SURE: Shizuoka University REpository

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「新しい世界史」に照らした世界史教科書記述の見直し :
ウェストファリア条約を焦点にして
伊藤, 宏二
静岡大学教育実践総合センター紀要. 25, p. 21-31
2016-03-31
http://doi.org/10.14945/00009428
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静岡大学教育学部附属教育実践総合 センター紀要
No25 p 21∼ 31(2016)
論文〉
〈
「新 しい世界史」 に照 らした世界史教科書記述の見直 し1
一 ウ ェス トファ リア条約 を焦点 に して ―
事
伊藤 宏二
Reexammation oftextin liま t ofredesigned world history:
nePe"e Ofwestphalね
IrO Koi
要旨
へ
2011年
しい
正
波書店
世界史 』 (岩
)は 、 これからの世界史教育の 目的は 「地球市民」意識の涵養
羽田 『 新
べ
に置かれる きだと提起 し、世界史の在 り方をめぐる議論を活性化させている。本稿は、羽田の説 く目的に添 う
場合に従来の世界史教科書記述はどのよ うに修正されるべきか、筆者の専門領域に即 して検討を行 う。
キーワー ド: 世界史教科書 「新 しい世界史」 三十年戦争 ウェス トファリア条約 主権国家体制
は じめ に
羽田正『 新 しい世界史へ』 (2011年 )は 、従来の
ままの世界史が現代社会へ働きかける力を失つたとし
て、新 しい世界史の必要性を訴え、世界史の在 り方を
めぐる議論を活性化 させている。羽田の提起の背景に
は、現在の細分化された歴史研究の成果が一般の人々
学はその枠組み が既 に古 くな り現代人に必要 とされ る
ものにな つていない 、 と羽 田は切 り出 してい る。そ こ
から現代人 に必要 とされ る過去 の見方 とは、新 しい世
界史、すなわちグ ローパル化 した世界 で起 こっている
様 々な出来事 を深 くバ ラ ンスよく理解 し、 さらに私た
に共有され得る歴史像を提供 していない とい う問題意
識や、欧米・ 大国中心の進歩主義的な観点に従つた歴
史叙述の相対化 の動向、歴史教育における高大連携の
需要の拡大などがあるため、その趣旨は、概ね好意的
に受け容れ られているようにみえる。議論が集中して
いるのは、歴史叙述及び授業法の双方の側から生 じる
具体的な方法論 と、羽田が世界史教育の 目標に据えた
「地球市民意識の涵養」なるものへの疑念や賛否であ
ちの社会 の将来の方向性 を定めるために必要な教養 で
あ り、これか ら生 み出さねばならない「地球社会 の世
界史」であるとい う。それは、従来 の歴史学 が個 々の
諸民族に国民 としての帰属意殿を与えてきたよ うに、
世界の人 々に 「地球市民」 としての帰属意識 を与えて
くれ るはず の ものだか ら、必要 とされなければならな
い とい うので ある。
この 「新 しい世界史」を目指す場合、成 いは逆説的
ろう。本研究は、そ うした議論を踏まえつつ、従来の
世界史教科書 の記述を、自身の狭い研究領域である
ウェス トファリア条約 にかかわる部分に限定するが、
羽田の主張に従つて詳f43に 読み直し、 「新 しい世界史」
の観点に添つた書き換えが可能かどうかを検討するも
のである。それを通 じて、ある「細分化された」研究
の成果に、現状の世界史の問題点を克服 し世界史の新
しいあり方を模索するとい う大河へ と注ぎ込む一つの
支流くらいの役割を担わせる試みにはなるであろ う。
それではまず、羽日の著書の概要とそれに対する反応
を少 し詳 しく整理 しよ う。
にそれが求め られ ることにな った背景 として 、現行 の
世界史には以下の問題点があるとい う。第 一 に、今 の
世界史は、わが国では 日本人による世界史 の捉 え方に
過 ぎず、海外にお いて も事情は同様であ り、世界史 と
呼ばれな がら世界で通用す る世界史は存在 していない
のである。第 二 年、自他 の 区別を強調す る性格 を持 つ
てい るため、世界 の一体性 を考えさせ るよ りも、抗争
の種 を生み出 しかねない歴 史を描 いてい るとす る。第
二に、最大の欠点 として 、欧米世界が特別 に優れ、歴
史を作 る主体であつたかのよ うな 「ヨー ロ ッパ 中心史
観」 が貫 かれていることで ある。 こ うした見方が現代
人には既 に合 わな くなって い るため、歴史が現代社会
に働 きかける元気を失い 、 「新 しい世界史Jを 生み出
1
羽日による『新 しい世界史Jへ の提案
戦前の皇国史観、戦後の近代主義やマル クス主義の
史視は、それ らに含まれた問題性は別にして、現実の
社会 と密接に結 びついた f実 学Jと して現実を変 え
人々に未来を指 し示す力を持つていたが、今 日の歴史
す努力 が求められ ると提起す るので ある。
こ うした課題の克服 として羽田が行きついたのが、
「地球主義 の考え方に基づ く地球市民のた めの世界史」
なので ある。その実現のためには、中心 も周縁 もない
世界史 の見方 を作 り出し、世界 中の人々が 、^こ れが 自
分 たちの過去だ と昼ぇる世界史 となる必要がある。羽
中学術院教育学領域社会科教育系列
21
伊藤宏 二
えている」 と羽 日の趣旨に共感 を示 し、 「これまで の
歴史学に対する大きな挑戦」 として、期待感 を示 して
い る。 非 ノロ貴史 (「 い ま、世界史にどう向き合 う
田自身、そこに至るための過程を楽観視 しているわけ
で もなければ、最終的な完成型を想定 しているわけで
もなく、 「世界はひとつ」 とい うメッセージが伝わる
ならば、それは 「新 しい世界史」であるとしている。
さらに羽田は具体的な方法論まで踏み込んで例示す
る。一つ 目の例として、人間集団の共通点と相違点を
探ることで、世界の見取 り図を描くことを挙げる。次
に、特定の集団や空間、事象の実在が無条件に存在 し
てきたかのよ うな錯党を避けるために、部分的に時系
列史を放棄することを提案 している。最後に、近代史
において圧倒的な影響力を行使 したイギリス産業革命
のような事柄についても、英国・ ヨーロッパの一方的
視点からだけではなく、世界中の人々が様々な商品を
通 じて横につながり、影響を与え合つたことを重視す
る描き方がなされるべきとしている。 これらの具体案
は、ある時期 に中心的な役割を果 した国家のみが歴史
上存在 したかのような叙述を避け、現代 に影響力を
持つた大国の歴史を過去に遡って、あたかも古代から
それが一定不変のごとく存在・ 発展してきたかのよう
な誤謬を避け、ヨーロッパが内発的な要因のみで世界
ヘー方的に働きかけていつたかのような叙述を避ける
ことで、現行の世界史の弱点を克服し、共通性や相互
作用の重視を通 じて「世界はひとつ」を意識 させる試
みとして提示されている。
2.「 新 しい世界史Jへ の反応
羽田の 「新 しい世界史」への提案は、歴史研究にお
ける脱 ヨーロッパ中心史観や脱一国史への傾向の強ま
りと、高大接続への社会的需要の高まりが結びついた
ことか ら、20世 紀末∼21世 紀初頭に従来の世界史に
遠 したことを基盤 としている
対する相対化の運動がカロ
と見てよい。そ うした動きの一例 として、岡崎勝世
