盤 として無視
付テ﹂のような形で法華経中の文句、名目をあげ、続いて説話を綴
談妙仁などであろう。実際、司法華経鷲林拾葉妙 L や ﹁法華経直談
各品を注し ていくなかで、時に説話を引く体裁をとるのに対して、
っていく。こうした﹁直談因縁集﹂の体裁からは、法華直談の場 @%
妙 L とも類 語関係にあって、その説話が引き出きれる場 にも共通性
が指摘できるものもかなりの数存するが、それとてコ直談 因縁 集 ﹂
0集としての側面が濃厚に窺われ、それはあたかも休 系
フヌ
的に集成さ れた 説草の集の如きものである。説話本文中には、﹁一
という法華直談の話材 の集としての説話群を到底覆いき れるもので
おける話材
云﹂として内容を省略するものも多く、実用の際には比較的自由
はない。どうやら法華直談における説話は・固定的なものではあり
に、ある程度まとまった話群 としての説話の採取を行っ
た依拠資料
﹁法華経鷲林拾集妙﹂あるいは﹁法華経直談紗﹂の事例 のよ,っ
得ず 、広く中世の説話物語世界と交渉・交差しているらしい。
肉付けを以 て語られたものと思われる。
このよう に全てが 書承で 説明できるとは考え難い資料の扱いに
注意を要するが、そこに集成される四百余話は、紛れもなく中世
おける豊か な 説話世界を形成していると舌ロ い得るものである。
て中世の説話集の類はまず検討きれるべきものである。
ここでは
が 日直談因縁 集口中には存することと思われる。そうし た資料とし
・田中貴子 小林直樹の諸氏とともに、共同で翻字本文を作成す
司
沙石集三所収 話 との関係に考察を及ぼしてみたい。
この コ直談 因縁集目 は ついては、これまでに廣田哲通 ・阿部泰 且口
作業を進め、平成五年度仏教文学会例会においては、各自が自ら の
興味の在り処 にしたがって研究発表を行った経緯があり、その際
二ご
、但 先世,事 ,云 故 -
まず、 コ
沙石集しにのみ類語が確認きれるものについて 日直談因
緑葉ロ の本文を検討することにする。
一、下総国宝先世 房 ・五人Ⅰ。何事:、
先世 坊,号 二世。 有 "
時 、我家 "焼 "也。時、是 ,先世,
事 也。云 :
ム。
道去
断し
・出
一
五不出
時、 是 。先世,車地・
云:
出ル也ム一ま諸
。法 ,不染
。時、隣家人車て言 託9[
焼死,思:不出 時、引立て出:
着 。ニム一五。
セ 生縛 吉覚海上生 "
也 五一万先。"天王
海 ,宏大、先世 修因 ,相知,
、 。宏て大師,不退。 祈 手持、 大師、夢
想宝汝 先世,事 ,祈ル。 汝 :
此 袈裟衣:: 振 三佐て年。 生 。時 、
寺 ,岸 ,波 :打撃: 蛤也 。而 、舎利講 ,式 ,聴聞阜後、犬,生 。天王
寺"
霊地::貴僧高僧参く
生:後、熊野:乞食 也 。而 、参詣 道
大般若ツケ 玉フ,依て % 牛 ,
者 :タ% 7 レ、後、富山,承仕法師・生 "也 。 某 ,後、一生韓 ・
,、,
南
本 語と 類語関係にある﹁沙石集﹂浩二第十話の冒頭本文を示すと 次
のようになる。
高野 二、南 澄房ノ 検校覚海 トイフ大ハ、近来 ノ密宗 ノ明 匠ト
この先世 坊説話の類語 が ﹁沙石集﹂ 巻セ 第二十五話に見 出せる。
い
﹂
下総国 二先世 坊ト 天物アリケリ。下地 ノ物 ナリケレド モ、@
聞ヘキ 。先生 ノ事ヲ知度覚テ 、大師 二祈念スル ニ、セ 生ノ事ヲ
面手持荷。全日制讃嘆 ノ聲ヲ聞シ故二 、死シテ後、天王1寺ノ 大三
無二 浪 二打寄 ラレ テ、清二アリシ ラ、稚キ 老足 ヲ取テ、 金堂 ノ
示シ給フ 。﹁ 初ハ 天王寺 ノ西ノ海二 、小 キ蛤二 テアリ シガ、自
サ 7車二 % テ尋常ナリケリ。 世ヲ諸ウ事ナク、何事 モ先世ノ事
トノミ 云テ、歎キ悦ブ事ナクテ、世ヲ渡ケリ。 或時 、家 二火 ツ
キテ焼 ケル ヲ、是モ 先世 ノ事ト云テ、サヮガズシテヰタリケル
ヲ、イカニ ャトテ 、人来 テ手ヲ引テ出シケレバ
些か 。常々 経陀羅尼 ノ声ヲ聞シ 政二年二空 か。大般若 ノ料紙 ヲ
、コレ モ先世 ノ
事トテ出ヌ 。 ヨロヅ加 康二三フルマ ヒケレバ 、人、先 世房トゾ
一
、柴 燈
テ参詣セシ政 負セタリシ
タク考ト生 け、 常 二火 ノ光ヲ以テ人ヲ照ス 政二、智恵 ノ業 、漸
政二局三生ル。熊野詣 ノ者乗
申 ケル。
一読して、 コ
沙石集仁を直接の典拠と認め得るほどの 一致が 認めら
此事 ヲ聞二
ク薫ジテ 、 奥院ノ 承仕 ト 生 け、三密 ノ行法 ヲ百二 % レ、 目 二見
ル薫修 ノ政二、 ム﹁検校ト生 レタリ﹂ ト 赤絵ケリ。
れるかと思われる。
いまひとっ﹁直談因縁集 ﹂二丁Ⅱ話を示す。
一五
一、ノ
伝承となっている。司直談因縁集口が同法苑珠林二にまで遡って説
とするのは 司
沙石集L と同法苑珠林ロ のみであって、他 は亀とする
直談因縁集﹂
話を収集したという形跡は窺えないから、ここでも 司
偲ク コソ。
面話に波線を施した主題を説くために各々に綴られた南勝坊 説話の
佛法ノ
結縁
