みずほインサイト 米 州 2016 年 6 月 9 日 転換点を迎えつつあるブラジル 欧米調査部上席主任エコノミスト 悲観論は後退も、先行き不透明感は残存 03-3591-1310 西川珠子 [email protected] ○ ブラジルでは、テメル暫定政権が発足した。信認回復のカギとなる財政運営では、「現実直視」型 の収支目標を設定したうえで、憲法改正を伴う歳出上限導入や年金改革など野心的な提案を掲げた ○ 景気は深刻な後退局面が続いているものの、落ち込みの勢いは和らぐ兆しが見え始めている。イン フレ率はピークアウトし、金融政策は緩和への転換を探る局面へ入りつつある ○ 政治・経済ともに転換点を迎えつつあるが、テメル氏の政権基盤は脆弱であり、雇用・信用市場の 悪化など景気の下押し要因も残存する。手綱さばきを誤れば、ブラジル経済は再失速しかねない 1.テメル暫定政権の政策運営方針 (1)政策運営方針は「現実直視」型 混迷が長期化してきたブラジルの政治・経済が、転換点を迎えつつある。弾劾手続き1によるルセフ 大統領(労働者党(PT))の職務停止(5月12日)に伴い、テメル副大統領(ブラジル民主運動党(PMDB)) が大統領代行に就任し、暫定政権が発足した。政策転換への期待から、景気に対する悲観論が後退す る兆しが見え始めている。 テメル暫定政権の政策運営方針は、 「現実直視」型といえる。2016年予算は大幅な赤字に修正しつつ も、厳しい財政状況を直視したうえで、政府の役割を縮小して市場機能を重視する方針だ。市場重視 の政策が実現すれば、拡張的な財政政策 や経済活動への政府の介入が特徴だった 左派PT政権の路線は、大幅に修正される ことになる。従来政府が大きな役割を担 ってきたインフラ投資やエネルギー開発 の分野では、規制緩和により投資環境を 改善し、民間投資を呼び込む方針が示さ れている。また、通商政策面では、保護 主義的なイデオロギー色の強いメルコス ール(南米南部共同市場)中心の政策運 営を見直し、欧米との連携強化が志向さ れている(図表1)。 図表 1 テメル暫定政権の政策運営方針 財政再建策 基礎的財政収支目標(公的部門) 2016年1,640億レアルの赤字(GDP比2.6%) 歳出削減 歳出上限の導入(前年インフレ率以下。憲法改正が必要) 年金改革(最低支給年齢の見直し等。憲法改正が必要) 歳入増加 一時的な増税、インフラ投資のコンセッション収入拡大 債務削減 国立経済社会開発銀行(BNDES)による国庫借入の返済(1,000億レアル) ソブリン・ウェルス・ファンド(SWF)の廃止(20億レアル) 国営企業資産売却・民営化 投資環境の改善 インフラ計画における収益率規制の見直し等の規制緩和 深海油田開発におけるペトロブラスの役割見直し 通商政策の見直し メルコスールの見直し(より柔軟に二国間協定が締結できる方向へ) EU・メルコスールFTAの推進、米国との関係改善 (資料)各種報道等より、みずほ総合研究所作成 1 (2)問われるメイレレス財務相の手腕 テメル暫定政権の最優先課題の1つが、財政政策運営への信認回復だ。メイレレス新財務相は、ル ラ前政権(PT、2003~2010年)下で8年にわたり中銀総裁を務め、市場参加者の評価が高い。 メイレレス氏が中銀総裁を務めたルラ前政権期は、ルセフ政権と同様の拡張的な財政政策運営が行 われるなかでも、経済パフォーマンスは極めて良好に推移した(図表2)。中銀総裁としてメイレレス 氏は、高成長のもとでのインフレ率抑制に成功し、14.25%ポイント(25.0%→10.75%)もの政策金 利の引き下げを実現した。 ただし、この間は資源価格(CRB指数)の高騰がブラジルの好況を支えていた側面があることは見逃 せない。原油をはじめとする資源価格は下げ止まりの様相を示しているが、需給環境からみて本格的 な上昇局面入りは見込みにくい。外部環境もポストも異なる状況のもとで、メイレレス氏が財務相と してどれだけ経済パフォーマンスを改善させられるのかが注目される。 メイレレス財務相の財政運営方針には、 「現実直視」の姿勢が顕著に表れている。2016年の基礎的財 政収支(利払い費等を除く財政収支、プライマリーバランス(PB))目標は、ルセフ政権下で提案さ れていた910億レアル(GDP比1.5%、公的部門)の赤字(議会未承認)から1,640億レアル(同2.6%) の赤字に修正された(5月25日議会承認)。