YMN002606

代名詞﹁カレ﹂をめぐって
㈹はじめに
本稿は、代名詞﹁カレ﹂などの他称の遠称とよばれる語の用法
表現性について述べ、さらにそれが代名詞の組織の中においてい
なる位置を占めるものであるかについて述べたい。
ず、もっぱら①のように示すが、それは、末尾に示す文献の番号
は、 多く
褒称の使
指示語とよばれる他称の代名詞などの、近称・中称・ぜ
㈹指示語の用法のさまざま
0 ぺージ数である。
それにしたが ぅ。引用文の下に︵P Ⅲ︶のように示すの
ある。古典の引用は、岩波書店コ日本古典文学大系二所収 のもの
記
なお、文中に引用する先学の文献の名称は、いちいち文 中に・
か
で
さ
は
そ
い
堀口
分けについては、佐久間鼎⑥の、
和吉
手 のと
﹁これ﹂という場合の物や事は、発言者・詰手の自分の
どく範囲、いわばその勢力圏内にあるものなのです。 また、
﹁それ﹂は、話し相手の手のとどく範囲、自由に取れる区域内
︵P花 ︶
のものをさすのです。こうした勢力圏外にあるものが、すべて
﹁あれ﹂に属します。
という見解に従う立場が多く、若千の修正はあるものの、これが通
説 となっている感がある。そして、文脈指示用法に中称が多く用い
ム五話の文章等において、既に表現きれた柏手の発内
言容は、相
られる理由としても、
︵井手車⑪PⅢ︶
V・
の他称の代名詞で指示されるのであ
︵中略︶・・
ム・
ソ・
系・
手 つまり聴者の勢力圏内にある話材 として把握されるために、
る0
一度 表現
話し手が、不特定の読み手と、文章表現を媒介して対 立 すると
きは、自分と相手とのなればりも分かれているので、
︵岡村和江⑫ P ㏄︶
した以上、話材は自分の外においてソ系の指示語で文脈 を 進め
てゆくことになりやすい。
というような見解が多く出きれた。現場指示用法で中称を 用いる 場
たく、また、
ぞれ指示をするものだとした。中称は、現場指示において聞き手の
身近なものを対象とし,対話の際の文脈指示において相手の発言 内
容を対象とする場合があり、ために﹁聞き手の領域﹂の対象を指示
する よう にいわれたが。それは逆であり、聞き手の存在を顧慮する
からこそ平静指示の中称が用いられるのであって、基 本的に中称を
そのように規定するのは妥当ではないことを主張した。
第二に、知覚対象指示と観念対象指示との用法は、多くの場合 内
合 に常に﹁聞き手の領域﹂の対象を指示するとは認めが
言や独白にとどまるが、時には聞き手の存在する場でも 用いられ、
可能古 呂 ︵
盤︶と寝ずやなりなむは たす すき芋貝野の 出 に月 片
また、積極的に独白調の文芸作品に用いられることを指摘した。
必ずしも特定の聞き手を想定しない文章表現に﹁聞き手の領域﹂を
⑮︶。
設定することなどは無意味であり、私は以前に、指示睾巾の表現性に
ついて、別の考え方が必要であることを主張した︵⑭
寄るも
宙じの ここだ か
︵万葉・三五 -八五︶
多麻Ⅲにさらす手作りさるきらになにそ許龍 児
その第一は、指示語の用法としては現場指示と文脈墳 小とがよく
挙げられるが、それぞれの基本には必ずしも聞き手を想足 しない 知
︵万葉・二三 セ 三︶
︵万葉・三三八六︶
ほほ鳥の葛飾早稲をに へすとも 曽龍司祭 2校 鈴捕 ︶を 外 に立て
なしき
党対象指示と観念対象指示との用法があることを指摘した。
脈対指
覚<
対
$.
象v
現指
場示
指示
︵知文
観念
象示
指示
めやも
逢はむ夜は何時もあらむを何 すとか 彼タ盆じ 逢ひて 言 のしげき
そして、それぞれの用法に通じるものとして、近称・遠 称は、 話し
卜ナヰハ
手が自己に関わり深いとする対象を強く指示する強烈指示であり、
かくばかり 恋ひ むものそと知らませば兵破 鮫の︶はゆた にあらま
︵万葉・二八六 セ ︶
︵万葉・ セ三 0 ︶
中称は 、話し手が自己に関わり薄いとする対象を自己抑制して対象
Ⅹヰ ⅠⅩ
に即して指示する平静指示であるとした。すなむ ち 、近称は 、身近
しものを
これらの使い分けは、﹁聞手の領域﹂とは全く無関係に、もっぱら
@
な存在だとする対象を親の思いで、遠称は、遥かな存在 だとする 対
象を親の思いで、中称は、対象そのものに即して疎の思いで、それ
、
ノ一一一
@@
市門
第三に、文脈指示といわれる用法は、観念対象指示が根底にあ
語の使用については、そのように断言してよいように思われるが、
象指示用法・文脈指示用法をいうものである。現代語 の遠称 ア系の
㈹は観念 対
り、その使い分けも、基本的にそれと同様だと主張した。この用法
とある。㈹は知覚対象指示用法・現場指示用法をいい、
でも観念の中にある対象を指示するのではあるが、その対象が文脈
は、必ずしもそのようにいうだけではすまない表現性が認められる
古代 謡 およびそれ以来の文語表現に用いられてきた遠 称力 系の語に
話し手の対象への関わりの気持のちがいによるのである
において明示される点において観念対象指示とちがいがあるのであ
か用いられないが、前者では、話し手の対象への関わりの気持した
その叙述内容を指示する用法とがある。後者では平静指 示の中称し
した後にその叙述内容を指示する用法と・叙述が完了しない中途で
叙述が完了
たのかもしれないが、
指示する用法である。これは、あるいは現場指示用法を模して生じ
し、聞き手が特定の場合は中称﹁ ソノ町 ﹂で聞き手の所在する町を
を指摘した。例えば、近称﹁コ ソ町﹂で話し手の所在する町を指示
第四に、以上のほかに、絶対指示用法とよぶべき用法 のあること
のである。その辺の事情に触れることが本稿の主な目的である。
いで近称も遠称も用いられる。もっとも、遠称は、一般的には発話
6点でそれとは異なり、また、文脈などの支えを要することなく 対
る。この用法には・後述の事柄を指示する場合もあるが、 多くは、
時における話し手の対象に対する遠万感を表わすもの であるから、
象を明示する点で文脈指示用法とも異なり、また、
前述の事柄を指示する場合である。そして、それには、
客観的に事柄を叙述する文章などには、主観的な色彩が濃くただよ
点で一般の観念対象指示用法とも異なるのである。
︵万葉・
一0 四︶
㏄︶ レ旧故
︵万葉・ 三セ五セ ︶
︵まにあらめ心は妹に 寄 りにしも
空間︵地点・方向︶を表す絶対指示用法
め が 身 こそ関山越えて 許己
り けむ
五口が岡のおかみに 言 ひて降らしめし雪のくだけし彼所︵
0を
対 象を明示する
ゆび さしなどの行為を伴わずに対象を明示す
うこととなるのでその使用が控えられる、という事情が、現代の表
現には存在している。この点に関して、田中里⑯の見 解に、
﹁ア ﹂のダイクシス用法はつぎの二種である。
㈲話し手・聞き手両方から遠い眼前の物理的特疋物を 指示
する。
︵P 乾 ︶
㈲話し手の頭の甲に喚起された時間的に遠い具体的状 況の
中の特定物を指示する。
(3)
天離る部にしあれば彼所 宙︶此所宙︶も同じか そ
︵万葉・四一八九
右の例はいずれも手紙の歌であるが、﹁ココ﹂は話し手の所在
﹁コソ
る地点を表し、対照的に 、 ﹁ソコ﹂は聞き手の所在する地点を表
コ ソ町, コ ソ国 ﹂﹁ ソノ家 ・ソノ町 ・ソノ国 ﹂などと も 用い、
ている。この用法は、具体的な地点を表す名詞を用いて
在も多用される。この中称の用法は、聞き手が特定で ある対話
紙などの場、すな む ち 、話し手と聞き手とが対立的に存在する 場
おいてしか用いられない。
方向を表す﹁ コ ナタ﹂﹁ソナタ﹂も同様に用いられる。
︵源氏ガ 頭中将二︶﹁立ちながらこなたに入り給へ。
︵源氏・タ顔・ P ℡
ラ ・ソッ チ ﹂など
︵源氏・若紫・ P Ⅲ
﹁⋮⋮いまそなたにも︵ 行 コウ︶。
ラ ・コッチ﹂﹁ソチ・ソチ
︵源氏ガ僧都 ノ使こ
それは﹁コチ・コチ
おいても同じである。
ところで、右は 、話し手と聞き手とが対立的に存在する場 での
であるが、遠称は 、聞き手の存在とは無関係に、近称が話し手の
在する方向を表すのに対して、それと対立的な遠い万向を表す。