(『 聖書 VS世 界史』1996年 、『 世界史 とョーロッ
パ』2003年 )は 、 「世界史」が聖書の世界観 に基礎
付けられたヨーロッパ世界による世界解釈 の産物に過
ぎないことを丁錮 こ解説 し、世界史の相対化に重要な
寄与をしてい る。南塚信吾 (『 世界史なんてい らな
い ?』 20117年 )は 、世界史未履修問題を背景に康わ
れる世界史の問題点を考察 し、世界史教育の必要性を
改めて問い直 しているし、水島司 (『 グローバル・ ヒ
ス トリー入門』2010年 )は 、歴史をより広域的・ 横
断的に捉えることで、従来の世界史の欠点を大きく補
完 し得 る歴史像を提供 したといえる。そ してJり │1幸 司
(『 世界史との対話』上 。中・ 下 2011∼ 12年 )は 、
教科書に結晶化 した従来の世界史観を離れた授業実践
例を教育の現場から豊富に提示 している。 このように、
従来の世界史の限界を如何に克服するかとい う議論が
既に活発になされてきた土壌の上に根差 しているので、
羽田の趣旨は自然 と受け入れられることとなつた。
例えば南塚信吾 (「歴史学の新たな挑戦J『 歴史学
研究』2012)は 、「筆者 も同じような同時代史を考
か」『 歴史地理教育』2013)も 、 「同時代史の授業
は、未来に向かつて種まきをする」ものとして、 「こ
の提 起 を肯定的 に受 け止 め 」 ている。小川 幸 司
(「 『世界はひとつ」を語るのが世界史教育なのだ ろ
うかJ『 歴史地理教育』2t113)も また、 「国と国と
のパ ワーゲームのような世界史であうてはならない」
とい う観点から、「羽田氏の主張には、共感Jし てい
る。歴史・ 世界史研究全般を眺めても、例えば大阪大
学歴史教育研究会 「「新 しい世界史の運動」と歴史学
研究」 (『 西洋史学』2012)に おいて 「新たな世界
史研究のマニフェス ト、見取 り図が提起されたJと 評
価されたように、羽日の提起は現行の世界史の問題点
を克服するひとつの指針を示 したものとして、特に特
定の国の成功や強弱ではなく相互補完関係を理解させ
得る同時ヽ史的な世界史叙述への注意を喚起 した点でt
歓迎されているといえる。
ただ し、無論疑問も提示 されている。南塚信 吾
(「 歴史学の新たな挑戦」)は 、従来の世界史をどの
ように消化 して新 しい展望を開き得るのかとい う点、.
そしてまた、「地球市民」意識の涵養とぃ う目標に関
して、それ 自体が脱 ヨーロ,パ 中心に反するヨーロッ
パ的な概念 といい得るし、 「地球市民を意識 した日本
からの世界史」で十分ではないかと疑念を呈 している。
イリII幸 司 (「 「世界はひとつ」を語るのが世界史教育
なのだろうか」)は 、羽田の提案はあくまでもアカデ
ミズムに向けられたもので、そもそも歴史学と歴史教
育の分業を前提にした議論の進め方は問題だろうと指
摘するとともに、 「世界はひとつ」を重視せねばなら
ない必要性についても論理的には綿密さを欠いている
としている。河合美喜夫 (「 r新 しい世界史の理論」
は世界史教育にとって新 しいか」『 歴史地理教育』
20151も 、解釈の相対化が これまでの歴史研究の成果
まで相対イ
│し てはならず、 「新 しい世界史」の 「新 し
さ」はあくまでも世界史 「研究Jに 限るもので世界史
「教育」の中では認められないと、基本的には上記両
者によるものと同質だがより競い批判を行つている。
以上の反応を要約すると、羽田が提起した 「新 しい
世界史」は趣旨に対しては期待感 と共感が得 られてい
るものの、その究極目標の実現・ 必要性への懐疑や、
従来の世界史の成果との関連付けのさせ方や具体的な
教育実践方法の面から、不透明さが指摘 されている状
況といえよう。筆者も羽田の趣旨には共感するが、上
述の疑問も概ね首青 し得るものと考えている。従つて、
従来の世界史を構成する細胞一つ一つの堅実な見直 し
を通 じて、 「新 しい世界史」を組成するそれ らへ と生
まれ変わらせていく必要性が生 じるであろう。本稿 は、
そ うした問題意識に立脚 し、わが国における現行世界
史の一つの完成形であり、教育と研究をつなぐ有力な
材料でもある世界史教科書の記述を吟味し、限定的な
り乙
つ乙
「新 しい世界史」に照 らした世界史教科書記述の見直 し
個所に留まるが、筆者の狭い範囲での歴史研究の成果
を羽日の趣旨の具体化へ とつなげることを試み、将来
的に実現 されるかもしれない f新 しい世界奥教科書」
の本文 となり得る叙述を考案する取 り組みである。
の コー″ン′ヾとアノノカ、 //ノ カ、 /
「 大航海時代
″ の 勧 姥 蛹 、 アジアの諸帝国 と ヨー″ノ′∽ 主
3
《解説 》
秋 だ、 ヨ=′ ″
西洋遊″の展開ど/ノ ノ″・ //ノ カ
塵園重Z幽
の
社会 変容を扱
`大 ク、 ゴ′郵 め ら″ 螂 諧 での世界の
一始 の動きと近世のβ
させる。ノ
ウェス トファリア彙釣をどう配すべきか
それでは具体的な考察に入ろ う。筆者 が専攻する
ウェス トフ ァリア条約 (1648年 )は 、一般的 には
ヨーロッパ最後の宗教戦争 となつた ドイツ二十年戦争
(1618-48年 )の 講和条約にして、 ドイツを分裂 さ
せるとともに主権国家体制を確立することになつた世
界史上最初の国際条約 として知られてきた。従つてこ
こでは、同条約のみならず、三十年戦争及び主権ない
し主権国家体制 に関する記述をも検討 に含めたい。そ
れらは高等学校において、地理歴史科の 「世界史 A」
並び年「世界卑 B」 だけでなく、公民科め 「政治・ 経
済」の教科書の中でも扱われているので、その記述を
分析 してみることとする。なお、中学校社会科 との関
連でいえば、直接取 り上げられる用語ではないが、学
習指導要領の歴史的分野の 目標 における国際関係や文
化交流のあらま しを理解 させることに関連付けられる
とともに、内容的には近世 日本におけるヨーロッパ人
の来航やオランダとの交易、近代 日本に影響を与えた
ヨーロッパのアジア進出に背景 として関わつてくる。
しか しむ しろ公民的分野の方が関連は深く、国際社会
の諸課題を扱 うに際 しての国家間の主権の尊重に関す
る学習 と深くつながり、主権の理解に根本的な関わり
を持つ歴史事象として、ウェス トファリア条約に触れ
る可能性は大いにある。直接登場す るわけではないの
で、中学教科書の検討はここでは省 くが、その文脈を
発展させた高校 「政治・経済J教 科書の分析が、中学
における主権学習の展望を示唆するものにもなり得る
だろう。それではまずは世界史教科書の検討に入ろう。
(1)「 世界史 A」
はじめに、現行の学習指導要領 とその解説の該当部
分を確認 してみよう。その際、本研究で特に注目すべ
き個所 として筆者が引いた下線を参照されたい。
― ιたま ″墜肇壼体制電効レク、
成立
そが づ 物 姉 と独立 Э業 を備 えた国家 が並存 ι
慶台 %う の であつたことだ激れる。 そ ιζ オ ラン
・々
久 イギノス、 フ ランス など劾曼表芸彗鬱
に選〃 ιていつた
を餞 製 壌 静 ιつつ、世界 の務
=tこ
ことを把握 させるとと うに、 /2∼ //ノ カの物ど
e睦 杉 磁 スバ コー′″ ヾのス 々の生活や文イヒ│こ大
きな影 rを 事′ た ことだ 3嘉なかせる。′
以上の ように、現行世界史が世界を一 体 として理解
させ るのではな く、世界 と日本 の分離を前提 に し、他
者 としての非 日本 =世 界 へ 日本人 として働 きかけるた
