上手(じょうず)になる人の条件

朝会の話
上手(じょうず)になる人の条件
280523
村松
きょうは日本のサッカーをトップにした人のお話です。
今から48年前、1968年のメキシコオリンピックで日本のサッカーチームは3位に
なり銅メダルを獲得しました。そのときの監督は、長沼 健(ながぬま けん)という人
です。
長沼さんはその後、日本のプロリーグであるJリーグを作るのにも力を発揮した人で、
サッカーがすごく人気のあるスポーツになったのは、長沼さんのおかげだと言われていま
す。
その長沼さんが、「サッカーが上手になるためには、2つの
ものが必要だ」ということを言っていました。みなさんは、サ
ッカーがうまくなるには何が必要だと思いますか。少し心の中
で考えてください。練習、チームワーク、やる気、いろいろと
思い浮かびますね。わからない人もいますから、ヒントを出し
ますね。でも少しむずかしいヒントです。
長沼さんの話を聞いて、「私たちの世界でも同じです」と言
った人がいます。野球で巨人というチームを9年連続日本一に
した川上監督という人です。また、勉強のほうで一番有名だっ
た日比谷高校の進学担当の先生も、「私たちも同じです」と言
っています。サッカーでも野球でも、そして勉強でも、うまくなるには同じものが必要な
のです。
わかりましたか。うまくなる人、上手になる人に必要なもの、それは
・あいさつ
・整理整とん
です。
どうですか。自分の考えたのと違っていたのではないですか。
そうそう、長沼さんのこの話を聞いた後、「あいさつや整理整とんができなくても、サ
ッカーが上手になる人はいますか」と聞いた人がいました。
これに対して、長沼さんは次のように答えたそうです。「いません。絶対にいません。
何千人という選手を育ててきましたが、サッカーが上手になる人は、必ず自分からあいさ
つができ、整理整とんがきちんとできる人なのです。なぜかはわかりませんが」
どんな世界でも、上手になる人・一流になる人は、「あいさつ」と「整理整とん」がで
きるのですね。
今月の生活目標は「あいさつをしっかりしましょう」ですね。しっかりと実行したいと
思います。これで朝会の話を終わります。
<裏面に「先生方へ」があります>
<先生方へ>
今月の生活目標とともに、オリンピック関連も少しだけ話そうと考えて、長沼 健さん
のことを取り上げました。メキシコオリンピックでのサッカー3位は少し古いかなという
感じもあります。ただ、日本の男子サッカーでこれ以上の成績は、今までにはありません。
うまくフォローしてください。
今回もあいさつを取り上げたのは、長沼さんの「いません。絶対にいません」がインパ
クトがあったからです。この文を見たときに、朝会などで子どもたちに話したいと思いま
した。あいさつの重要性については、繰り返しになりますが学級などでの補足をお願いい
たします。また、「整理整とん」についても付け足して話していただけると助かります。
さて、今週から個人面談が始まります。短時間しかありませんので、時間延長をするこ
とがないよう気をつけていきましょう。どうしても話が切れないときには、「後日時間を
とりますので、そのときに伺うことでよろしいでしょうか」と言えば、経験上「お願いし
ます」という人はいません。時間延長をして、次の方にお待ちいただくことがないよう注
意したいものです。
個人面談はいろいろなやり方がありますが、私はいつもしっかりと資料をそろえておき
ました。具体的には、「子どもが親に伝えたいがんばっていること」を事前に書かせてお
きます。それを面談の最初に、保護者に紹介します。そうすると、面談がスムーズにスタ
ートします。
その後は、友だちからのプラス評価(○○さんのいいところなどのアンケート)を紹介
して、感想を聞きます。あとは学校生活の様子、学習の様子、運動面での様子を、資料を
もとにして伝えていきます。最後は、直していきたいことを1つだけ伝えて終わります。
こんな感じでしょうか。学年で情報交換をして工夫してみてください。また、聞きたい
ことがあれば、遠慮なく校長室へ来てくださいね。
<参考資料>
長沼 健(ながぬま けん) 略歴
1930 年9月5日、広島県生まれ 関西学院大学卒業
日本代表として、第 16 回オリンピック競技大会(1956 /メルボルン)等に出場。
国内においては、古河電工の選手として 1961 年度第1回年間最優秀選手に輝く。
1962 年、32 歳の若さで日本代表監督に就任。第 18 回オリンピック競技大会(1964 /東
京)、同第 19 回大会(1968 /メキシコシティ)に出場し、メキシコオリンピックではチ
ームを3位・銅メダルに導く。
技術委員長、専務理事、副会長を経て、1994 年日本サッカー協会会長就任。1996 年、FIFA
ワールドカップ初の共同開催を決定する。1998 年 FIFA ワールドカップ・フランス大会で
は、日本代表のワールドカップ初出場を果たす。
同時に、2002 年 FIFA ワールドカップの日本招致委員会副会長、日本組織委員会副会長を
務め、ワールドカップの招致と開催にも尽力。
日本体育協会副会長、日本オリンピック委員会委員、ユネスコ・日本フェアプレー委員会
委員等を務め、広くわが国のスポーツ界の発展にも貢献。
1990 年 藍綬褒章、2004 年 旭日中綬章
2005 年 第1回日本サッカー殿堂入り 2008 年没