『 ト イ レ 掃 除 か ら 学 ん だ こ と 』 第122号

じゃない。そういう相手ではないと見定めた
わけです。昭和五十一年、売り上げの %、
売り上げの半分以上をやめるということは命
がけです。 %だってやめることはなかなか
できないですよね。私は覚悟して、やめると
決断したんです。その時の決断が正しかった
から会社が今残ったんです。決断するときに
大事な条件が一つあるんです。この仕事をや
ってれば絶対に社員が幸せになれない。会社
も良くならない。だとしたら先に行ってやめ
るんじゃなしに、今すぐにやめるべきだと決
断をして 、
大変な危険を覚悟してやめました。
売り上げが落ちて大変な目に遭いました。で
も人間というものは不思議ですね。そういう
もの凄い厳しい環境の中に身を置くと、今ま
で気がつかなかったことに気がつくようにな
る。凄い力を発揮するようになるんですね。
そこで次々と大ヒット商品を生み出すんで
す。あれがなかったら、会社はもたなかった
と思います 。
会社は一時低迷しましたけども 、
そのあと急に成長をしてきたわけです。人間
が飛躍するには、どういうときに飛躍して成
長するのか。それは覚悟をして決断したとき
なんです。その覚悟も決断もできない人は絶
対に飛躍なんかできない、成長もできない。
いつまでたっても変わらない。人生の中でい
ろんなことが起きたときには、今のこの事が
十年後、二十年後どうなるか。今より良くな
いと思ったとき、潔くそれをやめるくらいの
覚悟をしていただきたいですね。
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【編集後記】若い先生たちが身を低くしてトイ
レ掃除をする姿は貴いです。 月 日第 回奈
良便教会、翌 日第 回東京便教会、いずれの
便教会も若い先生が中心となって掃除の素晴ら
しさ、魅力を発信されています。私は四十歳を
過ぎ、追い込まれ八方ふさがりになり嫌々のト
イレ掃除が始まりでしたが、出合いは一瞬早か
らず、遅からずでジャストインタイムでした。
必要なものが、必要な時に、必要な量だけ入っ
てきます。あれから 年間、トイレ美化活動は
私の成長の糧であり続けています。ここ数年で
便教会の活動が全国に広がりつつあります。若
い先生が掃除道の魅力に惹かれることでより多
く掃除の種まきができます。
「掃除に学ぶ会と便
教会は何が違うの?」と質問されることがあり
ますが、やることは同じで「きれいを広げる」
ことです。世の中から心の荒みをなくすことが
鍵山相談役の心願であり、掃除道にご縁のある
人々の目指すところであります。それじゃ何故、
便教会なのか。人間教育に影響力を持っている
のは教師です。幼稚園、小学校、中学校、高校
と子どもたちは先生の一挙手一投足を見ていま
す。どんなに立派なことを言っても子どもたち
の目は澄んでいて、本当のこと、嘘のことを見
極めています。教師の教師による教師のための
トイレ掃除に学ぶ会「便教会」は、ひょっとし
たら傲慢、高慢になりかけた自分への戒め、気
づきを与えてくれるかも知れません。気づくこ
と、やり直すことに早すぎることも遅すぎるこ
ともありません。
高野修滋 拝
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分はいい子なのか悪い子なのか」と突然、聞い
てきました。その時私は、はっとしました。最
初、この子はすぐにトイレ掃除を止めてしまう
だろうと疑いの目で見ていたことを・・・。き
っと、私の心を察したのでしょう。彼だけでは
ありません。圧倒的に成功経験が少なく、褒め
られることがない子どもは、自分のことを「悪
い、できない」と責めてしまっている。その状
況をつくってしまったのは、教師自身です。
教師は、口では正しいことを言いますが、言
葉と日々の行動が伴っていない時に子どもはそ
れを見抜き、大人を疑いの目で見るようになり
ます。それが、心が荒む原因になっていくのだ
とこの時思いました。そして、自分の先入観で
生徒を判断している教師が学校の組織にいると
したら、それが「一見、綺麗に見えるけど見え
ない汚れ」であり、トイレの匂いのように、目
に見えないけど周りを苦しめる元になっている
のだと思いました。
便教会 で出会った先生方が 仰っているよう
に、目線を低くして学ばなければならないのは
教師だということを真摯に受け止めたいと思い
ます。なぜなら、学校教育は人間形成に大きな
影響を与え、その限られた時間の中で、教師が
教えられることはほんの僅かなことだからです。