めの素養 を培 うことを目棟に据 えていることが見て と
れ る。 内容か らも、 16世 紀以降西欧で発生 した資本
主義が中心 となつて世界を一つ にま とめていく過程 の
中で、 日本 との関係 を理解 させ ることが 目的 とな つて
お り、世界史を標榜 しなが ら、 ヨー ロ ッパ 中心史観 の
下で西欧 と日本 との 関係史 に埋没 していることが窺 え
る。 さらに解説か らは、 ヨーロ ッパ の 中でも特に強力
だつた数 か国 に注 目させてお り、 ヨー ロ ッパ を主体に
据 えなが ら、そもそ もヨー ロッパ全体の総合的ない し
本質的 理解 よ りも、 一部の大国 の動 きを もつて ヨー
ロ ッパ全体を語 らせている。羽 田が指摘す る ヨー ロ ッ
パ 中心史観及 び 中心・ 周辺を設定 してい る問題点が学
習指導要領 において規定 されてい る ことになるので あ
る。 しか しこの問題 の根本 は、従来の歴史研究がナ
シ ョナル・ ヒス トリー 、 さらに根本にある進 歩史観 を
基盤 とし、そ の成果 の基礎 の上に世界史叙述 が集積 さ
れてきた ところに見なくてはな らないだろ う。 ただ し
末尾 の部分 は羽 日の趣 旨に も添 うものであ り、 ヨー
ロ ッパ が決 して一方的で 自己完結的な主体 としてでは
なく、影響 を受ける側で もあつた とい う相 互関係 へ 注
意を喚起 してい る。 こ うした世界史像で全体を貫 くな
らば、従来 の ものに代わる新 しい歴史像 が十分世間に
漫透 した上で、指 導要領 の時点か ら根本 的に書き換 え
られなくてはな らないことになるので、学界や社会を
《目標 》
′
盟 妍 賊 を夕 せ ナう″界の歴史を諾資料tこ齢 ま
態 郵 切 ψ や β本の歴史と潤雪″ゲなが らZ″ きま
を歴史″観点から考察 ctせ ることによっ
ダκη纏
く 歴 懃 秘 鵬 勁 ″ ″、 国際を会に主櫛 に生 きる
″豹 繁 諧 ιての劇 話 資質を養 ラ。ノ
《内容 (2)世 界の一体化 と日本 》
2彦踊曜堺 を増勁けあ ための″ガ どιζ ユージシ
アの議文明 の雑露に慶れ るととうだ、lθ 均 紗 確 の
ι尻蔵者の遷慶吸 び露本圭書の慮玄を申E,に 、Z″ が
一確 ι
こ向か り過程 を理解 させる。その原 刀 形 勒
わ クこ着 ′させる。ノ
力と/7本 との″ツ。
巻き込む運動や意識変化 が必要にな って くるだろ う。
それでは次 に、実 際に世界史 Aの 教科書 にお ける
ウェス トフ ァ リア条約関係 の記述を考察 してみよ う。
最初 に、世界史Aの 教科書採択率が最も高 い とされて
い る帝国書院『 明解世界史 A』 か ら検討す る。
『 明解世界史 AJ(帝 目書艤 2014年 )
1部 2章 2節 3「 ヨーロッパの新 しい国際関係J〔 三
十年戦争 と新たな国際秩序の形成〕 (83頁 )
′
宗 蒸 鶴 ″ 妙 らだインでどこった戦争は、周辺諸国
《イ 結び付 く世界 と近世 の 日本 》
23
伊藤宏二
の参戦 で漏〃″ し、三 十年夕争 となつた。 この週程
で争レ1の 蕉点パ塁事のフ夢へと移 ク、7“ θ夕だクェ
メ ハ′ァノ
た。 数 のコー″ンノゞ
〃
が7ソ とな ク、
酬 お″ιたこの勧 ま
ーンパの回駒〃角材Vも のとなつ為 姿
経 なヨ ″
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詢に よク神聖 ″―マ帝Jソ―
位が低 下ιん ごラι砕
″憂 嬉 を瞑点 と
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パ諸国法 ごを
ジアの3● だガ ιでは、霧
や日賠跡の源7を遭
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共
2部 2章 4節 4「 共に生きる世界を築くために」 〔
―
生をめざす取り組み〕 (214頁 〉
′
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える。 ι″'ι 一方 ■ 紛鋼 を や平和への勢力 況 辱
ま、露
れ てきた。 ′7を 紹の クェス トノァノ/条務′
の多慮を尊重 ι私 観護感を″ラ轟 歯鼻密嬌″をつ くる
墓僣 となつた そして身″では、力勒 勿 勒 呻 グ″―
史的な展開ヘ ロを向けなければ理解できない記述 と
なつており1ヨ ーロッパの中心性は相対化されている
とみてよい。また、筆者 自身はウェス トファリア条約
の歴史的意味を 「国際社会が平和の利害を共有する政
治文化を表明 した最初の合意文書」と考えているのだ
が、214買 に飛んだ現代国際社会と関連する記述で、
条約はあくまで も主権を尊重 しそれらの利害調整をす
る体制の基礎 となつたことまでしか触れられておらず、
ヨーロッパが生み出 した主権国家なるものの至上性が
強調されるわけでもなく、筆者の主張とも重なり高く
評価 したい。
次に採択率が高い教科書は第一学習社『 高等学校世
界史A』 と東京書籍『 世界史A』 がほぼ横並びだが、
ここでは明確な理由はないが後者を選択する。
『 世界史 川 (東 京書籍 2014年 )
第 2部 第 3章 第 1節 2「 世界商業と主権国家体制」
ヨーロッパ国際社会の成立〕 (66頁 )
〔
″7均 鍮 畔 、神聖 ″―マ帝国内の 撼 総 ″ンのガ
争れがからみ、三チ卒投争とまだれるガ ″
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ん 姥 罐 瞬 獅 嚇 に 、国家 とい うわ 0霧 漣 えた動
き 64まれ てきている。ソ
結論的に言えば、管見の限り、本研究で取 り上げた
教科書の中では、この教科書における記述が最も客観
的でパランスが取れているといえる。まず 83頁 の記
述を検討す るが 、最初の下線部に関 して、ウェス ト
ファリア条約や姜権国家体制が、後続の文 との関係で、
あくまでも近代 ヨーロッパ世界に限つて通用 したに過
ぎないと理解 し得る記述になつているので、世界の中
のヨーロッパ とい う一空間の秩序規範を事実 として
語っているに過ぎない書き方になっているからである。
次の下線部は、1648年 以降の神聖 ローマ帝国が事実
上解体 したとい う学説が、今 日の ドイツ史研究では既
に通用しない旧説として位置付けられているので、新
しい世界史の視点 とい うよりは専門的見地から問題が
ある。ただし他の教科書においても概ね同様 のことが
書かれているため、本教材特有の問題ではないのだが(
既 にわが国でも 1990年 代には帝国の国家機能の維持
が広 く知 られるようになつたにもかかわらず 2、 多く
の教科書でそれが無視されている点で、専門研究の成
果が教科書に活かされにくいとい う別の大 きな課題の
証拠を示 しているといえよう。第 3の 下線は筆者 自
身も強調 したい条約の歴史的意義に触れ られてお り、
新 しい世界史の観点からも、対立よりそれを克服 して
いく努力の面が語られている点で高く評価できる。ま
た、83頁 最後の下線 も、一見す るとヨーロッパ 中心
史観にみ えるかもしれないが、 ヨーロッパ諸国の 自己
意識によつて規定された政治的形態や法的規範であつ
たことに気づかせることで、少なくとも現代のそれら
と同質でもなく、現在につなげるためにはその後の歴
24
ここでも、帝国内諾領邦及びオラング とスイ スの独