2016年については赤字拡大となるものの、議会承認が必要 な財政再建策を含まない保守的な想定に基づく予算を提示することで、投資家の信認を回復するとと もに、2017年以降の財政再建につながる措置の議会審議を促す狙いがある2。また、政府債務について は、国立経済社会開発銀行(BNDES)による国庫借入の返済(1,000億レアル、GDP比1.6%)など、議 会の承認が不要な措置により、着実に債務削減を進める方針を示している。 厳しい財政状況を直視したうえで、メイレレス財務相は財政再建への野心的な取り組みを示してい る。政策の目玉となっているのが、歳出上限の導入(前年インフレ率以下とすることで実質伸び率を ゼロとする)と年金改革(最低支給年齢の見直し等)だ。ブラジルでは、歳出の約9割が憲法などの法 律に定められた義務的支出であるため、機動的な歳出削減が困難となっている。歳出上限導入と年金 改革には、上下両院の3/5以上の賛成(上院48/81人、下院308/513人、各々2回の採決)による憲法改 正が必要であり、財政の硬直性を是正する野心的な提案といえる。 図表 2 政権ごとの経済パフォーマンス比較 実質GDP成長率 消費者物価上昇率 失業率 経常収支/GDP 基礎的財政収支/GDP 政策金利 レアル/ドル変化率 ボベスパ指数変化率 CRB指数変化率 ルラ政権(2003-2010) 一期目 二期目 (2003-) (2007-) 4.1 3.5 4.6 6.5 8.1 4.8 9.5 10.9 8.0 ▲ 0.2 1.3 ▲ 1.7 3.1 3.5 2.8 ▲ 14.25 ▲ 11.75 ▲ 2.50 9.9 13.4 6.4 25.5 40.9 11.7 9.9 10.4 9.5 ルセフ政権(2011-) 一期目 二期目 (2011-) (2015-) 1.0 2.2 ▲ 3.8 6.7 6.1 9.0 5.7 5.4 6.8 ▲ 3.3 ▲ 3.3 ▲ 3.3 0.9 1.6 ▲ 1.9 3.50 1.00 2.50 ▲ 15.7 ▲ 11.0 ▲ 32.0 ▲ 9.0 ▲ 7.8 ▲ 13.3 ▲ 6.4 ▲ 4.2 ▲ 14.4 (注)数値は%。政策金利は任期前年末から任期最終年末の変化幅、為替・株価・CRB 指数は同期間の年率変化率。 他は任期中の平均。 (資料)地理統計院(IBGE)、ブラジル中銀、Bloomberg 等よりみずほ総合研究所作成 2 歳出上限導入や年金改革の実現に向けたハードルは高い。地元紙エスタードの報道(5月30日)によ れば、テメル大統領代行が所属するPMDBを含む主要7政党(所属議員:上院58/81人、下院326/513人) のリーダーは、政府原案のままでは歳出上限や年金改革等の憲法改正案を支持しない方針を示してい る。一方で、特定財源の一部について政府が柔軟に運営する権限を認める内容の憲法改正案3の審議が 前進するなど、議会では財政再建に向けた前向きな動きもみられる。今後は、今年8月末が議会への提 出期限となっている2017年PB目標に、財政再建の具体策を盛り込み、赤字縮小に向けたシナリオを 提示できるかどうかが、メイレレス財務相の試金石となる。 (3)市場は暫定政権の実行力を見極める局面に テメル暫定政権による政策転換の実現を阻む要因となりうるのが、国営石油会社ペトロブラスをめ ぐる汚職疑惑だ。テメル暫定政権発足から1カ月を経ずに、主要閣僚2人(ジュカ予算企画相、シルベ イラ透明性監察監督相)が汚職捜査妨害等により辞任している。PMDBの議会指導部では、クーニャ下 院議長が停職処分となっており、カリェイロス上院議長にも連邦検察庁から逮捕請求が提出されてい る。テメル大統領代行自身にも違法献金疑惑などによって失職するリスクがあり、政治的な不透明感 は依然として根強い。 ルセフ大統領の弾劾審議4の行方も、議会審議を停滞させる要因となりうる。上院での弾劾審議継続 にかかる採決(5月12日)では、審議継続に必要な過半数(41/81人)を大幅に上回る55人が賛成し、 この時点で弾劾成立に必要な2/3(54/81人)を超えていた。しかし、PMDB幹部が汚職捜査妨害のため にルセフ大統領の弾劾手続きを進めたとの見方が広がり、審議継続に賛成した議員の中には態度を保 留する議員も出始めており、賛成議員が2人減れば弾劾は不成立となる。こうした状況下で、政府が財 政再建策の調整等を急げば、弾劾採決での投票行動に影響しかねない。