2016年5月会報

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愛 知 版 No.395
* 今 月 の花
ハ ﹀ ︵︺
鮮 王朝 末 期 、
楽だ った から 。野 宿 を し な け れば な ら な い過
酷 な旅 を つづ け な が ら 師 匠ジ エヒ ヨのも と で
チ ェソンは先 輩 に つい てバ ン ソリ の鍛 練 を つ
久 々 に美 し い映 画 を 観 た c 韓 国 の時 代 劇 は
ど う し て こん な に 切 な いのか 。 ベタ な スト ー
わ せ るピ ンク の衣 装 に 髪 飾 り 。初 々 し い娘 が 、
の原 題 /桃 李 花 歌 ﹂ の名 のと お り桃 の花 を 思
そ の風 景 は水 墨 画 のよ う だ 。
一変 し て、 チ エソ ンが ﹁
春香歌 ︵
チ ユ ニャ
ンガ ご を 景 福 宮 の落 成 宴 で歌 う場 面、 ﹁
映画
む c 風 そ よ ぐ 野 原 で、 山 深 い滝 のほ と り で 。
リ ー な のに、 少 女 の頃 に 戻 って しま つて涙 し
熱さ、
切なさ
感じる物語
時 代 劇 は、な に より 、風 景 や 、 人物 の装 東 、
王族 の館 や庭 、 イ ン テ リヤ 、 調 度 品 な ど 朝 鮮
文 化 の素 晴 ら しさ を楽 し む こと が でき る 。
当 時 の政治状況 も垣 間 みられ る。キリ スト
教 を嫌 い、鎖 国を通す興宣大院 君 ︵
フン ソン
女性 には許さ れなか ったバ ンソリを最高 の舞
台 で歌わ せ てくれた師 匠 への愛を こめ てこ
、
庭 園に作られた池
に
船
を
浮
か
べ
太
鼓
を
打
つ
︶
師 匠に ﹁
サ ラ ン、サ ラ ン﹂ と声 の限 り唄 う ^
場 面が 出 てくる。そ れ の屋 外場 面、政策 に抗
議 し、白装束 の儒学者が 王 の館 の前 で直訴す
るc色 の付 いた衣服 は贅沢 であ った ので庶 民
が主 に着 て いたが そ の簡素な白が いい。
ひと つ気 にな った のが 風邪薬 とし て、便 を
煎 じ て こし て薬 にす る場 面 であ る、日本 でも、
昭和 三十年代 ま では、作物 の肥料 と し て使 用
し て いた 。韓方 では解熱剤と し て いたら し い。
当時 の庶 民は貧 しく男も、女も、子どもも、
大 人も、生 き て いくには、きび し い世 の中だ っ
た はず な のにヤ ンバ ンを笑 い飛ば す したたか
さも、 も って生 き て いた様 子も感 じられ る。
チ エソン役 のスジ 。歌 手 でもあ り、韓 国 で
は人気 の俳 優ら し い。初 々しく、
一途 なパ ン
ソリ唄 い手役 の、彼女 の唄う 切な いバ ンソリ
Q
θ
も力 つき、 チ エソンは自 由を 取りす 。吹雪 の
中 、年老 いた師 匠のもと に帰 って いく。春 を
告げ るヒバ リ のよう に、師 匠ジ エヒ ヨの太 鼓
で、チ ェソンはまたバ ン ソリを唄うだ ろう 。
落成 宴 で歌 った チ エソンは 王に みそめら れ
る。王 の為 にだ け唄う毎 日。しかし、 そ の王
ナ ムギ ル、脇を固め る俳優た ちも良 か つた 。
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凛
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申
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院
君
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θ 三浦雅子
デウ ォング ンヽ 朝鮮 王朝 ド ラ マ政治場 面 で、
大勢 の官僚 たちが 、声 を合 わせ 王に助言す る
も楽 しま れた 。
身 振 りだ け のシ ンプ ル な芸 能 で庶 民が 楽 し む
大 道 芸 だ が 、 ヤ ンバ ン ︵
貴 族 ︶ の宴 会 な ど で
い演 じ る こと が でき な か ったが 、 さ まざ ま な
困 難 に遇 いな が ら 、女 性 の唄 い手 と し て育 て
上 げ る 。 伝統 芸 能 バ ン ソリ は太 鼓 と 人 の声 、
を 哀 れ に 思 い、 ﹁
バ ン ソリ﹂ が 男性 に し か 唄
﹁
バ ン ソリ﹂の師 匠ジ エヒ ヨは 、キ ー セ ン 傘云
妓 ︶ の館 で下働 き を し て いる孤 児 のチ ェソ ン
ま よ う シ ー ン で始 ま る 。
朝 鮮 王朝 末 期 、 ヒ ロイ ン のチ エソ ンが チ マ
を 手 で つま み、 死 に そ う な 母 と 雪 の荒 野 を さ
てし ま う 。
統芸能 ﹃
バンソリ﹄の
の女性唄い手が誕生した
初 伝 朝
市 場 に作 ら れ た 簡 単 な舞 台 でチ エソンた ち
は バ ン ソリ を 唄 う そ れ はも と も と、 庶 民 の娯
5月 (395)
2016年
日本とョ鮮 (愛 知版)
78
朝鮮人物旗使輔輿 之図 1巻
二地剋晉 71な ユ哺ヨ三
江戸時代 19世 紀 縦352全 長6037
名古屋市蓬左文庫蔵
文化 8年
(1811)、
十 一 代将軍家斉襲職 を祝賀 して来 日した
通信使 の衣装・旗・興 な どを描 き、解説 を加 えた記録。 日本側
正使 を務 めた小倉藩主 ,小 笠原忠国の家臣、猪飼氏 が描いたも
のの写 しである。 この年 の通信使 は対馬 まで しか訪 れず、以後
通信使 の来 日は途絶 えた。 この絵巻 には楽人や軍官、小童 など
のほか、行列 の先頭 を切 って道 を清 める 「清道旗」、雲龍 を描
いた 「形名旗 」、国書や別幅 (贈 答 品)を 乗せ る 「龍亭」 な ど
も描 かれてい る。
1は
江戸時代 19世 紀 縦30,横 208 名古屋市蓬左文庫蔵
`主
文化 8年 (1811)の 通信使 を迎 え
るに当た り、 日本側 正使である小笠
原忠固の家臣、捨蜀氏 が饗応 のため
に七五三膳 の見本 を作 らせて描 き写
一通 り酒 を酌み交わす と引 き下 げ ら
れ、改めて本格的な食事が供 された。
73面 轟
峰菌菫徹昌旨静荀 1枚
こ の膳
ス
二だ号
■
ロ電剋
〒