立 とい うナシ ョナル・ ヒス トリー を基盤 とした旧説 に
基づ く理解が依然として示されている。残念ながら詳
述する余裕はないが、帝国領邦に認められたのは近代
的な主権ではなく、旧来から行使 してきた政治的自由
の再確認としての意味が強く、当時の国際外交の場で
も独立国家 として遇 され るような実態はほとん どな
かつた。
。また、オ ランダとスイスについても、厳薔
には正確な記述にはなっていない。つまり前者の独立
は主に低地地方や大西洋を主戦場としたオラング独立
八十年戦争の結果として結ばれた西蘭間の別あ条約 lご
よるものであり、 ドイツを舞台にした二十年戦争の結
果としてなぜ ウェス トファリア条約でオラングの独立
が承認 されたのかが不明瞭なまま記述されているのが
問題である。三十年戦争 と八十年戦争が同時に結び付
き、ウェス トファリアの和平交渉を機 に西蘭間の交渉
も同 じ場所で一緒に行われるようになつた経緯を記さ
なくては、唐突感は否めないであろう。スイスについ
ては、神聖ローマ帝国の裁判管轄権からの免属を確認
したことが規定されているのみで、これl■aか に後世
独立と解釈 されるようになったが、当時のスイス人の
「新しい世界史」に照らした世界史教科書記述の見直し
中には帝国への帰属意識 を持ち続けた人々が多かつた
ことが明らかにされてい るので4、 ゃは り慎重になら
なければいけない。ただしこうした分析は専門的見地
か らより正確さを求める姿勢ゆえのもので、新 しい世
界史の観点からみた場合、下線部後半の記述は、安易
に世界全体へその意義を拡大せず ヨーロッパ地域での
歴史的現象 として見つめるならば、交渉相手を対等な
存在 と認める政治文化の出現を
球はひとつJと い
'地
う意識に関連付けられる事例 として有益なものになる
か もしれない。
見え、他地域 に も目を向けさせ る配慮がほしい ところ
であ る。次 の下線 における領邦主権 と両国の独立につ
いて は既 に検討 した通 りである し、最後 の 下線 も、
「 ウェス トフ ァ リア神話」 5に 基 づ き安 易 に現代 国際
法までつ なげてお り、 ヨー ロ ッパ 中心史観か ら離れ ら
れて いない。 これ らの記述は古典的解釈 がそ のまま受
け入れ られてお り、羽 田の新 しい世界史への観点 が反
最後に、採択率 は高くないよ うだが山川 出版社 の
『 世界の歴史』を検討す る。理由は羽田自身が教科書
執筆者に名を連ねているからであり、彼の歴史観が教
科書の中に反映されているのか気になったからである。
映 されて い るとはい えない。専門性 か ら見て羽 田自身
がこの箇所 の記述 を担当 した とは考えられず、そ もそ
も新 しい世界史 の観点 か ら作成す る こ とを目的 とした
歓科書ではな いのでやむ を得な いかもしれないが、 こ
こで気づか され るのは、教科書作成 の際の、執筆者間
の観点を どのよ うに調整す るか とい う問題の難 しさで
あろ うか。
(2)
「世界史 BJ
それ では我 が国 における通説的な世界史像の構築に
大きな役割 を果 している世界史 Bの 教科 書分析に移 る
が 、まずは学習指導要領 を確認 してみよう。
『 世界の目史』 (山 川出版社 2015年 〕
第 2章 18「 スペインの時代からオランダの時代へ」
17世 紀の戦乱〕後半 (77頁 )
〔
4.佑 ′、17雄 の25発 の もつと 6大 ″諄 な うの
ま、″聖 ″―
は 三 チ年俊争 であ った。 三 十年戦争′
マ細 1こおゲ参議 姥功 V拗
か らん でノ
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事情力■
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主権国家体制〕 (77頁 )
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《解説 》
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…
最初の下線部について、ほとんどの国が介入 したと
いうのは間違いではないかもしれないが、ほとんどの
国は一時的に問接的に関わつたことがあるとい うのが
実態であ り、この記述だと二十年間 ヨーロッパ諸国が
戦い続けていたイメージを与えかねない点は改善を要
するであろう。また、主戦場 となつた ドイツの住民の
被害に言及することは、いつ どこであろうと住民を犠
牲にする戦争の実態に気づかせ る点で大切なことだろ
う。 しか しドイツの被害は確かに最大だったとはいえ、
戦禍は非 ドイツ地域にも飛び火 していることや、オラ
ング独立戦争を連結させて考えさせ る必要を考えれば、
ドイツの被害者だけが特権的に扱われているようにも
25
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伊藤宏二
ロッパ諸国 の場合、現在 の国家 につ ながる独立の時期
が中近世にまで遡れ る場 合 が多 く、ラオスやカ ンポジ
ア等 の国 々 と同 じ意 図で登場 させたにもかかわ らず、
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出現時期 の古 さか ら世界史的な重要語句であるかのよ
うに見 えるだけで、 この点では ヨー ロ ッパ 中心史観 と
す るのは行き過 ぎかもしれない。む しろ世界 の実情 を
正確に描 こ うとする明治初期 の万国史 の影響が世界史
目標 については、文化の多様性そのものに考察を向
けている点で注目に値す るが、それ以外には日本史と
区別された世界観から成 り立つている点など世界史A
と大差ない。内容においても、アジアとヨーロッパの
分立を前提に後者によつて世界が一体化 していくプロ
セスを描 くことを目的とし、アメ リカやアフリカはそ
解
れと関係する限 りで触れ られる構成 とな?て いる。、
パ
の
ヨーロ
ッ で成立した主権国家 代表格で
説からも、
ある英仏蘭の植民地争奪戦が世界を飲み込んでいき、
その背景 となる文化に着 目させる構図が見てとれる。
これらの問題性 については、既に世界史Aの 指導要領
を分析 した際に言及 したので繰 り返すことはせず、早
速教科書の検討 に入ろう。まずは世界史 B教 科書とし
て圧倒的な採択率を誇り、我が国の世界史像の形成に
決定的な影響力 を及ぼしているといつて過言ではなぃ
山川出版社の『 詳説世界史B』 を分析する。
Bの 中に留まっているとも考えられるが、 しか しアジ
ア・ ヨー ロ ッパ以外 の国 々の名前は相対的に少ないの
も事実で 、記述 の偏 りは指摘 されねばな らないだ ろ う。
第 8章 「近世 ヨーロ ッパ世界 の形成」序文 ("1頁 )
ル ー′″ ヾでは、 ガ Z薦委半か ら、政治 。経済 ・
社会・宗 夕・j● 多などのあ らゆる栃 ● ガ身 tの を
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よスヽイ ン″`
饉
『 諄説世界虫』 (山 川出版壮 2015年 )
第 5章 3「 西 ヨーロッパ中世世界の変容」 〔ドイツ・
スイス・イタリアと北欧〕 (148・ 149頁 )
オ″望
ケ イメ地方の農民嵐 .¨ 0.′ 4,夕 だ′
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の
