COLUMN COLUMN ① ● シリーズ 私 の 見 た 日本 Vol.157 新旧の不思議とその矛盾 ② ③ ④ ⑤ 台湾台北市出身。 2003 年台湾華梵大学哲学部卒業。 2006 年∼2011 年アメリカジョージア州 サヴァンナ 芸術工科大学建築学部建築設計 専攻修士取得。 2014 年 より 佐 藤 総 合 計 画 設 計 室 勤 務。 LEED Green Associate 徐 立偉(ジョ・リツイ) ◆初 めての 来日 大学を卒業し兵役を終 えたころ、日本 で 建 築設計 の 勉強 をしようと考 えた 。 だが日本に が過 ぎて日本と台湾、 それぞれ時間と空間 は コ人、西アジア人、ホストや 客引き、サラリー 異 なるが、同じ曲 を 聞 いている。学生 だった マン、国内外 の 観光客 が 1 つの 空間 にいる。 私は今や社会人。私 の 特別 なホームシックだ。 当時 の 新宿 は 魅力的 な 場所 だった 。 昔 は 新 宿 の 熱気や 賑やかさが 好きだったが 、今 は 静 来 て 、東京 の 電車 の 中 で サ ラリー マンた ち が 英語 の 勉強 をしているのを 見 て 、私 はアメ ◆父親 の 故郷 かな 人 ごみ の 少 な い 東京駅、丸 の 内 の 方 が リカ留学を決 めた 。アメリカの 大学院卒業後、 ―日本式 の 家と千葉館山 の 街並 み 魅力的に感じる。 けれど、昨年新宿 のゴール ワシントン DC の 建築事務所 の 面接 の 機会 を 台湾 には 多くの 日本統治時代 からの 日本 デン 街 へ 行 き、小 さな 路地裏 にある 風情 の 得 たが 、家族 の 事情 でアジアで の 就職 を 決 式建築 が ある。 最近多くの 日本式建築 が 取 ある Bar や 居酒屋 を 見 て 、また 新宿に対して ⑥ ⑦ ⑪ ⑫ ⑧ ⑨ ⑬ ⑭ ⑩ ⑮ 心した 。 私 は 日本語 も 話 せ ず 、日本文化 も り壊 されて いる。 父親 の 故郷斗六 には 一部 考 えが 変 わった(写真 7 )。 人 が 多くゴミゴミ 知らな いまま 東京 で 就職 することになった 。 日本人 が 残した 木造家屋 がある。 ところで 、 しているが 、様々 な 人種、職業を受 け 入 れて 日本 に 来 ることがどこか 運命 のようで 、昨年 日本家屋 の 横 に 龍眼 とマンゴ、 バ ナ ナ の 木 くれ自分 の 空間を必 ず 見 つけられる、人間味 日本 で 結婚した 。 がある風景を想像 できますか(写真 3 )。私 が の ある 街 だと 感じた 。 一方、台北信義計画 net/info/photo.php?e=oNDznn!76AOCjxL6s_p_K0&pid=196915328 留学 する 前、父 が 龍眼 の 木 に 登って 龍眼 を 区 は 新しい 街と住宅と百貨店、Bar や club 全 ロリダ 州最大 の 都市 マイアミまで 車 で 5 時間 モシェ・サフディが設計した Jepson center にある美しい 建築 を 残 そうとしている、 その 摘 み 、 そ の 龍眼 を 食 べるのを 見 た 思 い 出 が てが 高級路線 で 面白 みがない 。 ◆台湾・日本―不思議 なホームシック 台湾 で 過ごした 20 数年間とアメリカ留学 の 5 年、 そして 東京 で 過 ごした 数年間。 3 つ の である。 平日や 週末 にジャクソンビルへ 向 か がある(写真 11 )。日本に来 て 現代建築に溢 中には 台南市林百貨店(写真 14 )や 斗六市行 うときはいつも 新鮮 な 気持 ちになった 。車社 れた 東京 の 街並 みを 見るとなぜかホームシッ 啟 記念館 などがある(写真 15)。 日本 で 就職してから、台北信義計画区 が 会 のアメリカらしいのは 道中、車 も 人 も 少 な クになる。今 でも 古 い 建築に対 する興味 は 強 ある。何年間 か 前に館山市 へ 旅行に行ったと き、館山市 は 海側、斗六 は 山側 にあるのに、 写真 1 /実家 の 前(台湾台北市・2016 ) 写真 2 /林森北路六條通り(台湾台北市・2005 ) 写真 3 /父 の 実家(台湾斗六市・2004 ) 写真 4 /千葉県館山市 2012 写真 5 /信義計画区 101 ビル(台湾台北市・ 2007 ) 写真 6 /新宿 の 高層ビル 群( 2016 ) 写真 7 /新宿 ゴー ルデン 街( 2013 ) 写真 8 / アメリカフロリダ 州 ジャクソンビルのダウンタウン( 2010 ) 写真 9 /幕張メッセ( 2016 ) 写真 10 /全米最大 の 歴 史建築都市 ジョージア 州 サバンナ( 2007 ) 写真 11 / Jepson center(建築家 モシェ・サフディ設計) ( ジョージア 州 サバンナ ) 写真 12 / ホテルオークラ 東京( 2012 ) 写真 13 / アメリカ ロサンゼルス・メモ リアル・コロシアム( 2010 ) 出典:https://www.wikiwand.com/en/Los_Angeles_Memorial_Coliseum 写真 14 /台南市林百貨店( 2016 ) 写真 15 /斗六市行 啟 記念館 出典:http://yo.xuite. 