暮らし - 国民生活センター

暮らしの
判例
消費者問題にかかわる判例を
分かりやすく解説します
国民生活センター 相談情報部
名義人の娘による預金払い戻しに
応じた金融機関に、注意義務違反は
ないとした事例
本件は、預金名義人の娘が名義人の預金通帳、届出印、キャッシュカードと暗証番号
を使って預金の払い戻しを請求し、銀行が払い戻しに応じたことについて、名義人が、
銀行の注意義務違反による債務不履行責任を主張して損害賠償請求をした事例である。
裁判所は、銀行に金融機関として業務上合理的に要求される注意義務を尽くさなかっ
た過失があるとした第一審判決を取り消し、
払い戻しは名義人の承諾に基づいて行われ
たもので、銀行に債務不履行責任は認めら
れないとした
(東京高裁平成 27 年7月 16 日
判決、
『金融・商事判例』1475 号 40 ページ)
。
原 告:X
(被控訴人、消費者)
被 告:Y
(控訴人、銀行)
関係者:A(X の娘で Y の補助参加人、一審時は行
方不明)
B
(Y の窓口担当者)
(Y の窓口払い戻しの検閲事務担当者)
C
トに入れて保管していた。しかし、鍵は力を入
事案の概要
れて引くと壊れて開いてしまう状態であった。
X は、1941 年生まれで 2001 年に勤務先を定年
Xは、同年8月14日、知人の法事に出席するた
退職した。X と娘の A は同居していたが、2012
め、Aに犬の世話を頼んで外泊した。Aは、その
年3月に自宅が火事にあって借家住まいとなり、
14 日と翌 15日にコンビニエンスストアのキャッ
別居した。A は、週に1回程度 X 宅を訪問し、X
シュディスペンサー
(以下、CD 機。現金などの
は A の要望に応じて本件口座から生活費を送金
引き出しは可能だが振込や通帳記入はできない)
していた。
から 12 回に分けて合計 100 万円を引き出した。
X は、Y の甲支店に普通預金口座があり
(以下、
加えて、15日に Y の乙支店を訪れ
(X は一度も乙
本件口座)
、預金通帳、印鑑、キャッシュカード
支店を利用したことがなかった)
、約 2100 万円
等は寝室の押し入れ内の鍵のかかるキャビネッ
の残高があった X の本件口座からほぼ全額を払
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い戻した。
理 由
X は同月 17 日、通帳等がなくなっていること
に気づき、警察に通報するとともに口座を開設
本件控訴審判決
(以下、本判決)
は、原判決を
している Y の丙支店に赴いて説明を受けた。数
変更し、X の請求を棄却した。
日後、X は乙支店に行き、手続きどおりに支払
⒈X の払い戻しの承諾について
いをしたと説明された。
A は、2012 年8月 14 日より前に、X から本件
Aは、同月30日に X 宅を訪れ、払い戻し金はす
口座の預金全額を引き出すよう依頼され、次の
べてなくなったと告げ、その後所在不明となった。
そこで X は、A は盗んだ通帳等を利用して払
2点を指示された。
⑴窓口に行く前にさまざまな場所の A TMから
い戻しを受けており、B や C には注意義務を尽
合計 100 万円を引き出すこと
くさなかった過失があるとして、Y に対して債
⑵窓口で払い戻しを受けるときは Y の乙支店に
務不履行を主張して、払い戻した金額の返還を
行くこと。そして、通帳等は X の自宅に置い
請求した。
ておくので、X が留守にしている間に、A が
これに対し、Y は、民法 478 条
(債権の準占有
自宅に入って受け取ること
者に対する弁済は、弁済をしたものが善意無過
A が X の自宅に入ると、机の上に封筒があり、
失の場合に有効だとする)および免責特約によ
その中に、通帳、届出印、キャッシュカード、
り払い戻しは有効であると主張した。X は、一
暗証番号を書いた付箋紙が入っていた。
ふ せん
般社団法人全国銀行協会にあっせん手続きを申
A は、上記 ⑴ ⑵ の指示通りに預金を引き出し、
し立てたが決裂したため、訴えを提起した。
乙支店では、自分の身分証明書として運転免許
第一審判決(以下、原判決)
(参考判例①)は、
証を示し、父親 X は出張で来店できないので代
本件では、A が X の真正な通帳等を持っていた
わりに来たこと、払い戻す資金は火災にあった
など X が A に払い戻しの権限を付与していたこ
家屋の建て直しに使うこと等の説明を行い、払
とをうかがわせる事実はあり、これらを確認し
い戻し手続きを行った。
てなされた払い戻しは預金債権の準占有者に対
本判決は、X の
「A が通帳等を盗んだ」
「X が依