便教会は、教師の教師による教師のためのトイレ 便教会新聞発行責任者 高野修滋
掃 除 に 学 ぶ 会 で す 。「 方 法 論 や 技 術 や 手 法 で は な 〒四四五ー○八○二
い、ただ身を低くして実践あるのみ」の教育方針 愛知県西尾市米津町天竺桂二七
で、自らの人格を高めることを目的としています 。
T/F○五六三ー五六ー四三二七
悟
ない理由を頭で考えては、言い訳ばかりしてい
ました。
心の葛藤が何年か続いていた時、毎月購読し
ている雑誌で、 相
談役が全国の学校のトイレ
掃除を通して、
「優れた人格を備えた先生に出逢
う一方、残念ながら教壇に立つ資格がないと思
われる先生も少なからずいることも事実」と仰
っていました。
「組織はそこにどういう人がいるかで決まる」
「果たして自分は、学校という組織の中で、ど
のような人間なのか・・。
」
考え悩んでいた時、学校の居残りで、ある男
子生徒がトイレ掃除をしているところを見かけ
ました。その生徒は、私に対して暴言を吐いた
こともあり、頻繁に生徒指導されるような生徒
でしたが、根は素直で優しい子です。トイレ内
は、掃除が行き届いていない所もあり、床も汚
れている状態でした。 私
は、彼の日頃の様子
から、すぐに止めてしまうだろうと思いました
が、一緒に掃除をすることにしました。
始
めは、匂いがひどく苦戦しながらも、便器
の裏側を見ると水垢があり、これが匂いの原因
だよと教えると、しゃがんで水垢を取り始め、
最後には足をついて床を拭くまでになっていま
した。 掃
除中、色々な話をしている中で「自
H.28 6 月
牛をみんなが飼うことによってその村全体が
良 く な っ て い く 。「 朝 鮮 で 聖 人 と 呼 ば れた 日
本人」という本が出ております。この方は官
僚ですから戦後は逮捕されるんですね。追わ
れる立場になりました。そして捕まるんです
ね。取り調べに当たった検事が「重松先生、
私のことを覚えていませんか。先生の卵の貯
金 で 学 校 に 行 っ た 金 東 順 で す よ 。」 と 言 う ん
です。重松さんに助けられ、鶏のお蔭で学校
に 行 け た。 そ の お 蔭で 今 、 検 事に な っ てい る
と い う こ と で 、「 先 生 、 任 せ て く だ さ い 。 先
生は必ず私が守りますから」といろいろ取り
計 ら って 、 重 松さ ん は 無 事日 本 に た どり 着 く
こと が で きた ん で す 。日 本 人 に 世話 に な っ た
という方はいっぱいいるんです。国家として
反対してるためにそういうことは言えない、
感謝もできない、お礼も言えない。話を戻し
ますけども、問題が起きたときに問題のせい
にしたり、あるいは問題が起きたからこうな
っ たと い う ので は な く 、
逆にその問題の対処 、
対応の仕方が果たして正しいかどうかを考え
ていただきたいです。
私は 昭 和 三十 六 年 に 事 業を 始 め まし て 、 ず
いぶんいろんな災難に遭いました。人にだま
されたり、会社が消滅しそうなくらい大きな
損害を被ったこともありますし、それから私
自身の判断で大きな取引先を次々とやめて売
り上げが激減しました。分かってた上でそう
い うこ と を しま し た 。 そ れは な ぜ か 。 こ の 仕
事は将来、二十年も三十年も先までやる仕事
『トイレ掃除から学んだこと』
(東京都)豊島区立千早小学校
教諭 中村 路佳
第122号
トイレ掃除との出会いは、今から五、六年程
前、私が教員になる前のことです。ある教師塾
の講演会で鍵山相談役が来てくださり、その後、
トイレ掃除実習を行いました。会場となった小
学校は駅から離れ、とても不便な所にあった為、
人数も 人に満たなかったと思います。それで
も、相談役が来てくださったことを今でも覚え
ています。
当時の私は、トイレ掃除もしたことがありま
せんでしたし、鍵山相談役がどのような方なの
か、存じ上げていませんでした。 けれども、
「心
を磨く」という言葉が、私の胸の奥にずっとあ
りました。そして、その言葉は、時に自分を励
まし慰め、時に自分を苦しめていました。なぜ
なら、実践と日常生活がまったく別ものだった
からです。一見、頑張っているように見えるけ
れど、本当の自分は、嫌なことから逃げてしま
うずるい人間。トイレを見る度に自分自身と重
ね合わせていました。他の人と一緒にいる時は
できるのに、いざ一人になると出来ない。出来
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でした。結局、周りの目を気にしていた自分