江戸時代 1682年 (天 和 2年 )縦 440横 611
名古屋市蓬左文庫蔵
天和 2年 (1682)、 五代将軍綱吉 就任
を祝賀 して来 日 した朝鮮通信使 の三使
(正 使・ 冨
」
使・従事官)が 、尾張徳川家
の もてな しに感謝 して詠み継 いだ漢詩 を
記 したもの。封紙 の「中納言源公 閣下」
は尾張徳川家二代光友 を指す。三使 の朱
印 と姓名の上 にはそれぞれの号 が記 され
る。漢詩 は別 れを惜 しみなが ら名古屋城
(高 軒 )を 眺める心情 を詠 んだもので あ
ろ う。
も拳 1冊
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え られてお り、周到 に準備 が進 め られた ことがわかる。
‘ 呈 製 tす 嶽 日 ● グ 奮 一摯嗜ち 電
は町奉 行や国奉行 とともに藩 の朝鮮人御用懸 に任ぜ られ、通信
使 の対応 に当たった。通信使 の現在地 などの情報 が こまめに伝
千 癒 場 本 自 社を オ
尾張藩書物奉行 の松平秀雲 (君 山)が 、宝暦 14年 (明 和元年・
1764)に 来 日 した通信使 を名古屋 で 出迎 えた際の記録。君 山
難 ︵ ﹁ な る ホ 薇 一八 対 摯 〓 n 歪 ︵ ・ ス 五 ” 毛
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松平秀雲 (君 山)著 江戸 時代 17“ 年
縦 227横 162 名古屋市蓬左文庫蔵
索 夫 線 ”蛛 ■ か 人
看型せ 魃嘲電 フ1ス ト
外交記録・
込 んだもので、三使 をもてなす際 に
用 い られた。本膳 は儀礼用のもので、
機`
氷
名古屋市蓬左文庫蔵から 4件
したもの。七五三膳 とは本膳 に七菜、
二の膳 に五菜、三の膳 に三菜 を盛 り
。周
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【
協 力 =貫 井正之氏・千 田籠彦氏 ほか】
4
2016年 5月 (395)号
日本 と朝鮮 (愛 知版 )
② 間違 いだら け の集 団
舞台公演後、全員で記念撮影
(2015年 10月 「鳩岡の家」ホールで)
野崎
演劇は失敗の連続です。
械 的 な セ リ フ な ん か よ り 、 よ つぽ
芸 術 性 ば か り を 追 求 し 、 僕 の言
な ん て具 合 に な つた ら 、 演 劇 は や
う こと が いけ な い奴 は出 て行 け ! 一
るうち は、演劇 を続 け よう。
ど いい。 そんな稽古場 が作れ てい
稽古中 に何度も何度もデ ィスカ
ッシヨンして、全員 の合意 の元で
進んでいきます。演出が無理やり
め て し ま お う 、 と 思 って い る の で
す。
一つ 面 白 い 例 を 紹 介 し ま す ね !
僕 が夜 間高 校 に 通 つて いた 頃 、
国 語 の テ スト の答 案 用 紙 が 帰 つ て
き て、先 生と答 え合わ せし て いた
言葉をひねり出すときがあります。
その言葉は僕 が夜 を徹して書いた
を見 て先 生 に噛 み つい た ん です 。
な さ い ﹂、 み た い な 問 題 あ り ま す よ
ん です 。 よ く 国 語 の テ スト で、 ﹁
作
セリ フよりも生きていて輝 いてい
るんです。 そんなときは舞台をい
つたん止めて、
題、 ︵
私 の ︶ 答 え が × に な っと る け
ま つた。セリ フが違う﹂ぐらいで
しょう。他のメンバーに確認して、
それを台本に書き加えると いう こ
とを三ヶ月の稽古 の中で、何度も
繰り返します。
行させるために無理やり出した言
葉だから当然覚えていません。 ﹁
し
ん で る答 え で は な い、 って こと で
者 の気 持 ち で は な く て 、 先 生 の望
先 生 は 理 由 を答 え ま す 。 と こ ろ
こ れ を × に す る って こ と は さ 、 作
て言 われたから書 いたんだ けど 、
﹁で も さ 、 作 者 の 気 持 ち を 書 け っ
が 金 髪 の女 の 子 は 、
ど 、 何 で ?﹂
そのやり取りが新鮮で、僕 の機
﹁
先 生 、 こ の気 持 ち を 書 け っ て 間
の女 の 子 が い て 、 自 分 の答 案 用 紙
ね ? 僕 の ク ラ ス に 頭 の毛 が 金 髪
者 がど ん な 思 い で書 い た か、 答 え
﹁
今なんて言 つた?﹂
と聞くんですね。本人は芝居を進
セリ フが出てこないときに、出
演者が何とか舞台を続けようと、
絶えません! 高校生と大人が堂
々と意見を言 い合 っているのも魅
力の 一つです。
僕たち の稽古場はいつも笑 いが
押さえ つけるようなやり方はいけ
な いし、そういう集団は長持ちし
ません。
一座)
(労 働者1団 つぶれそう
5月 (395)号
。
、
金 髪 の女 の 子 の感 性 も 凄 い け ど
。
そ う だ よ な ァ﹂
﹁な る ほ ど な ∼ 、 言 わ れ て み れ ば
、
ま た 面 白 い 。先 生 は 怒 り も せ ず
子 です 。 そ れ か ら が
る か 、 漫 画ば か り 読 ん で いる男 の
。 い つも 寝 て
拍手 が起きました
分 あ る ん だ って ﹂。
ま い し 。 答 え だ って そ れ ぞ れ 人 数
。
な ん て、 無 理 や て 本 人 じ やあ る
﹁
だ い た い作 者 の気 持 ち を 考 え ろ
の子 は 続 け ま す
、
これ に は 普 段 授 業 に 関 心 のな
。
い生 徒 も 食 い つ い て き ま し た 女
し ょ?﹂
) 2016年
(愛 知版
日本と朝鮮
__0
あ の時期特有 のエネルギーがあり
ます。あまり知られていませんが、
思 考 な ど 気 を つけ な け れ ば と 思 い
。
る のだ ろ う と 思 って し ま い ま す
、
、
同 時 に 僕 た ち も 発 す る 言葉
け な いと 思 つ て いま す
し っか り 高 校 生 に 伝 え な け れ ば い
。
、
うcだ か ら 何 故 、 こ う 考 え た の か
ら、 少 な か らず 影 響 さ れ る で し よ
ま^キ 〓
,
僕 ら と 長 い時 間 を 共 有 し ま す か