骨格はたいへん似通っていることがわかる。日直談囚緑葉﹂と共通
とコ沙石集ロとの濃厚な影響関係が認められる。
︵一
こ一
の受容以上に、﹁直談因縁 集﹂
する箇所に傍線を施したが、犬から牛 へと転生する際 ﹁直談因縁
﹁沙石集﹂
集口 が天王寺参詣の僧等の袈裟に触れた故と説くのに対 して、 コ沙
召集 し が常々 経 陀羅尼の声を聞いていた故とする異同、
ここまで確認してきた﹁沙石集ヒ
はさらに組織的に依拠資料として 司
沙石集 L に頼むとこ ろがあった
が牛から馬への転生を説くのに対して﹁直談因縁集 ﹂ が牛から 牛へ
の転生とする異同を除けば、﹁直談因縁柴 しの 南勝坊説話の全ての
のではなかろうか。コ直談因縁集 L 一|Ⅱ, H話の連続 する二話に
によって元に戻る。
﹁
0 、十二、三歳の女子が、
巻セ 第十八話は、 次の aから e によ って示した 構
b 、尊勝陀羅尼の功徳について
る 。尊勝陀羅尼を諦して元の姿となることを得る。
a、近江の国の憎が、三河の山寺に通うものの修学を怠9 年とな
成 となっている。
対する﹁沙石集﹂
に法 花の文字があって助かる。
芹菜を摘む時に蛇に襲われるが、本結
M 、近江の国の者が、三河国 へ通 う うちに 牛 となり、 尊勝陀羅尼
60
ついて考えることとする。いま面話の梗概を記すと以下のようにな
要素は﹁沙石集しを要約することによって得られるものである。
ここに比較した二例の説話が両書 以外に類語が見出せな いもので
あり、同文的一致を見せる箇所をともに有する点からしても、﹁直
談 因縁第二 は司沙石集 L に依拠した可能性が極めて高 Ⅱ
リと甘口み
之ん
つⅠ
ネ
あろう。
﹁直談因
次に、詔書に類語が見出せる説話を取り上げて、﹁直 談 因縁 集 ﹂
とコ 沙石集﹂との密接な関係をさらに確認しておきたい
緑葉口五|Ⅰ話は、冒頭を
一、猿 ノ利根,云 ,
付 :大海, キウ 。芸者:。 如 。亀ち
猿 の相手を虻
ヨハ度集経 ﹂
として、 猿と 虹の智恵比べの説話を綴っており、この説 話はコ沙石
ロム﹁昔
L物
な語
ど集
に確認されるが、
集 ﹂五本第八話以外に﹁法苑珠林﹂・﹁経律異相﹂
・ コ洋灯 選 L.
c、五百聞輪中云
いるよ う に思われる。
義 のための話 材 としての説話の性格とその流動性が色濃 く 反映して
語られる説話であるが、いまその梗概を以て示すこととする。
けム
@﹂
:
-,
話は﹁ 一、佛休 ,損 ・云 ,付こ 、 四 1 %話は﹁ 一、経教,破 損 ・一一
同様の例は﹁直談因縁集 ﹂ 四|㎎・四話にも指摘できる。 四| ㎎
d 、漢朝二 モ
e、十二、三歳斗 のな童が、菜を摘む最中蛇に襲われるが、本結
に尊勝陀羅尼の文字があって助かる。
﹁直談因縁
集﹂の面話に a、 eの説話が対応していることは明らか
杓 、女で常に他人をとどめて自分一人で風呂に入る者
不思議に思い風呂を覗くと、女はその箔を目当てに湯 で仏像の
である。 c、d は尊勝陀羅尼とは関係の無い部分で 説話の要素を
沙石
持たないb の部分と共にコ直談因縁巣口は、それら を省いて コ
集﹂伝本の問題を加味するならば、略本系諸本はb と c の記述の間
であった。
取っていたところ、両目が抜けて火鉢の中に落ちたとい うこと
舌ロ
ぅ ので訳を尋ねると、火鉢の人で金紙金泥の経を焼いてか泊を
に何やら物の鳴る昔がする。隣家の人が﹁報いは逃れ難い﹂と
m 、ひとりの憎が諸国行脚の途中、ある所で宿を借りると、夜半
箔を洗い落としていたのであった。
コ
沙石
集L説話を受容しているものと思われる。 コ
直談囚緑葉しに連続す
る 二話が コ
沙石集L においても連続している訳で、積極的に
に eの説話を置いており、これは尊勝陀羅尼の功徳を説く一連の記
沙石
集口を依拠資料と見倣し得る証左のひとつとなろう。また、 コ
述 として読むことができるから、コ直談因縁集﹂が用いた資料が昭
本来の記事配列になっていたものであれば、猶の事 司直談因縁 集 ロ
て順を前後きせた形で綴られている。こうした事例も ﹁直談因縁
以上の二話の類話は、﹁沙石集﹂
巻セ 第十六話中にお いて、連続し
は ﹁沙石集﹂のより近接した二話に依拠しながら一ー M. 仏語 る綴
百案﹂を組織的に受容した痕跡であるものと 思われる。
集 ﹂が
﹁沙石集﹂
番一
3︶
2.3︵
.ニ
4ー 5 、 四 10 ︶・7 ︵二1 % 、 四 1 5
一覧の形で掲げると、以下のようになる。
ここで﹁直談因縁 集﹂と類語関係にある﹁沙石集﹂説話 0分布を
屡
っていることになる。
コ
沙石集口を受容するにあたって、傍線を施したように、本来尊
勝陀羅尼の功徳を説くための説話であったものを、 ﹁直談因縁 集 ﹂
は法華経の功徳へとすり替える改変を行っている。これも直談の説
話の在り方として認識されるべき方法であろう。そ こには直談・ 談
一セ
9. 托
四 1 8 、 四| c,
︶]
・
巻三
1
2.5.6
|・Ⅰ
上︶
一
Ⅰ
3.4
㎜.
