写真左から、 トリスナさん、 タパさん、 カルキさん。 お店はほぼ満席で、 カルキさんには多忙な時間を縫ってお話をうかがった。 日 本(ここ) で暮 らす ということ タ パ・ラジェスさん カットリ・トリスナさん カルキ・ラ ビン・クマルさん は4万8000人ほどいるそうだ。日本 元の若い母親たちをはじめとして、口コ 「 日 本 は 安 全 だ し、 差 別 を 感 じ る こ と がその機能を果たしていると思われる。 で働いていた。仕事をしたり、日本人の 語学学校に通いながらファストフード店 て尋ねた。 さんに、日本で暮らすことの課題につい ネパーリチューロのオーナー、カルキ 6 ネットワーク 2016/6・7 で生まれる子どもも増えたため、杉並区 にネパール人学校ができた。将来は高校 まで開設される計画だという。 タパさんらは、同じ地域に住むネパー ル人とは交流があるそうだが、相談や交 ミで広まっているようだ。その日、店内 もあまりありません。日本で暮らしてい 流イベントを行うようなグループは存在 をのぞくと満席だった。取材を兼ねて来 きたいと思っている」とタパさん。日本 「 ネ パ ー リ チ ュ ー ロ 」 は、 杉 並 区 永 福 たことを伝えると、2階の席に通された。 での課題を聞くと、「日本人はきまじめ。 しないという。子どものいる人は、学校 ほぼ同時に、外国人の男女がやってきた。 もう少し柔軟であればいいと思います」 にあるネパール料理屋だ。この店は、地 今回、取材をお願いしたタパさんとトリ とトリスナさんが答える。現在、抱えて ○ 日 本 人 と同 じラインに立 てれば いる重い問題はないようだ。 スナさん夫妻だった。 ○ 日 本 は安 全 で暮 らしや すい国 タパさん・トリスナさん夫妻は中野区 同僚と交流する中で、言葉や暮らし方を 「 外 国 人 の お 店 に も、 投 資 や 融 資 を 考 外 国 人 はもっと頑 張 る 身に付けた。トリスナさんは、結婚を機 えてくれたらと思います。実績があって 年目で、最初は に2年半前に来日。保育園で非常勤とし も外国人の場合は厳しい。また、外国人 在住。タパさんは来日 て半年ほど働いた経験がある。日本語の を要求されます。従業員全員が社会保険 にはビザの更新など、やらねばならない タパさんが来日した2005年頃、在 に入ることなど、日本の中小企業でも難 ヒアリングはできるが、話すときはタパ 日ネパール人は5000人程度だった しいことを、我々がやるのはとても大変 ことがあるうえに、日本人と同じレベル が、2008年頃から学生が増え、現在 さんに通訳をしてもらっていた。 11 特 集 ニッポンの 多文化・多民 族 ネパーリチューロの外観。 子ども連れでも入りやすいので、若い母親のグループも多いという。 高く、支援制度があっても使えない場合 ローンを組むのは日本人よりハードルが 取得が必要だと言われます。取得しても なこと。家を買うとなると、永住権 の ンさんもミャンマーから来た難民だ。 して2010年にオープンした。ノンノ 難民のネイリストが働くネイルサロンと 谷 町 駅 か ら ほ ど 近 い ビ ル の 一 室 に あ り、 代表取締役の岩瀬香奈子さんは、仕事 や市民活動の経験から、ビジネスを通じ 時間しか 働けず、子どもがいる場合、保育園入園 た 社 会 課 題 の 解 決 を 目 指 し、「 キ レ イ に なれる国際協力・社会貢献」という新し 国人は多い。日本人と同じラインに立た 「 ノ ン ノ ン さ ん は 忙 し い か ら、 ネ イ ル ○ ネイリストになるまで い事業を立ち上げた。 せてくれれば、外国人はもっと頑張りま を受けながらインタビューしては?」と、 ノ ン ノ ン さ ん の 知 人 か ら 助 言 を 受 け た。 そこで、予約を取り、ネイルをしてもら いながらのインタビューが始まった。 ノンノンさんは、ミャンマーの政局が 混乱するなか、単独で日本にやってきた。 来日してからは、おもに飲食店で働いて いたそうだ。1995年にミャンマー人 の男性と結婚し、現在は2児の母親でも あ る。 ネ イ リ ス ト に な っ た の は 5 年 前。 体 を 壊 し て 飲 食 店 を 辞 め た 後、 ハ ロ ー ワークの紹介で美容の研修を受けたこと がきっかけだ。 「 研 修 期 間 は 働 け な か っ た し、 研 修 後 ネイルサロン、アルーシャ( Arusha ) の扉を開けると、“ノンノン”というネー か っ た の で す 」 と ノ ン ノ ン さ ん は 言 う。 か っ た。 そ れ で も 学 び た い 気 持 ち が 強 に美容関係の職に就けるのかもわからな ムプレートをつけたネイリストが迎えて 美容のなかでネイルに関心を持ったの 難 民 のネ イリスト ノンノンさん 確には「永住許可」だが、ここでは一般的に * 正 言われることが多い「永住権」としている。永 住許可を取得すると、在留期間の更新手続が不 要になる、職業に制限がなくなる、住宅ローン などの利用が可能になるといったメリットがあ る。一方で、在留カードの有効期間の更新、再 入国 許可 制 度・在 留 資 格の取 消し、退 去 強 制 処分などの適用はある。 だと思います」 す。それは日本社会にとっても良いこと ここで暮らしていきたいと思っている外 カルキさんは続ける。「日本が好きで、 題もあります」 の優先順位が低くなってしまうという問 もあります。ビザの関係で週 * くれた。アルーシャは、港区虎ノ門の神 ネットワーク 2016/6・7 7 28 ノンノンさん。 「人がキレイになって喜ぶのを見るのが好き」 というノンノンさんから、 自然な笑みがこぼれる。 