″―マ帝国力 葬 解 を 独立 し、Z`″ 夕 ク
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ノ′ノ/条 約 で国際的に承認 議 ん ノ (149頁 )
のF/0を迎 えた ′グ世紀前 半だは、 あ らただオ ラン
グ・ イ ギノメ・ ノ ノンス な どの国 々が有力 と//・ つ て
いった。ノ
この序文も一見す ると常識を語 つたに過 ぎないス タ
ダ
ン ー ドな歴史認識である。 しか し注意深 く読む と、
近現代世界 の大元が この時代 の ヨー ロ ッパ に起因す る
語 りとな つてお り、■枚岩 の 「ヨー ロ ッパ人 1の 実在
を前提に彼 らの内発的な発展が世界へ働 きかけていつ
ウェス トファリア条約によるスイスの独立承認は、
厳密には注意を要する表現が必要であることは既に述
べたが、ここではスイスの独立がなぜわざわざ太文字
で語られているのかを考えたい。 とい うのも人 口や面
積でスイスとはぼ同規模の非 ヨーロッパの国々は、例
えばハイチの ように黒人初の共和国 といつた世界史上
の意味が認められた国は登場するが、 ドミニカとかプ
ルンジなどといつた国々は大文字 どころ力名 前すら出
現 しない。 ヨ‐ロッパ史の中でスイスが果 した歴史的
役割は、 ヨーロッパ史研究者である筆者も重々承知 し
ているが、世界史の教科書でその独立を太文字で扱 う
理由があるのであろうか、これもヨーロッパの国は小
た ようにみえるだろ う。 しか しここは序文なので t本
文でよリバ ランスの とれたT寧 な叙述 が展開 されてい
れば問題はないか も しれない。本文 の検討に入 ろ う。
同 4「 ヨー ロッパ諸国の抗争 と主権国家体制 の形成」
主隆国家 と主権国家体制〕 (2131214頁 )
〔
4._0。 若力する兵員 4蒔 職 笏 動 物 ″ 、
多蜀 舷蘇夕藤″を夕心だ 寓茄げをそなえた夕 茂晟移を
整 ″ ι、国内 の″ ¬ 傷 朝 レ ″ めろ必要ガあ つた。
国だろうとすべそ重要であるといつた先入観から生じ
た中心史観の表われであろうかと疑間が生じたからで
ある。他地域でも古代や中世に影響力を持つた国々は
確かに大文字で記載されている。それはそれぞれの時
代や地域での重要国を記憶させるとい う意味で中心史
観から逃れているわけではないことは確かだろう。他
方で、ラオスやカンポジアといった小国の独立も現代
史め部分で大文字で語られているので (392頁 )、 こ
れらは中心史親の表われ とい うよりも、現代世界にお
ける身近な地域の独立国の存在を学習 させるとい う意
図が見て取れるだろう。スイスの場合、また他のヨー
でか こ″lご み、国内屁序を描″翻 Zι ζ 外 にガ ιで
脇 罐 夢れ てD君主 のみが国を /02す る溶制を築 ぐ
よ 昇 力 つた こ ラιた国家 を」膳国家とクい 、ガ資
・つた。
返乃々の方ゼ留と/●
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26
「新 しい世界史」に照 らした世界史教Tl・ 書記述の見直 し
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前半部の主権国家の説明は ヨーロッパ史の文脈では
非常に丁寧に説明されているといえる。 しかし世界史
の文脈で見た場合、国境を持ち国内秩序を強化 し君主
のみが対外的に国を代表する、とい うのは、特に東ア
ジア世界から見た場合、古代以来見て取れる姿ではな
かろうか。国境 については、辺境地域では確かに曖味
なままにされた部分もあつたのだが、基本的にアジア
地域では古くからの歴史的経緯 が生み出 した境界意識
夕 ιたのを き っか た 、三 十年候李が お こった。 …
こえたハ カ ノ″
の _¨ 、三
ノノンスの構 い でうあった。
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でまとめ られた ことは、 コータンノ彰姓れ管
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を示 す もの であった これたま ″ドイ
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な った ′イ ンな ス ″ 6麟 ν ιてその後長 ● 翔 膨 %
こ と位 わ た。 ハ ンウイブル タ家の勢力は後退 ι、 フラ
ンス だ′′レグス を韓われ た。 また、ス クェー デンは
老 ν ン沸 ″ 置ボンメ″ ′な どに慶■ を得 (パ ″
た時
と自然環境 か ら、国境 がかな り明確に,│か れて意識 さ
れてきた といえるのではない力、 また、国内的に も紛
争 が 日常だ つた西欧世界 に比べ ると、一般的に東 アジ
アの諸国は、過渡的な動乱期を除けば、強力な君主権
の下で治安維持に成功 してきた とい えるのではない力、
対外主権の面で も、我 が国で幕末 の混乱期 に二元性 が
一時的に前面に出た ことを除けば、君主が単独 で代表
´侮を内海とする r/シ ハ帝動 を通 させた。さら
だ、スイメ ル ″ ンダは独立 を正式に認め 物 ん ノ
権 を持 つていた ことは疑 い えない時期 が圧倒的だ つた
はずである。そ うしたアジアの国々を主権国家と呼ば
ず、西洋諸国のみをそ う呼んで近代国家の原型 と説明
する理由は どこにあるのだろう力、 決定的な違いはや
はり国家の実態的な特徴ではなく、そうした国家間の
在 り方に関する理解 を共有 し得る法及び国家間の対等
性の原理の有無であろう。その意味で後半の下線の部
分の方はよくまとまつている。国家同士が互いに主権
国家 と認め合 う考え方は、確かにアジアその他の世界
には存在しないで ヨーロッパに発生したものであり、
歴史的にはその適応は不平等な形を通じてではあつた
が世界へ と広まり、今 日の世界の平等性を形作る基礎
となつたものである。 したがつて後半部分は ヨーロッ
パ中心史観を相対化 しながら [世 界はひとつJを 意識
づけることが可能な表現とも見て取れる。雑な言い方
かもしれないが、主権国家はヨーロッパが生み出した
とするのは世界史的文脈では実態として疑間が残るが、
主権国家体制は ヨーロッパを通じて世界に広まり、地
球市民意識を育てる基盤を提供するもの といい得るの
ではないか。また、国家の強弱や優劣を匂わせかねな
い特質を前面に出すよりも、国家や世界の提え方の連
いを問う形で、どちらが人々に受け入れやすいかなど
を設間として補い、生徒たちに議論させてみるのも面
白いかもしれなし、
17世 紀の危機と二十年戦争〕 (220-222頁 )
同 〔
4.侮 秒 。 ゴ7均 切 窃 な 経済・ 雄 ← 政治 のナ
ベ での傷城におよよ Fコ ー′ン′`
笏朔腐のを務の″
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たと
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4髪舞抜慟 オゞお こ ク、それが
塵済″・を癸″な周層をさらに夢″させた。 なか で
`
27
この部分 の記述は全体的に古典的な叙述 で彩 られて
お り、それゆえ専門的な見地 と新 しい世界史の観点 の
双方か ら見直 しが求められる。 まず 、領邦国家体制を
主権国家形成 の遅れ と見 る見方は、近代国民国家 の形
成 と進歩主義 を絶対視す る古典学説 の影響 が強 く滲み