白雲の引引目引田河にたちわかれ心をぬさとくだく旅 ノ
より
@
サ
よ右
吏
︵
﹁・三セ 九︶
︵源氏・橋姫・ P Ⅲ︶
︵山荘ハ︶川のこなたなれば、︵薫ハ ︶舟なども わ づら はで御
馬 にてなりけり。
︵源氏・濡標 ・P Ⅲ︶
津の国までは舟にて、それよりあなたは馬にて、 ︵乳 母ハ 明石
入道 ノ所へ ︶ いそ ぎつき ね。
、名詞の﹁手前・
ころから、そのような近称に対立する遠称の用法は、一 般 的には
地点の場合には、方向の場合の線条的に分割して言う のと異なる
向 コウ﹂などが多用されている。
るが、この用法にあって、現代語のそれは使用が窮屈になって お
コ ナタ・カナ タ ︵アナタ︶﹂は現代語の﹁コチ ラ ・アチ ラ﹂に 当
「
た
り
在しない。ただ、次のように、社会通念として﹁コソ世 ﹂などに
と
じぅて、
︵手淫保 ,忠 こそ・ P Ⅲ︶
@@
エⅡ
あるま
︵源氏・早蕨・ Pnz
︶
︵地獄ノ︶深き底に沈みすぐさむ もあいなし。
そ。かの声 ︵Ⅱ極楽浄土︶にいたる事はあれど、さしも
﹁それ︵ⅡⅢ二見 ヲ投 ゲル コト ︶もいと 罪 ふかかなるこ とにこ
@0 ﹂
Ⅰ
卑
らば、 そく きいとなれ。 なきものならば、かの世のみちともな
︵右大臣ガ忠 コソ ノタメ手法要 ヲ富ム 際ノ 独言︶﹁この世 は あ
在するといえる。
止 する﹁カノ 世﹂などが唯一のものを指示対象とする場合 には、
存 対 存
)
す
し
家
手 現
に
)
に
﹁コ ソ世 ・アノ 世﹂で﹁現世・冥土﹂を表す用法は現在 に 到って い
占
ノ卜
ノ
Ⅰ
たりけん、いと思ひのほかになんめでける。もろこしとこの国
とは、 言 ことなるものなれど、月の影は同じことなる べ けれ
国 ﹂は 、 ﹁コ ソ世 ﹂に
P蛇 ︶
るが、﹁コ ソ世﹂に対立する﹁アノ世 ﹂が唯一であるか らこそこの
ソ国 ﹂に対する﹁カノ
近称で表す
ソ国﹂に対立する国はたくさん あって 、 ﹁カ
5点が異質なのである。もっとも、その社会通念なるものも、絶対
ノ国ロの 実体は、文脈などの支えがなければ明らかにな うないとい
ているけれども、﹁コ
表すことは、文脈などの支えにょらなくても社会通念 として定着し
世﹂に対立する唯一のものであって、﹁現世﹂に対す る ﹁冥土﹂を
地点に対立する地点を表す点は同質であるが、﹁ヵノ 世 ﹂が﹁コ ソ
対する﹁カノ 世 ﹂と同質性をもつと共に異質性をもつ。
このような﹁ココ・コ
ば、 人の心も同じことにやあらん。︵土左・正月甘口
か た時の
用法があるのである。他の例の場合は 、
︵ヵグヤ姫ガ 葉二︶﹁月の宮古の人にて、父母あり。
あひ だとてかの国よりま ぅ でこしかども、かくこの国 は はあま
、
。﹂
たの年をへぬるになん有 ける。かの国の父母の事もお ぼんず
こしにはかく久しくあそびきこえて、ならひたてまつれり
ツ
竹取 ・P ㏄︶
︵
のように、話し手の所在する﹁ココ・コソ国﹂に対立 する﹁カ
コかざ し抄 ・中ロ の
国 ﹂は、文脈や場の状況の支えがなければ﹁月ノ国 ﹂ を指示するも
のであることが明らかにならないのである。
アノ 世 ﹂ な
どを﹁現世﹂﹁冥土﹂の意 として名詞とするが、それ らも、通常の
的とはいえまい。多くの辞書は、 ﹁コソ世 ﹂﹁カノ 世
里 舌口
同 。 我目前なる所をさしてい ふ 。いき ほひ ﹁この﹂ とおな
場合は現世での発言だからそうなるのであって、冥土 での発言の場
﹁こ Ⅰ﹂の項に 、 次のように見える。
じ。もろこし・しらぎなどにむかへては、我国を﹁ こ し﹂とい
﹁あの世﹂
P 蝸 ︶・﹁比国﹂︵ P 巧 ︶・﹁ 此
土 ﹂︵P 毬 ︶・﹁地界﹂︵ P 毬 ︶などが﹁冥界﹂を表し
見える冥界の場面では、﹁北出﹂︵
面 であれば、おのずと事情は異なる。例えばⅠ根南志 晃佳・一日に
帰 り来け
︵6 ウ ︶
へり。
後半の部分は 、 次のような例をいったものであろう。
昔、安倍 仲麿 といひける人は 、 もろこしにわたりて、
︵P 巧 ︶・﹁ 彼国 ﹂︵ P 毬 ︶などが﹁人間界﹂を表して いる。もし
も 冥界と人間界をつなぐ発言
知るまじ
くおもほえたれども、言の心を男文字にさまを書きい だして、
手の所在する世を表すこともあるはずである。
ロの場面があれば、﹁ ソノ 世 ﹂などで 相
ここのことばつ た へたる人にいひしらせければ、心をや聞き え
コ%@ 川の十五日に、かのもとの国より、むかへに人々ま,っで
︵万葉・一八一こ
称が聞き手の所在する地点を表すものを、絶対指示用法 と名づけ
こんず。﹂
地点を指示する用法で、近称が話し手の所在する地点を表し、中
た。ゆびさし・文脈などの支えを要せずに絶対的に対象を明示する
ム﹁皮の事は是より後もたぐひあるべしともおぼえず。
す なむ ち
佐久間鼎⑥で、﹁ コ ・ソ ・ァ﹂のなればりはそれぞれ ﹁話し手
であろう。ただし、文脈の支えによって過去の時点を表す準 絶対 指
は、現在時点に対立する聞き手の所在する時点が設定されないから
用法がないの
柏手・はたの人 ︵もの︶﹂︵P㏄︶に属するものとされているが、
示 用法とみられる遠称の例はある。
ム﹁も多用される。空間の場合に見られるような中称の
ム﹁は用いないが、﹁コ ソ月 ・コソ秋 ・コレ カラ ・コレ マデ ﹂などは
現在時点を表す絶対指示用法である。﹁コ ソ日 ・コソタ ﹂などこそ
これらの例の﹁ コ ・コレ﹂は 、 話し手の所在する時点、
︵平家・十二・ P Ⅶ︶
︵
竹取 ・P ㏄︶
からである。遠称も、仕ム五通念の支えによる﹁カ世
ノ﹂はそれだと
いえよう。文脈などの支えがなければ対象を明示しえ ない﹁カ ツ
国﹂などはそ うはいえないけれども、絶対指示用法の 近称﹁コ ソ
国 ﹂に対立する表現である場合は、準絶対指示用法とよびたい。
方向を指示する絶対指示用法も、近称と中称の対立、近称と遠称
そのことが明らかにいえるのは、この項で触れた空間を指示する用
いにしへよりかく伝はる
0対立の型が見られる。
法 においてのみである。後述するように、人物などを指示する場合
に ける。かのお ほむ 地や 、高のこⅠろをしろしめしたり けむ 、
令も 、 ﹁アノ頃 ・アノ時 ﹂などと多用される。
りなりける。
︵百ム﹁序
・ ・P 鍵 ︶
かのおほん時に、お ほ きみ っのくら め柿木人膚なむ 、吾 のひじ
うちにも、ならの御時より ぞひ ち まり
はもっと複雑であり、次項で触れるよう に、時間を指小する場合は
もつと単純である。
時間 時点・方向︶を指示する絶対指示用法
用法は、現在から過去に向かう方向のみであるが、
古 くは、現在 か
時間の方向を表す絶対指示用法には、近称と遠称があ った。 ム﹁の
きひ
ら 未来に向かう方向を示すものもあった。
︵万葉・五0
二︶
の
︶
安
募ら
ひきかた の雨も降らぬか雨 つつみ君にたぐひて比目
此タ定相
し霞たなびく春立つらしも
ひきかた の天の香具山
六セ
﹁かしこき御影にわかれたてまつりにしこなた︵Ⅱ以来
以降︶ 、
︵源氏・明石・ P ㏄︶
昔 ︶の 年ど ろは、
︵狭衣・一一・ P Ⅲ︶
前 ︶に 、 三の宮 むか へ
︵源氏・蓬生・ P Ⅲ︶
いふかひなきさびしさに目なれてすぐし給ふを、
きるかたにありつきたりしあなた︵Ⅱ以前・
﹁嵯峨野の御わたりのこなた︵Ⅱ以前・
きこえてん。﹂
っかな
なども用いら
近称のみに
︵源氏・若菜上・ P 川 ︶
﹁目の前に見えぬあなた︵Ⅱ以後・未来︶の事は、おぼ
く こそ思ひわたりつれ。﹂
次第に過去から現在へ向かう用法のみに固定し、また、
固正 してきた。その近称には、﹁コ ソ カタ﹂﹁コチ﹂
れた。
︵吉ム﹁序
・ ・P ㏄︶
かの御時よりこの方、年はも トとせ あまり、世はとつぎ になん
なりにける。
世始まりてのち、この国のみかど六十余代 にならせ 給 は けれ
P Ⅲ︶
た ア、中
︵栄花・月の宴・ P 笏 ︶
ど、この次第書きつくすべきにあらず。こちよりての事 な ぞ し
るすべき。
﹁わし共は二十年もこっちィ、そんなあ じ やらしいこ