高校演劇 にも甲子園のような大会
があり、勝ち上が っていくと全国
大会 に辿り着きますc多くの伸間
と同じ時間を共有し、意見がぶ つ
か ったり、挫折したり、淡 い恋に
落ちたり⋮⋮高校生しか味わえな
い貴重な経験です。
高校生は商業 ベー スに乗 った演
劇 や映画、笑 いにとても敏感 で、
い衝 突 も あ り ます 。 そ う いう所 を
一方 で 弱 い 所 も 全 部 見 せ
でも、
、
。
ち や って ま す お 金 が な い 1 か ら
、 工夫 し よ
何 で も 買 う ので は な く
、
、
う ︱と か 時 々 大 人 同 土 の小 さ
自分 の学校に真似事として取り入
れることが多 い。 ですから大人の
僕らが見ると、少し物足りなか っ
交通 費 が な い の で学 校 が終 わ る と
包 み隠 さず 、全 部 さ ら け 出 し て、
と ころが、僕たちと 一緒 に演劇
を創 ったことのある高校生たちは、
創作 の過程を大事 にし、決して商
何十 分 も か け て 、 自 転 車 で や って
たり、内容 の浅さを感じてしまう
業 ベー ス演劇 に惑わせられな いよ
業を終 え、部 活 をやり、 クタク タ
人 間 と し てお 付 き含 いし ても ら っ
うな演劇作りをしているようです。
全員が意見を出し合 い、互いの
意見を尊重する。意見が合わなく
間を楽 しもうと、高校 生 たちは い
続く︶
り ま せ ん 。 ︵
僕 たち労働者 は、 そんな高校 生
に な り な が ら 、 そ れ で も 稽 古 の空
に 乗 って 退 し く や って き ま す 。 授
来 る 子 も いま す 。 雨 の 日 も 自 転 車
、
高 校 生 の家 庭 の事 情 も 様 々 で
て います 。
中 で、年 に数 回汗をかくような素
敵な授業 になるときがあるという
ても見捨 てず、粘り強く寄り添 つ
て、同じ時間を共有しているよう
つも 笑 顔 で 来 て く れ ま す 。
ことが多々あります。
場面がありますが、僕はこのとき、
この瞬間が今までの人生で最高 の
授業だ ったような気がします。
です から自分 の考えよりも、出
なんですね。 それを楽しそうに報
演者 のほうが、良 いも のを持 って
るはずだ !と、 い つも思いながら
稽古をしています。
に ど れ だ け 元 気 を も ら つた か わ か
▽ ▽
高校演劇は出来映えはともかく、
一体 この子たちはど こまで伸び
告してくれる高校生たち の顔 が、
また素敵なんです!
凄い︱
学校﹄ の
山田洋次監督 の映画 ﹃
否定せず に受け入れる先生もまた
舞台 セッ トを片付ける高校生たち
(2015年 10月 「ひ らき座」倉庫で )
山 駅 で も ス ロー プ 板 を 持 って 、 駅
務 員 が 待 って い て く だ さ る。 あ り
が た い こと です 。 先 人 のお か げ で
ロー プ 板 を 用 意 し て く れ る 。 そ し
て到 着 駅 に も 知 ら せ てく れ る。 金
時 計 を 見 る。 集 会 の始 ま る時 刻
た。 急 い で家 を 出 る 。 し か し 、 私
の 足 が わ り は 最 高 時 速 6 mの シ ニ
k
ア ・カ ー 。 と も か く 最 寄 り の 名 鉄 須
ヶ 口 駅 へ。 地 下 鉄 へ の 乗 り 換 え に
は 、 名 駅 よ り 金 山 駅 の方 が 便 利 な
の で 、 ﹁金 山 駅 ま で ﹂ と 告 げ る 。 す
る と 駅 務 員 が 私 一人 の た め に 、 ス
ある テ ラ シ の小 さ な文 字 を見 ると 、
日 川 公 園 ・午 後 の 開 催 、 と あ る 。
も の よ う に 夜 の 集 会 ・デ モ と 思 い 込
ん で い た 。 ふ と 思 い つ い て 貼 って
3 ・1 9 ︵
集 会 ︶の チ ラ シ を 三 枚 も
貼 って い た に も か か わ ら ず 、 い つ
わたし
れ な い ︶ 矢 場 町 駅 で 降 り て 、 自
川 公 園 へ行 く と 集 会 が 終 わ っ て 公ア
げ ね ば な ら な い 。 ︵そ の 時 点 で 、 事
故 は 序 奏 が 始 ま って い た の か も し
金 山 駅 で降 り て 、 地 下 鉄 名 城 線
に 乗 り 換 え ると き、 降 り る駅 を告
す。
5月 (395)
2016
日本 と朝鮮 (愛 知版 )
0野
L′
S
堡
聾
猛
で暮
易 エ レ ベ ー タ ー で ﹁チ ヤ ン と
﹂い
け た こと も あ る か ら と 思 って 、
ボ
タ ンを押 す 。 乗 り 込む。
前 に も後 に も バ ー が降 り てく る。
ー の こ と か ﹂ と 危 惧 し つ つ行 く 。
ゃ っば り 的 中 、 し ば し 躊 躇 す る
も 、 デ モ の様 子 も 気 に な る し 、 簡
そ の 指 示 に 従 っ て 行 き つ つ、 ﹁
簡
易 エレ ベー タ ー と いう の は 、 以 前
閉 じ 込 め ら れ た、 あ の エレ ベー タ
奪
元 の部 署 に 戻 ろ う と し て い る と こ
ろ に声 を掛 け 。
る
﹁8 番 出 口 へ は ど う 行 け ば い い
で
。
、
す
か
と
す
と
﹂
る
﹁改 札 を 出 て 、 左 へ行 き 、 ま
た左
へ行 き 、 ち よ つ と 行 く と 簡 易 エ レ
場 が併 設 さ れ て い る。 女 性 の駅 務
員 が 、他 の 乗 客 に 説 明 し 終 わ っ て 、
モ に 移 って︶ い る 頃 だ と 思 った の
で、 ﹁
栄 駅 ま でお 願 いし ます 一
と
告げ る。
栄 駅 で 下 車 す る 。 西 南 改 札 へと
進 み 、 ﹁小 さ な 箱 ﹂ の エ レ ベ ー タ ー
で 昇 ると 改 札 口。 そ こは定 期 券 売
R・
力‐で
続/
階 段 分 を 上 り 下 り す る た め の エレ
ベ ー タ ー 、 上 に 昇 り き つた と こ ろ
で、後 を見 るとバーが、背 も たれ
と 杖 ホ ルダ ー の間 に あ る で はな い
か ! ど う し よ う 。
駅務 員 に知 ら せ る方 法 が エレ ベ
ー タ ー内 に あ る はず 、 と 思 い、 小