このため、8月中旬とみられる 弾劾審議の結審までは財政再建策を巡る政策論議が停滞する可能性がある。また、10月に地方選挙が 控えていることも、歳出削減など国民に痛みを強いる法案の議会審議の進展を妨げる要因だ。 金融・為替市場は、テメル暫定政権の実行力を慎重に見極める局面に入っている。株価(ボベスパ 指数)とレアル/ドル相場は、大統領交代 図表 3 レアル相場・株価の推移 の可能性を織り込んで急上昇した後、ル (レアル/ドル) セフ大統領の職務停止が確定した5月12 1.0 日以降は調整色が強まる局面がみられた 1.5 (図表3)。米国の早期利上げ観測の台頭 ルセフ大統領 職務停止 ▲ 通貨高・株高 65,000 レアル/ドル(左逆目盛) 株価(ボベスパ指数、右目盛) 2.0 50,000 2.5 45,000 権への期待が後退したことが影響したと 3.0 考えられる。今後も、汚職捜査や議会審 3.5 議の停滞により、政策転換に対する期待 40,000 35,000 30,000 4.0 通貨安・株安 ▼ が後退する局面では、市場の調整圧力が 強まるリスクがある。 60,000 55,000 が新興国株・通貨の売り要因となるなか で、閣僚の辞任などによりテメル暫定政 70,000 4.5 2015 15 (資料)Bloomberg 3 25,000 20,000 16 (年) 2.景気後退が続くも、徐々に広がる改善の兆し (1)マイナス成長が続くも、落ち込みの勢いは緩やかに 経済面では、依然として深刻な景気後退局面が続いているものの、落ち込みの勢いは和らぐ兆しが 見え始めている。2016年1~3月期の実質GDP成長率は、前期比▲0.3%と5四半期連続のマイナス成長と なったが、3四半期連続でマイナス幅は縮小した。需要項目別にみると、個人消費のマイナス幅が拡大 (同▲1.7%)したものの、総固定資本形成(投資)のマイナス幅が縮小(同▲2.7%)し、輸入の落 ち込み(同▲5.6%)が続く一方で輸出が拡大(同6.5%)したほか、政府消費がプラスに転じた(同 1.1%)(図表4)。政府消費の拡大はルセフ大統領が停職直前に財政拡張措置を講じた影響があり、 今後の財政緊縮措置により反動減が予想される。このまま一方向に実質GDP成長率が前期比プラスに転 じていくとは見込みにくく、前年比でも▲5.4%と大幅なマイナスが続いているものの、景気の落ち込 みが加速する状況は過去のものとなりつつある。 景気後退や政治不信を背景に急激に低下してきた消費者・企業マインドにも、底入れの兆しがみえ る。消費者信頼感・鉱工業信頼感は、2016年入り後はルセフ大統領の交代観測の高まりとともに下げ 止まり、5月は2015年初の水準まで持ち直している(図表5)。鉱工業生産は前年割れの状況が続いて いるが、一部に下げ止まりの兆しが生じつつある。投資の落ち込みを背景に急減してきた資本財生産 は、2016年に入り4カ月連続で前期比増加するなど持ち直しの動きを示し、鉱工業生産全体でも3、4 月は2カ月連続の前期比増加に転じている。 (2)インフレ率はピークアウト、金融緩和への転換を探る局面へ インフレの観点からも、景気後退とインフレ高騰が併存するスタグフレーションに改善の兆しがみ られる。消費者物価上昇率は、依然としてブラジル中銀の目標圏(4.5%±2.0%)の上限を上回って いるが、2016年1月の10.7%をピークに鈍化している(2016年5月9.3%)(図表6)。 ブラジルでは、財政緊縮のための増税・公共料金引き上げやレアル安の進行を背景に、「官製イン フレ」と「輸入インフレ」が物価の押し上げ要因となってきた。2015年1月以降実施された増税・公共 料金引き上げ等の影響剥落に加え、水力発電所の水位回復に伴い割増料金が廃止されたこと等により、 図表4 実質GDP成長率 図表5 消費者・鉱工業信頼感 2016年 2015年 1-3月期 4-6月期 7-9月期 10-12月期 1-3月期 実質GDP(前年比、%) ▲ 2.0 ▲ 3.0 ▲ 4.5 ▲ 5.9 ▲ 5.4 ▲ 1.2 ▲ 2.0 ▲ 1.6 ▲ 1.3 ▲ 0.3 個人消費 ▲ 4.0 ▲ 2.6 ▲ 2.1 ▲ 1.6 ▲ 0.9 ▲ 1.7 政府消費 ▲ 1.0 ▲ 0.5 実質GDP(前期比、%) 需 要 項 目 別 総固定資本形成 輸出 ▲ 3.8 0.3 0.3 ▲ 