︵ 一1 4 、一
巻四
3.4.5.8.
三上︵
巻
き 五本
9
Ⅱ
拳玉 末
0
Ⅱ
上
0 ︵一
︵ニーⅡ 、三 1 % ︶
︵
四| ㎎ 、四|⑳︶・Ⅱ
3. ㏄︵ 五| ㏄ 、六| Ⅱ︶・ 穏
㏄・ 比
巻末
1
4g
. ⅠⅠ
2.4.8.
2
巻セ
巻尺
1.3.4.5.6.7.8
︵
5 ︶・㎝・ 鰍 ・用
さ きにふれた
直 談 因縁 集 ﹂
︵ニー 射、 四|
︵二1 % 、五1 % 、六 |は ︶
巻九
ェ
Ⅱ 、一| L ︶・ わ
巻 十床
射
︵ニー㏄ 、ニ 1 % ︶・ れ
拾遺
﹁沙石集﹂の説話番号の後ろに括弧で示した部分は、﹁
が 二話ないし三話にわたって引いているものであり、
一八
セ話の一部は司直談因縁集L セー㏄話に類語が見出せる から、㍉沙
万集二の連続する三話は話群 としてまとめて受容きれ ていることに
なるが、類似の例は傍線を施したよう に 司
沙石集口中の随所に現わ
れている。日直談因縁集L は組織的に話材 の集として ﹁沙石集﹂を
受容しているらしい。
コ
沙石集目には、いくつかの連続した説話を主題に沿って列挙す
る体裁を採るものが多く、それ自身が分類された詩材の集としての
性格を有していると考えられ、そのこともコ直談因縁集口 の 門
沙石
巣口受容の方法に反映していると思われる。
コ
沙石集ロ との類語関係にあるものについても、説話の流動性を
念頭に置くべき直談の因縁の集という性格を考慮する卜はら
はぱ
、司沙
召集﹂が一旦直談・談義の場を経過したものを﹁直談因 緑葉﹂は使
っていると、先ずは考えるのが穏当な見方であろうが、﹁沙石集﹂
を出典 と見徴し得る同文的説話の存在や、﹁沙石集﹂の 二話以上が
連続して用いられる箇所が一、二例ならず存在すること、きらには
司直談因縁巣口
に記される際にも コ
沙石集口 に含まれない要素が滑
り込む程度の流動性が存したことは同時に認めなければならないこ
いる可能肚も強ち否定しきれないように思われる。仮 にコ沙石集L
となどからして、﹁直談因縁集目が司沙石集ロ そのものを覚容 して
集 ﹂ 巻セ 第十六話と﹁直談因縁集 ﹂ 四| ㎎・ 却話 との 関係などがこ
そのものではないとしても、 コ
沙石集目の類語関係にあ る説話の分
﹁沙石集﹂ 巻セ 第十八話と﹁直談因縁 集 ﹂ 一| 44t
仏.詣
. や、 市
沙石
コ
沙石集 L 巻セの 第十六話と第十八話 の間の第十
れにあたる。この
の偏りから推して、それは コ
沙石集二の抜書のような休裁 のもの
なければならず、日蓮宗身延山久遠寺に蔵 きれる日恵上人の聖教
つした営み
録 に記きれる多くの説話集 の抜書本の存在からも、そ,
中世の寺院において広く行われていたものと思われ、 ﹁沙石集﹂
ついてもコ金撰集二の存在などがすでに報告されている。勿論、
こでは直接か否かということの特定のみが議論の目的ではない
して、コ直
、講経談義と﹁沙石集﹂との関わりの実態を示す事例と
因縁集L は貴重な資料と考えられる。
﹁直談因縁 集﹂の﹁三国伝記﹂受容
︵一︶
しておくべ
直談・談義の話材 の葉 として、 コ
沙石集二の次に確認叩
きは、 ヨ二国伝記﹂との関わりであろう。﹁直談因縁
集L における
ヨ直 伝記﹂受容の様相を探り、併せてそこから生起する問題につ
いて、他の文芸との関係についても言及しながら考察を加えること
とする。
普門品を説く中で司直談因縁巣口入1%話には次のよ,
ヮな説話が
陽成院,御時、山陰,中納言・三
百人
。文ス、高島卿・
申。而、
綴られている。
円巳杓
喋塁弓傍淡
一
て鵜 ツカイアリ。 亀,
鎮西,所領
持手間、下:。 時、宇治橋。
@t@@ 頁
-
下
尻ヲ
布
で
目
は
に
こ
が
談
船 ︶出時乳母継母。 語 ,受 ,U、 此 ,山陰,中納言,幼少々ル ヲ海中 @
入
ヌ。
落。
コ画伝記﹂と﹁直談因縁 集 ﹂両書 の山陰中納言話には 、傍線を
施した よう に一致する点が多く、これは ヨ 一国伝記﹂が依拠したと
︵二︶
二O
﹁直談因縁 集﹂普門品には、山陰中納言話の他に恵心僧都詰 が綴
られている。若くして利根の小僧としての評判が高い恵 心は 、内裏