絶のゥ して ゐ ますに 、 ・・・・・・﹂︵東海道中膝栗毛・二丁
六八
ね、正保勇 ⑰には、時に関連した絶対指示用法に﹁ ソノ ウチ ﹂
P Ⅲ︶0 それは、
﹁さやう ならその内 お 目に懸りませ ふ 。﹂
を合 めることができるとある︵
は、﹁チ
︵お染久松色読 販 ・序幕・ P ㎜︶
⋮⋮﹂などと用いるものと止︵に
、不
のよ う な例をい う のであろう。しかし、この類の中称の用法
ヨツ トソ コマ デ来 マシ タノデ、
確定 な対象を漠然と指示する観念対象指示用法の一つとして㍉ ロ
U刀
ブ
@
z ・
扱 う べきものであろ ,ヮ
。
㈲自称・対象に転じる近称・中称の用法
他称の代名詞の絶対指示用法としては、先述のもののほか、人物
指示する場合にも見られる。
コ ン﹂が話し手自体を表し、﹁ ソレ﹂が聞き手自体を表 す 絶対 指
まず、㈹ 項Ⅲ項で触れた近称・中称の用法に類するものとして、
を
用法がある。また、地点・方向を表すことでそれに関 係 する人物
「
腕出 に表す国語の一般的傾向に応じて、﹁ココ・コチ タ ・コテ ﹂
小
一
かいつく るひ 二人、﹁わらはよりほかにはすべて入るま
﹁なほこ|
じ ﹂と、
れ一人は﹂などのたま ふ を 、 ﹁うらやみありて、いかでか ﹂ は
戸をおさへておもにくきまでい へば 、殿上人柱ども、
ソコ ・ソナタ・ ソテ ﹂なども同じような用法をもつ。
を
「
どかたく いふ に 、
︵枕 ・九二・ P Ⅲ︶
そ
︵
薫ノ 浮舟 ヘノ文 ︶﹁思ひながら 日ど ろになること。 時 々は1
れよりもおどろかい給はむこそ思ふさまならめ。﹂
そ 0人称として
は自称︵一人称︶・対称︵二人称︶といわなければならない。
手 そのもの・聞き手そのものを表すのであるから、
ところで、複雑なのは、近称のそれらには、聞き手を表す用法も
あるからである。
俊蔭 たち ゐ をが む。山のあるじ おぽいにおどろきて﹁
︵源氏・浮舟・ P Ⅲ︶
︵東宮妃ガ死ンデ ︶ 御 めのと か 式部は 、 ﹁こちをばすて させ 給
む ぞの 人ぞ ﹂。 俊蔭 答ふ 、
︵
宇津保 ・俊蔭 ・P 巧 ︶
ノ﹂と泣きの トしる。
つるか。 何 ともにまいらん Ⅰ
︵真木柱ガ按察大納言二︶﹁こちに︵匂宮 ヘノ︶御せう そこや
あり し 。さもみえざりしを。﹂
︵栄花・楚 王の夢・ P Ⅲ︶
︵道隆ガ清少納言二︶﹁ さ思ひつること ぞ 。世にこと 人 いで ゐ
アド﹁こなたは 講 じや。﹂奏者﹁ ム﹁日の奏者です。﹂
︵源氏・紅梅・ P 川 ︶
て見じ。宰相とそことのほどならんとおしはかりつ。﹂
ジテ ﹁のう その衣はこなたのにて候ふ 。なにしに召さ れ候 ふ
示するのに対して、右のような近称の表現は、自己に関わり深い身
中称の表現の場ムロ
は、自己との関わりを離れて単に平静に相手を指
︵党費水 狂言・甜酒︶
︵謡曲・羽衣・ P Ⅲ︶
乙仇・ニセハ ・P 柑 ︶
ぞ 。﹂
う に、聞き手を指示する用法と して遠称
の語を代表として五段階に整理されている。
お きへ ・乙なた・そなた・そち・おのれ
は、江戸時代前期上万の対称の代名詞は、待遇度 の高 い順に 、
近 なものとして柏手を指示するものであろう。山崎久 之 ⑧において
ぅ もの ち ゃ。
︵天草木工 ソポ ・P ℡︶
つととも頼みまらすまい。﹂
﹁いかにシャントン お聞きあれ。そなたとわれは縁 こそ 尽きつ
らう。 今 よりしてはを
﹁︵
女ハ ︶そちはそち、こちはこちとふるま
このほか、次項に記すよ
の転じるものもあり、対称の表現はかなり複雑な様相をもっていた
︵天草木工 ソポ ・P Ⅲ︶
点 ・方向を表す絶対指示用法では、近称・中称がいかに話し手
のである。
︶であることに変りないのであるが、この用法においては、 話し
六九
き手の所在に関わる表現であっても、その人称として他称︵三人
間 地
林
㈹対称に転じる遠称の用法
今は用いないので奇異の感を免がれないが、遠称で、
話 し手と対
立 するものとして 対者を表す絶対指示用法が古代から あった。
、人
自物を
フ雰囲気で用
もっとも、この用法は、本来は、眼前にいる禾 確認の
已 に対立する他者として捉え、それに呼びかけるとい,
聞き手とい
いられたよ う である。話し手を指す﹁コレ﹂などと対照的には用い
られないが、発生としてはそれとの対立が考えられる。
ぅ 捉え 万 以前で、正体 未 確認の相手として捉えたもの であろう。
く、 ﹁かれはなむぞの 人ぞ ﹂。 俊 蔭 答ふ 、
︵万葉・ ニ 二四 0 ︶
誰彼
| 統じと我をな 間 ひそ九月の露にぬれつつ 君 待つ五 ロを
三人の人間ひていは
﹁日本国王の使、清原のとしかげなり﹂。
︵手淫保 ・俊蔭 ・P 抑 ︶
おりふし若君めのとにいだかれ、せんざいにあそびた ま ふ。 す
︵め我
日 ・ニ ・P Ⅲ︶
けちかこれを見て﹁かれはた そ ﹂とと ひ けれども、 返 事 にもお
よばずにげにけり。
﹁カレ﹂の形のほかに﹁アレ﹂﹁アノー﹂などの例も多
い
あか ぎぬ きたるをとこ、 た Ⅰみをもてきて﹁これ﹂と いふ 。
﹁あれはた そ。あらはなり﹂など、ものはしたなくい へば、さ
し おきてい ね。
セO
︵枕 ・ニセセ ・P 怒 ︶
九
P 朋︶
﹁あれは備中守殿の御 何 とこそ みまいらせ候へ。まい り 侯は
ん ﹂と 申 ければ、船を汀にさしよせたり。︵平家・
︵謡曲・隅田川・ P 皿 ︶
声のうちより幻に見えければ、﹁あれはわが子か﹂﹁ 母にてま
しますか﹂と、
︵枕 ・ニセハ ・P 川 ︶
﹁かの花 ぬすむ はたれ ぞ 。あしかめり﹂とい へば 、いと い
コ@
ア
し@
Ⅰ
甘@.@
て ひきもてい ね 。
P Ⅲ︶
みす押し上げて、﹁あのをの こ、こちよね﹂と召しけれ ば、か
しこまりて高欄のつらにまいりたりければ、︵更級
下
P 抽︶
悪源太﹁あの雑人窮 ども、のき候へ。西を拝玲て 念仏 申さん﹂
とのたまへば 、きうへ ばつとのきにけり。︵平治,
︵義経記・ 四 ・P Ⅲ︶
﹁あれにとを る法師はたれか。名のれ。名のらであやま ち せら
れ侯な ﹂とお ほ せられけれ 共、
ll
ノl
人 、着荷みな買ふが 、
幾らだ。﹂
源セ ﹁コレ /Ⅱア
販 ・序幕
P Ⅲ︶
ヱ モウ、みな うっ てしまいやした。芳に嫁菜のつとがた った一
つしか ビざり や せ ね。﹂︵お染久松色読
その表現
この種の用法については、山田孝雄④︵P Ⅲ1 % ︶・ 湯 沢幸吉郎
︵P 側 ︶・清水防⑱︵ P Ⅲ以下︶で言及きれているが、
ほ ついてはあまり説明がなされていない。前項で述べた
対称に用
⑤
る中称・近称の表現とは異なり、話し手が自分に対立する 他者と
い 性
して眼前の人物を捉えていう絶対指示用法として位置 つけるべき用
法 である。用例の中には現場指示用法の遠称と紛らわしものもある
か 、この用法の存在を否定はできない。
なお、万葉集にもう一例この用法のものが見える。
誰彼 盆むと問はば答へむすべを無み君が使 ひを 帰しつ るかも
︵万葉・二五四五︶
﹁誰ダ 、オマ エハ﹂と母が使いの者に尋ねたら、私は答え よ う がな
誰なのか、使いをよこすその男は、
とあ ることと共に、したがいえない。
︵二五四五︶
ころで、この用法は、後には、未確認の人物のみでなく、既知
0人 物を指示する場合も生じてくる。
︵
ム﹁土日・然の蛇・
P Ⅲ︶
︵
妻ガ夫 二︶﹁耶 ︵。、︶彼の主、盗人は早 う出て去にけり 。其の
上には障子の倒れ 懸 たるぞ。﹂
いかにしてか化人々をこれにとⅠめ んと思ひ 、 ﹁あのと のばら
︵蒙求抄・四︶ ハ⑤より引用口
知た 。そちは吾が心をば知ら ぬは何
︵
伽 ・文正さうし・ P 蝸 ︶
たち、 やどはいづくにて候﹂と問ひ ければ、
﹁我はあれの胸中をばよく
かはたれ 時 ﹂
刊 の例 と共に
くて ⋮ @、と解すべきであろう。多くの注釈書 では、 一
と 並んで﹁ たそ かれ時 ﹂も薄暗さを強調する語 となるが 、それも、
としたこと ぞ 。﹂
﹁誰ダ、 アノ大ハ﹂となっているが、不適当である。﹁