さ な プ レ ー ト を 一つ 一つ 読 ん で い
く と 、 それ ら し い のが何 と か あ つ
た 。 そ れ を 押 し て待 つ こと し ば し 、
名 城 線 の某 、 と い う ネ ー ムプ レ ー
ト を付けた駅務員 が現れ た。意外
にも 彼 曰く 、
﹁
貴 女 は 自 分 でボ タ ン を 押 し て 、
自 分 で 上 が って き た のだ か ら 、 自
己 責 任 で す よ 。 そ れ に シ エ ア ・カ ー
は 自 宅 の近 所 を 、 ち よ こち よ こ動
く た め の も の です よ ﹂
と 言 う の で あ る 。 シ エ ア ・カ ー に
は ﹁J R の 乗 車 も O K ﹁と い う シ
ー ル も 添 付 し てあ る。 私 は こ の人
と 話 し ても 前 向 き の話 に は な ら な
い と 思 って 、 そ う そ う に 切 り 上 げ
た 。 シ エ ア ・カ ー は そ れ で も 動 く こ
と は でき た の で、 と も か く地 上 へ
と 急 いだ 。
デ モ の隊 列 は 、 栄 芸 一
越 の前 を 右
折 し て、先頭 が小公 園に到着す る
︵の シ
と こ ろ で あ った 。 そ れ に 距 離 も 短
く な って 、 小 公 園 で流 れ 解 散 と の
。 デ モ の隊
列 が次 々到着 す
こ とだ
る の を 待 った 。
心は折 れ そうだ。借 り物
エ ア ・カ ー ︶ を こ ん な に 破 損 し て し
ま って 、 杖 は 三 つ に折 れ て し ま つ
た し 、 ただ し これ は自 弁 、 車 体 の
左 半分 は数 力所ボデ ィが欠損 して
し ま った し 、 今 日 は 土 曜 で 、 明 日
は 日曜、 明後 日は祭 日. 火曜にな
ら な い と 、 シ エ ア ・カ ー の こ と は 何
と も な ら な い。
デ モ行 進 の最 後 尾 の到 着 を 迎 え
た 後 、 地 下 鉄 東 山 線 に乗 る。 名 古
屋 駅 、 ス ロープ 板 でホ ー ム に降 り 、
いち ば ん 後 ろ に あ る エレ ベー タ ー
で 改 札 階 に 行 く 。 改 札 口 で ﹁駅 長
室 は ど こ です か﹂ と 尋 ね る。 若 い
待 ち 人 が い た の で、 しば ら く待 っ
て 駅 長 室 へ。 駅 長 さ ん に お 目 に か
か り た い旨 を伝 え た 。 じ き に 駅 長
栄 駅 で の簡 易 エレ ベー タ ー の こ
さ ん が 応 対 に出 て こら れ た 。
と と 、 駅 務 員 の応 対 に つ い て 述 べ
る。 住 所 、 氏 名 を 書 か さ れ る。 別
に 怒 り は な い の で駅 長 の求 め に 応
じ る。 駅 長 は 写真 を撮 って良 い か
と い い、 折 れ た 杖 とボ デ ィ の破 損
状 況 を 撮 り 、 私 も 一緒 に 入 っ て く
れ と 云 わ れ る の で 、 そ れ に も ﹁パ
、
。
イ オ ニア の務 め ﹂ か と 応 じ る
シ エ ア ・カ ー の こ と は 保 険 に 入 っ て
い るだ ろ う か ら と 云 わ れ る が 、 私
に は よ く 理 解 で き な い。
二 日 後 に 、名 古 屋 市 交 通 局 か ら 、
栄 駅 の駅 務 員 の応 対 の 悪 さ と あ の
簡 易 エレ ベー タ ー の改 修 計 画 が あ
る と い う こ と を 云 わ れ た の で 、 ﹁早
急 に お 願 い し ま す ﹂ と い って 、 電
話 を 切 った 。
8
ア メ リ カ と そ の追 随 勢 力 が 、 国
鮮
﹁
制 裁 決 議 ﹂第 2 2 7 0号 を 強
圧的 に採 択 し た のに続 き 、 そ れぞ
︻■ 集 者 ま え が き ︼ 本 家調評 ﹂ 欄 は
、 我が
国とは未
国 交 状 態 に あ る 朝 鮮 民 主 主義 人 民 共 和 国 の立場 や日
朝 関 係 を 含 む 諸 見 解 を 理 解 で き る よ う に 、 同 国 の対
ピ ョン ヤ ン ︶ か ら 日 朝 協 会 愛 知 県
外 文 化連 絡 協 会 ︵
連 ︵
名 古 屋 ︶ に 直 接 送 ら れ る 情 報 ・資 料 を 紹 介 す る
。
欄 です
裁決議﹂はその内容と適用手法 の
見地から見 ても国際法的に禁止さ
れた報復性を帯び ているゆえに、
公正さと適法性、道徳性 に欠けた
犯罪的文書に過ぎないのです。
アメリカは国連舞台 で共和国に
制裁決議﹂
反対す る不法無法 の ﹁
をで っちあげ たのも物足らず、そ
の隙間を埋めなければならな いと
言 い散らしながら追随勢力を引き
入れてわが共和国と関連 のある第
三国の企業 に対する制裁まで含め
た卑劣な単独制裁騒動を起 こして
よ りも た ら さ れ た危 険 な情 勢 に対
共 和 国 が ア メ リ カ の核 戦 争 脅 威 に
不法な反人倫的犯罪行為 でありま
該国 の開発権と生存権を蹂躙す る
している 一方的な制裁圧殺策動は、
主権国家 の体制転覆を追求し、当
アメリカがヒステリ ックに強行
います。
法的見地から照らして見 る時、 い
かなる場合 にも国連安全保障理事
制裁決議﹂ の対象になりえ
会の ﹁
、
処 し て 一九 九 二 年 二 月 核 拡 散 防
主権国家 の自衛権 に関する問題
もや は り 、 国 際 法 に よ って 付 与 さ
、
発生 さ せ た こと に よ り ど こ に も
止 条 約 ︵N P T ︶か ら の 脱 退 を 宣 布
を追求するために政治的 。経済的
全 に対す る犯罪に関す る法典﹂ の
第 2条9項には、ある国家 が自ら
の意思を強要しながら 一定 の利益
に強 行 し て いま す 。
敵 対勢 力 が問題視 し て いるわが
共 和 国 の水 爆 実 験 は 、 ア メ リ カ の
侵略 匈 な 対 朝 鮮 敵 視 政 策 と 加 増 す
共 和 国 が 行 った 衛 星 の 打 ち 上 げ
拘束 さ れ え ま せ ん 。
し 、 二 〇 〇 三 年 一月 に そ の 効 力 を
は ﹁
国家責任に関する協約﹂に明
記されたものとして、国際法的 に
も正当なも のと公認されており、