での八講に 召 きれるという栄誉に預かる。
時代と錯誤して語る誤りを犯した三国伝記口を 、コ直 談因縁 集 ﹂
寺の創建の時期であるはずの﹁陽成天皇御宇﹂を、山 蔭 の文言 肩 の
テ千手十一面 二菩薩 ノ利生娘時守 ヲ建立 ス﹂の如く記す、本来総持
験記 ﹂の山棲中納言語冒頭が﹁陽成天皇御宇 二摂州 嶋下ノ郡 二%イ
冨棲那 ,
弁 、舎利弗智恵 。カク欺く弁説無窮 宝 言語,花 ,荘: 法
集貨,。,、如是我聞唱
, :。、カク
ヤト 恵サ。 時 、迦陵頻声 ,挙 。 誠 ,
座 ,上玉。。。帝王初
,:臣下大臣 見之 、誠三音,阿難尊者、結
種々,次将,求く
座 : ム﹁
度 、八講,人数,云云。勅使,遣 :。石連 玉。・
且z。 サレハ
而 ⋮、臣下北山, 秦 :サレハ、慈恵大師,御 弟子:利根 ,
少僧御
時、村上天王,御時:ド間政事 也 。佛 :内裏⋮有 。
入 講 -。
がそのまま踏襲する事からも、その緊密な関係が窺われる 。また 鎮
門 ,宣 。玉:サレハ、 恭 ,十善帝位 座 ,去 :礼拝㍉
﹁長谷寺
西 に下る山陵 を、﹁長谷寺 験記 ﹂は﹁いまだ幼少なりし時 ﹂として
僧都。号::︵ 八| Ⅱ︶
思われるコ長谷寺験記 L との関係においても同様である
﹂
いるが、三国伝記﹂・﹁直談因縁 集﹂傍線部が、とも に ﹁四オ-
傍線を施した箇所は 、次に引く、三国伝記﹂
巻 十二 第三話﹁ 恵
其,時 、恵心
令乗 。、参内そ 両 三一座,講師 "-@ 畳
コシ:
の時と具体化する点からも、三国伝記﹂・﹁直談因縁 集 ﹂ 両嘗め
関係はさらに密接であるといえよう。鵜飼と遭遇する場 が、﹁三国
心院 源信僧都,事 ﹂の傍線部とほほ対応していることが知られる。
集 ﹂は 単 純に ﹁三国
土座,御 八講 有 ケル ニ、此 恵心,智徳,一天,岩間君 : 慈 口舌山心ロ付倍旧
直談因縁 集 ﹂
コ
が 、﹁宇治橋﹂とする異同があって、﹁直談因縁
ヨ 一国底記﹂型の説
正,
勅 。,、﹁件 ,小僧相見 革参内: 、ム﹁
度 ,八講,
可ィ 。彼之
ぬ仁
u﹂
橋 ,下 ﹂であるのに対して、
伝記 し では﹁ 淀 ,穂積,
伝記﹂を 書承 しているだけではないようだが、
有ケレバ 、僧正面目, 施 :、相見⋮ 参勲: 未ダ十三八歳 U ,
於ヰ清涼殿 五日
話を下敷きとしていることは、認めてよかろうかと思われる。近年
ケレバ 、某 ,容顔羅眠羅 尊者,粧 ,
不。
異 :。錦繍。 調 ,法服トン、
麦 :村上天皇,御時、天暦十年六月村一日、
天台談義の場との関わりが指摘されつつある﹁三国伝 記 ﹂を 、 同じ
成王
く天台の法華直談の書が用いている事は注意されてよいであろう。
す 談
こ
国 次
呂
一
ア
メ
シ
毒テ、 Ⅰ
葛
ナ
レ
西
坂
ホ
二
コ
ソ
庫ミツリ
ノア 。 出。
昔横サ号
ビ
両
成
た
何
/
6。 人
講 記
』
日
@
を
珪寺
%冊凹末の
コム「土日
一)の
は古風二
の
一 れ
こ
ち
に
れ 三
て
をが
ろ
こ
が 文 書 を
そ 明 郎 持
一一一一
を出家させるにあたって 、 母は﹁ 柏構テ 、 父力 遺言 ヲ、 己かレス、ア
先行する
に恵心僧都の
ノ多武峯ノ 上人 ノ如ク 、智恵モ、道心 モ有 テ、貴僧三々 ルヘシ ﹂と
訓を垂れる中で、増賀を引きムロ
いに出している。ここ
物語とこの要素との深い関わりが確認される。
﹁恵心僧都物語﹂は黒田彰 氏 によって、三国伝記﹂に
要素を持つものとして紹介きれた草子であるが、この ﹁芳武峯の上
人 ﹂の要素は、出家前に母が恵心に語る場面で持ち出されており、
そうした意味からは、布施を送った恵心を嗜める場面 に引かれる
﹁ム﹁昔物語集 L に、日直談因縁集目はより近いといえる
も う 一例、ヨ一国伝記﹂にみられない独自要素をみておきたい。
セ 十六,年 、六月十日,往生玉。。。臨終,御ミ
恵心僧都の往生の場面である。
サテ 、恵心:
欺 ,云 ,
,
弟子様数多 集 。悲歎: 而 、余 ,弟子,
押ノケテ 、慶 祐一人 留 : 都
持二蓮花,莱 :。妙音 来相 ,蓮花也
時 、二童子来:サレハ、西方浄土,聖王