に気付きつ つ、また足踏 みをしました。 そ
んな私が参加した初めてのトイレ掃除。昨年
の 月のことでした。学年が離れてからもト
イレ掃除に一生懸命取り組まれる小山先生の
姿、そして、同じ職場の先生が便教会に参加
されたことが 、
私の背中を押してくれました 。
初 めて掃除した場 所は、一年生の時に気に
かかっていた男子トイレでした。その日は、
小便器を担当させていただき、初めて小便器
の奥を見て、硬い汚れの塊に驚きました。何
年も積み重ねられた汚れは今まで想像したこ
とがないものでした。また、便器の奥を見た
時に感じた鼻を突く臭いは、教室で感じたも
のとは比べ物にならないくらいでした。自分
の手で磨くことに少し抵抗を感じましたが、
その迷いは最初だけでした。夢中でした。こ
の汚れを落としたい 。
自分の手で汚れが落ち 、
目に見えて変わっていくことが、ただただ楽
しくて、時間を忘れて取り組みました。
こ の 日 の 経 験 は 、 い ろ い ろ な 気 付 き を私 に
くれました。壁の下の方についた黒い汚れ…
子どもたちがけったのかな。子どもたちの手
が届く高さはいろいろな場所が黒くなってい
る…手はきちんと洗っているのかな。床にこ
びりついた黄色い汚れ…どんなトイレの使い
方をしているのだろう…。子どもの姿が、ト
イレのいろいろな場所から思い浮かび、考え
させられました。
そ し て 、 何 よ り 大 き か っ た の は 、 周 りの 便
二年前、 歳という若さでこの世を去った生
徒がいます。彼は「一番大切なもの」という課
題の中で、病気で震える手で一生懸命、
「命」と
書きました。そして、
「みんなと勉強がもっとし
たかった」と言いました。
命の灯が消えそうになっても、それでも学び
続けたいと願った彼から、
「人はどんなに困難な
状況であっても決して学ぶことを止めてはいけ
ない」ということを教えてもらいました。
私は昨年、中学校教員から小学校教員になり
ました。子どもたちの命の輝きが自分の心を明
るく照らしてくれます。自分ばかりが何かしな
ければと縛られていたことも、子どもたちから
もらう温かさもあるのだと最近思うようになり
ました。生きている喜びを感じつつ、今ここに
自分がいること、トイレ掃除を通して出逢った
方々に感謝の気持ちをもって、これからの日々
の生活を丁寧に生きていきたいと思います。
らいというイメージがありました。当時、私
は、城東小学校でトイレ掃除を行うことを聞
き、自ら学校全体のトイレ掃除を行うと話さ
れた小山先生に感心させられたものの、自分
が参加することを考えてすらいませんでし
た。 その年、私が 担任していたクラスは一
年生。教室の隣に男子トイレがあり、休み時
間になると、 人ほどの児童が代わる代わる
のトイレを利用していました。毎日の掃除の
時間に、トイレ掃除ももちろんあります。し
かし、黄色く色が変わった床、薄汚れた色の
壁、ツンとした臭いなど、トイレの状況は決
してよいものではありませんでした 。
それは 、
休日に誰もいない教室へ行くと、教室中に何
ともいえない臭いがたちこめているほど。小
山先生がそのトイレを一人で掃除していたこ
ともありました 。けれども、何もしない自分。
小山先生がトイレ掃除を始めたことを知りな
がら 、見て見ない ふりをしていました。 そ
れから、半年程たったある時、小山先生から
声 を か け て い た だ き ま し た 。「 一緒 に ト イ レ
掃除をしませんか」と。その時、私は、城東
小学校のトイレの汚さ、小山先生が一人でも
一生懸命トイレ掃除をしてみえたことが一番
に思い出されました。一方で、私の勤務校で
参加している職員が小山先生以外誰もいない
ことが気にかかりました。なんとなく、皆に
広がらない雰囲気。自分が気になるのなら、
一歩踏み出せばいい。それだけのことが、重
くて、なかなか「はい」と返事ができません
そ、こうなれましたという人ですね。これを
私の人生に当てはめてみますと、戦争で家が
焼かれて、全く経験のない農業生活をやって
大変な生活をしました。でも家が燃えても住
むところがあったからこそ、私は今のように
勤勉で誠実な人間になることができたんで
す。もしか私が恵まれた裕福な家庭のままで
育っていたら、およそ誠実とか勤勉とかとは
ほど遠い人生になっていたと思いますね。と
いうことで起きた問題はそんなに問題ではな
いんですね。問題に対してどう対応して、対
処していくか。問題のせいにする人は問題の
せいにすればするほど不安になってくる、心
配になってくるんです。そうすると益々人の
せいにする、社会のせいにする、誰かのせい
