月刊共有船 客船よもやまばなし

平成 28年 5月 5旧 発行 (毎 月5旧 発行)第 516号
日/月 刊
公団船
)
No.5ヱ 6
“
1 28年 度 共 有 建 造 セミナ ー各 地 で 開 催
◇制度の概要 ◇金利制度 ◇技術支援
◇S 省エネ補助金制度
◇海上交通バ リアフリー施設整備助成 募集要項
◇造船関係事業資金融資制度
◇内航関係税制の概要 ◇船員計画雇用促進助成金
≪暫定事業》
28年 度 建造等申請 ・被代替船 申請要領
L SES開 発の歴史 と検証② 499GTケ ミカルタンカー
内航海運の活性化に向けた今後の方向性検討会開催
(一 社)船 舶整備共有船主協会機関誌
1皿 番
ン
あ
陥 団描く
◇内航海運暫定事業の収支実績 と今後の資金管理計画
◇内航燃料油価格
ケミカルタンカー方
建造
下ノ江 造 船 株 式会社
運航
田測 海運 株 式会社
船主
有限会社 信雄海運
同 山県備前市 日生 町大 多府 153番 地
TEL 0869-72-2741
FAX 0869-72-2557
一 月刊・共 有船 ―
〈連載⑩
伊豆諸 島航路最初 のカー フェ リー
「 フェリーあぜ りあ」に乗 る
大阪府立大学21世 紀科学研究機構
特認教授 池 田 良 穂
4月 13∼ 15日 に東京 ビ ックサイ トで 開
催 された国際海事展 シージャパ ンに初 めて
出席 した。 4月 のこの時期 は、大学 では入
学後そ して新学期開始 にあたっての様 々な
行事 があり、 とて も現役時代 には大学 を空
けることがで きなかったが、研究 だけに特
化 した現在 のポス トになってよ うや く可能
になった。14日 には、海事 プ レス社主催 の
国際会議 があり、 これが最 も楽 しみで あっ
た。 この会議では、海遅、造船関連 の経営
者 が次 々に登壇 して、示唆に富む話 を聞く
ことができた。
なかで も嬉 しかったのが、パ ネル デ ィス
カ ッションにおいて三菱重工の大倉目Jド メ
イ ン長 が、 クル ーズ客船 の建造 もこれか ら
も続け、 さらにその建造効率を高 めるため
にRoPax(日 本 での旅客 カー フェ リー)の 建
ダ向けのクル ーズ客船 の建造 では巨額 の赤
字 を出 したが、それが将来 につ ながる こと
を心 か ら願 いたい。
もうひとつの収穫 は、海遅 および造船企
業 の首脳陣 がその発言 の中で、「自動運航
船開発 の必要性」に言及 したことだ。前回
の本 コラムで、筆者 らのグル ープが、 日本
無線 と今治造船 と共同で、 自動運航船 に関
す る研究開発 プ ロジェク トを発足 したこと
を報告 した。 この分野 では、欧州 が一歩先
をい っているが、 ようや く日本国内 で も
様 々な研究 プ ロジ ェク トが発足 しそ うだ。
多彩 な視点 か らの研究開発 になると思われ
るが、切磋琢磨 して実用化 にまでつ ながれ
ば、 日本 の海事産業 にとっての大 きな前進
となるに違 いない。
さて、Sea」 apanに 出席 してか ら、 その
造 にも手を広げると高 らか に宣言 したこと。
週末 の神新汽船 の「フェリーあぜ りあJの ワ
欧ナ
Hの 事例 で もわか るように、客船 の建造
ンデイクル ーズに乗 るために下田に向った。
は連続建造す ることによってはじめて利益
がでる。 このためにはクル ーズ客船 だけで
周知 の通 り、 これまで伊豆諸島航路 には
カー フェ リーが就航 していなかった。 これ
なく、類似船種 であるクル ーズフェ リーや
は各島のほんどの港 には防波堤 がなく、海
RoPaxを ミックスして建造す ることは極 め
に突 き出た突堤 は、直接、太平洋 の荒波 に
て賢明な選択 だと思 う。不幸 にしてアイー
-37-
一 月刊・共有船 一
さらされ て い る。 このた め海 が荒れ ると、
着岸 して もランプウェイでの乗下船 が難 し
い と考 えられて いたためである。 そのため