事大,生 :・玉て。
返,
也 。一人童子:
﹁直談因縁 集﹂が記す恵心僧都の往生の期日﹁ セ 十六,年 、一八月十
日 ﹂は﹁三国伝記﹂にも同様に存するが、それ以降の記事は コ 一国
伝記 口 には見出せないものである。
ところが、この臨終にあたって悲嘆する弟子達のなかで、慶 祐一
人を留めて語ったという要素もまた、末尾の蓮花に関する記述を除
三十二話の要約の体裁になることが注目される。
けば、コム﹁昔物語集口 におけるいまひとつの恵心僧都伝 、 巻 十二 第
り 無視できない問題をはらんでいると思われる。
のみであるという事実は、ロム﹁土日物語集し享受史の上
からも、やは
郁次
天丁
,
生。
,﹂,願,@
、此 ,
忽 :二人,天童釆 ,
告 ,云 :﹁我等 "
此 : 血二
云 。、﹁年来
間
,、我。
造。
所 ,善根,以て偏,極楽:廻向
@
,
1
・岳,
上 品 下生,
にも﹁ 多武峯の聖人﹂は同文で引かれている。説話葉をはじめとす
冒頭には、﹁ム﹁昔物語集﹂ 巻十五第三十九話が綴られて いて、ここ
昔物語 抄﹂と題される﹁ ム﹁昔物語集﹂の 抜書本が存して おり、その
九州大学附属図書館萩野文庫には、近世初期の写しになる 、コム﹁
弥勒,何便 也 。聖人、偏,法花 ,
持 :、深 。一乗,
理,悟 :。此 ,功徳,
6話書 の抜書という所為と共に、抜書とは逆の説話の切り 接ぎのよ
@
一
@
Ⅰ
五ロテ
人燭 。許 ,留 ,置 : 蜜 一
此 ,人々皆去 ヱ俊ぐ 慶祐阿間梨・云,
以 ,兜率天:回生: 然 。
バ、我等、聖人,
迎 :"
為:
来 : 也 ﹂: 我 :天
う な行為も頻繁に為されたであろう事は想像に難くない
を 接続して
集﹂が、三国伝記口を 下敷きとし
ながらも、そこにロム﹁昔物語集目にみられる二つの要素
たかは措くとしても、司直談因縁
新たな切り接ぎに用いられた資料が、直接﹁ム﹁昔物語集 ﹂であっ
童:
な弓云
:﹁ 我 。兜率天:生 :慈尊。礼 ,奉 ⋮、 元限 。善 根山,云
。
,: 我 。年来願,所Ⅰ極楽世界。生草阿弥陀 佛,礼 。華,主恩 毛
慈氏 尊 ,
速,
返。給 ,
此,由,以 ,
然。
バ、慈氏 尊、願ミ力 ,加 。
給て我 :極楽世界, 送。給 : 我く
:天童
極楽世界⋮,弥勒,同社 奉
た、 個々に伝わる恵心話を取り込んでの新たなる恵心僧都 源信任 へ
の志向、さらには中世における高僧伝の再構築の在り様と 、それが
恵心僧都話を綴っている様柏は明らかにできたかと思 ぅ。それはま
為 きれる場に関するひとつの事例を示すものとして記 営 されるべき
申。
給日 ・答つ :、天童 返 ,﹂・
語 : 慶祐阿闇梨 、 此 :聞 : 貴,
この要素は、ロム﹁昔物語集 L の出典であるコ法華験記L にも 記き
ものである。
悲,事 天眼:
れていて、他にも伝記が多く存在する恵心に関する記事であって み
ら探ることにする。
﹁三国伝記口を下敷きとした説話の位相を、いまひとつ
の事例か
︵一こ
れば、司直談因縁集 ﹂が、ロム﹁昔物語集﹂によってこれ を 綴った と
享受がはっきりしていない 天 ﹁昔物語集﹂の性格から も慎重を要す
簡単に断じることは危険であろうと思われる。これは中世における
恵心僧都詰
るが、ここにあげた﹁三国伝記口 にはみられない独自要素の二つを
共有するのがコム﹁昔物語集口中に別個に綴られる二つの
と
は
お
であったことが知られる。
﹁蒙求﹂︵真福寺宝生院 蔵 下巻古抄本︶
勾践投膠
列女侍楚 持子 登力母ノ日 ・昔越王 勾践 伐 貝玉夫差 ヲ ・客有献
味
酔醒一掃 ヲ者 ・正使: 注 。之 ,上流 便 羊 士卒, 飲 二具下 流,不足如実・ 而 士卒敬白 倍也
ヨ 一国伝記L には コ
蒙求口の多大な影響が認められるから 、 門二
そ ぅ すると 国
国伝記﹂自身が﹁太平記﹂を出典としながらも、この 故事を﹁ 蒙
末口によって記したとみてまず誤らないであろうし、
合図書館本や身延山 抜書本が補った可能性と同時に 、版 木が削った
可能性も充分に考えられるのである。
也。 此後、ハンレイ名,
替 : セイシカ有 :、%超王愛2-、如
化成王",
云.
