2016 年第 2 期 第 12 課 イエスの最後の日々 6 月 18 日

2016 年第 2 期
第 12 課
イエスの最後の日々
6 月 18 日
A 「良いこと」(マタイ 26:1-16; ルカ 7:36-50; ヨハネ 12:1-8)
 弟子達、特にユダはその行為を浪費とみなしました。しかし、イエス様は
彼女の受けるに値しなかった愛に対する感謝に満ちた心を見られました。
(ルカ7:47)
 神様は私達に自由意思を下さいました。人々はイエス様の死をまじかに控え
たときに、イエス様とどのように関わるかを決めるために、それぞれに自由
意思を働かせました。つまり、マリヤは彼に対する尊敬を示し、指導者達は
彼を強く非難し、ユダは彼を裏切り、ペテロは彼との関わりを拒みました。
 あなたはどうでしょうか。自分の自由意思を用いて、イエス様に感謝の心の
贈り物をささげるために、私たちはどんな「良いこと」をすることが出来ま
すか。
B 新しい契約( マタイ 26:17-19, 26-29)
 過ぎ越しは、イスラエルの罪の奴隷からのあがないの将来を指していました。
 聖餐式は、私たちをあがなうために、イエス様の注がれた血の過去を
指し示しています。
 私たちは将来の祝いの約束も覚えています。再臨の後、イエス様と 「わたし
の父の王国」 (マタイ 26:29)で新しいぶどう汁を飲むのです。
C ゲッセマネ( マタイ 26:36-46)
 十字架で私たちの罪を背負っている時、彼は父と永遠に分かれてしまうこと
を恐れました。
 彼の私たちへの愛が「しかし、わたしの思いのままにではなく、
みこころのままになさって下さい」と叫ばさせたのです。(マタイ 26:39)
 永遠もゲッセマネから十字架にわたって私たちに示されたイエス様の偉大な
愛を理解するのに十分ではありません。
D ユダ、魂を売る( マタイ 26:14-50; 27:1-10)
 ユダは自ら泥棒となり、イエス様に心を閉ざし、最後にはわずかな額で師を
売ることを選びました。
 ユダは永遠の命にとても近かったのです。しかしながら彼は何もないものの
ためにそれを捨てることを選びました。
E ペテロの否認( マタイ 26:51-75)
 彼は突然 3 年間の奇跡やキリストと供に過ごした日々を忘れてしまいました
 鶏が鳴いた瞬間、イエス様は彼を真っすぐ見つめました。(ルカ 22:61)
 彼の自由意志が先生を裏切ったのです。それにも関わらず、悔い改めに導く
聖霊の声を彼は受け入れました。