出て い る。 ドイ ツ諸侯 の主権については既 に述べ てき
た通 りであ り、 1648年 以降 も神聖 ローマ帝国の諸機
能は持続 して一定の活動実態 を示 しながら、皇帝を中
心 とす る連邦的な平和維持組織 として働 いていた こと
を究明 している近年 の研究成果が全 く反映 されていな
い。 また、当時のアルザ スの権力構造は錯綜的で、 フ
ランスヘの割議は、ウェス トフ ァリア条約 は部分的な
権力譲渡ない し全体的割譲へ の将来的名分を与えたに
す ぎず、最終的には 1697年 ライ ス フイ ク条約まで待
たねば完結 してい ない。 さらに新 しい世界史 の観点 に
照 らす場合、条約の結果として描かれるのが領土割譲
や国家の分裂では、世界の対立と分裂が強調されて終
わってしまい、そ うした事実だけでなく、別の意義を
条約の成果として前面に出したいところである。ただ
そ うはいつても、そ もそも該当部分のテーマが 「17
世紀の危機Jな ので、そうした重い状況を描くことが
目的であるといわれるかもしれない。実際ここで扱わ
れていることがらは暗く厳 しい時代のものあったのは
厳然たる事実であり、当時の国際政治上の主要な潮流
も現実主義的な権力政治を志向していた。そ うした事
実をも 「世界はひとつ]の 観点で描くことには無理が
あると異論も生 じ得よう。事実は事実として人間社会
の現実を教副│と して教えるのも歴史の使命なのだから
と。そ うした考えから恐らく古典的な叙述が好まれる
伊藤宏 二
面もあろう。次の文章もそ うした色調で描かれている。
第 9章 「近世 ヨーロッパ世界の展開」序文 (223頁 )
′
第 ′ま では、近世のダ半、′′此紀半ぽか ら ′θ〃
施唆物 コー″ンノtの種 を教 夕。 この雄務だ嵐 菫
蛍″圭を国家バ たがいに国富の増大を展 し て贔彦
をめ ぐつてコー″ンノ珍 ″
義
をとクヽ制
″ で多い葬 夕返 ιれ .¨
り 。ノ
“
理性を備 えた国家が己の生存や発展をかけて戦 うこ
とは当然のことと観念 された時代だつたゆえ、語 られ
ていることは事実で否定 しようがない。 しか し例えば、
我々が先 の戦争を語る場合に、重苦 しい体験から教訓
を引き出すだけでなく、平和や民主主義の実現等につ
なげて語られることは多いのではなかろう力、 「新 し
い世界史」は事実を淡々と書き留めるのではなく、事
実をポジティプに意味づける感性をも世界史叙述の中
に求めているのではないかと筆者 には思える。 ここで
も国富の増大が物流を促進 した り、文化や日想を豊か
にしていつたところまで意識的に関連付けて描いても
の箇所
よいのではないだろうか。恐らくは文化史は男り
べ
で述 られるからと、敢えて触れ られていないのだろ
うが、人々の活動を政治・ 軍事・ 経済・ 文化などと区
別 し、描 く形式に無理に四われる挙要はないであろ う。
では次に、世界史 Bに おいて も羽田が執筆者 に加
わっている教科書を一嘗 し、新 しい世界史の観点が反
映されている部分はあるか検討 してみよう。
│
jl出 臣社 2015年 )
『 新世界史』 (山
主権国家と絶対王
第 13章 3「 主権国家体制成立」 〔
]セ 〕 (222・ 2231ヨ )
4..傷 り 、 ctま ざまなД陽機嘲階F6ひ ιめきあつて
け パ 菫おや教皇な夕 吐 翻 レ 場 擁 姥 ιル 拗
に、テベでの国参形式■はガ撃なフ夢だたった。その
夕えで姿目 ぼ外ズと戦争の粛〃をだめ、たが クV=条約
を″霧 ι、また燿 塑補強 させた。 こラしたけ
あ 攘 屁 孵 Wi諸 国家 ンステスノ とい ラ。 ン 僣
をか
き残 ク離
平雛湧%影舛税″ではなく、多彙
けて争レ、 幹 粂 嚇 勝 ι為 こ殊 α 誇 つ ケ におゲ
ろ襲 刺 渤 諮 まろ蒻 尋 鶴 階 触麗 翼糧 い をみせた
r出現 ιたの
′
θ聞 磁 ル ー′″ 《
主権国家体制 lま、 ′
動
治の墓オ とな ク、強 tこま 0経承されることだ
なる。
国内政治 の歓 か らみると、J額 滅 衛 ″ 6と の
ιつつ国場を2だ ι、 き
を目嵐 〃部か らの物
らだ慶%椰 続/・ 機僣を政庸 ιζ住 民 の務″を′めるな
と 屋 を してのまとまクを追求 した。 こラιた麟
教 である。… 傷り 。
露 η
であ クなが ら鰯
なお、主若国家
―
=政か ら燿霧 ιた
ま元茂パ」Fを選出 %層
国 々 ちあつれ ポージン ド′
挙三麦に多夕 し、オラング 6稚ガ三″7reス ペインか
ら独立 │(難 国 となつた イングランだbゴ θ魔溜
こ二度の輪 を経
だ維ガ王´を確立 酸 バ 」7曲紀そ
へと夕 じれ また、 ジェノ
のらに議会
て(級
=麦
グ′ど外 ´ ツィ//1申 を以来の力脅茂雄 持した。プ
第 13章 3「 主権国家体制成立」 〔
神聖 ローマ帝国と
二十年戦争〕 (226‐ 228頁 )
4.:傷 り。 こ′ιたさまざま獣 立ヤ
ξ
摯 え
`″
である。
多 ″ 介入があつ ておこったのド‐ チ牛鶴争
この戦タ ス 宗教″車夕摩姿考 でおこつた鋼
争の
ヾ
大戦 で6
混多の局面 であク、また,夕のコー′ン′
あったι″婉 る。
三十年戦争の構 は、神聖 ″―マ請国内 のボ ヘミ′
″ ュコノ で″″ した彦 Iノ ェ″ ディオン ハ′ をの
カ ハノンタ1減策に対 ιζ I″ β 年だノ妨 秋 タン
ト費瀦がおこιた反協 であつた。… り ¨。菫静
こ
スペイン脚′
まつ惧 ヽrFF/c‐ 6競 を広げたため、
“
ノン //2ク
ラしたスベイ′素 とオーメ ′ノア系 のル ヽ
を覚えたノジ″ 法 オ
家の夢力″オη動きた物
ラング・ デン マーク・イングランル ス クューデンな
望輸 入 場 は ″ た 。… 確 ノ..。 また菫詩軍がt
方へ進撃ιたことパ ″ ター灰ζ ″'つバ″ ´薄瑠″
α 動 姥 力 らつて″掟 ス ク
・E― デン国三 グスタノ=/
ン ノ 介入 なえ斎させた。メ クェーデン蜀絋 ノジ
ハ
=こ
ンスの質会瀕″やオラングとプロテスタン 用 嫉 ″ 参
こまれ 鱒 陀 為
戦 もあって菫 帝軍を破 ク、市国蔵部キ
バ
玄
し
・タ
直
銃 の勁今
71476態 野を て 、菫帝′
菫″
、 ここで
を 切 ナろ 一方 ″
列 鍔 約 を結んだ力`
ノランスが直接タス ι、さらにス クェーデンの高参俳
など 6あ って伐顔″翡″され膠着ιたち この働争露
軍事事を夕来の費癒バ爾″されたため死存す 6多 く、
また民庸ス の夕ご 3配 賊 されな″,つ たため、ま鵜夢ど
な つた ドインのを会は、″ 世紀の三度の麟界夫戦
=こ
匹敵 ナうなどの巨大な観 緒 こラをつた
′θイ
θギの た メ ハノ′ノア条約が戦 後 螺 嚇 計
ノランスとス クIE― ル であ
たバ この戦争猜
ク、敗看はス ベイ ンと#菫 ′―マ帝国 であつた。 ノノ
ンスは神聖 ″―弓 栖 物 騒 け るよラ/t‐ 虜■を広げ、
メ ψェープン 3′ シ ト蒲 の覇様を存を。その ―
方 でス
ベインはオ フ´ ″ 潮 泣 を紹 ι、神聖 ィーマ薦匠 で
嵐 カル グァンが ル ター″と/・7酬雛 夕 戒 られ、
メイスの正懃 立が認め 夕 宏 ″妙 、多傷 鞍 暇 鑽 ″
イラ言全」り廊を『
場 められた この″ス 澤%そ″り霧乾』肇π
力観 狩 駒 ″ 凛
て′
力物綾確 ιた。
"膚
つた 半鳳
力ヽ
静国は国家 とι
い
こラιζ 多数の国パ翻ηιた
で
立さ
卿 軽 吻 たこと4」 を国家広 …落″だ 3確 '形れ
この クヱメ ハノ/ノ /