14.1 ▲ 3.9 ▲ 7.2 ▲ 3.9 6.1 12.6 3.4 ▲ 2.3 ▲ 2.9 1.1 (DI) (2001=100) 80 120 70 110 60 100 50 ▲ 4.8 ▲ 2.7 0.1 6.5 輸入 ▲ 14.3 ▲ 1.2 ▲ 7.8 ▲ 6.9 業 農畜産業 種 鉱工業 別 サービス 4.9 ▲ 3.7 ▲ 3.2 2.9 ▲ 0.3 ▲ 6.2 ▲ 1.2 ▲ 3.7 ▲ 2.0 ▲ 1.6 ▲ 1.2 ▲ 2.7 ▲ 1.1 ▲ 1.0 ▲ 1.0 ▲ 1.5 ▲ 0.2 1.5 130 ▲ 5.5 ▲ 5.6 (注)需要項目別、業種別は前期比、%。 (資料)地理統計院(IBGE) 消費者信頼感 90 40 鉱工業信頼感(右目盛) 80 30 08 2008 09 10 11 12 13 14 15 16 (年) (注)鉱工業信頼感は DI。50 が景況感の分岐点。 (資料)ブラジル工業連盟(CNI) 4 政府規制価格の上昇率が鈍化し、官製インフレ圧力が緩和したことがインフレ率のピークアウトの主 因となっている5。飲食料品価格等は高止まりしているが、レアル相場の落ち着きにより、レアル安に 伴う輸入インフレ圧力は徐々に緩和に向かうとみられる。 インフレ率のピークアウトにより、金融政策は緩和への転換を探る局面に入りつつある。ブラジル 中銀は、2015年7月の利上げを最後に政策金利(14.25%)を据え置いており、2016年6月の金融政策決 定会合(COPOM)声明文では「より柔軟な金融政策をとる余地は乏しい」としている。ブラジル中銀が 取りまとめている市場のインフレ率予想(年間、中央値、6月3日時点)は、2016年7.1%、2017年5.5% と依然として目標中央値を上回っているものの、2017年にかけてインフレ率が鈍化するとの見方が大 勢となっている。インフレ率が金融政策運営の対象期間(先行き2年間)内に目標中央値(4.5%)に 向けて収束する見込みが立てば、中銀は2016年内に利下げに転じると予想される。 もちろん、インフレ目標達成の重要性は変わらない。政府は大手民間金融機関イタウ・ウニバンコ のチーフエコノミストで、中銀の経済政策局長の経験(2000~03年)を持つゴールドファイン氏をト ンビニ中銀総裁の後任に任命した。新総裁は、7月以降、COPOMの指揮を執ることになる。政府は、中 銀に正式な独立性を付与する法改正を検討するとしているほか、2017年からインフレ目標圏の上下限 が縮小される(4.5%±1.5%、2015年6月に決定済の措置)こともあり、新総裁は金融緩和への転換を 模索しつつも、インフレ目標達成に向け従来以上に強い姿勢を示し、市場の信認回復を重視した政策 運営を志向するものとみられる。 (3)基礎的財政収支の赤字は継続するも、国債市場の調整は一巡 金融政策面では緩和の余地が生じつつある一方、財政政策は緊縮的な政策運営を余儀なくされる状 況が続いている。公的部門のPBは、景気低迷による歳入減少等により2014年以降2年連続の赤字を計 上した。2016年4月もGDP比2.3%(12カ月累計)の赤字となっており、悪化に歯止めがかかっていない。 金利上昇もあり、利払い費等を含む総合収支は同10.1%の赤字を計上、政府債務残高も同67%台で高 止まりしている(図表7)。 足元の財政状況に改善は見られないが、前述の通りメイレレス新財務相が歳出上限導入や年金改革 などによる財政再建に強い意欲を示していることで、財政再建策の進展に対する期待は高まっている。 図表6 インフレ率・政策金利 20 図表7 財政収支・政府債務残高 (前年比、%) (GDP比、%) 10 政策金利 消費者物価 政府規制価格 インフレ目標中央値 インフレ目標上限・下限 18 16 14 8 総合収支 68 6 総債務残高(右目盛) 66 4 12 2 10 0 8 ▲2 64 62 60 58 ▲4 6 56 ▲6 4 2 0 (GDP比、%) 70 基礎的財政収支 2009 09 10 11 12 13 14 15 16 ▲8 54 ▲ 10 52 ▲ 12 (年) (注)政府規制料金は、公共料金、ガソリン・ディーゼル燃料等。 (資料)ブラジル中銀 2008 08 09 10 11 12 13 14 (注)財政収支は 12 カ月累計。公的部門。 (資料)ブラジル中銀 5 15 16 50 (年) 財政再建やブラジル中銀による利下げへの期待を背景に、ブラジル国債の投資適格喪失を織り込んで 上昇してきた国債利回りやCDSプレミアムは低下に転じている。一時は17%に迫る水準に上昇した10 年債利回りは、投機的水準への格下げ観測が高まる前の水準(12%台)へと回帰している(図表8)。 国債利回りの低下は、米国の利上げ観測後退によって後押しされてきた側面があり、5月中旬以降に米 利上げ観測が台頭した局面でブラジル国債の利回りは上昇したが、財政再建やブラジル中銀の利下げ への期待が債券市場の安心材料になっているとみられる。財政面では緊縮的な政策運営が続くものの、 国債利回りが大幅に低下していることで、景気を下押しする圧力は後退している。 (4)経常収支は2009年以来となる黒字を計上、レアル相場の下支え要因に 主要なマクロ経済指標の中で、もっとも改善が進んでいるのが経常収支だ。2014年にGDP比4.3%ま で拡大した経常赤字は、レアル安と景気後退による輸入の大幅減少により、2015年は同3.3%に縮小し、 2016年4月は同2.0%(12カ月累計)と一段と縮小している。4月単月では、経常収支は2009年以来約7 年ぶりとなる黒字を計上した。金融収支をみると、証券投資やその他投資が流出超となるなど、不安 定な要素は残るが、経常赤字を大幅に上回る直接投資が流入し、ファイナンス構造は安定化しつつあ る(図表9)。 経常赤字の縮小により、実需面でのレアル安圧力は和らいでいる。ブラジル中銀の為替取引統計に よれば、金融取引は資金流出超過が続く一方で、貿易を通じた商業取引は流入超過を維持しており、 レアル相場の下支え要因となっている。 ブラジル中銀は、積極的な為替介入姿勢を転換しつつある。中銀は2013年8月以降、通貨スワップや レポ取引等の介入手段を活用してレアル安の抑制を図ってきた。レアル高が加速した2016年3月以降は、 中銀はリバース通貨スワップ(先物市場でのドル買いに相当)を開始し、レアル高の急速な進行を回 避する姿勢を示した。テメル暫定政権発足後の5月中旬以降は、中銀は介入を手控えており、為替相場 を市場実勢にゆだねる姿勢がうかがわれる6。 図表8 国債利回り・CDSプレミアム (%) 20 S&P フィッチ ムーディーズ 図表9 経常収支・金融収支 (bp) 600 (億ドル) 1,000 19 18 17 CDSプレミアム(5年) (右目盛) 16 15 その他投資 証券投資 直接投資 経常収支 金融収支 500 500 400 0 300 ▲ 500 200 ▲ 1,000 100 ▲ 1,500 14 13 12 10年債利回り 11 10 2015 15 16 0 (年) (注)縦線は各格付け機関が外貨建て長期債格付けを投機的 水準に引き下げた最初の日。 (資料)Bloomberg ▲ 2,000 2008 08 09 10 11 12 13 14 15 16 (年) (注)1.数値は 12 カ月累計。 2.2010 年以降は IMF 国際収支統計マニュアル第 6 版、それ以 前は第 5 版に基づく。 3.金融収支は外貨準備除く。その他投資は金融派生商品含 む。金融収支の-表示は資本流入を示す。 (資料)ブラジル中銀 6 3.悲観論は後退するも、先行き不透明感は残存 (1)広がる強気派と弱気派のかい離 ルセフ大統領の交代と政策転換への期待や、足元の経済指標に改善の兆しが見え始めたことを背景 に、市場では景気に対する悲観論が後退している。 ブラジル中銀が取りまとめている市場参加者の実質GDP成長率予想は、下げ止まりつつある。2016 年は2015年(▲3.8%)並みのマイナス成長が続くとの見方は、大きくは変わらない(6月3日時点:中 央値▲3.7%、最高▲3.0%、最低▲4.8%)。2017年については、4月以降大幅に予測値を引き上げる 動きがみられる(最高3.3%)。中央値も緩やかに上方修正される方向にあり、1~3月期GDP発表(6 月1日)を受けて足元で修正幅が拡大している(中央値0.85%)。一方、3年連続マイナス成長との悲 観的な見方を変えない向きもあり(最低▲1.5%)、強気派と弱気派のかい離が広がっている(図表10)。 強気派は、テメル暫定政権の政策転換が円滑に進むことを前提にしている一方、弱気派はこうした見 方に懐疑的である。 国際機関は、市場予想より慎重な見方を維持している。