にする。お隣の国の朴大統領を見ればおわか
りでしょう 。
何が起きても日本のせいにする。
あれは不安になっているから、ものすごく不
安を持っているから日本のせいにせざるを得
なくなってくる。日本のせいにすると益々不
安がかさむからもっとやるという悪循環に陥
っていると思うんです。私は本当に気の毒だ
と思います。一人ひとりはいい人がいっぱい
いるんですけども、そういう国家に入るとそ
の流れに流されてしまう気の毒な国民だと思
っております 。
重松髜修(しげまつまさなお)、
この方は戦前、韓国の貧しい人たちの面倒を
見るために鶏のひよこを与えるんですね。そ
の鶏を育てて産んだ卵を絶対に食べずに、売
った卵のお金を貯めて牛を飼う、その
私がトイレ掃除のことを知ったのは、一昨
年。同じ学年でご一緒させていただいた小山
先生が、この年の 月に私の勤務校で便教会
を立ち上げたことがきっかけでした。トイレ
掃除というと、人がやりたがらない、やらな
ければと思うから行うけれども、手を出しづ
(愛知県)犬山市立城東小学校
教諭 山田 早織
『一歩』
教会の方たちのトイレ掃除に取り組む姿でし 『覚悟と決断』
た。誰もが自分のできることを見つけ、細部
日本を美しくする会
まで綺麗にしようと夢中で取り組んでいる。
相談役 鍵山 秀三郎
皆 さん の 手 によ っ て 、 み るみ る ト イレ の 様 子
今、日本の国にはたくさんの問題がありま
が変わっていきました。
す。国家にも、社会にも、学校にも、家庭に
初め て終えたトイレ掃 除で、私の心に一番
もたくさんの問題があるんです。そうすると
残ったことは、その場の空気が変わったこと
み ん な 、「 こ う い う こ と が あ っ た か ら こ う な
でした 。
言葉ではうまく表現できないけれど、
っちゃった…」と問題のせいにする人が多い
澄んでいて、気持ちがよくて、汚れがとれた
んですね。こういう問題があったから私はこ
綺麗さだけではなく、トイレ全体が明るく感
うなった。人生まで問題のせいにすることが
じま し た 。 きっ と 自 分 が体 験 し たか ら こ そ 感
多 い ん で す 。 し か し 、「 こ う だ っ た の に こ う
じられた、その場の空気。トイレ掃除をする
なれた」という人生の人もいますよ。同じよ
までの葛藤は、汚れと一緒にすっと消えて、
うな問題が起きたとき、片方は「私はこうだ
「 あ あ 、 や っ て よ か っ た 。」 と い う 気 持ち だ
っ た か ら 、 こ う な っ ち ゃ っ た ん で す 。」 と 人
けが、その場に残りました。
生 を 終 わ る 人 も い る し 、「 私 は こ う だ っ た の
そ の 後 、 五 回 の ト イ レ 掃 除 に 参 加 さ せて い
に こ う な れ ま し た 。」 と 言 え る 人 も い る 。 も
ただきました。毎回、トイレ掃除をさせてい
う 一 歩 進 め る と 、「 最 初 の 問 題 が あ っ た か ら
ただ く た び に、 新 た な気 付 き が あり ま す 。 綺
こそ私はこうなれました 。」という人もいる 。
麗にするための様々な工夫。見える汚れだけ
そういうふうにありたいですね。私がどうい
でな く 、 見 えな い 汚 れ に体 の あ らゆ る 感 覚 を
う こ と を 言 い た い の か と 申 し ま す と 、「問 題
使って向き合うこと。正直、私は何かを考え
が起きることは問題ではないんです。問題に
なが ら ト イ レ掃 除 を す る こと は で きて い ま せ
対してどう対処していくのか。どう対抗して
ん 。 そ の時 、 一 瞬 一瞬 で 出 合 った 汚 れ とた だ
い く か が 問 題 な ん で す 。」 そ の 対 処 の 仕方 、
ただ向き合うだけ。それでも、今回、一歩踏
対応の仕方が悪いと何もかもが悪くなってい
み出したことは、私がこれまで知らなかった
く。そうすると、私はこういうことがあった
も の をた く さ ん見 せ て く れま し た 。 これ か ら
からこうなってしまいましたと問題のせいに
も 、自分が変わる何かのきっかけに、そして 、
する。ところがその問題をとらえて、私はこ
トイレ掃除を通して、自分を見つめ直すこと
ういう問題があったのにこうなれました。も
ができたら、と思います。
っと進んでいる人は、私はこうだったからこ
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