現場指示の遠称でいう ﹁誰ダ、ァノ 大ハ﹂ではなく、 眼前の人物も
﹁ヱへこなたは聞へませぬ。生れ落榛 きしやると、
四
P 訓︶
十セ 年 のけ
﹁誰グ 、オマ エハ﹂と尋ねなければならないほどの暗さと 解してこ
ふ迄育て上 た此 乳母に、なぜ物をかくさしやる。﹂﹁ヲへあの
人の。隠すとは何をかくす。﹂︵夏祭浪花鑑・
、両
そ納得がいくはずである。﹁新潮日本古典集成・萬葉集白で卜は
﹁ソレ ﹂の 両
︵亭主ガカプ ロ こ
例 とも﹁ た そそれ﹂と 訓 んている。﹁ 彼 ﹂は﹁カレ﹂
訓の可能性があるけれども、古くからの訓を改める根 拠 はない。 あ
ろ 。﹂ト一文なげ出す。
られ シつ
Ⅰ
︵東海道中膝栗毛・二丁・ P Ⅲ︶
@ ﹂も、この用法と考え
︵
主 ︶﹁あのね う ちやく者、どれへ 行ぞ 。捕らへて 呉い 。やる
次の ような罵倒表現に見える﹁アノ
レくいな 0 ﹂
︵
弥 二郎ガ子供二︶﹁コウあの子、団子がふたりあまり た o ソ
︵錦の裏・ P Ⅲ︶
﹁あの子 や 、そこ︵Ⅱ 物 モラ イ ︶ へ しん ぜ
るいは、山田孝雄③に見える
︵一一一0
一四
︶
︵P姐 ︶
この﹁ か﹂﹁かれ﹂は当時きまで勢力ありきともおぼえず 。
い う見解を継ぐものであろうが、その訳語に、
誰 だいそうして待っている相手は、
セ一
ノ
士よいブⅠ Ⅱ。Ⅰ
︵
虎 貫木狂言・附子︶
アノ沸垂
︵浮世床・初中︶
作ガ留 二︶﹁ 留班 めが久しぶりに口出ししをつた。
︵
穏 めが、すつ 込はて居 。い 。﹂
この用法は、一般に敬意のない表現であったが、近世になると 次
のように﹁アレ サマ ・アリ サマ ﹂という敬語も生じた。
P Ⅲ︶
﹁あれさまのかは ゆがりやったこちのお亀が、冬年祐二 三日わ
づらふて死んだが、︵好色一代女・四の二 一
P 朋︶
コ日本国語大辞典口などは﹁ワレサ マ﹂ の変化した
﹁ありさまにきん玉が有 か。﹂︵好色五人女・一の四
これについて、
これが、﹁オマ
ゼ二
ヘ﹂などの待遇度の下降にともなって登 場 したので
あろうが、その待遇性は保ちつつ対称に転じても用いられたのであ
る。その転用に際しては、先述したような用法の影響があったもの
と 考えられる。
主宰 臼は、 鯉のきしみを、﹁きぅノ
Ⅱ けふはあなた
方 のおいり
︵
聖 遊廓︶
と うけ 給り、 琴高が万から鯉をさし 上 たいと 申て、 私が 万へ持
一|
せてこしました。﹂と小皿に入て 前におく。
㈲﹁カレ﹂の用法 | その
た ・たれ﹂ な
なむ ぢ ﹂ な
代名詞を二分して人代名詞と指示代名詞とにすること は、西洋文
な ・なれ
語 とするが、それは逆であろう。しだいに﹁アレ﹂の伍Ⅲ源意識が薄
・われ﹂など、対称に﹁
。︵
マ@"
ハ 、 近 ・中 ・遠 ・不定、トモ ニ、他称 ノ中 二人 ル
|
P ㏄︶
此ノ表申ニ 、人代名詞 二借り用 ヰ ラル、モノ 多シ 。 然 ルトキ
をあげて表示し、
どをあげ、さらに、指示代名詞に、近称・中称・遠称 不定称の別
ど、他称に﹁ か ・かれ・ あ ・あれ﹂など、不定称に﹁
に ﹁あ ・あれ・ わ
典の影響以来、普通であった。大槻文彦①には、人代名詞に、自称
、 太々
ね、一方、再帰 的用法を経て対称に転じて用いられる ﹁ワレ ﹂との
混同から後に﹁ワリサマ﹂が生 したのであろう。
﹁コリヤわりさまは、わざとこちのなかまへずりこんで
講 をくひたをししよ ふ で な 。﹂
︵東海道中膝栗毛・五道 加 ・P 川 ︶
対称の﹁ アナタ﹂の例は江戸期宝暦頃からのものだといわれる
が、もとは他称遠称の語で最高位の待遇性をもつものであった。
の他称 として、近称・中称・遠称の別を設けるのが普通となり、指
の事でと
どある 0 この所説に基づいてか、以後の文法書の多くは、人代名詞
詞
ざります。あなたは菊にきつい打 こみで、 北中も絃も ない琴を
称
示代名詞 は、原則として人物を表さぬもので、しかも、自称と対称
孔子日﹁ 柳 とは陶淵明が事か。﹂楽天﹁ アイ 五柳さま
︵
肋ま胆
廓︶
弾く真似して、さわいでどざりました。﹂
がないところが、人代名詞との相違点とされている。
このような整理については、山田孝雄②で激しく異論が唱えられ
s臣
o 又 は 人称 と
た 。すな む ち、人称と人物とを混同するものだとして、
訳語の面のみを辿る日本文法家は、そのま
いふ字面にのみ心を奪はれて第三人称は彼・誰の二なりなどい
︵P Ⅲ︶
力レ ﹂などが、人物を指示する場合は人代
ふに至りては噴飯の極といふべし。
とある。﹁コレ・ソレ・
名詞で、事物を指示する場合は指示代名詞だとするのは、いわれる
よ う に認めるべき理由がない。それらは他称として一括し、自称
目
対称と対せしめてこそ妥当な花 理 であることはい うま でもない。 @
語は人間どうし語り合うのが普通であるから、自称 対称が共に人
らも共々に人代名詞に扱わざるをえなくなる。こうけ,
っところか
近称 ﹁コレ﹂
一分類が行
、はなはだあいまいなままに人代名詞・指示代名詞の 一
れてきたのではなかろうか。
文脈指示に用いられる﹁ 力レ ﹂などは、一万では、
﹁か採
﹂
こ の項では
対立的に用いられてまきに遠称といえようが、一万では
対立的に用いられる絶対他称というべき要素をもつ。
ず 後者の用法について触れよう。
11111
古くから見られる用法に次のような例がある。
6 人なり、予めも人なり。
セ三
一力レ
, ﹂の 例 も 少なく
︵孫子︶
︵韓愈︶
答。先代没我が心に大なる著暉 あり。如何 % となれば 、 同じ
︵浮世物語・四の六・ P 紐 ︶
かれも人なり是も人なり。いかでか替曲るところあら
どの訓読文にも見られるが、次のような例もある。
彼肋
P Ⅲ︶
人 皆有ゾ心 。 心 合有。 執 。彼是 則我非 。 我 定則板井。 我 必非 。聖 。
﹂と訓ずるのが普通であるが、このような
何故であろうか。詳しい解説が見られないので断言できないが、 私
我 ﹂﹁ 汝 ﹂と
対立する用法があって、どうしても自称・対称と対立する他称を立
てたくなる。また、﹁カレ﹂などをそう 扱 う場合、﹁ カ レ ﹂などと
対立的に﹁コレ﹂や﹁ ソレ﹂などが用いられることもあるので、 そ
ワレ ﹂﹁カ
彼 ﹂は 、
ラ﹂の意で、 ﹁
愚 。共是 凡夫 耳。︵推古 紀 ・十セ条 憲法の十
|彼必非 。
の ﹁我 ﹂は、﹁自分﹂または﹁当方・コチ
物を指示するのが普通であるが、
れに対立する﹁相手﹂または﹁向 コウ﹂の意である。﹁
森羅万象無限にあり、その中から人物を指示するものだけを特出す
そ
彼沖を知り 己 3。を知れば、百戦 殆笘からず
レ
ところが、この山田説 に従 う文法書は乏しいのであるが 、それは
る 理由は認めがたい。
話材 として他称で 損 小するものは
れ
ら
わ
と
と
き
こ
な
なり。
︵郡部問答・
下れ下にて 、 我と日傭取㌍。とは格別なりと思ふ。
をいやしめ我をたかぶるの套
此即藍彼肋
四 ・P Ⅲ︶
セ四
にて思ひ分ず。かれは大神にてましますが、
。﹂と何られ
︵沙石・ 一 ・P 托 ︶
﹁力レ ﹂ が
それに対立する他者を表すことは明らかである。その他者は、文脈
だが、次のような例では、﹁ ワレ ﹂が話し手を表し・
コナタ﹂﹁カナタ﹂などと同質の絶対指示用法であって、まさに
ふ 。もし
︵
ムユ官・一の十二 -P ㌍︶
ッてかれをみん。
︵平家・五 ・P Ⅶ︶
このぶ
ヱス草木工 ソポ ・P Ⅲ︶
P Ⅲ︶
1
牢へ人 たち同前。何 時もか
111れが首は我らが物
候に
﹂と、︵用明大王職人鑑 ・道行
いかににぐるとも当国の中なれば、
﹁靭 承れば 伊 駒の宿禰めが、・・・⋮逃げうせたると承る。 たとへ
んになることはかれがしわざぢゃ 。
﹁われ本国に老母あり。いとまを結わ
仏のたまは く 、﹁ 我 れも 満財が家に行て彼
| を教化せ む ﹂ と 0
場 ムロ
と 同様である。
などの支えによって指示対象が明確となること、﹁カ ノ国 ﹂などの
る 。それ
・コレ﹂が話し手を表す絶対指示用法となり、﹁ヵレ ﹂が 、