経済協力開発機構(OECD)は、2017年の成 長率予想を引き下げ3年連続のマイナス成長とした(2016年2月時点0.0%→6月時点▲1.7%)OECDは、 深刻な政治の分断により、近い将来重要な改革が実現する機運が削がれてきたとし、政治的な不透明 感の強さと汚職捜査の継続を背景に内需が低迷することで、深刻な景気後退が2017年も続くとみてい る。世界銀行も、政治的な不透明感を理由に成長率予想を下方修正し、2017年まで3年連続マイナス成 長が続く予想となっている(2016年1月時点1.4%→6月時点▲0.2%)。国際通貨基金(IMF)は、2017 年の成長率予想を2015年10月時点の2.3%から2016年1月に0.0%へ引き下げ、4月時点でも厳しい見方 を変えていない。 (2)依然として残る景気下押し要因 みずほ総合研究所では、実質GDP成長率を2016年▲3.4%、2017年0.8%と予想している。3月時点の 予想(各々▲3.6%、0.0%)から上方修正したが、本格的な景気回復は2018年以降に持ち越されると の慎重な見方は維持している。 図表10 市場参加者の成長率予想の変遷 (前年比、%) 4 (千人) 3000 3.30 最高 中央値 最低 3 図表11 失業率・雇用者数 1 0 0.20 ▲1 ▲ 1.50 ▲2 16/2 16/3 16/4 16/5 (年/月) 12 11 失業率(6大都市、右目盛) 2000 0.85 ▲3 16/1 2016/1 失業率(全国、右目盛) 2500 2 (%) 正規雇用者数 10 1500 9 1000 8 500 7 0 6 ▲ 500 5 ▲ 1000 4 ▲ 1500 3 ▲ 2000 2 2008 08 (注)2017 年の実質 GDP 成長率予想。 直近は 2016 年 6 月 3 日時点。 (資料)ブラジル中銀 09 10 11 12 13 14 15 16 (注)失業率(6 大都市)は 2016 年 2 月で公表停止。 正規雇用者数は前期比増減の 12 カ月累計値。 (資料)地理統計院(IBGE) 7 (年) 景気回復を後押しする要因としては、原油等の資源価格の落ち着き、金融・為替市場の安定化、イ ンフレ率のピークアウトによる金融緩和余地の広がり、企業・消費者マインドの改善等があげられる。 一方、政治的な不透明感の残存に加え、雇用情勢や信用市場の悪化が、引き続き景気の下押し要因に なるとみられる。 雇用関連指標は、2015年以降急激に悪化している(図表11)。雇用者数の大幅減少が続き、全国失 業率(2016年4月)は11.2%の高水準に達しており、実質賃金も前年割れの状況(同▲4.3%)が続い ている。失業率は、労働参加率の上昇等により、今後も上昇が続く可能性が高く、消費マインドの回 復を遅らせる要因となりうる。 企業・家計の資金調達環境は、依然として厳しい。金融政策が緩和に転じる可能性が高まり、長期 金利は低下方向にあるものの、信用収縮が進行している。銀行貸出残高は、リーマン・ショック時以 上に急激な落ち込みを示しており、国内民間金融機関については2016年に入り前年割れの状況となっ ている。また、政府系金融機関の貸出の伸びも急速に鈍化している(図表12)。住宅分野などでの本 来の役割を超えた政策金融の活用が、ルセフ大統領の弾劾理由となっていることもあり、政府系金融 機関の役割は見直される方向にある。 信用収縮の背景にあるのが、不良債権比率の上昇だ。不良債権比率は、全体としてはリーマン・シ ョック時のピークを下回っているものの、2015年以降上昇傾向が鮮明になっている。特に、政府系金 融機関の不良債権比率はリーマン・ショック時を上回っており、信用劣化が進んでいる(図表13)。 厳格な金融監督体制のもとで、金融機関の破たんが相次ぐようなシステミックリスクは限定的とみら れるが、不良債権の増大により信用収縮は継続し、投資・消費の抑制要因となろう。 ブラジルでは、テメル暫定政権が発足し、景気の落ち込みに歯止めがかかる兆しが見え始め、政治・ 経済ともに転換点を迎えつつある。しかし、テメル大統領代行の政権基盤は脆弱であり、景気の下押 し要因も残存している。テメル暫定政権が手綱さばきを誤れば、回復に向けたモメンタムが高まらな いまま、再失速することになりかねない。ようやく見え始めたブラジルの転換点は、逃げ水のように 遠のくリスクがある。 