異 なった 国、空間、街並 み 、建築 の 規模 の な ぜ か 館山市 の 街並 みを 見 て 懐 かしさを 覚 新 宿 副 都 心 の コンセプトを 取 り入 れた も の く夜 はさらに 閑散としていて 夜 は 犯罪 の 温床 く、昭和時代 の 東京 の 下町 の 雰囲気 が 好 き 13 年前に初 めて日本に来 てから、アメリカ 違 いに 様々 な 感情 が 湧 き あがる。 特 に 日本 えた 。 古 い 家 の 周りに 草木 が 生 えて 、日本 だったことを 初 めて 知ったが 、新宿 や 信義計 となるところだ(写真 8 )。 その 原因 は 、 ジャ だからだ 。 東京 は 建築 の 新・旧 の 変化 が 早 で 5 年 の 留学生活 を 経 て 、今日本 で 生活 をし で 過 ごした 数年間 で 見 た 日本 の 街並 み 、空 に居 ながら南国情緒をかもしだす、館山市 の 画区 のどちらに 行っても 、 2 つの 場所 に 関連 クソンビ ルの 住民 が 休日 には 郊外 のショッピ い 都市 ではあるが 、古 い 建築 もまだ 多く残っ ている。 日本 の 生活空間、街並 み 、民家 に 間を見ると不思議とホームシックになる。 家々を見 て 父親 の 故郷斗六を思 いだした(写 性 があるようには 感じられない 。信義計画区 ングモールやビーチで 過ごすので 、ダウンタ ている。 こうした 新・旧建築 の 変化 が 早 いの は 時々ホームシックを 感じる。日本 の 街並 み 真 4)。 は新宿副都心と幕張副都心 の 中間 のように感 ウンには 人 がいなくなって 閑散となるからだ 。 は日本 が 地震大国 である一因 があるかもしれ は 空間と人とを 上手く融合 するように 設計 さ じられる、 むしろ幕張副都心 に 似 ているので アメリカは 現在この「郊外繁栄都市問題」を な い 。 また 日本人 の 心 の 故郷 で ある 伊勢神 れていて 、公共交通機関 のシステムも 整って ◆台北市と東京―街 のスケール 私 の 実家 は 台北市 にある。 台北市 の 路地 のスケールは 東京より6m も 広 いのに、路上 ◆新宿副都心と台北市信義計画区 はないだろうか 。 台北市信義計画区 は 、1970 年代日本 で 活 改善しようと、多くの 公共交通 のインフラス 宮に関係しているようにも 思う。 20 年に一度 いる。しかし、新・旧建築 の 保存 や 活性化 を トラクチャーと都心 の 活性化を検討している。 遷宮 が 行 われ、古 い 建築 から新しい 建築 へ 遷 うまく取捨していくのは 容易 なことじゃないと 駐車 ができるためか 、実際に感じる広 さは 東 躍していた 建築家・郭 茂林氏 が 新宿副都心 の ◆ アメリカフロリダ州ジャクソンビルと もしかすると、幕張副都心 もバブル 時に計画 り変る。 だが 、私 は 時々東京に焦りを感じる。 思う。 古 い 建築 には 歴史 が あり、人々 の 記 京と変 わらないか 、 もっと狭 い 。実家にいた コ ン セ プト を 台 北 に 取 り 入 れ た も の だ 。 千葉幕張副都心―疎外感 されたもので 、当時 はみな 車 の 運転 を 好 み 、 ホテルオークラ東京(写真 12 )や 古 い 国立競 憶 に 留 まる。 一方、新しい 建築 は 経済発展 頃、部屋 からは 近隣 の 喧嘩 やカラオケ の 音 1990 年代中期、台北市政府(都庁)は 信義 幕張副都心 には 買 い 物 や 台湾 の 友人 が 幕 また 国際都市 の 風景に憧 れを持っていたのか 技場 のような 、建設 から 100 年 も 満 たなくて や 新しい 建築 の 技術 を 実践 できる 機会 でも 楽 が 聞こえた 。路地と路地 が 本当に狭 いのだ (写真 1)。 計画区 へ 移転し、2004 年 に 台北 101 が 完成 張 のホテルに 宿泊しているときに 行くことが もしれない 。所々に緑 が 見 え歩道 も 整備され も 、人々に多くの 感動を与 えてきた 歴史を刻 ある。 日本 にはアジア 最先端 の 技術 や 都市 した(写真 5 )。信義計画区には 5 つ 星ホテル ある。 幕張副都心 は 国際都市 と 言 われ、 ア ているが 、日本特有 の 小規模 な 複合式都市 んだ 建築 が 建 て 替 えることで 人々 の 記憶 から 計画 のコンセプトがある。 