法 "が
半の コー″ンノゞ
佑″を訪燿に再凛発 ナる。 ここで急底 だ台軒 る のが
オ 7 ン グ であ つた ノ
た。雄
全体的に これ らの部分 では、最 初 の段落で東アジア
の朝貢体制 との対比が出てきてい る点は、曇饉国家体
28
「新 しい世界史」に照 らした世界史教科書記述の見直 し
制の特徴を考えさせる上で効果的な例 といえよう。そ
の他の点では、これまで検討 してきた教科書よりも具
体的な国名が多くやや上級者向けな感があるが、基本
的に古典的な理解に基づ く記述となつている。例えば、
冒頭の数百もの国家が形式的対等 とする表現は、その
うちの大半が神聖ローマ帝国内の小規模帝国都市であ
り、形式的にも実態的にも帝国内です ら主権国家どこ
ろか他の帝国諸侯の領邦に比べても国制上差別的な地
位 に置かれていた事実を無視 し、神話的見解を無批判
に受け入れている様子が見て取れるが、それ以上はこ
こで改めてその問題を繰 り返す ことはしない。
第 13章 「まとめ」
昴 ウ 鞍 いわ 枷 鷲 な ″ち 圭惹国家″の移争を解決 ナ
るため のル ‐″ と し■ 17島 孵 畔 だ法 グ ″ティ
クス/gノ ″ 然法 学者 な 乾 だ 国際法 の基礎が築か
れた。 … 患畿
。′
『 富等学校 政治・ 経済』 (第 一学目社 2013年 )
「第 2章 1 現代の国際政治と日本」 「1 国際社会
と国際法」 〔
国際社会の成立〕 (80頁 )
こえ る国家力ゞ
物為 壁 ″ 」
ある。 各国家はそ
"を
れ 召 り 帯 な立解 ウ つ主絶国家 どιで、国際社会
を構成 ιている.ン あ の」慮国家が日簾を会を構′
ナるよ うにな つたのだ、 クニメ ハノノノア条約 ″
″
何 脇 鬱 僣 である.こ 蒻 戴 ク、それ まで
ー
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(国 家構造 と社会・ 文化 の特質〕
(242・ 243頁 )
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■同頁欄外 ウェス トファ リア条約〕
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アジアとョーロッパに限定されている点で借 しくは
あるが、それぞれの個性を尊重 しながら横断的な観点
で考察することが促されてお り、 しかも現代の我々の
問題に引きつけた描き方がなされ、全般的に興味深い
記述となつている。具体的な事実を扱 う本文では 「新
しい世界史Jの 観点が十分に反映されていたとは見え
ないが、このよ うなまとめの部分でそ うした展望が配
慮されたのかもしれない。
それでは最後に、ウェス トファリア条約は 「世界史」
だけでなく「政治・ 経済」でも取 り扱われるため、そ
ちらの教科書記述も一瞥 してみよう。
(3)「 政治・ 経済」
『政治・ 経済』 (東 京書籍 2013年 )
「第 1章 5 現代の国際政治」 「1 国際関係 と国際
法J〔 国際社会の成立〕 (70頁 )
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主権国家 と国際法〕 (70‐ 71頁 )
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国民国家 とナシ ョナ リズム〕 (80頁 )
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国際法 の意義 と役割〕 (81頁 )
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東書版 の方が条約ではな くウェス トフ ァリア会議 に
言及 し、 ヨー ロ ッパ の世界観の変化を述べ ている点で、
第一学習樹 版は ヨー ロ ッパ諸国が他地域 の国家 に対 し
ては差別 的な対応 を した点に触れてい る点で特徴的だ
が、その他の点では、世界史教科書ではク ローズア ッ
プ されなか つたグロテ ィウスが登場 してい る点 も含め
て 、2つ の教科書 の記述内容に大差はない。世界史教
科書に比べ て史実の展 開に関する描写 が少な く済むせ
いで、現代 の事象 に引き付け、事像 の歴史的意義や影
響 を ヨ ンパ ク トに伝 えている点でわか り易 い表現 と
なつてい るよ うにも見える。無論史実の展開を知 つて
こそ、それらの重みや意味を深く理解できるようにな
るはずなので、世界史教科書 と合わせて学習すること
が望まれる。否、む しろ地歴公が 3年 間で 1セ ツト
伊藤宏 二
となっている中学校と違い、世界史 と政治経済がとも
に学習されることは前提とされていない高等学校にお
いては、科 目別の教科書記述内容の住み分 けのような
ことを行 うことは好ま しくなく、世界史教科書単独 と
して政経教科書に見られた内容までしつか り伝 えてい
く必要があろ う。国家の盛衰や独立、領上の割議を強
調することで終わらず、そこから当事者間の平等の考
えが生まれた ところまで語ることで、厳 しい現実の中
から 「世界 はひ とつ」 を意識 させ られるつなが りを
もつた記述になり得ると考えられるのではなかろう力、
した雄 ″ でもあ った。 その 申でも堤 う多 くのス びとを
巻を
1込 み、を癸″な影響ガ大 きかつた ちのと考え られ
ているのが三十 銅 賭 改 場 わ。ス 々の生活 の 塑 ガ ″
織びに代えて
以上、羽田の提唱する 「新 しい世界史」の観点に専
えて、現行の世界史教科書における
門的な見直 しもカロ
ウェス トファリア条約関係の記述を検討 してきた。羽
日の提起が活かされた世界史像を全般的に教科書に具
体化するためには、ウェス トフアリア条約一つをとつ
て もこれだけ見直すべき内容が含まれていることも明
らかになり、長く困難な道筋であることも予想させ る。
しか し従来の研究成果の発展的な継承の上に、個々の
事象 のまとめ方の工夫次第で、現行の教科書記述を改
善 していける可能性も見いだせた。さらに、個々の描
写をポジティプに描 く感性の必要性にも気づかされた。
そ うした感性が学習指導要領の観点をも変えていくよ
うな社会的浸透が必要かもしれない。歴史は中立にし
て客観的に描写されなければならない と語る人も多い
だろう。 しかし例えば、現在の ドイツの歴史教育は明
6、
確にネオナチの抑止に目標を定めてい るように 世
界史教育の中に社会が求めるニーズや理想を目標に設
定することはあつてよいと筆者は考えている。無論史
案を捻 じ曲げゆがんだ歴史像を提供するものであつて
はならず、語 り手の思いの押 しつけになってもならな
い、学習者 自身の理解の中に自然 とその意図が体得さ
れるようなバランスある記述が求められよう。
そ こで最後に、現行記述の問題ばかりを指摘するの
に終始 し、何か曖味な展望を示 して結語するのでなく、
「新 しい世界史」像を活かした該当部分に関する筆者
なりの記述を具体的に考えてみよう。検討の対象語句
としてきた 「二十年戦争」、 「ウェス トファリア条
約」、 「主権国家体制」に関して、r世 界はひとっ」
の意識を出すために、ウェス トファリア条約 の保障規
定を集団安全保障の表われと捉えた国際法史家ツィー
クラーの見解 7と 、ゥェス トファリア会議を経て専門
職化 レ 外交官が平和の利害を共有する超国家的な存
∼ したとする国際政治学者デー ヴィス・ クロス
在、成長