図表12 銀行貸出残高 (前年比、%) 45 図表13 不良債権比率 貸出全体 7 (%) 全体 国内民間 外資 政府系 国内民間 40 外資 35 6 政府系 5 30 25 4 20 15 3 10 2 5 1 0 ▲5 08 2008 09 10 11 12 13 14 15 0 16 (年) 2008 08 09 10 11 12 13 14 15 (注)90 日以上延滞債権が貸出債権に占める割合。 (資料)ブラジル中銀 (資料)ブラジル中銀 8 16 (年) 1 これまでの弾劾手続きなどの経緯については、西川珠子「ブラジル大統領交代後のシナリオ~「ビジネス・フレンド リー」な政策転換の実現性~」(みずほ総合研究所「みずほインサイト」2016 年 4 月 19 日)をご参照。 2 ルセフ政権は 2016 年のPB目標を再三にわたり下方修正し、2015 年 8 月末には赤字予算を提出(当初予算 GDP 比 1.1% の黒字→0.34%の赤字に修正)した。これを受けて、9 月には格付け会社スタンダード・アンド・プアーズが外貨建て 長期債格付けを投機的水準に引き下げ、レアル相場は史上最安値を更新した。 3 下院は、同時に公務員給与引き上げ法案を可決している。財政再建と逆行するが、統治能力を確保するための妥協策 として、市場では容認する見方が多い。 4 上院での弾劾審議は、当初今年 8 月頃に結審するとみられていたが、リオデジャネイロ五輪(8 月 5 月~21 日)・パ ラリンピック(9 月 7 日~18 日)開催前にテメル政権を正式に発足させるべく、7 月に前倒しする動きが浮上した。し かし、最高裁長官が審議短縮を認めない意向を示し、最終的な上院本会議での採決は 8 月中旬となる可能性が高まって いる。 5 5 月については、水道料金の引き上げ(サンパウロ州での値引き終了等による)や社会負担金(PIS/COFINS)変更に 伴う電力料金引き上げにより、政府規制料金の上昇率は前年比 10.9%と前月(10.7%)をやや上回った。従来政府が 規制してきた電力料金や、国営石油会社ペトロブラスの国内燃料販売価格については、今後各社の決定にゆだねる方針 が示されており、原油等エネルギー価格の国際市況や経営状況によっては、引き上げられる可能性がある。 6 ゴールドファイン新中銀総裁は、上院での指名承認公聴会で、為替ではなく金融政策によってインフレ抑制を図るべ きと発言している。 ●当レポートは情報提供のみを目的として作成されたものであり、商品の勧誘を目的としたものではありません。本資料は、当社が信頼できると判断した各種データに 基づき作成されておりますが、その正確性、確実性を保証するものではありません。また、本資料に記載された内容は予告なしに変更されることもあります。 9 主要経済指標一覧 名目GDP % 2013 24,614 12,244 3.0 3.5 1.5 5.8 2.4 7.2 7.6 2.4 2.8 2.1 4.3 ▲ 0.9 7.2 2014 24,159 11,915 0.1 1.3 1.2 ▲ 4.5 ▲ 1.1 ▲ 1.0 2.0 ▲ 1.0 0.4 ▲ 3.0 2.2 ▲ 7.1 6.8 2015 17,688 8,651 ▲ 3.8 ▲ 4.0 ▲ 1.0 ▲ 14.1 6.1 ▲ 14.3 1.5 ▲ 6.2 ▲ 2.7 ▲ 8.2 ▲ 4.3 ▲ 26.6 8.3 2015/7-9 2015/10-12 2016/1-3 ▲ 1.6 ▲ 1.3 ▲ 0.3 ▲ 4.5 ▲ 5.9 ▲ 5.4 ▲ 1.6 ▲ 0.9 ▲ 1.7 0.3 ▲ 2.9 1.1 ▲ 3.9 ▲ 4.8 ▲ 2.7 ▲ 2.3 0.1 6.5 ▲ 6.9 ▲ 5.5 ▲ 5.6 ▲ 3.2 2.9 ▲ 0.3 ▲ 2.0 ▲ 1.6 ▲ 1.2 ▲ 1.0 ▲ 1.5 ▲ 0.2 ▲ 3.3 ▲ 3.9 ▲ 2.3 ▲ 9.2 ▲ 11.8 ▲ 11.6 ▲ 5.7 ▲ 6.9 ▲ 7.0 ▲ 26.5 ▲ 36.7 ▲ 28.6 8.7 9.0 10.2 人 730,687 152,714 ▲ 1,625,551 ▲ 340,050 ▲ 895,968 ▲ 323,052 億ドル 一人当たり、ドル 実質GDP 前期比、% 前年比、% 民間消費 政府消費 総固定資本形成 輸出 輸入 農畜産業 鉱工業 サービス業 鉱工業生産 前期比、% 前期比、% 前期比、% 前期比、% 前期比、% 