れた 宇 宙 開 発 の権 利 を 堂 々 と 行 使
ら 反共和 国制裁 圧殺策 動 を悪ら つ
国連も このような国際法的原則 に
基づ いて 一九六五年 の第 二〇回国
許せな い国家内
連総会 の時から ﹁
し た の で あ って絶 対 に 問 題 視 さ れ
る こと で は な い の で あ り ま す 。
制
国 連 安 全 保 障 理 事 会 の対 朝 鮮 ﹁
に対する犯罪になると明白に規定
強 圧措置を取り、他国の内政 に干
渉する行為は、人類 の平和と安全
政に対する干渉と独立と自主権守
cあ り ま す 。
わ が 共 和 国 の自 衛 的 措 置 は 国 際
護に関する宣言﹂を決議として採
択しています。
る核 脅 威 か ら 国 の 自 主 権 と 民 族 の
す。
一九五三年第六回国連国際法委
人類 の平和と安
員会 で作成した ﹁
ません。
、
わ が 共 和 国 の核 抑 止 力 強 化 は
【朝鮮民主主義人民共和国 ロ
ピョンヤン 2016年 4月 18日 発】
原文 日本語。タイトルも原文
のまま。
生存 権 を 守 る た め の 自 衛 的 な 措 置
れ 一方 的 な 制 裁 措 置 を 発 表 し な が
朝鮮 対外文化 連絡 協会
屈服させることはできない
いかなる﹁
制裁﹂も朝鮮人民を
節
連 安全保障 理事会 を盗用し て対朝
2016年 5月 (395)号
日本 と朝鮮 (愛 知版 )
リカは四六 カ国に 一二五回の 一方
的な制裁 を適用して国際社会から
非難を受け糾弾されました。
ている 一つの原則であり、 このよ 国 の合法的な自衛的措置を問題視
して反共和国 ﹁
制裁決議 一をで っ
ち上げた 二〇〇六年だけでもアメ
うな原則は 二〇〇 四年十 二月 二日
に採択された ﹁
国家とその財産 の
司法免除権 に関する国連協約﹂に
も明らかに反映されています。
しかしアメリカは久し い前から
【写真②】
建設 中の ニ ュー タ ウ ン「黎 明通 り」の鳥敵図
【2016.4.29 朝鮮 中央通信 =朝 鮮 通信 =朝 鮮 新報 】
されています。
また、侵略 の定義 に関す る 一九
二三年 のロンドン条約と 一九八四
侵
年の国連総会第二九国会議決議 ﹁
、
略に関する定義﹂にも 平和な時
期 に主権国家 に対する封鎖型 の制
裁は侵略行為、不法行為になると
規制されています。
主権国家 はいかなる場合 にも他
2016.1.22 朝鮮中央通信 =朝 鮮新報】
【
二〇〇七年 の国連総会第六 二回
自分 の気 に食わない国々の体制転
覆 のために国内立法権と司法権を 会議で、国連加盟国 の総意を反映
発展途上国に反対する
総発動して 一方的な制裁を無差別 して決議 ﹁
政治的 。経済的手段としての 一方
に適用してきました。
国連安全保障理事会がわが共和 的な経済的強 圧措置﹂を採択し、
ピョンヤン市 を流れる大同江の中州 「スク島」に
建設 された 「科学技術殿堂」。
国 の国内司法権 の対象となりえな
いと いう のは国際法的に公認され
5月 (395)
日本 と朝鮮 (愛 知版 )2016
一方的な制裁を国連憲章と国際法
に反す る不法な行為として断罪し
科弾した のはァメリカとその追随
勢力が取りすが っている制裁騒ぎ
。
の不法性を如実に証明しています
アメリカが何かの隙間を埋める
と言 いながら国連安全保障理事会
で最後まで通せなか った不法か つ
極悪非道な制裁項目を持ち回 って
いるのは、どうしてでもゎが共和
、
国 の首根を締め つけ 窒息させて
。
みようということであります
アメリカが国連も国際法も限中
になく、その上に君臨してわが共
和国を圧殺しようと横暴 に振る舞
つていますが、それは愚かな妄動
にすぎません。
わが人民には、敵対勢力 の策動
、
が日増しに悪辣にな っていくのは
われわれが前進しており勝利を収
めて いることに対するも っとも明
、
白な証明であるという信念があり
自分 の信念、自主権と正義を守り
抜く尽きせぬ力があります。
朝鮮労働党中央委員会 二〇 一三
年 二月全員会議 で核武力建設と経
済建設 の並進路線 が提示された以
降、去 る三年 の間、わが共和国は
強盛復興 の前兆を示す世紀的奇跡
を ハ スピードで創造してきまし できると いう確信をも って力強く
イ
前進している﹂と言 いながらわが
た。
南朝鮮と国際社会は、わが共和 共和国 の前途 に ついて楽観を示し
制裁﹂と圧 ています。
国があれだけ苛酷な ﹁
北は世界をび
南朝鮮 の言論も ﹁
迫 の中でも三年連続して経済成長
、
を成し遂げ、世界を驚かす画期的 っくりさせる変革をもたらし 経
な転変をもたらしていると驚嘆し 済建設と人民生活が確固と上昇期
に入 った﹂と評しながら今後、北
ています。
、
科学 の島 に 一変した スク島 ︻写 の姿はより 一新されるであろうし
鷹 ①参 照 ︼ を見て回 ったある外 特 に五月に行われる朝鮮労働党第
10
国人は、比較的規模が大き いと い 七回大会 で並進路線を土台にした
われる他国 の有名な科学技術館 が すば らし い設計図を示して国際社
三年で完 工されたのも奇跡 である 会を改めて驚かすであろうと いう
。
と評価されてきたのに、延 べ建坪 確信を表明しています
、
今、朝鮮人民は五月に開催され
一〇万六六〇〇余平方メートルで
規模 がはるかに大き い平壌 の科学 る朝鮮労働党第七日大会を勝利者
、
技術殿堂が 一年余りの間に雄壮か の大会 栄光 の大会として輝かす
つ立派 に建設された のは社会主義 ため の七〇日間戦闘を力強く繰り
文明国 へ突き進んでいる朝鮮 の建 広げながら自力自彊 の旗印 の下に
、
設速度 に対す るは っきりとした誇 尖端突破と人民経済 の近代化 国
5月 (395)号
示であると驚きを禁じ得ませんで 産化を実現す るための目標を次 々
と達成し、その成果を引き続き拡
した。
。
世界 の世論はアメリカと西欧 の 大しています
最近、金日成総合大学では、宇
制裁 の中 でも人民経済 のす べての
、
、
、
部門が揺るぎなく発展しているし、 宙論 物質設計 量子情報 ラ マ
﹁
か つて想像できなか った変化が ン分光学など いろいろな分野で未
、﹁
金正恩時代に入 っ 知数であ った世界的な未解明問題
起きている﹂
、