、地点を表す﹁コ
かしこにこわらはあり。ときぐきたりてるひとぶら
これは
ひ ければ、
︵万
塞
ふ記 ・P ㏄︶
かの女、長者のもとに兵衛佐殿 のおはしますよしい
い かでかも
一の
﹁かの義朗こそ 悪 ㏍き 激切なれ。父の為 義 をはじめ、 同 胞机め
油に弓を 枇悦。
武士 騰は皆朕姉 ために命を捨しに、 他坤 一人状
ゅ﹂
︵雨月・自室・ P佃 ︶
らすべきなれば、宗清、長者の宿所に押ませ、
夢に稲荷の仰られけるは、﹁日吉大明神の御制止あれば、きき
また、次のような﹁カレ﹂の例は、 ﹁ヮレ ﹂などと 共 に表 きれて
下 ・
mP
.糀 ︶
0札は召返すぞ﹂と 仰 らる。⋮⋮、重荷 御返事に、﹁ 我
1 は山神
︵王ム
我加平家玲 の侍蕪なり、あれは源氏 W: 敵 ㌢なり、
六十。
つれ。なる時はこれを 友 として遊行す。かれは十歳、
との区別はあいまいとなる。
もっとも、その両者が対比的に並べられると、前述の絶対指示用
ソ国 ﹂﹁カノ 国 ﹂などの場合と同質 である。
れに対立する柏手である他者を表す準絶対指示用法とな
ヮレ
ところで、この種の用法は、視点の基準を話し手自身 におくと、
自分﹂﹁相手﹂という名詞に類しょう。
れるの﹁ ワレ ・コレ・オノ ン﹂と﹁カレ﹂は、方向 を 表す場合の
こ
「 「
「
そ
は
法
いないが、問題とする他者を﹁カレ﹂といったものであり、右と
い
︶﹁かれ︵Ⅱ大江玉淵ノ娘 ︶が 申き むこ
院 よりたまはせんものも、かの セ郎君︵Ⅱ 娘
︵草子 ノ帝ノ言
そ う せよ。
︵
十郎ガ
ん 。﹂
と 院に
ロ、
中にある明白な対象を指示するのに、遠称 ア系を用いる 担功人は
が他称の中で第一次的なのではなかろうか。内省によれば 、観念
ノ世話
して緊張が伴わず、近称 コ系を用いる場合は、対象を特に自己 側
、
ものとして捉えるという緊張を伴い、中称 ソ系を用いる 場 ムロは
︵大和,一四 -ハ ・P Ⅲ︶
を 伴 う よ う である。その点で、他称の表現の中で、遠称が 第一次
己との関わりの思いを抑えて中立的に捉えるというさらに強い緊
伺 侯 して
候為朝 冠者は、 父為義 に属して、仙洞に
︵保元・ 上 ・P ㏄︶
自 称 ・対称に
であり、近称が第二次的であり、中称が第三次的であると 位置づ
られよう。そのことが、遠称が他称の代表として、
五郎二︶﹁京の小二郎とて、河津殿在京の時 、 人 にあ
力系の語の場合も 、異なる事情は考えにくく、同じ事情 にあった
フ。古代 語
立し、絶対他称というべき用法となりうる理由であろ,
か たらは
まうけたま ふなり。かれをよびよせて、
︵曽我・ 四 ・P Ⅲ︶
渠
rれ
l
か|
・
︵
1
﹁あはれ良計人の女子竹の貝 ょ きを 要りてあはせなば 、l
ならめ。 彼抽い
只 射て落せ。 ﹂
為朝の内室照
︵雨月・吉備 津 の釜 ・P 辞 ︶
正太郎︶が身もおの づ から憎 まりなん。﹂
﹁是 なん 女 ・丈夫鋳郎、と聞えたる、
かに勇敢皓 とも、続く郎等もあらざるに、
︵
里
@張月且 M. 九 ・P Ⅲ︶
む ろんその
家が話し手にとって遥かな存在として捉えられているからだ、 と
推定される。
の
サ 。﹂
セ五
はいえな
とき ちり てこ
︵安愚楽鍋・二丁・半可の江湖
談︶
そとはいふけれど、かれなぞはをしむにもあまりある 人 ぶつ
だが、かれは東京囲Ⅱの名物採ものだ。をしまるⅠ
﹁てんぷらといや ア、出場化あ の房夫 拙んが故人 肛じになっ たさう
。実際の話し言葉は﹁アレ﹂であったであろう。しかし
ん 文語表現であって話し舌口薬をそのまま写したものと
右にあげた語例の中で、古いものはともかく、新しいものは、 む
と
ろ
い
ひ なれて、
け
は叶ぬ "べからず。﹂
韓に
侯 。 @ ⋮ 、縦 せと
鉄幾 をのべたる 楯 なりとも、かれが 矢 帝剛き
﹁又 弟にて
の
役 ︶がりつかは きむ 。すべてかれにわびしきめ な みせ そ 。﹂
の
の
さ
目
的 眼
対
これらの例において、遠称﹁カレ﹂と表されるのは、
屋称 で表す
吐
うことができよう。しかし、一般に、文脈指示の用法において、
対
象を自己から離れた自己に対立するものとして捉え、
は
様の用法だと考えられる。
同
対
どと見えるのによれば、﹁カレ﹂も、文語的な表現の特妹な 物 @目
60
@
もつ 、
トヒも
﹁山村の義太夫は習った浄瑠璃、所謂本場の調子だ
︵当世書生気質・十︶
ノジ コ﹂と共に明治初年に生
右の文を現代語に訳すとすれば、そのまま﹁
セ六
アン コ ン ﹂ といえよ, ヮ。
ところで、次のような例は、右 とちがい、文脈の支え によって 指
示 対象が明確となる文脈指示用法である。
かよ ひけるほどに、かの男
︵Ⅱ女ノ
朝忠の中将、人のめにてありける人にしのびてあひわ たりけ る
を、 女も思ひかはして、
︵大和・ ハ ・P 拙 ︶
夫 ︶ 、人の国のかみになりてくだりければ、これ︵ @ 朝恩︶ も
かれ︵Ⅱ 女 ︶もいとあはれと思ひけり。
藤壺ときこ の。⋮⋮。これ︵Ⅱ藤壺︶は 、 人のき はまさり
り しに何心ざしあやにくになりしぞかし。︵源氏・桐壺
こな ば 惟亡親王と申 き
つけば
ざ
P邸 ︶
とし
いた ひ
第 二のみ
︵平家・一一一・
P 榊︶
惟養親子と申。。
。。かれ︵Ⅱ 惟喬 ︶は 、け
王子二人おはします。第一、
︵Ⅱ有王︶も次第にあゆみ近づく。
て出きたり。︵有王 ガ ︶⋮:と思ふ程に、かれ︵Ⅱ俊寛 ︶も 是1
︵俊寛 ガ ︶歩むや う にはしけれ 共、はかもりかずよ るノ
Ⅱ
て思ひなしめでたく、人もえおとしめきこえ給はねば、
ものかもしれない。
㈹﹁カレ﹂の用法
﹁ヵレ ﹂には次のような用法もある。
ある人、あがたの四年五年はてて、
へわたる。かれこれ、しるしらぬ、おくりす。
︵土左・十二月Ⅱ一日
︵正太郎二 ニ ゲラレタ磯貝 ハ︶今はひたすらに
︵Ⅱ正 太郎︶を
う らみ 歎 もくて、
一 ・P 舶 ︶
さ うなり。
あひ ふんのきりや ぅ也 。これ︵Ⅱ 惟仁 ︶は 、ば ん き ふい のしん
遂に重き病に臥にけり。井沢香 央の人々 、彼ぬ
︵曽我・
この用法は、具体的な対象を明示するのではなく、不特疋 な 対象を
つから、
と 近と の存在を
表している。現代語の﹁ ァレ﹂もほぼ同じような用法 な も
が、 ﹁カレ﹂と﹁コレ﹂とは対比的に対象の中の遠
漠然と指示するのであり、観念対象指示用法の一つに数え られよ う
・P 折 ︶
@@ ふね にのる べ きところ
| その ニ|
じ
りてあかぬことなし。かれ︵Ⅱ桐壺︶は 、 人のめるし きこえ
たものと考えられるので、先の例も、簡単に﹁残存﹂とはいえな
いう書生言葉の例は、後述する﹁ カ
やらかすな ァ、無茶苦茶の自得 流 で、節 なんざ ァ臨機応 変だ。
アネ 。僕の
ではあったにせよ、明治の始めにも残存していたといえるようで
な
い
あ
と
い
悪 ㏍ み血判︵Ⅱ磯良 ︶を哀埋みて、︵雨月・吉備 津 の釜
わに登場する独白調の文には用いても、小説の地の文など 一般の客
などには、まず用いないのである。文章でも、話し手の立場があら
P ㏄︶
ヂつ
同じ打粉駿 なる女子 珪 十人あまり、雌羊瑚 雌羊ひより 群曲 りに
観的叙述の文には用いないのが普通である。
文脈指示用法における遠称 ァ系の表現は、話し手の観念の中に明
彼柿 ︵Ⅱ
留 苛高 丑めの薫と 花の 香と、こ
確に存在する他者をまきに自己から離れた遠方感のある対象として
といひ是
相手が特定の場合は、対象に対する遠万感を相手も理解し同調する
遠万感に自らひたっていることを単に表すにすぎないが、対話など
いひ、辞
︵Ⅱ
父ノ命 ︶
捉え指示するものである。仏語・独白など柏手のない場ムロは、その
︵弓張月・ロ ・五 ・P Ⅲ︶
来つ 。⋮⋮。是に︵Ⅱ雄幸 ノ女 ︶は孫子の女兵を操り、
雌手ノ女 ︶は天真が花の軍代に、
きまぜて 披㍊ 又扉く 。
右には人物を指示する例をあげたが、
と|
のム叩
﹁命をたもつ 物誰か王命を蔑如する。生をうくる物 誰か 介入
をそむかん。かれ︵Ⅱ王命︶