。、
彼,ツレテ、コ 、了云処へ引入ヰ。
,一ム一て。
貝玉夫差を破った後、池轟が名を替えて、西施を連れて去った事
記されるが、 ヨ二国伝記﹂は、
蔵王勾践が功を賞して万 戸の侯に
じよう としたのを辞した油義ほついて、
め成。宅送
ゲテ身退クハ天ノ追出 トテ、遂 :姓名
ヲ替へ陶朱公
ト呼レテ、三棚ト云処 三身ヲ隠シ、憂世ヲ遁レテゾ居タリケ
よう に記すのみである。泊範が陶朱公と名を替えて三棚 に去った
とは、既に コ
史記口 にみえており、門
蒙求﹂、﹁薄黄
淀湖 ﹂やコ和
朗詠集﹂下 ・雲所収、以青め ﹁視雲知隠賦﹂に﹁漢皓避秦亡朝
稲孤峯玄月陶朱料 越之暮眼混 五胡之煙﹂と詠ぜられ ているか
、広く知られていた故事であると考えられるが、西施を連れて去
たとする故事は未だみえていない。この故事は先の﹁勾践投膠﹂
場合とは違い、 司
蒙求し の﹁泊義之湖﹂をはじめ﹁西施捧心﹂な
諸伝本に
また、この故事は、 ヨ一国伝記﹂の依拠した﹁太平記﹂
る 、そうした
いずれにしても、ここに﹁直談因縁集﹂が綴る﹁勾践 投 膠 ﹂の 故
事は、三国伝記口伝本内部の問題の範囲に還元され
位相にある要素である。
胡曽詩
の関連句の注にもみられず、また﹁和漢朗詠集L諸注や ﹁
口、﹁三朔﹂注にも記されてはいない。
続いて、同じ呉越の戦話から、三国伝記 口 にみられない独自要
記されておらず、三国伝記﹂版本はもちろん、国会 図書館水や
付 。サレハ、セイシ。
如。本,后,
備 Ⅰ柴染,五ニ。
依才臣下議 ,
次のような記述で終えている。
素を取り上げることにする。コ
直談因縁巣口は呉越の戦話の末尾を、
︵四︶
が
封
の
こ
漢
皇
ら
つ
の
ど
抄
九できない位相にある要素である。
二五
延山抜書本にもみられないから、単に与一国伝記﹂伝本の問題に
も
遠 皇
一万、﹁直談因縁 集 口の綴る 薄誇が 西施を連れて去った とする 故
西施十路
事は、中国において既に生成していた話柄であることが、次の﹁ 呉
地 記しの﹁諸兄事﹂の由来を説く傍線部から窺える。
ぽ南一百里有 請見事・勾践令池読取西施 以 猷夫差
典泊轟潜通 ・三年始連子 呉遂 圭一子・華北亭共子一歳 龍青・ 因
名 諸兄事・ 越絶書日西施七県 國後 復帰 池軽 同定五胡 而 去
一一
、ノ
戯曲、﹁呉越春秋﹂︵染屋魚作︶、﹁五湖記﹂︵江遺屍作︶などが
著されていることにも端的に表れていると思われる。
さて、こうした状況の中で日本への流入、流布の経路を考える
一に引かれる
と、先の杜牧の﹁桂秋娘詩﹂と題される長大な古詩中の 二旬もきる
ことながら、次の﹁山谷内案詩法﹂︵来任湘江︶巻十二
黄庭堅のゼ組﹁贈知命荒雄戎州﹂が、もっとも説明しやすいのでは
ないでろうか。
道人終歳事陶朱四子同舟 淀五湖
越絶
﹁県地記 ﹂が典拠とする﹁超絶書﹂であるが、現在伝わ る ﹁
書目にはこの記述は見出せず、唐の陸廣御撰の体裁を とるものの、
船窩臥請書
萬巻還有 新語来起子
これに続く任淵の注は、池誘が五胡に去った点につい ては コ史
コ呉拙記L には宋代の記事が含まれるなど擬作の問題もからんでい
て、この故事の生成の時期は微妙であるが、この故事が、疑念を持
記﹂を引きながら・第二旬は、先の杜牧詩 の一節をも ってその根拠
女房 ラ ッレテ舟 フリ テ来ホトニ、荘誘日比 ソ。
泊黍ハ、呉ヲ破テ後、西施 ラッレテ五湖へ之ソ0此知ム
印モ、
いる。
実際、五山においては山谷詩の注は、抄物の形で盛んはむきれて
拠点を五山とするのは、最もあり得 べき道筋ではなかろ,
ぃ
ノ
ン
カ。
る熱烈な黄山谷詩の享受を考えるならば、この池轟西施 話の流人の
時代に夙に未刊本が伝来し、五山版に覆刻されており、五山におけ
山谷詩注目は、南北朝
山谷、黄庭堅の詩に任淵の注が施された コ
として注している。
胡応麟撰に なる﹁ 少室
たれながらも明代に伝えられていることが、
m 房草叢﹂から知られる。
拉ま百を
こ の仏佼和
世博 西施 随泊隷去 不見所出・ 只因 杜牧四千下姓 蘇 一% 逐鶴英
2 旬而附曾也 ・予窩疑 2% 有司謂以折其 是非
杜牧詩 のみが世俗の故事に符合するとしながらも、
引きっつこの伝を否定し、杜牧については﹁一時起筆之 過也 ﹂と 断
じている。しかしながら、ここで杜牧詩 に池 轟 西施 詰め 先縦 がめる
れるとすることは貴重であり、また引用部冒頭のように、この伝が
が確認され、この状況は、同じく明代にこの話柄を モ チーフとした
歴史的な立場からは否定せねばならないほど世に伝わ っていたこと
両足 院蔵 ﹁山谷抄口を引いたが、女房を伴うという連関から 池轟
︵五︶
中国における初出として引いた﹁呉地記﹂の﹁西施十路典汚隷潜
こ乙で、いま少し詳細に池轟西施話の構造を検証してみ キ
@
り
@
J
レ。
@@
ハ︶および
また、﹁翰林五鳳集 ﹂に江西 龍派 ︵一
二セ五| 一四四-
と 西施が想起されている。
云.