て北は強盛国家建設という自国の を解決し その研究結果を権威あ
目標が決して理想 ではなく、実現 る国際学術誌に連続発表しました
日本 と朝鮮 (愛 知版 )2016年
作る目標を立 てて知的製品生産基
し、世界的に誇れる朝鮮 のものを
導者を中心に軍民が 一心団結して
悪態を ついていた米政界 の人物た
ちすら ﹁
北朝鮮が国際的な制裁 の
中 でどう いうお金 で大規模施設を
建 てて、経済を活性化していくの
か訳が分 からない﹂と言 っていま
す。
いるがゆえに朝鮮 の強盛繁栄は時
間 の問題 であると評しています。
わが共和国 の並進路線 に ついて
地 で国産化された先端製品を生産
し、導入す るために取り組んで今
まで国産化された 一〇余種 の先端
知的製品と先端技術 を研究 ・導 入
する成果を収めました。
二 一世紀 の省 エネルギー型 の通
り、緑色型通りに建設されている
黎明通り ︻写嵐0参 照︼ は、敵
対勢力 の悪辣な制裁圧殺策動を打
ると誤判して ﹁
制裁網をさらにき
つく縮めなければならない﹂と騒
ぎ立 てていますが、それはわが共
南朝鮮当局が ﹁
疎かな対北制裁﹂
のため並進路線が効果を出してい
屈 の意志を誇示す るようになるで
あるでしょう。
和国の底知れな い威力 の源泉 に つ
いて知る術 の無 い愚か者 のたわご
とに過ぎません。
ち破 り、自力自彊 で冨強祖国をう
ち立てて行くわが軍隊と人民の不
今 日、多くの国 の政治、経済専
門家が世界で投資するのにも っと
も適合した国は他ならぬ朝鮮であ
アメリカとその追随勢力が反共
和国制裁策動を固執すればす るほ
エ
一五
”炒
朝
どわが共和国 の自彊力 のみ強くな
り、お のれ の悲惨な最期 を早める
だけであります。
ると いいながら、まだ足りな いも
のが少なくな いが政治、経済、軍
事、先端科学、地下資源、教育、
保健、社会文化などす べての分野
の土台がし っかりしているし、階
もっと知り一
∃
一
・
▼
﹂
つこ
縮
三
年
︶
こ
︵
一
¨
5月 (395)号
)2016年
(愛 知版
日本と朝鮮
11
(3)
鎮
由不
▲立
回 目 朝鮮労働党第七日大会 (上 )
以下、
朝鮮民主主義人民共和国 ︵
朝鮮︶は建国以来 の七十年間、米
国の社会主義 つぶしの標的 にされ
ています。
世界史上にな い長期 の制裁、軍
事的圧力、プ ロパガンダによ って、
常に国家 の生存をおびやかされな
がらも、
一歩 もひるまず社会主義
を前進させている希有な国です。
朝鮮は国連加盟国 一九〇余 のう
ち、
三ハ○余 の国と外交関係を持
っています。しかるに日本は朝鮮
と外交関係を未だに結んでいませ
ん。 これは異常としか云いようが
ありません。
隣国です。植民地支配した国で
す。国連加盟国です。アジアの平
和と安定、経済発展 のため の 一員
です。
米国 の対朝鮮政策に追従する余
り、自己の外交を展開しな いから
です。よ って隣国朝鮮 の事情 は米
国 の情報戦略 のふるいにかけられ
たものばかり流されます。
朝鮮労働党第七回大会を、日本
の新聞 ・TVは連 日報じました。
﹁
核保有と人民経済 の並進﹂に つ
いて、 これを非難し、核保有は国
内人民にしわ寄せであり、平和 の
脅威 である。よ って朝鮮経済 の展
望は無 いとの、従来から のプ ロパ
ガンダを繰り返しました。
【編集 部 か ら】連載途 中ですが、本稿 の差 しかえ によ り、「 (― )戦 後 の
新 しい東 アジア ∼第 二 話 」 は次 々号 に回 します。 ご了承 くだ さい。
■■三〓
〓i簿●舞■一
人民は生きる道 をもとめ紡往す る
当事者 の朝鮮は、金正恩第 一書 学者協会 の 一員として数次 にわた
時代精神と朝鮮 の国 り祖国を訪ねています。
記 の報告を ﹁
、
際的地位向上﹂と誇らしげ に受け
社会主義陣営 の崩壊 の時期 筆
止めています。
者 の見た朝鮮経済状況 の悪化はす
報告の総括部門ては、
さまじ いも のでした。国家計画委
△社会主義陣営 の崩壊と米国の 員会 の高官 の話でも、工場企業 の
、
朝鮮 つぶし戦略 の中、三六年間
生産量が4分 の1以下に落ち込ん
朝鮮社会主義を守りぬいた。
でいるとのことでした。
△ゆるぎな い社会主義思想 で 一
そ こ へ百年来 の大自然災害が追
心団結をなした強国、核威嚇 に立 い打ちをかけて、農業が大被害を
ち向かう軍事力を持ち、平和を守 こうむりました。プ ライド の高 い
りぬいた。
国が、 ついには国連 からの食糧支
△革命 の成果は領袖 の思想 の継 援を仰ぎ ました。筆者も日本 の友
承。
発展にある。
人 に呼び かけて、中国東北地方で
、
と、述 べています。
米 を買い付け、支援米を送り 代
議士と 一緒 に、配られた現地を見
てまわりました。
この非常事態に米国は大軍事演
習と核 の先制攻撃を、誰はば かる
ことなく公言しました。と ころが
領袖︶と人民
朝鮮 の最高指導者 ︵
はひるむ ことなく、準戦時態勢を
とり、抗 日パルチザ ンの範 になら
つて、﹃
苦難 の行軍﹄を開始しまし
た。
、
そし て先軍政治路線を宣し 反
社会主義原則を守
帝自主 の立場と″
り、米国 の軍事的威嚇 に、超強硬
な対応をしました。
﹃
現在世界 のいたると ころで戦
争 の惨禍が止まらず、多くの国 の
﹃
朝鮮労働党第六回大会以来 の
今 日までに至る期間は我が党 の歴
史上計り知れな い峻厳な闘争 の時
期でした。
﹄
社会主義各国の崩壊 により、帝
国主義者 の反社会主義攻勢は朝鮮
に集中的に向けられました。社会
終末 が言われ、朝
主義理念 の ﹃
﹄
路線変
体制崩壊﹄﹃
鮮社会主義 の ﹃
化﹄が取りざたされました。
この国家存亡 の危機にあたり、
軍事最優先︶
党は先軍政治路線 ︵
をとり、社会主義理念と制度を守
りぬきました。
この期間中、筆者 は在 日社会科
12
我が国を軍事的な強国に発展させ
たことです。
﹄
軍事強国とは、同志的に結合し
た人民の軍隊、核保有、民間武力、
軍事重視路線を内容とします。
﹃⋮我が国を世界的な核強国の
戦列 に登場させ、米帝 の血なまぐ
さ い侵略と核 の脅し の歴史に終止
符をう つ勝利をかちとりました。
﹄
▽ ▽
朝鮮の国防政策は自衛です。
その力 の源泉 は人民の自衛意識
で、侵略軍 の圧倒的軍事技術力に
対して、祖国を死守するとの政治