プロ養成だけでなく、自分や友だちが楽 しむためのネイル・レッスンもしたいで しては、お客様に言葉の使い方を教えて う。「 困 っ て い る 方 々 の お 役 に 立 ち た い 充てることを決めた。ノンノンさんは言 (NPO法 人 アデ イアベバ・エチオピア協 会 ) 8 ネットワーク 2016/6・7 は、「 美 肌 や 化 粧 と 違 っ て、 ネ イ ル は 本 人がいつでも見られるから。お客様がう すね」 ○ 大 切 なのは「知 る」こと れしそうに眺めているのを見るのが、と ても好きなんです」と、ノンノンさんは ボランティアや市民活動は、まず社会 笑う。 思い切った決断のおかげで、体調も良 また、難民支援をテーマにしているNP の課題を「知る」ことから始まる。アルー は、先輩を見ながら学ぶ毎日。大変でし O・NGOでも、チャリティウォークや く な り、 ネ イ リ ス ト に な る こ と が で き た」と言うが、今は、お客の希望を聞い 料理講座など、楽しみながら知ることが シャは、難民について知る一つの入口だ。 て的確なアドバイスをする、頼れるネイ できる企画を催している。そこで知り合 た。「 で も、 仕 事 を 始 め て か ら し ば ら く リストという風情だ。 う人は、難民を代表しているわけではな ど は、 千 差 万 別 で あ る。 し か し、「 ま ず い。難民の人々の国籍や、現在の状況な 日本での暮らしを聞いた。在日ミャン 1人を知り、話してみること」が大切な ○ ネイルを施 すことは難 民 の励 みに マー人のコミュニティについては、週に 日から1か月 のではないだろうか。 アルーシャでは、4月 1 度、 集 ま る 機 会 が あ る そ う だ。「 子 ど もたちには、ミャンマーの言葉や文化を %を、熊本地震の支援に もらったり、家族のことを気にかけても のです。お客様をキレイにして、少しで の売り上げの らったりと、優しくしていただいていま ことは、難民の支援につながります。来 店くださる方々の存在は、多くの難民に とって励みになっています」 将来について尋ねると「体力的にきつ くなったらネイルを人に教えたい」との こと。「プロになるには時間がかかるし、 そ の 間 の 収 入 が 減 っ て し ま う。 だ か ら、 エチオピア人 と日 本 人 の 架 け 橋 になり たい アベベ・サレシラシェ・アマレさん も貢献したいと思っています」 学んでほしいと思っています。仕事に関 17 す。このお店でネイルを施していただく 10 特 集 ニッポンの 多文化・多民 族 落ち着ける空間のアルーシャ店内とチラシ。 ベさん。同協会の理事である。 か 荘 1 0 5 号 」。 迎 え て く れ た の は ア ベ トなども多い。同協会の事務所は「ゆた 風情があり、小さな商店や古い家、アパー オピア協会を目指す。この辺りは、下町 に従ってNPO法人アデイアベバ・エチ 葛飾区の四ツ木という駅を降り、地図 に、地域のイベントにも参加したりして 回、文化交流会を開催しています。ほか ても教えます。交流事業としては、年3 文化やごみの扱い方などのルールについ 催しています。語学だけでなく、日本の 活動としては、事務所で日本語教室を開 子 を 見 る か の よ う に 目 を 細 め る。「 教 育 営資金はおもに寄付でまかなっている。 い ま す 」。 役 員 5 人 は 全 員、 無 報 酬。 運 ○ 葛 飾 区 に多 いエチオピア人 日本にいるエチオピア人は約420 ○ エチオピア人 と日 本 人 は似 ている 日 本 で 暮 ら す こ と の メ リ ッ ト・ デ メ 人 で、 関 東 に 2 0 0 人、 う ち 都 内 に は 120人、そしてその半数が葛飾区に住 リ ッ ト を 尋 ね た。「 日 本 は 安 全 で 暮 ら し アフリカ最古の独立国と言われていま む。物件が安いこと、下請けの工場が多 NPO法人を立ち上げた理由をうか す。外国の文化があまり入っていないた やすいです。エチオピアも凶悪犯罪は少 がった。「もともとエチオピア人のコミュ め、オープンマインドではなく、メンタ く職に就きやすいことがその理由で、さ ニティはありましたが、目的を持たない リ テ ィ が 日 本 人 と 似 て い る と 思 い ま す。 ないものの、盗難やスリといった軽犯罪 サークルのような集まりでした。ある日、 差別を感じることも少ないですね。欧米 ら に、 葛 飾 に い る 親 戚 や 知 り 合 い を た エチオピア人が交通事故に遭って弁護士 にいるエチオピア人は、もっと差別にさ は日本よりも多い。また、エチオピアは が 必 要 に な り、 こ う い う と き に 組 織 が らされています」 どってやってくる。 あった方がいいと考え、設立しました」 ちゃんが生まれたので、病院に行ってき も あ り ま す。 今 日 も エ チ オ ピ ア 人 の 赤 することも多いですね。病院の付き添い 教 育、 交 流。「 相 談 は、 住 居 や 医 療 に 関 そこでしてもらい、同協会では職に就く GOや教会につなぎ、生活のサポートは に過ごすかが問題である。難民支援のN 働くことが許されない。その期間をいか 難民は、来日して半年から9か月ほどは 課 題 と し て は、 言 葉 と 仕 事 を 挙 げ る。 たのですよ」と、アベベさんはスマート までの期間に日本語を教えている。仕事 現在のおもな活動は、労働・法律相談、 フォンで撮影した写真を見ながら、我が ネットワーク 2016/6・7 9
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