独自要素は、落罪が ﹁セィシカ有 。
"
、文殻三愛之 、如化成: ",
ところが、そもそもこ乙で問題としていたコ直談因縁集口米屋 の
いる点で、この枠組の範囲内に収まるものと思われる。
り、﹁山谷抄﹂にしても、女房を同道した知命を落轟 になぞらえて
は、貝玉に西施を献じる途次にふたりが密かに契っていたためであ
通﹂に代表されるように、呉を亡ぼした後に落姦西施が 同道するの
ヮである。
︶0
の0
手になる画賛詩が 残きれてお
大隠龍沢︵一四二ニー 一五
江西
越回心於舟
四子熊如此責木
り 、 氾轟 西施話は 、 早く画題としても定着していたよ,
池蚕遊五湖圓
め 成功向丘 湖遊
隠
苗里 姻波供
酔眼底々
国夫
,
﹂、西施を連れて
五湖へ去ったという、落秀 の起工に対する忠臣と
西施洗紗
洗紗大主 己
千年書音 効縄今尚博
伴った意味合いを異にしている。
﹁山谷
抄﹂なども、同じ祐希西施話 とはいいながら、落 轟が西施を
しての意味付けとして語られているのであって、その点においては
沌誇が 西施を連れて去ったという故 事を綴る
昌一五 湖随油誘越渓夢断採蓮船
十五世紀前半には、
土壌は、すでに五山において整えられていたと考えるれるが、五山
山禅林の抄物を端緒とすることで説明できると思われるが、それは
結論から述べるならば、この﹁直談因縁集﹂の話柄も、 やはり五
山谷詩の解釈という場とは別の抄物の中で綴られたものではないで
コ
太平記 L の呉越の戦 話にもこの
話柄が取り込まれず、他にもこの要素を含む作品で時代の確定でき
あろうか。
を 離れた享受、流布に関しては、
﹁直談因縁 集﹂所収の呉越の戦 話が 綴られる上限は 、こ の時期以降
釣竿軽勤王棚雲
建仁寺、桂林徳目禅師二五 00 没︶の手になる 司燈
前夜話L は、
る事例が管見に入らないため、明白ではない。そうした意味からは
という程度に考えておくしかあるまい。
呂仲見の﹁池誘 ﹂詩
一戦功成早筆身
二セ
宮
、
ら 、大隠その人も、
二八
呂仲兄﹁油禿 ﹂詩を﹁ 燈 前夜話﹂ や
江
池 禿西
妙ロのように解していたと考えるのが妥当であろうが
縁集 ﹂が ヨ 一国伝記﹂の呉越の戦話に滑り込ませた
直接的には 呂 伸晃﹁ 茨誘 ﹂詩を端緒とするものであり、
どからは、やや下った時点に生成された話柄といえるの
前夜話口を著した桂林徳目 とほぼ同時 期
コ燈
ろ うか 。 油 誘の忠節を説く話柄が日什具﹁池諦 ﹂詩に端 緒
れることは、
僧 、立挙 契速 が長享三年︵一四八 セ︶に編纂した コ花上葉
あ
相
二
タ
ョ
入
施
う
湖
西施
﹁池轟 。乏レ湖,
図 ﹂注にはこの話柄が記きれないことな
はなろ う 。
司
蒙求抄 口 、
の注には、﹁ 又 四千題 へ帰タ晴二、茨 轟力五湖ヘツレテ
紀 に人ると 呂 伸晃﹁ 汚轟 ﹂詩を離れて
蔵王 ノ又マョ ハレ テハ 大事チ ャト云テソ ﹂と、司直談因縁
趣旨の花 義 西施 話が 綴られるようになる。
みた﹁勾践 投膠﹂における㍉蒙求ロ との一致、さらにこ
コ直談
"
"
@@
末口そのものではなく、その注釈としての コ
蒙求抄しに 已
物の注説との一致という現象が端的に示すように、
ね、この故事が五山禅林で醸成されたものであり、その故
説話に取り込んで、説話の改作を図っているのである。
は明らかに別の位相にある要素を、与一国伝記しを下敷 き
もた集る
一二
の
意
よ
て
不
「
宝
通
六趣 詩
君
隠
で
改変 に用いられている事は、大いに注目すべき現象ではないだろう
事が 天台の直談に用いられた日直談因縁集目に流れ込んで、
おり、
因
てきたが、一口に変容・改作といっても、四百話を超える ﹁直談
た他の文芸や周辺資料が内包する問題点は ついてもふれながら論じ
作 のあり方に関して考察を加えてきた。できる限り、改作 に関わっ
説話の
ノ
カ O ﹁直談因縁 集﹂所収話はどこかでこの説 と接点をもって
緑葉し所収話 のそれは,きわめて振幅が大きく、平面的なアプロー
ものであり、同じく天台の法華直談の書﹁直談因縁 集口 けは、妾人の
身、出典に忠実な説話を綴りながらも、文飾・改変の跡がたどれる