思想的優越性 です。自衛 のために
全人民 の武装化が進 められ、百万
の正規軍とその数倍 の民間兵力を
、
が 、 我 が 国 で は 去 る 数 十 年 の 間 、 会主義 の信念を持 つ人民は 党と
体となります。 これが社
戦 火 は 起 き ず 、 人 々 は い ま だ に く 領袖と 一
ら し は 必 ず し も 楽 で は な い が 、 戦 会主義を前進させる決定的な力と
。
争 を 知 ら な い 平 和 と 安 定 の く ら し なります 人民大衆 の自主性が実
現される社会 こそ社会主義社会と
を 手 に し て い ま す 。﹄
﹃これは他ならぬ先軍政治 のお なります。
﹃
総括期間、我が党は終始 一貫、
かげ であり、 ここに我が党 のなし
。
思想を基本 に つかみ、思想教養事
とげた熟舞の赤終があります。
﹄
、
筆 者 の 、 帰 国 し た 弟 家 族 の 顔 が 業 政治事業 を確固として先行さ
、
浮 か び ま す 。 今 は 亡 き 人 と な っ た せ全党員と人民を我が党 我が制
、
、
弟 嫁 が ﹁義 兄 さ ん 、 戦 争 が 起 き る 度 こそ第 一であり 我が事業 我
ん で し よ う か ? ﹂ と 尋 ね る 時 の 母 らが偉業 こそ第 一であると いう信
親 と し て の 顔 が 目 に や き つ い て い 念を持 つ革命間士たちをたくまし
く育成しました。﹄
﹃
総括期間 の特出たる成果は⋮
まだ核保有以前のころの話です。
ます。
▽ ▽
我 が党 と人民が社会主義建 設で
な し と げ た 誇 り あ る成 果 は 、
一心
団 結 の政 治 思 想 的 強 固 、 不 敗 の 軍
事 強 国 を立 ち 上げ た こと です 。
社 会 主 義 と は 生 産 手 段 の集 団 的
所 有 、 働 く者 が主 人 と な る社 会 。
搾 取 な き平等社会 です。朝 鮮式社
会 主 義 の 特 色 は 、 働 く 者 の革 命 化
に特 別 な 関 心 を持 ち ま し た 。
彼 等 の思 想 意 識 を た か め 、 不届
の革 命 闘 士 に な る こ と を 求 め ま す 。
す な わ ち 革 命 の前 進 は 社 会 制 度 の
中 心 の社 会 主 義 と も 呼 び ま す 。 社
変 革 も さ る こと な が ら 、 人 間 の変
革 、 人 民 ︵思 想 意 識 ︶ の 革 命 化 に
あ ると す る 思想 です 。 これ を 人 間
5月 (395)号
2016年
日本 と朝鮮 (愛 知版 )
その後 の企業訪間では、経済 の
回復状況、製鉄 工場 のドイ ツ人技
師、家具 工場 の中国人社長 の存在
を知りました。タイルエ場 では品
質 の工場を見ますが、支配人から
は ﹁
いまだ に国際競争 には十分で
な い﹂と の話を聞きました。イタ
リアと の合弁、 スイ スの風力発電
の技術等 々を知りました。政府 の
高官、大学教授たちからは計画経
済と市場経済 の問題、情報科学技
術の現状などの講義を聴きました。
グーグ ルのト ップがピ ョンヤ ン
︵
を訪問しています。
︶
︵
総括 の経済部門等 の内容に つ
いては、﹁
展望﹂部分のところで合
わせてふれるつもりです。
︶
総括では社会主義革命の偉業の、
継承の成果について述 べています。
﹃
総括期間、我が党と人民が主
体偉業遂行 でなしとげ た全 ての勝
利と成果 の根本的秘訣は,偉大な
金日成同志と金正日同志 を領袖に
を継承した所にあります。
﹄
革命偉業 の継承こそ勝利 の秘訣
としています。社会主義思想 に忠
実 であること。社会主義革命 の遂
行 にあた って,革命 の主人である
、
人民大衆 の自主性、意識性 創造
、
性を限りなく向上させ その組織
っ
い
嘲
蔽
赫
な
一
暴
罐
¨
確
軒
紅
紳
鋼
持ちました。 ︵
キ ューバ危機、ベト
ナム戦争以来︶
しかしながら、米国のイラク侵
攻以来、﹃
次は朝鮮だ! オオカミ
が森から出てくる前にヤ ツツケル﹄
と のブ ッシ ュ大統領 の、核 による
先制攻撃 の暴言を受けて、核保有
に進みました。
米国の軍事圧迫はすさまじいも
のです。半世紀にわたり、東海 ︵
日
本海︶で地上最大 の核攻撃軍事演
習を続けています。 ついに朝鮮は
核保有に踏みきりました。
﹃
我が人民は強力な国防力、戦
争抑制力 の保護をうけて、命に対
する心配をなくし、必勝 の信念 に
あふれて、社会主義 の建設 へと邁
進しています。
﹄
総括ではまた、経済、文化、教
育等 に ついて、長期 にわたる経済
のマイナ ス成長をプ ラス成長に転
じさせたことを述 べています。
筆者は十 二年前、ピ ョンヤ ンの
ホテルの窓からは、暗 い開に包ま
れた市街が見えました。
学校参観 では教師たちから、校
舎 の脇を流れる川水を利用した発
電 の苦労話を知りました。訪間を
重ねる中で、配給制度 のゆらぎと
個人市場 の出現を見ました。農家
による農産物と肉、中国製品など
を見ました。
00
2016年 5月 (395)号
化 を 党 中 央 と 領 袖 に かぎ り な く 集
中 さ せ る こと 、 朝 鮮 式 社 会 主 義 の
朝鮮 労働党 は結党 以来 から, ソ
秘 訣 です 。
︵ウ リ 式 ︶ 社 会 主 義 を 貫 い て
連 流 で も中 国流 でも な い独 特 な 朝
鮮式
、
き ま し た 。社 会 主 義 の原 則 を 守 り
朝 鮮 革 命 の条 件 に 則 し て , 朝 鮮 革
命 の主 体 を確 立 し ま す。 こ の思想
的 業 績 は 、 抗 日十 五 年 の民 族 解 放
戦争 と民主革 命、社会 主義革命 を
その創始者 を朝鮮社会主義は領
袖としていただき、領袖 の思想 の
下 に革命 を前進させました。 これ
を革命偉業 の継承と呼び,朝鮮式
社会主義の特色の秘訣となります。
以上、総括 の要点を記しました
が、一
量ハ年ぶりの党大会 は朝鮮式
社会主義 の特色と生命力を示しま
した。
次回 ︵
下︶では、﹃
課題部門﹄に
経済と核の並進﹂等につ
ついて、 ﹁
いて述 べたいと思います。
みゆき まなぶ
導 く チ ュチ ェ思 想 と さ れ ま す 。
、
卜に皮肉と共に知らしめたのに
、
思わず手を打ち 膝を打 ったのも
私だけなのかな?