の主張8を 織 り込みつつ、当然ながら現行の指導要領
の枠内で叙述の検討を試みる。
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列 の 在 豹 酸 締 を派遣 ιん 夕らだシ 好 灌 雄
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でな く、え 蒻 鰺 では しば ιば大局的な見地か ら′国
政府 の利害を超え 響 物 α 明 ″ 稽 ケ共同体 とιて
糖 へみ 帳 していつた この交渉の結果、い く
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ヨー ロ ッパ地域に限定 された本質的 にネ ガテ ィプ な
史実 を伝 えつつ 、そ こか ら生 じた歴 史的意義 をポ ジ
ティプに描 き、現代人の普遍的価値 につ なげる ことで、
「地球市民意識」 の洒養に結 び付ける狙 いが ある。 こ
れが最書 の記述 と考えているわけでは無論 な く、一つ
の叩き台 にはなることを切に願 うのみである。是非 と
も活発な ご議論・ ご批判 を賜 りたい。 より魅力的 で未
来志向的な世界史が描かれ る ことを願 う本稿 の試みは、
なん とか 「新 しい世界史」へ の二歩 くらいにはなるの
ではなかろ う力、
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30
情 ιタクβ 3,ど ナろ婦 の最
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いの表現に うな つた
“。多だ ヨーロンノ警 国が 世界 │こ影
つれ、国嫁参 を国 家 のズど″―/2
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力を強め
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考えガ徐 々だ世界へ摂透 ιて
ク)き 、男ん国際を会が7ル を共通の関心 J/c‐ 麿 ぐ一つ
「新 しい世界史Jに 照 らした世界史教科書記述の見直 し
【
舎考文献】 (著 者名順)
明石欽司『 ウェス トファリア条約一 その実像と神話』
慶應義塾大学出版会、2009年 。
伊藤宏二『 ヴェス トファーレン条約と神聖ローマ帝国
―ドイツ帝国諸侯としてのスウェーデン』九州大
学出版会、知 5年 。
井 ノロ彙史 「いま、世界史にどう向き合 う力=あ なた
は同時代史を語れますか」『歴史地理教育』
2013年 7月 、66∼ 71頁 。
岡崎勝世『 聖書 VS世 界史』講談社、 1996年。
岡崎 勝 世『 世 界 史 と ヨー ロ ッパ ーヘ ロ ド トス か ら
No 806、
ウォーラーステインまでし』講談社、2003年 。
川喜田敦子『 ドイツの歴史教育』自水社、21X15年
小川幸司『 世界史との対話』上 。中・下、地歴社、
`
ての機能を存続させてし
たことが明らかにされている。
3例 えば伊藤 ヴェス トファーレン と ロー
条約 神聖
『
マ帝国』47∼ 75頁 を参照せよ。
4 see'以 褒 晨 ぬ 潔 笏 番ん口″ 猛
拗 ′勧 磁 θtt The
2011∼ 124「 。
小川幸司 「「世界はひ とつ」 を語 るのが世界史教育な
のだろう力‐羽田正『 新しい世界史へ』をめぐっ
て」『 歴史地理教育』No.811、 2013年 11月 、
70-75頁 。
河合美喜夫 「「新 しい世界史 の理論Jは 世界史教育に
Peace ofWesttphaL,pp.6‐ 9
5ゥ ェス トフ ァ リア条約の影響 が後世そ の
実態以上
に 「神話」的に強猥 されたことについて詳 しくは、明
石 欽司『 ウェス トファリア条約一一その実像 と神話』
とつて新 しいか」『 歴 東地理教育』No 829、
序論及び第 4章 を参照せ よ。
2015年 、1月 64∼ 69頁 。
渋谷聡『 近世 ドイツ帝国国制史研究―等族制集会と帝
国クライス』ミネル ヴァ書房、2011tl年 。
中村武司・ 伊藤一馬・ 後藤敦史 。中尾恭三・秋田茂
「「新 しい世界史の運動」と歴史学研究」『 西洋
史学』246、 2012年 、56∼ 66買 。
羽田正『 新 しい世界史へ鋤 球市民のための構想』岩
波書店、2011年 。
6川
喜田敦子『 ドイツの歴史教育』自水社、2005年 、
とりわけ 13∼ 44頁 を参照せ よ。
7 soe;&″ 月しあzZ″ Lら Die Bedoutung des
θ
westuschelll Fnedens von 1648缶
pasche vdL“ コ。
cht
Dゎ 10matlC Coゅ s,pp・
南塚信吾 「歴史学 の新 たな挑戦― 「グ ローバル・ ヒス
トリー」 と f新 しい世界史」―J『 歴史学研究』
2012年 11月 、72∼ 76頁 。
山本文彦『 近世 ドイツ国制史研究一皇帝・クライス・
諸侯』北海道大学図書刊行会、1995年
脇ゴ
,X」 り油 am鴎 The European D“ lomatれ
C呻 8:Dlplomats
and lnternatlonal Cooper・
atlon tOm Westphal■ at● Maa●
ave
"icht,Pal『
Macmlllan 2006
Zあ 燻」を a讀 力
aJ山 ョ■し強 The Peaco of
Green・
w∞ d Prem 2∞ 2.
ん
Jttz tt DerW“
虚皿●
che Fneden von
1648 h der Cesch通
鸞 h",h:
M Schroder mg), 350"des
Jahe Vdk□
Westra■ echer
陥
be● ondeFe
。 See;腕 bKZレ 鮨
水島司『 グローパル・ヒス トリ‐入門』 (世 界史リブ
レット127)山 川出版社、
"10年
い?』 (岩 波ブック
南塚信吾『 世界史なんていらな
レッ トNo.71412007年 。
"&ИA
"″ L"劇
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D…
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討論を重ねて発展させたものである。
2海 外では 1960年 代から 1648年 以降の帝国機能の
維持に着目した研究が現れ、我が国でも 70年 代以降
にその法的機能の維持に着目され始めたが、特に 90
年代以降、山本文藤『近世 ドイツ国制史研究―皇帝・
クライス・諸侯』 (北 海道大学図書刊行会 1996年 )、
渋谷聡『 近世 ドイツ帝国国制史研究―等族制集会と帝
国クライス』 (ミ ネルヴァ書房 201111年 )を 中心│ビ 、
神聖ローマ帝国が 1648年 以降も統一的な政治体とし
do,Berun 1999,s99‐ 117.
注
1本稿は 2015年 11月
7日 に宮城教育大学で開催さ
れた 「日本社会科教育学会第 65回 大会」における自
由研究発表 (伊 藤宏二 r新 しい世界史」にどう取 り組
むか)を 基礎にし、2016年 1月 30日 に静岡大学人文
社会学部主催の「地崖教員養成講座」において報告・
31
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1‐
67
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