はずだとの予想・期待をもった物言いとなる。ところが、不特定者
を柏手とする文章では、独白調 で自己の思いを披露する場合はとも
︵平家・十一・ P Ⅲ︶
のように、人物以外を指示する例もある。ただし、用例の上では 人
かくとして、そうでない場合は、理解し同調すべき柏手は眼一目にな
するに所なし。﹂
物を指示する場合が圧倒的に多い。
して、﹁ 力レ ﹂は 、 ﹁アレ・ アノム ・アイツ﹂に相当す るはずであ
な表現となり、ためにその使用を控えるのが普通である。したがっ
ば、自らの遠万感にひたるという相手かまわぬひとりょがりの勝手
く、しかも柏手が特定できないところから、あえて遠称を用いれ
るのに、そうは言いかんにくい。現代語でも文脈指示用法 で遠称 と
て、そういう文章には、指示の表現は、緊張を伴って、近称 コ系で
さて、右の諸例を現代語に訳すとすれば、﹁コレ﹂は問 題 ないと
っち、最後の
近称とを対比的に用いることはあるのに、右の諸例の,
強く身近なものとして表すか、あるいは、中称ソ系で平静に中立的
ところが・古代以来の物語りの地の文などをはじめ、多くの文章
平家物語の対話の例を除いては、﹁ アン ﹂などと訳し にくい。それ
前項で、遠称は他称の第一次的なものであると述べた。しかし、
に、遠称﹁力レ﹂﹁ カノー﹂などの例は数多く見られる。これは、
に表すか、その二つに限るのが普通である。
現代の表現において、文脈指示用法の遠称ァ系の語は 、旧話・独白
古代以来の文語文と近代以来の口語文との文章に性格のちがいがあ
は何故であろうか。
や対話・手紙などには用いても、不特定者を読み手に予恕する文章
セセ
ることを示すのか。あるいは、遠称力系と遠称 ア系とは異なる性格
があることを示すのか。私は、その両万の要素があると 思う。
古い時代の日記などにも﹁カレ﹂﹁カノー﹂の例が見えるが、そ
れは独自調の表現といえよう。古い時代の物語は、ま さに語り物で
あったといわれる。とすれば、その文章は、まきに語 るがどとく記
されたと考えられる。相手がたとえ不特定の人々であ っても、常に
相手に語りかけるという形式の表現であったとすれば、話すがまま
に記されたと考えるのがすなおであろう。そして、話し言葉では遠
称は力系から ア系へと交替したのであるが、文章における文脈指示
用法では、 ァ系の使用例はまず見られず、伝統的にヵ系が使用きれ
てきた。その間に、文章も語り物から読み物へと変質するのである
ム﹁触れる余裕がない︶が、そうなっても、
︵その詳細に
伝統的に カ
系が用いられた結果、話し言葉の ァ系︵力系も用い られてはいた
が︶とは異なる表現性をもつものとして文章表現の力系 が存在する
ことになったのであろう。本来語り物の段階ではあったと考えられ
る、遠称の使用によって遠方感の理解同調を相手に求めるという要
素は、読み物の段階ではもはや認められず、ただ伝統的に文章に用
いるものになったと思われる。すなむち、ア系で表現す れば恐らく
現代語のそれのようにべたべたした雰囲気をたたえたはずの表現 と
ちがい、 力系の表現は、単に自己に対立する他者を自已 に離れたも
ヒ入
きて、先の諸側 は﹁コレ﹂と対比的に表される﹁カレ﹂
﹁コレ﹂が表されていなくても、恐らくは﹁コレ﹂と
と 思われる対象に対立する対象を指示するものとして、
﹁カレ﹂
︵
竹取 ・P 甜 ︶
某時に、仏、慈悲を垂 て彼等︵ Ⅱ外道︶
鞍 ・太刀、さま。のものを 売
P杓︶
る る、
︵僧正 ハ︶かれ︵Ⅱ物売り ドモ ︶がいふ きム にあた ひ を たびけ
物売りどもいりきて、
にけりとなむ語り 伝 へたるとや。︵ ム﹁昔 ・一の十二
が為 めに法を説 て教化し給へば、彼等、法を聞 て皆阿羅 漢に 成
共 を一々に仏に申す。
其時に、外道、忽に此を見て悲の心を発して、愚かに謀つる 事
︵源@ ・粗
ヶ麻ぬ・P 肘 ︶
けり。かれ︵Ⅱ伊勢 ノ宮︶よりも、ふりはへたづれき め れり 。
︵源氏 ヵラ ︶かの伊勢の宮︵Ⅱ六条御息所︶へも御 つか ひ あり
もあらず。
ぼしける人の、かれ︵Ⅱ ヵグャ姫 ︶におぼし あ はすれば 、 人に
らによるべくだにあらざりけり。こと人よりはけうらむ りとお
︵
帝ガ ︶常につか ぅまつる人を見たま ふ に、かぐや 矩の かたは
表されている例も多い。
捉えてい
たが、もちろん、このような﹁ 力レ ﹂の使用はそれにと どまらな
0例をあ
として指示する他称の代表として、文章表現に使用きれたのであ
の
ろ
げ
い
る
が
れば、市をなし
ぞて
っどひける。︵宇治拾遺・五P
のⅢ
九︶
世の為人の怨
為となる暴悪の者を、行者、慈悲居
利楽
生に
の住
土
止め、後生に菩提を悟云
るり
と
。
もつき
給
。為朝は心
︵沙
@ ・一・P閥︶
して調伏すれば、かれ︵Ⅱ
ノ暴
者
︶
悪必ず慈悲に住し
悪、
心を
武藤太は
、⋮・
紐・
㌍・
におもふ
やぅ、
はず、その真
卵実
なるをよろこび聞え彼
て油
、︵Ⅱ
武藤大︶が
いふにまかせ給ふ。
きらに、この種の
力﹁
レ﹂は、 ﹁コレ﹂に相当すの
ると
もの対立
もなく単独に用いられる用法も数多い。
︵平治中
・・P朋︶
かの宿の長者大炊がむすめ延寿と
頭申
殿は
こⅠ
、
ろざしあさか
せ給ふ御息女おはします。
家
か
その国のかたはらに、せきそといふ民
いあ
やり
し。
きれが
︵曽我・一
P一
Ⅲ・
︶
の国に桑の木三木ありけるに、
︵克水
明狂言・
吃︶
右 はいずれも人物を指示する例をあげたが、
浄土論は天親菩薩の造、浄土宗の本論なり。かれ︵Ⅱ 浄土 諭︶
︵沙石・十本・ P 肌︶
のように、人物以外を指示対象とする例もないわけではない。しか
話し言葉
し、人物ないしそれに擬したものを指示する例が圧倒的に多い。
さて、文章語の大変革は明治期の舌口文一致運動である。
に基づく新しい文章語の設立を企てるさまざまの試みの中で、話し
奥村垣 哉 ⑩ に
セ月 ︶だといわ れる︵P ㏄︶。
ヵレ ﹂が用いられ たのは、 嵯
舌口薬に普通でなかった﹁カレ﹂が登場するのである。
よれば、舌口文一致休の小説に初めて﹁
峨 の 屋 御室﹁野末の菊﹂︵明治二十二年
ツジョ ﹂と共に以後盛んに用いられ現 在 にいたって
いる。その使用に際しては、一方では、もとより文語文で使用する
後に触れる﹁カ
ものにならったといえようが、それ以上に、当時の書生の話し言葉
一ュアンスの
に英語の出のなどに柏手するものとして﹁アレ﹂とは -
代名詞の組織
﹁カレ﹂が使用されていたことによると考えられ60
ともかく、﹁カレ﹂が地の文に用いられたことは、
とあ
申。
ん太郎異る
︵シ謡
テ︶愛にふしぎのおとこ一人あり。具名を
かれ一人の妻をもつ。
川狂句を好むこと久し。
っていても、やはり近称﹁コレ﹂中称﹁ソレ﹂と共に存在するもの
る要素をも
﹁カレ﹂の使用は、いかに話し言葉の﹁アレ﹂とは異な
トムりけスリ
の中に新しいものを生じたことになる。すなむ ち、文華血文ノ
渠
こⅠに播磨の国印南部荒井の里に、彦男
六あ
とり
い。
ふ帥卜は
であった。また、書生言葉としてにしろ、話し言葉に ﹁カレ﹂と用
百骸九藪の中に有
物。かりに名て
付風
羅切といふ。
︵笈の小文
P・
ワ︶
︵雨月・吉
津備
の釜 ・P㏄︶
袖とちかき従弟の因あれば、
セ九
いても、それは﹁アレ﹂に相当する表現であって、やはり遠称のわ
くを出るものではなかった。ところが、口語文の地の文に用いられ
るに及んで、それはもはや﹁コレ﹂﹁ソレ﹂と対立するものではな
く、 ﹁アレ﹂﹁コレ﹂﹁ソレ﹂とは別種の完全な絶対他称の性格を
もつことになったのである。こうして発達してきた﹁カ レ﹂は、奥
村⑩に、
上松︶
︵D
明治から現在に到るあらゆる小説を探っても会話内の用側 は殆
んど無い。僅かの例も純粋の会話とは言ひ難い。
とあるよう に、話し言葉としては晴のものとはいいがたいのではあ
るが、西欧語の学習においていわゆる他称の人代名詞の訳語として
便利なこともあいまって、日常語に用いられ、話し言藁 において
も、もはや﹁アレ﹂の代用ではなく、遠称・近称・中 称の別を超え