これは 台湾 やその と高層 ビ ル 群、大手銀行、高級百貨店、高 メリカの 都市構造と似 ているように 思う。 都 空間 が 見られない 。夕日に照らされたバブル 段々と忘 れられてしまうのではないか 。 対照 他近隣諸国 の 建築 のコンセプトや 生活空間に 級住宅 が 次々と建設 された 。 信義計画区 は 市 がはっきり区画 されていて 、面積 が 広 い 。 期 に 建 てられた 高級大理石 の 建材 のビ ルや 的 に、1920 年代 に 建 てられたアメリカの ロ 影響 をもたらすだろう。 2020 年東京 オリン 台北市林森北路六條通りは 京都 の 路地 に 始 まって から 完 成 ま で に 30 年 か かった( 注 先月、免許 の 更新 で 朝一 に 幕張副都心 を 訪 槇先生 が 設計した 展示場 が 少し錆 びて 見 えた サンゼルス・メモリアル・コロシアムは 1932 ピック前、この 巨大都市 は 日々進化 をしてい 似 て いる。 林森北路六條通りは 日本 の 居酒 1)。 建築密度 は そ れほど 高くなく新宿副都 れたとき、通勤中 のサラリーマンが 黒 いスー (写真 9)。 ホームシック感 はなくただ 深 い 疎 年 と 1984 年、 この 間 52 年 も の 間 が 空 い て る。高齢化 が 加速している中、東京オリンピッ 屋 があるスナック街 で 知られていて 、夕方 に 心 のコンセプトで 進 んできたが 、雰囲気 は 新 ツで 列 に なって 高 層 ビ ル へと 向 かって い た いるが 、 2 度 もオリンピック会場として 活用さ ク後 の 東京 は 、どのように人々に都市 の 魅力 はカラオケで 演歌 を 歌う声 が 聞こえる(写真 宿とは 違う(写真 6 )。 が 、小 さな 人影 が 巨大 な 高層 ビ ル 群 へと 吸 れた 。 今 もなお USC 式 アメリカンフットボー を 感じさせられるか 。日本 はどんな 素晴らし ◆台北・東京―路地 のカラオケ 2)。 最近会社 の 近くでも 毎週木曜日 の 午後 い 込 まれるのを 見 て 人 と 建築 の 比率 に 違和 外感を感じた 。 ◆都市 の 新・旧―複雑 な 情緒 からシルバー 世代 の 方 たちがカラオケを 歌っ 2003 年、初 めて 東京に来 た 際、新宿 のホ 感を覚 えた 。 そして 、通勤時間 が 過 ぎると高 私 は 矛盾 を 抱 えた 人間 だと 思う。 全米最 という曲 は 90 年代台湾 で ている。特に “酒よ” テルに宿泊した 。当時 のタクシーにカーナビ 層ビルの 間にある緑 の 空間と歩道 が 寂しく見 大 の 歴史建築都市 であるジョージア州 のサバ ルのメイン会場として 使用 され 人々に 愛 され い ア イ ディア でこ の 問 題 を 解 決して いくの ている(写真 13 )。 か 。 近 い 将来、台湾 や 近隣諸国 が 同じ局面 に 遭遇したときに、日本 のアイディアを 参考 “傷心酒店”と翻訳 され 大ヒットした。 東京 で はなくドライバーがルーペ 片手に地図 を 見 な えた 。 アメリカの 都市計画 は 車を中心に計画 ンナへ 留学したとき、好 きなアメリカの 歴史 日本 は 古 い 建築 を 取り壊 す 一方 で 、台湾 仕事 をしているときにこの 曲 を 聞くと、実家 がらホテルまで 連 れて 行ってくれた 。 新宿 の されて いるが 、幕張副都心 も 車 の 少 な いと 建築 に 囲 まれて 幸 せだった(写真 10 )。 とは では 日本統治時代 からの 日本式 の 建物 を 残 にいる頃、 テスト前 だというのに 近所 から 聞 人口密度 と百貨店 や 夜 の 繁華街 など 国際色 きはなんだか 寂しく見 え、アメリカ留学時代、 いえ私 は 建築設計を専攻していたので 、新し そうとしている。 もしかして 中国 から 来 た 蒋 こえる“酒よ”カラオケの 洗礼を受けなければ の 豊 かさに 驚 いた 。 歌舞伎町 の 中国人、 ア 車 で 2 時間 ほどのフロリダ 州北東 の 都市 ジャ い 建築、特に古跡に囲まれた現代建築にも興 介石政権は台湾 の 文化や 考えを洗 い 流 そうと ならなかったことを思 い 出 す。 あれから 20 年 ジア 人、路上 でアクセサリを 売っていたトル クソンビ ルを 思 いだす。 ジャクソンビ ルはフ 味 があった。 サバンナには、カナダの 建築家 したのかもしれない 。今、台湾人 は 記憶 の 奥 38 にすることになるだろう。 注 1:http://mail.tku.edu.tw/094152/xy2.htm (accessed May 30,2016) 39
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