前期比、% 前期比、% 前期比、% 前期比、% 前年比、% 商業販売 雇用 物価 国際収支 小売売上高 自動車販売台数 失業率 全国正規雇用者数(注1) IPA-DI(卸売物価指数) IPCA(拡大消費者物価指数) 貿易収支(注2) 輸出 輸入 経常収支(注2) 前年比、% 前年比、% 前年比、% 前年比、% 百万ドル 前年比、% 前年比、% 百万ドル 対GDP比、% 金融収支 外貨準備高 輸入比 対外債務残高 百万ドル 百万ドル カ月 百万ドル 対GDP比、% 財政収支 プライマリー収支(注3) 億レアル 対GDP比、% 総合収支 一般政府債務残高 億レアル 億レアル 対GDP比、% 金利 為替 株価 SELIC(短期金利誘導目標) レアル/ドル Bovespa指数 期末値、% 期末値 5.9 4.6 6.0 6.2 6.3 9.0 389 ▲ 6,629 17,670 ▲ 0.3 ▲ 7.2 ▲ 15.2 7.3 ▲ 4.3 ▲ 25.3 ▲ 74,839 ▲ 104,181 ▲ 58,882 ▲ 3.0 ▲ 4.3 ▲ 3.3 ▲ 72,696 ▲ 100,599 ▲ 54,734 358,808 363,551 356,464 17.9 18.9 24.8 308,625 352,684 334,636 13.8 15.0 18.9 913 ▲ 325 ▲ 1,020 1.7 ▲ 0.6 ▲ 1.9 ▲ 1,575 ▲ 3,439 ▲ 6,423 27,480 32,524 39,275 51.7 57.2 66.5 10.00 11.75 14.25 2.3621 2.6576 3.9608 51,507 50,007 43,350 7.8 9.5 7,667 ▲ 20.7 ▲ 31.7 ▲ 11,326 ▲ 4.2 ▲ 11,064 361,370 25.7 344,914 17.8 ▲ 402 ▲ 0.7 ▲ 5,224 37,891 64.7 14.25 3.9475 45,059 期末値 (注1)全国正規雇用者数は、27州・連邦区で政府登録された正規雇用創出件数。 (注2)輸出・輸入および経常収支はIMF国際収支マニュアル第6版に準拠。 (注3)プライマリー収支は、総合収支から利払い費を除いたもの。プライマリー収支および総合収支の月次データは12カ月累計値。 (資料)ブラジル地理統計院(IBGE)、ブラジル中央銀行、ブラジル労働省等よりみずほ総合研究所作成 11.3 10.4 8,739 ▲ 9.5 ▲ 32.1 ▲ 9,668 ▲ 3.7 ▲ 6,855 356,464 28.4 334,636 18.9 ▲ 590 ▲ 1.2 ▲ 5,993 39,275 66.5 14.25 3.9608 43,350 12.9 10.1 7,796 ▲ 5.1 ▲ 32.6 ▲ 7,578 ▲ 3.3 ▲ 5,964 357,698 32.9 333,623 19.1 ▲ 1,126 ▲ 2.1 ▲ 6,500 40,057 67.2 14.25 3.5922 50,055 2016/02 ▲ 2.9 ▲ 9.7 ▲ 4.2 ▲ 21.0 10.2 2016/03 1.4 ▲ 11.5 ▲ 5.7 ▲ 23.8 10.9 2016/04 0.1 ▲ 7.2 ▲ 25.6 11.2 ▲ 104,582 ▲ 118,776 ▲ 62,844 13.4 10.4 2,898 10.8 ▲ 31.1 ▲ 1,904 ▲ 2.6 ▲ 1,856 359,368 34.5 ▲ 1,159 ▲ 2.1 ▲ 6,678 40,173 67.6 14.25 4.0159 42,794 12.4 9.4 4,255 ▲ 5.8 ▲ 30.3 ▲ 857 ▲ 2.4 ▲ 357 357,698 30.7 ▲ 1,268 ▲ 2.3 ▲ 6,085 40,057 67.2 14.25 3.5922 50,055 11.5 9.3 4,647 1.6 ▲ 27.9 412 ▲ 2.0 784 362,201 34.0 ▲ 1,301 ▲ 2.3 ▲ 6,329 40,393 67.5 14.25 3.4358 53,911 2016/05 ▲ 21.6 - 12.9 9.3 363,447 14.25 3.6116 48,472
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