ツ?﹂の用法
た絶対他称の代名詞になっているのである。
㈹﹁カ
﹁ヵレ ﹂には﹁ 力 ﹂の 類形 があったが、﹁ 力 ﹂の用法は大きく二
っ に分けられる。
力﹂そのものが指示対象を表す用法
@
ノ@ ﹂の 形
@ル
である 0 そして、﹁ 力 @ノ﹂
﹁かはたれ﹂などの少数を除いて、ほとんどの
第一は、﹁ 力レ ﹂ と同じく﹁
である。その場合、
例は助詞 フ ﹂を 伴 って﹁ 力
八O
︶たてまつる不死の薬に、 ︵竹取
ずみ ありきけれど、
P ㏄︶
カ クヤ姫
︵
竹取 ・P 駐 ︶
る
女ノ夫 ︶
1
.ハ・P 棚 ︶
かよ ひけるほどに、かの男︵Ⅱ
二食
れるが、古くはもっぱら﹁ カ ノー﹂が用いられた。
カレ﹂に﹁ ノ ﹂が続くことはなく、まれに﹁カレガー﹂
に名詞を続
て全体で指示対象を表す用法で、用例としてはこの万が圧倒的に
第二は、﹁ 力﹂は指示性のみを表し、﹁ カ ノー﹂と 下
の形は見
︵平治・ 上 ・P Ⅲ︶
清盛ノ ︶大勢 撒押よせ むずるにほどや 有 べき。﹂
%
反ア
。・
︵1
|
の
﹁清盛は、 ⋮⋮数千騎の勢にてム﹁明日都 へ入ると承る。 ノ
人の国のかみになりてくだりければ、
を、 女も思ひかはして、
朝忠の中将、人のめにてありける人にしのびてあひわ たりけ
ノ ︶家にゆきてたⅠ
かぐや姫を見まほしぅて物 くはず思ひ づ Ⅰ、かの︵Ⅱ
か め ︵Ⅱカグヤ姫ガ
主格の場合もあるが、そのほとんどは連体格である。
が
「
ら
去程接に 、 彼赫 信西入道と申すは、
しかするⅠ 時 なけれど、
︵源氏・須磨・ P Ⅱ︶
とおぼ
︵平治・ 上 ・P 叫 ︶
︵源氏・浮標・ p ℡︶
かの明石︵Ⅱ明石上︶に心苦しげなりしことはいかに、
だにまれになむ、と聞き給へど、
かの須磨は 、 ⋮⋮、今はいと里ばなれ、心す ど くて、 あ まの家
く 見られる。
け
多
﹁かの義朗こそ 悪 ㏍ き敵勒 なれ。﹂︵雨月・白墨
﹂
P佃 ︶
と思ひしに、
﹁引引目︵Ⅱ五郎︶をこそ法師になして、父の孝養をもさせ ん
袖 ︶を
︵雨月・吉備 津 の釜 ・P ㏄︶
6 百 郷 に送りての ぢ、 父の面をも和め奉らん。﹂
﹁ム﹁はおのれが身の罪をくゆるばかりなり。かの女︵Ⅱ
富民摘 ・四 ・P Ⅲ︶
﹁彼赫焉陰 めは、はなはだ 色 このめる男だけれど、
︵浮世床・二丁︶
右のように下が固有名詞の場合は、それが唯一特定物を 表すので
現 在 ﹁アノー﹂
﹁こト に淳名 を白と呼 る窃究僻 なる少な牲がありやす。
あり、その用例は観念対象指示用法が普通である。
というのと同じく、話し手の対象への遥かな思いがもろに表され
彼少女㍑。が家は
﹁講印へるつれはたれぞといふに、諏訪町の炭俵
咄㍉ョ。
﹂再読本風 ノ語り口︵浮世床,二丁︶
る0
は、応訴のものに観念指示用法の例が見られ
下が普通名詞の場ムロ
談︶
% と 倶にに 薪炭究
河岸 い のすみや サ 。 彼油は図南牡の門人で、書体匙も 可 なりに
八
るが、対話の例の多くは、場の状況や文脈の支えによってその指示
で ﹁アノー﹂という表現に相当する。
ところで、㈲項で触れた﹁カレ﹂の場合と同じように、
現代語の
ヮに、現代語
右の類の例は 、Ⅲ項で触れた﹁カレ﹂の場合と同じよ,
︵安愚楽鍋・三上・半可の江湖
ぅ お う にやりやす。 彼
できやす。俳話もさ
︵伯叔・ P 託 ︶
カグヤ姫 ︶を ま いらせ
対象が明確になる用法である。また、指示対象が人物 でない例も多
いが、人物である例が日立つ。
﹁仰の事のかしこきに、かのわらは︵Ⅱ
む とてっかりま づれば、
さてもいとうづくしかりしちどかな、なに人ならん、 かの人
︵Ⅱ藤壺︶の 御 かはりにあけくれのなぐさめにも見 ばや 、と思
﹁アノー﹂といいかんにくい物語の地の文などの例も多
むかし、男向けり。⋮⋮西の京に女ありけり。その女、
︵源氏・若紫・ P Ⅲ︶
其の緒方が年来棲 ける妻の上に、 邪思ふ女の其の国に 有 ける
とりのみもあらざりけらし。それをかのまぬ男、う ちも のがた
ふ心 ふか う つき ね。
を、 ⋮⋮ 、ホ の妻 強 に尋 て 、﹁ 経万 彼の女の許に 行ね ﹂ と聞付
らひて、
仁和の帝のみこにおはしましける時に、 御をばの やそ ぢの賀
︵伊勢・一一・
P Ⅲ︶
つれば、色彩 ち失せ、肝心も迷はして妬み狂 けり。
︵
ム﹁昔 ・三十一の 十 ・P ℡︶
八一
︵
吏
﹁・三四八︶
に、 しろがねを っゑ につくれ りける をみて、かの御をば にかは
り てよみける、
その夜遊君を一人と ビ のたりけるに、かの女性 タ 長者 のもとに
八二
文献に見える最古の﹁カ ツジョ ﹂の明らかな例は、奥村 垣哉 ⑩ に
る こまつ
ょれば、坪内治道﹁当世書生気質・第二回﹂︵明治比年︶だとされ
る0
此 小娘は年の頃、まだ漸々㍍十四五と見ゆれど、頗が。
P獅︶
とある。﹁隠語的ニュアンス﹂とは、文章の地の文における文脈 指
︵p ㏄︶
もつともこれは遊女をさしており、隠語的ニュアンスがあって
この例について、奥村⑩には、
こばるし小娘なり。
お転婆なれども、彼女窩は清 澄 だ、などといつて書生連 に よ る
にい ふ
の多い方な俗
り。
しゃくれた 質梯 にて、容色 盤 も人 素 W,
︵平治・下 ・P Ⅲ︶
兵衛 佐殿 おはします よ しい ひ ければ、
セ
彼児 ︵
窩 ︶が父母も知人なりけ る儲に、此
鎌倉に 或人の女、若宮の僧正坊の児を恋 て病になりぬ。 母にか
くとつげたりければ、
曲中台 て、時々児をも かよ はしけれども、︵沙石・
︵
伊 胃体, 下 ・三四・ P Ⅲ︶
ある法師道を行ける所に、盗人一人ゆきむかって、かの僧 をた
のみけるは 、
赤 でなく、話し言葉における観念対象指示ないし文脈指示の用法を
純粋の代名詞とは舌口ひにくいけれども、
男 ・一の二丁 P蝸 ︶
。世乞
二代
亭 朋の遠眼鏡を取持て、 かの女を
@
目われたもののよ う である。
中居ぐらいの女房、・・・・・・腰のあたり
垢のかき流し、
為朝ガ ︶そなたを 噌 穏おは
介 四阿 屋 辞の棟にさし懸り、
一人の男あらはれ出たり。︵
楡明蓋 ,に見やりて、
などの文字が見えるが、ルビのあるものは﹁かれ・か 0 をんな・ あ
広田栄太郎⑨によれば、明治十年代の翻訳文学に﹁彼 女 ﹂﹁板締﹂
︵弓張月・前 ,ニ ・P ㏄︶
ね﹂であるという。﹁被かの女㌍の例は明治十九年﹁梅蕾鎗薫 ﹂ が
しけるに、御引掛引も為朝を見てちかく歩み来 り、
ちや曇の女中をつれだして、⋮⋮かへりみち 、かの じ よち うと
初出だとされる︵ P托 ︶。もっとも、これらの例はいずれも旧話
先述のように、﹁カレ﹂は男性にも女性にも区別なく用いられた
の文の例では﹁彼女 沖す
﹂などが見える。
独白・対話の用法であり、いわゆる﹁純粋の代名詞﹂ではない。 地
ふたりづれ 、 うしや へはいりて、
︵安愚楽鍋・ 三上・娼妓の密肉食︶
㈹﹁カ ツジョ﹂の成立
ころで、幕末から明治にかけての西欧語の学習に際して、その男性
が、 むろん特に﹁カノ 男 ﹂﹁カノ 女 ﹂などということ もあった。 と
ノオンナ﹂は、冗漫な感じがすることなどから、これ を 新鮮
出目の訳語としてぴったりしないことや、﹁ アノ オン ナ ﹂﹁カ
ノオンナ﹂では、なにか古臭いし、軽侮の感が伴って いて、
︵P 皿 ︶
お絡は少しも寒くはありません。火は彼女盤の心を温い めずと
﹁野末の菊 L ︵明治雄牛︶だとされる︵ P 館 ︶。
詞 ﹂として用いられた最 ・初の例は、奥村⑩によれば、 嵯 峨 の屋 御室
この﹁カ ツジョ ﹂が地の文の文脈指示用法いわゆる﹁純 粋 の代名
﹁当世書生気質﹂の例からも察せられる。
とある。おそらく書生用語として成立した語であることは 、前記の
はないだろうか。
はなしに、﹁ カ ノジ コ﹂なる湯桶読みのことばが生ま れたので
いつと
と女性を区別する代名詞に応ずる訳語として、両者に共に﹁かれ﹂
ただ、﹁ カ
れが当時の漢語流行と結びついて、英学生のあいだに、
な、しかも簡潔な語にしょうとする意識がおのずから生 じ、こ