荷物 は、船 の もつ クレー ン(デ リック型)で
上下 に荷役 されて きた。 まさに職人技 のク
レーン操作 が、暴れ る船体 か らの荷役 を可
能 としていた。
そ こに登 場 したのが、東海汽船 の子会社
で ある神新汽船 が建造 した「フェ リー あぜ
りあ」である。同船 には、船尾左舷 にラン
プウェイがありtこ こか ら車両 の積載 が可
能 となっている。 ただし、船首 のブ リッジ
との ことだった。親会社 の東海汽船 を通 し
てインタビューをお願 い していたので、大
野営業所長 に挨拶 をさせていただき、その
後、同船 のパーサ ーの石関 さんとも20数 年
ぶ りの再会 をして、その案内でいよいよ乗
船 した。
500総 トン弱の小型離島航路船 だが、 な
かなかモ ダ ンな内装 で、 かつ ての離島航路
船 の イメージではない。 デザイナ ーは、東
海汽船 の ll高 丸」と同 じ笠井 さんだとい う。
の前 には、従来通 りの船倉 もあり、従来通
りの荷役 も可能 となってい る。 ランプウェ
イが使 えない ような状態 では、 ここだけに
岳物を積み、船上のクレー ンで荷役 をする
こととなる。
きて神新汽船 は、下 田発着 で、伊豆諸島
●や豆大島以南 の 4つ の島を回るサ ービス
を退 6日 行っている。南 か ら神津島 (こ う
丁 しま)、 式根島 (し きね じま)、 新島 (に い
とまを
、利島 (と しま)が あり、1航 海 ごと
「フェリーあぜりあ」
下田港に入港する
こ
での寄港 となっている。最初 の寄港
主までは 2時 間弱 の航海 だが、最後 の島ま
てと 5時 間近 くかかるため、不平等感を無
す る目的で あろう。
こて、乗船前 日に下田 に着 いて、港 で「フ
ェ ーあぜ りあ」の入港 を写真 に収 めるこ
=項
と子で きた。宿泊 は、下田港 の黒船遊覧船
一
言すハナ」の乗 り場 を眼下 に眺 めること
fて きる黒船ホテル とした。
、 8時 半頃 に神新汽船 の乗 り場 に着
「フェリーあぜりあ」
のターミナル
イ ンターネ ッ トで同船 には、 レス トラン
司船ではすでに荷役 が始 まっていた。 も売店 もない と知 っていたが、 ホテルか ら
=
Aャ 千ウェ
イが上がっていたので、今 日は
乗 り場 まで の途中 には、 コ ンビニ も見つ か
らず、昼食用の弁当を調達できずに到着 し
三●車こがないのかと思 ったが、すでに 1
てしまっていた。 しかし、船内には飲み物
+毒 重を無えて、後 は船首 の船倉へ の荷役
=妻
-38-
一 月干1・ 共有船 ―
とカ ップ麺 の 自動販売機 があるの を見 て、
昼食抜 きと覚悟 していた ものの、何 とか飢
えは凌げそうで安心 した。その後、石関 さ
んが弁当を島で手配 しましょうかとい うお
申出があ り、船上でのまともな昼食 もでき
ることとなった。海上 でこの弁当を さかな
に ビール を飲 みなが らの航海 はなかなか楽
しい物 だった。 ワンデイクル ーズ客 には、
島製の豪華 な弁当が手配できるようにして
も、多少ながら島にもお金 もおち、 クル ー
新島 ではランプ ウ ェイか ら乗客が乗下船
ズ客 にとって も人気 がで そうに思った。
さて、船舶技術 の面 では、同船 には、横
揺れ防止のためにア ンチ ロー リング タ ンク
に加 えて、 フ ィンス タビライザ ー も設置 し
9時 半、すべての荷役 を終えて、定刻 に
「フェリーあぜ りあ」は岸壁 を離れた。港 の
スタッフは全員総出で、岸壁 で手を振って
てい る。 その フ ィンスタビライザ ーが、航
見送って くれ た。船上の子供 が一生懸命手
を振って、 これ に応 えてお り、 これが船に
対す るいい思い出になって くれることだろ
う。
この航路では、各港 では10分 程度 の停泊
時間なので、ワ ンデイクル ーズで乗船す る
と島での上 陸 はできない。 7時 間のかな り