する払い戻しに当たるものと思われるとしつつ
頼したのなら、A が乙支店の来店前に深夜、短
も、A が X の預金払い戻しを請求する正当な権
期間に複数回の引き出しをするはずがない」と
限者ではないと疑うべき特段の事情があると言
の主張に対し、盗んだものであれば引き出し行
え、B・C が金融機関として業務上合理的に要
為時の不正発覚の危険を避けるために 1 回の引
求される程度の注意義務を尽くしたとは認めが
き出しで限度額まで現金を引き出そうとするは
たく、Y には過失があるとして、X の請求を認
ずで、短期間に複数回の引き出しをすることは
容した。これに対して Y が控訴した。
かえって不自然であり、X の指示によるものだ
控訴審では、原審
(第一審)では所在不明で
との A の供述は信用できるとして、X の主張を
あった A が、Y のために補助参加した。そして、
退けた。
A は、コンビニエンスストアの CD 機からの引
⒉Y の注意義務違反について
き出しを含め、X から指示されたとおりに本件
免責特約では、持参した印鑑の印影と印鑑届
口座から現金を引き出したと証人尋問において
が相違しないこと、または届け出られた暗証番
供述をした。
号と入力した暗証番号が一致することのいずれ
かがあれば Y の免責が認められる。本件では、印
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鑑・暗証番号のいずれについても一致が認めら
件はそのようなケースにおいて原審と控訴審で
れ、それ以外の事実を検討しても Y の注意義務
判断が分かれた微妙な事案として参考になる。
違反を認めるに足りる証拠はないから、民法 478
原審では A が所在不明であったという事実関
条の弁済として有効となる要件を備えている。
係を前提に、A が預金払い戻しを請求する正当
したがって、X が主張する Y の注意義務違反に
な権限者ではないと疑うべき特段の事情がある
よる債務不履行の事実は認められないとした。
と判断されたのに対して、本判決では A が Y の
ために補助参加したという新たな事実関係を前
提にして、Yに注意義務違反はないとされた。そ
解 説
の意味で、本判決も、単に
「免責約款では印鑑に
本件は、原判決
(参考判例①)
と本判決で結論
よる印影と届出印が相違しないこと又は暗証が
が異なる判断となった。判断の前提となる事実
一致することのいずれかがあれば免責される」と
関係の大きな違いとして、原審の審理過程では
いうことだけで結論を下しているわけではない。
A が所在不明であったのに対して、控訴審の審
理では A が Y に補助参加
(訴訟の結果について利
害関係を有する第三者が、当事者の一方を補助
するため、訴訟に参加すること)
したうえ、X の
指示に基づいて行動したと述べている点がある。
このような背景の下で、原判決が A による本件
預金の払い戻しは X の意に反するものであった
ことを前提としているのに対して、本判決は A
の供述を信用し A は X の指示どおりに行動した
という認定となっている。
これは、事実認定の違いであるが、原判決も
本判決も認定事実はごく簡略なものであるため
事実関係の詳細は不明である。例えば、Aは、本
件預金払い戻しの前日、コンビニの CD 機から
4回に分けて計 46 万円のほか、1万円を4回に
参考判例
分けて計 4 万円
(合計 50 万円)
、払い戻しの当日
に4回に分けて計 50 万円を引き出している。
①東京地裁平成 26 年8月21日判決
(
『金融・商事判例』
1453 号 56 ページ)
本判決によれば、この A の行為は X の指示に
よるものだとされているが、不自然さが残る。
また、X が A にお盆休みの最中に工事代金の支
払いのため預金の引き出しを指示したとするな
らば、請負業者との間の代金支払い日や支払代
金がどうであったのかが重要であるが、その点
②釧路地裁平成 24 年 10 月4日判決
(
『金融・商事判例』1407 号 28 ページ、同じ日
に預金者の妻が同じ銀行の別支店で2度預金
を払い戻したことについて、2度目は銀行に
過失があると認定した)
③東京地裁平成 24 年1月25 日判決
(
『判例時報』2147 号 63 ページ、盗難された
キャッシュカードの ATM での払い戻しについ
て、銀行に預金者保護法の補てん責任を認めた)
に関する事実関係はまったく認定がない。
親族が代理人として預金の払い戻し請求の手
続きをする場合は少なくないと思われるが、本
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