こと、広田⑨
と訳 きれると共に、前者には﹁あのひと﹂後者には﹁あのをんな
か めをんな﹂などの訳も語学書 ・辞書に記されている
︵P5 ︶に 赤きれるとおりである。そこに﹁アレ﹂﹁ア ノ男 ﹂の 日
常語が見られないのは、その低 待遇 珪が 嫌われたので あろう。﹁ ア
ノ女 ﹂も 、 記されてはいるもののその伝符通性が問題になったであ
ろ うし 、また、﹁ ァ ノー﹂の ァ系の語は、それに対立 する﹁コ ソ
| ﹂﹁ ソ ノー﹂が存在し、目の・の プのなどの端的な 訳 語 として的確
でなかったのであろう。おのずと、文語であってしかも絶対他称の
もっともふさわしい表現として多用きれたのであろう。
要素をもっている﹁カレ﹂と﹁カ ツオンナ﹂が、それぞれに応じる
以後しだいに言文一致休の小説などに使用きれ、自然主義以後は多
も愛は其方を温めて 居 ます。
ノジ, ﹂という言い方が 、 ﹁ヵレ ﹂に相対する絶対他称 として用い
用 きれてきた状況は、広田⑨・奥村⑩の論文に示きれたとおりであ
ノオンナ﹂はなんとしても冗漫であり、そこに日常語にはない﹁ ヵ
られるようになったと推定される。この間の事情について、広田⑨
ろう。
と@
レチ晴
しの @口
@
新 村田のには、
コ ・ソ ・ア系の 代名詞とは 異
次元の完全な絶対他称の代名詞となったのである。
葉 としての位置こそ得てはいないが、
かくて﹁ カ ノジ コ﹂は﹁カレ﹂と共に成長し、日常語
し
@ヰよ
︶
はじめ﹁ アノ オンナ﹂﹁カ ツオンナ﹂と読まれた コ彼女 ﹂が 、
よ
ァノ オン ナ ﹂﹁カ
どうして﹁ カ ノジ コ﹂と読まれるようになったかは、
らないが、察するに、英語訳読の際などに、﹁
八三
と
そ
は翻訳語としては許し得たのでありますが、実際の国華
幅と
は ﹁彼 ﹂とか﹁彼女﹂とかい ふものはどうしても敬意を 含
或
されているようであるが、それは事情がちがぅ 。敬語的
れている。﹁ ァレ, アイ ソ﹂などと同質の敬語的低待遇性
︵P Ⅲ1 % ︶
く城富 せしめるのは国語のために採らないのであります
であります。︵中略︶﹁彼 ﹂と﹁彼女﹂といふ舌口薬をか
すべき人であるとかを舌口 ふ場合に於て・ 昔 々 は之を使 ひ得
ない、百分より目下の者 か、 或は吾々の軽蔑すべき、
し
み
非
る
の
嘆
慨
き
珪の語であって、けっして低待遇性なのではない。その
問題と
むしろ客観的叙述にふきわしいという要素があり、便利
無待遇
0代名詞としてゆるぎない位置を占めるにいたったとい
適性が
が
は
きであ
対他称
番組の司会者が 、
なお、
の
ソ
コ
ソ
テレビ
こ 02
ガデ スカ﹂などと用いることが
性 ﹂﹁ な性 ﹂に相当する名詞に転じた用法である。
が可能なのも、遠称他称の語でなくて、絶対他称の語 とし
。「男
カ ノジコ ソゴ 意見ハイカ
﹁ソコ 二局 ルカレ二間 パ テ ミ マショウ
﹁カレ﹂﹁カ ツジョ ﹂は 、新しい用法として、視聴者参
絶
待
べ
「
ているからである。
な用法
存在し
る
う
て
㈹むすび
八四
先に、代名詞を二分して人代名詞と指示代名詞とにすることには
問題があるむねを記したが、その点に ついて考えを述べよう。
分
他称の代名詞の中で、人物を指示す 6場合だけは人代名詞に所属
させ、その他を指示する場合はすべて指示代名詞とすることは、
う
類基準があいまいで無意味である。両者の指示性には、根本的に相
違を認めることができないのである。山田孝雄②に示されるよ
に、定称の代名詞は、まずは自称・対 称と 他称に区別し、その他称
を、さらに近称,遠称・中称に下位分 類するのが適当である。
他称の代名詞は、ゆび きし・文脈などの支えがなければ指示対象
を明示することができないのが普通であり、その点で、それらを常
に要することなく対象を明示する自称 対称の代名詞とは異質性を
もつのである。
もっとも、他称の代名詞の用法の中で、空間・時間を表す場合に
は、ゆびさし,文脈などの支えを要することなく、近称が話し手の
所在に関係する対象を指示し、遠称がそれに対立する対象を指示す
る用法がある。空間を表す場合には、中称が話し手の所在と無関係
に聞き手の所在に関係する対象を指示する用法もある。この用法を
絶対指示用法と名づけたが、ゆびさし ・文脈などの支えを要しない
、と
他い
称う
のこ
代
、自称・対称の代名詞と同類性をもつ用法である。 め、その意味で他称の第一次的なものであり表
用に
いられ、
レノ
﹂ー
﹁﹂が伝統的
近じ、 とができる。文章にその﹁カカ
た、近称が話し手自身を指示対象とする自称
中称
に・
転
話し言葉の﹁アレ﹂﹁アノー﹂とは異質の性
絶格
対を
他帯
称び
のて
遠称が、それぞれのニュアンスの差を保ちつ自
つ身
、を
聞き手
点
已に
に対
える表現であり、遠称
うで
のい
は、話し手が明ら自
か
話い
し
るものとして相手を捉える表現であり、
う中
の称
は、
で
ら離れた遥かなものとして捉えるものであり
、話
、し
近手
称は になる。
象を自己側の身近なものとして捉えるもの
中称
では
あ、
り話
、
他称の各
称の一般的傾向からはずれるものでし
はた
なが
いっ
。
は、
絶対指示の用法も含めて、他称の代名詞の基
本遠
的称
用法
称 ・中称を区別するだけで一応事足りるのである。
ころで、文脈指示用法において他者である人
人物
物に
な擬
いし
て用いら
者を指示するのに、もちろん他
称称
がの
必各
要に応じ
のであるが、遠称
はし手が自己に対立すると他
、話
捉者
えを
た
置し
をて
占の
するのであり、まきに自称に対立するもの
位と
,中称⋮⋮
ソレ ・など
八五
ハ昭和㏄年穏戸ロ
次ば
の、
よう
したがって、現代語称
の
代定
名詞の組織を図示すれ
め位
る置
こを
と占
にな
った
自己との関わりを排して平静に相手を捉える
表の
現で
であ 中称のわくを離れた完全な絶対他称としての
ったのである。
称い
・、
遠称
レ﹂﹁カ
ツジョ
﹂は完全に遠称としての性格を
近失
﹂か
@
力生
的ジ
に,
﹁
カ誕
て柏
は、
話し手が自己側のものとしていわば自己の
同手
類としとして﹁カレ﹂が多用され、やがて対応ツ
カ
し、言文一致休の文章に用いられるようにな、
っそ
ての
以﹁
来
用いられてきた。そして、幕末から明治に
か語
けの
て翻
の訳語
西洋
対象とする対称に転じる用法があった。後者称
ので
場い
合、近
指称
ぅ
手 立 を
あ
側
が
し
、
昭和 昭年
尺六
⑮堀口相言 ク指示語の表現性 ク ﹁日本語・日本文化 8﹂ 昭和㏄ 年
八
キリ大
口猷
①大槻文彦﹁広日本文典﹂明治㏄年
⑯田中里 ク ﹁コソ ア﹂をめぐる諸問題 ク ﹁日本語の指 一
下記﹂昭和㏄
年
の 正保男 ク ﹁コソ ァ﹂の体系々﹁日本語の指示詞﹂
申込先
天理大学国文学研究室
し
*
に報と口車戸。
グロータ廣
ー教
濱
ス授
先生と
の
指導のもと、本学科の
奈良県と三重県の
境界地帯方言地図
子犬
集
昭 和㏄ 年
②山田孝雄﹁日本文法論﹂明治虹年
③山田孝雄﹁奈良朝文法吏﹂大正 2年
①山田孝雄 コ平家物語の語法﹂大正3年
⑤湯沢幸吉郎﹁室町時代言語の研究﹂昭和4年
⑥佐久間鼎コ現代日本語の表現と語法目昭和Ⅱ年 ・増 補版 昭和 蛆年
︵引用は後考︶
⑦新村田﹁国語の規準﹂昭和仏宇・﹁新村山全集・二 ﹂昭和 4 年に
収録︵引用は後者︶
⑧山崎久之 ﹁国語待遇表現体系の研究﹂昭和明年
⑨広田栄太郎 ク ﹁彼女﹂という語の誕生と成長クコ
国 語 と国文学 L
昭和雄年 2月, コ近代訳語考 ﹂昭和佃 年に収録︵引 用は後者︶
昭
年和郎
⑩奥村垣哉ク代名詞﹁彼 ・彼女・彼等﹂の考察ク ﹁国語国文﹂昭和
% 年Ⅱ 月
⑪井手至ク代名詞ク ﹁積日本文法講座上﹂昭和
肘年
⑫岡村和江 ク代名詞とは何かク ﹁品詞別日本文法講座 2L
⑬清水防ク平家物語における指示語の特殊用法にっいてみ﹁平家物
語総索引Ⅰ昭和毬年
⑭堀口称吉 ク指示語﹁コ・ソ・ア﹂考ク ﹁論集日本文学 日本語 5﹂