マエア ックな船旅 だが、 日本 の大平洋沿岸
海 中 にデ ッキ上か らはっきりと見 えるのに
驚 いた。船長 の言 によると、 フ ィンス タビ
ライザ ーによって横揺れ は大幅 に軽減 され、
乗客 の評判 は上々 とい う。
現在、伊豆諸島には東京 ・横浜、熱海 か
ら束海汽船 の船 がサ ー ビス を行 ってい る。
「フェ リーあぜ りあ」が寄港す る前述 の 4島
の主要航路 を横断す るため大小 さまざまな
船 に出会 うことがで き、 また寄港す る島々
にもそれぞれ特徴 があってなかなか楽 しい。
島 に着 くたびにデ ッキか ら、その着岸 ・
離岸操船 の様子 を見、荷役風景 と岸壁 に集
まる島の人 々の様子 をみてい るだけで時間
はあっとい う間に経って しまった。中で も
驚 いたのは、岸壁で警容官 が一緒 に船 の綱
取 りの協力を してい ること。島の治安維持
のために、出入港す る際 にはパ トカーで港
に来ているが、 係掲
合作業 まで手伝 うとは。
まさに「島民 と一緒 に生 きるお巡 りさんJと
い う姿をみた ような気が した。
-39-
にも、高速旅客船 ジェ ッ トフォイル と在来
型貨客船が就航 している。 しかし、伊豆大
島以高 の 4島 にとっては、最 も近い本州 の
港 は下田港 で、古 くから在来貨客船 が就航
していた。「あじさい丸J、 先代 の「あぜ り
あ丸」には、 筆者 も乗船 した こ とがある。
しかし、その役割が ジェ ッ トフォイルの就
航 で様変 わりした。 4島 の島民 が東京方面
に行 くには、以前 は、東京 か らは在来船で
長時間か けてい くか、下日 に渡って鉄道で
い くかの選択 だった。東京 からの在来船 で
は10∼ 12時 間 もかか っていた。 一 方、下
田か らは直通特 急 (伊 豆急十」R)で 東京 ま
― F刊 '共 有船 ―
で 3時 間 だか ら、4島 か らは 6∼ 8時 間
▼
D所 要時間で東京 に行 け ることとなる。す
れ られ るし、乗用車 の観光客 の誘致 も可能
となろ う。荒れて ラ ンプウェイが使 えな く
なわち、 下 田航路 は、 もっ と も短 時円で、
なる日も予想 され るので、車 をもつ 人 にと
っては実質的欠航 の リスク もあ るか ら、時
東京 とを結 ぶ便利 な航降 だ っ た。 しか し、
一番遠 い神津島で も、 ジェ ッ トフォイルの
就航 に伴 って、約 4時 間で東京 まで行 ける
ようになった。 この結果 もあって、下 回航
路 は、旅客教 が 4万 人 か ら 1万 人 に激減 し
たとい う。
こ う した時代 に伴 う交通機 関 として役割
の変化 に対応 して建造 されたのが「フェ リ
ー あぜ りあJと 言 える。 必要 のな くな った
大定員 の旅客施設 を減 らし、 これまでなか
った車 の輸送 を行 うことで、新 しい時代 の
経営 の安定化 を狙 ってい るのか も しれない。
島の工事関係者 や商用 の車 が直接乗 り入
余裕 の あるアクテ ィブな年金生活者 が
1つ の ターゲ ッ トになるのか も しれ ない。
lHBに
筆者 も含めて、 そ う した年代 の人 々の若 い
ころは、 日本 中、島 ブームで、大 きな リュ
ックを背負 った若者 が大挙 して島 にでかけ
た もので ある。 そんな思 い世1を 探 しに、大
婦 で、愛用車 で島 を訪れ るの も素敵 な こと
に違 いない。
しか も車椅子 で も大丈夫。同船 の車両甲
板 にはエ レベー タが あり、旅客 スペースに
は1火 適 なバ リアフ リースペ ース も設 けられ
ている。
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航路図 と到着 時間
バ リア フ リー 宣
1等 室
車両甲板
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