天台にその成立の場を比定されつっある﹁三国伝記口は 、それ自
テではその全貌を現さない懐の深きをもった説話の集といえる。
それ か直接禅林からである可能性も充分あり得ると思われる
の禅林においては一般的なものとなっていたであろう故 事が、
中世 の文芸世界へと浸透していく過程は末だ詳らかではない 。池轟
が西 施を連れて去ったという要素は必ずしも呉越の戦を物証
拍る際ハツ
どゑ つし
ヨ画伝記生を受容しながらも、きらに新たな説話を志 同 してい
必然 となってはいないようで、 光慶 図書館旧蔵の奈良絵本コ
長大な呉越の戦を物語るが、その末尾は越王が大宮人 国を授け
よへ
る。書承の枠に収まりきらない説話享受のあり方の中にこそ、直談
き らに 様
落詑 西施 話はその
索を急がねばならない。
木々の域を脱するものではないことをも認めざるを得 ない。森の探
中世を潜り抜けてきた巨大な森に楡ぅ べきこの集の説語群を形作る
成するものとして、まずは注目すべきものではあるが、
これらとて、
をもって成るコ直談因縁巣口において、ある程度まとっ
また話群 を形
四百余話
﹁沙石集L. 亨一国伝記﹂との類語関係にあるものは、
われる。
談義の場における説話の何たるかが浮かび上がってくるように思
よう とするのを辞した 油轟が 名を替え、三棚 に遁れ、 越王は 再び 西
な事例が確認されなければならないであろう。
五 出 において醸成された物語の流布を考えるためには、
施と 契りを結ぶという、むしろ 向
史記 口 に近い内容である。
々
さき やかな緒である。
おわりに
四百余話を有する説話の集から、その葉の特質を浮かび上がらせ
る数話を抽出することは甚だ難しい作業である。本稿では、 コ
直談
因縁集﹂中に﹁沙百案﹂・三国伝記﹂を受容した一群の説話が存
することを確認し、それらを下敷きとした具体的な説話の変容・改
二九
﹁真宗書誌学の研究﹂所収永田文目宣昭
ト汗に︶
O
四。︵﹁ 宮 崎圓
三O
⑪﹁三国伝記﹂の 引用は、版本を底本として、その欠脱を国会
注 ⑩の解説 中の﹁撰者﹂の項に簡潔にまとめられている
図書館蔵の写本によって補った前掲注⑩引用書 による。
⑫前掲
が、その後のものとしては、小林直樹氏﹁﹁三国伝記L の成立
思文閣出版年 2 ︶。
﹁大事国文﹂ 4
基盤1法華直談の世界との交渉|﹂︵﹁国語国文目早元 ・4︶
遵 著作集﹂ 第セ 巻に再録。
②
﹁国語と国文学 L 昭乾 ・5。
昭鍵 ・3 。
③
がある。
勉 試札
⑬前掲
昭 ㏄。
④
笠間書院
⑭﹁三国伝記
は。
⑮
氏 によって、﹁愛知県立
と 再 心僧都物語 |説 草から説話集へ| ﹂ 劣 説林﹂
2︶
専想寺蔵 ﹁恵心僧都草 口は 、黒田彰
訂平成元・
注 ⑩頭注。
⑤
説話・伝承学会シンポジウム﹁説話・伝承の生成・変 容の場
平 5.
大学文学部論集﹂ 抑に 影印紹介されている。ここでの引用は、
が指摘している。
集 ﹂ か 取り入れた 池誘 西施話などが周辺にありな
がらも、あえて﹁史記﹂の話柄を枠組とする物語生成のあり方
⑱﹁直談因縁
一氏、前掲 注 ⑩補注
前者の室町時代物 語 大成所収日恵心僧都物語﹂によった。
ついて﹂・田中氏﹁コ直談因縁集目における地域性の間頭 に
説 話に
注 ⑭論考。
⑰この部分に異同 の存することを、池上海
⑯前掲
つ
﹂・辻本﹁﹁直談因縁集﹂所収話の位相 |説話の変容
ど ー﹂である。
﹁直談因縁集目の説話番号は、巻数とその巻に存する
改作
いて﹂・小林氏﹁﹁直談因縁集﹂における説話配列をめ ぐっ
緑集目の説話﹂・阿部氏﹁直談因縁集 における天台高僧物語群
その際の諸氏の発表題目は、廣田氏 ﹁直談の説話とコ直 談因
旅 大阪女子大学
しての唱導および直談﹂︵於花園大学卒 8.4. 四︶
平 5。
⑥
の
⑧
は、中世の諸々の 説話・物語を取り込みながら物語化を図る伝
サ
次 付した番号とによって示す。
1本﹁ 成 院宮﹂ 絵 巻の存在などを想起させて興味深い。
あえて コ史記 L を拠りどころとしたスペン
本が存する中で、
井書店中世の文学︶補注。
二 一弥
引用は岩波日本古典文学大系による。
ヨ一国伝記︵下︶﹂