29 独り立ちを支援する

第
29 回
独り立ちを支援する
-児童養護施設での消費者教育-
前田 道利
Maeda Michitoshi
司法書士(奈良県司法書士会)
奈良県司法書士会法教育委員会委員長。近畿司法書士会連合会法教育推進
委員会副委員長。奈良青年司法書士会法教育委員会前委員長。全国青年司
法書士協議会人権擁護委員会委員。
このコーナーでは、消費者教育の実践事例を紹介します。
は たん
司法書士はここ十数年で消費者トラブルに関
返して生活が破綻してしまった人と一緒に家計
わる機会が格段に増えました。トラブルのなか
収支表を再現したりします。自分の家計収支を
には簡単な法律知識があれば防止できたであろ
把握してもらうためです。
うものも少なくありません。全国青年司法書士
家計収支表を作るという作業を模擬的にでも
協議会
(若手司法書士の全国組織)
では、10 年ほ
体験することで、施設退所後の子どもたちを少
ど前から消費者トラブルを未然に防ぐことがで
しでも消費者トラブルの被害から守りたい。そ
きるよう児童養護施設
(何らかの事情により家
んな願いがこの教材には込められています。
族による養育が困難な2歳からおおむね 18 歳の
グループワークの概要
子どもたちが生活をする施設。以下、施設)で
暮らす子どもたちを対象とした法教育・消費者
家計収支表の作成は、グループワーク
(以下、
教育を推進しています。本稿では、私が所属す
ワーク)で行います。子どもたちは3~5人の
る奈良青年司法書士会
(以下、当会)
が取り組ん
グループに分かれて、グループごとに4月から
でいる、施設の子どもたちを対象とした消費者
一人暮らしを始める新社会人
(の気分 )になって、
教育を紹介します。
4月と5月の2カ月間の家計収支表を作ります。
そして、
その出来栄えをゲーム形式で競います。
「ミッション/理想の家計収支表」
ミッション1
収入を決めろ!
「ミッション/理想の家計収支表」
は当会が施
収入は
「手持ち資金クジ」
と
「給料クジ」
の2つ
設の子どもたちを対象に、一人の消費者として
のクジで決まります。高収入でスタートできる
最低限知っておいてほしいことを体験的に学ん
のかそれとも低収入でのスタートになってしま
でもらうために開発した消費者教育の教材です。
うのかは偶然の要素で決まりますので、いやが
「施設の子どもたちはお金の管理をしたこと
上にも盛り上がります。収入が決まったら模擬
がないので、そもそもお金の使い方が分かって
紙幣を受け取って、グループごとに大まかな作
いない」最初に訪問した施設の職員は私たちにそ
戦を話し合います。
う話しました。その話を聞いたとき
「だったら
ミッション2
住居を決めろ!
子どもたちに家計収支表を作る体験をしてもら
大体の作戦が決まったら、不動産屋のブース
おう」と思いつきました。
にグループ全員で出かけ、アパートを選び、賃貸
家計収支表には生活のありとあらゆる要素が
借契約を結びます。ここでのポイントは子ども
詰まっています。実は司法書士は業務でよく家
たちが立って歩くことです。落ち着いて話を聞
計収支表を作ります。例えば多額の借金を繰り
くことが難しい子どもでも楽しんで参加できま
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す。住居の契約には家賃のほかに保証金
(敷金・
かします。気持ちが大きくなるのか高い買い物
礼金等)
や仲介手数料など予想外の出費が伴うこ
をしてしまい、残りのお金がほとんどなくなっ
とを学びます。ちょっと怪しい雰囲気の不動産
てしまうのです。途中で気がついてお店に取り
屋役の講師の説明を受け、リアルに再現した契
消してほしいと交渉に行ったグループもありま
約書に模擬印を押して模擬紙幣を支払うとき、
すが
「一度結んだ契約は一方的に取り消すこと
子どもたちの興奮は頂点に達します
(写真1)
。
ができない」という社会のルールを学んでもら
うこととなりました。
各グループには指導役の司法書士を 1 人ずつ
配置しますが、失敗しそうになっても止めたり
しないように打ち合わせておきます。講義では
子どもたちが失敗したポイントを重点的に説明
します。そして最後に
「今日ここでした失敗は、
写真1 不動産屋のブースでのようすと契約書等
実際の場面では絶対にしないよね」と言うと、
子どもたちは大きくうなずいてくれます。失敗
ミッション3
家具や電化製品をそろえろ!
次に、家具家電商店のブースで家具と電化製
したことは決して忘れません。このワークのポ
品のセットを購入します。いくつかのセットの
イントはどれだけ安全に失敗してもらうかに尽
中からみんなで相談して選択し、模擬紙幣を支
きます。
払います。業者役の講師はローンを勧めたりし
法教育・消費者教育で大切なこと
ます。
当会ではこのほかにも、一人暮らしの住まい
ミッション4
残りのお金の使い道を考えろ!
にまつわる教材や、物やお金あるいは名義の貸
ミッション5
5月分も考えろ!
し借りについての教材を楽しみながら工夫して
手元に残った模擬紙幣をもとに、1カ月間の
作っています。
お金の使い道をグループで話し合って決めます。
2~3時間程度のワークや講座ですべてを理
5月分も併せて考えることでよりリアルにお金
の流れを考えら
解してもらうことはできませんが、法教育・消
れます。
費者教育において最も大切なことは、問題に気
最後に、力を
づく力と相談する力を身に着けてもらうことだ
合わせて完成し
と考えています。相談する力とは自分一人で解
た家計収支表を
決しようとするのではなく誰かに相談する力、
採点し、結果を
発表した後に重
社会とつながる力です。施設を退所して社会に
写真2 各グループが作成した
家計収支表をもとに解説
巣立った人の中には、家賃が払えず、自分一人
で解決しようとした揚げ句に行方をくらまして
要なポイントを簡単に解説します
(写真2)
。
しまう人がいるそうです。
失敗したことは忘れない
今回紹介した教材を使うためには、とてもた
講義や解説の時間はほんの少しです。子ども
くさんのスタッフを必要とします。司法書士が
たちが自ら動いて体験することによってさまざ
大勢で施設を訪れ、子どもたちとワークや食事
まなことを感じ取ってもらうのがこのワークの
(たまにスポーツなど)
を通して仲良くなり、何
特徴ですが、特に大切なことは失敗してもらう
かあったら相談していいんだよと語りかけるこ
ことです。例えば最初のクジで高収入を引き当
とは、施設で暮らす子どもたちにとってとても
てたグループはたいてい似たような失敗をしで
大切なことだと考えています。
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