今 回の朝鮮労働党大会 のあらま
しにお いて、共和国 の将来 に希望
、
を強く感じている私 ですが 表題
、
にありますょうに 東アジアの安
、
定と平和 そして半島統 一を 輝く
、
太陽 のもとで 成し遂げ るように
。
重ねて期待 いたします
強奪、侵略、屈辱ゝ抵抗から百有
余年、その間に自主独立を確立して
なお、迪り着くことができるか、安定
と平和そして半島統 一
先 日の朝鮮労働党大会 にお いて
のマスコミ、ジ ャーナリスト ヘの
対応を、大変愉快におも ったのは
私だけかもしれませんが、普段、
多くの報道が、
一方 の側から の立
場にのみに偏 つた報道 のように感
じている個人として、痛快でいて、
主役が誰で、そして何であるのか、
ま ったくも つて強烈 に、は つきり
と、各国 マスコミ、ジ ャーナリ ス
日本 と朝鮮 (愛 知版 )
混声含唱組曲『悪魔の飽食』第27回 全国縦断コンサート〈
池週晋一部〉
指揮。
あいち7Ak演 (2017年 6月 25日 :予 定)に むけての学習会のご案内
『T夢 鵞鰊 躙 鹸顆滲臨鬱
講 師 :松 村 高 夫 さん 養應義塾大学名誉教授
と き:2016年
6月 9日 (本 )18:30∼ 20:40
ところ :イ ー ブ ル な ご や
(1日
女 性 会 館 )視 聴 覚 室
J
『悪魔の飽食』
主催:混 声合唱組曲
第27回 全国縦断コンサート
あいち公演準備会
参加費:¥500
‐ へ
礎 下鉄名城線東11院 下車1番 出口を出は 掟歩3分
'
″
●呼びかけ● 平和憲法 の下で、 “平和、人権、くらし を守るか、それ とも安倍内閣の暴走を許すか、
を大き〈左右す る参議院選挙が間近に追つてきました。ところで、暴走・ 暴言 を続ける安倍内閣の根底に、
卑実 を平然 と改ざんする悪辣極 まりない 「歴史修正主義」があ ります。私たちは、 日本 の侵略戦争 と植
民地支配の被害 に対する戦後 補償 と謝罪 を求めて活動を続 けて い る市民 として、この 「歴史修正主義」
の本質を見抜 き、克服する眼力・ 知 力が私たち市民に求め られていることを痛感 して い ます。その こと
は、戦争法 を廃上 し、 平和憲法 を守 り、東アジア平和共同体 を築 いてい くうえでも不可欠な課題だ と思
い ます。私たちは3月 以来、集 まり知恵 を絞 つて きましたが、「絞 りきった」結果 、 “芸術 をとお して歴
″
史 の真実 を学ぼ う と本公演 に辿 り着きました。
そのためには、まず 「731部 隊 とは何か 」を学ぼ うとい うことな り、以下の企画 をしました。講師の松
村高夫 さんは、731部 隊研究 の第 一 人者です。きっと目の覚めるよ うな 「歴史 の真実」に出会 うことで し
よう。ぜひご参加下 さい。
◆公演準備会加盟 団体 =名 古屋青年合唱団/名 古屋三菱・ 朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会 /愛 知 。大府飛行
場中国人強制連行被害者を支援 する会 /旧 日本軍による性的被 害女性を支える会 /河 村市長『南京虐殺否定」発言を
撤回させる会 /く ノーモア南京 >名 古屋の会 /日 中友好協会愛知県連合会 (2016年 5月 12日 現在 )
伊藤…郎
(朝 鮮文化を知る会)
(画 面から)
「月尾島」の英雄たち
■■
日本と朝鮮 (愛 知版) 2016年 5月 (395)号
__
動
1980年
代に確立した政治思想がテいマ
朝鮮戦線1米 軍作戦への反抗が主題に
(1[0 11)
三 (1984)
朝鮮映画「月尾島 可
制作 :朝 鮮2.8芸 術映画撮影所
演出:チ ョ'ギ ョンスンにを→
)」
(習
共和国し
以 下 、﹁
主主義 人民共和国 ︵
た 月 尾 島 で の戦 いを 描 い た 朝 鮮 民
国連︶軍の作戦] の 頃 に 発 生 し
月、米 ︵
二 ] の仁 川 上 陸 作 戦 [一九五〇年九
ヽ
共和国で朝鮮戦争 の
祖 国解 放戦 争 [
・2 6 児 童 映 画 撮 影 所 な ど が あ る 。
朝鮮 記録科学 映画撮 影所、 朝鮮 4
のほか に、朝鮮 芸術 映画撮 影 所、
共和国 におけ る映画撮 影 所 は こ
。
相鋼魁ー
フ ︶﹂ も 制 作 さ れ て い る
朝 鮮 2 ・8 芸 術 映 画 撮 影 所 で 制
鮮 戦 争 後 は 韓 国 の仁 川 広 域 市 中 区
映 画 の舞 台 と な る 月 尾 島 は 、 朝
▽ ▽
作 さ れ た 。 映 画 を 制 作 し た 2 ・8
の映 画 。
芸 術 映 画 撮 影 所 は 、 も と も と 一九
は 島 と 陸 地 の間 が 埋 め 立 て ら れ た 。
島 の形 状 が 半 月 の尾 ひ れ のよ う だ
、現在
に 属 し て い る 島 で あ った が
一九 七
画撮 影 所 ﹂ と し て発足 し、
と いう こ と か ら 、 こ の 名 付 け ら れ
五 人 九 年 に ﹁朝 鮮 人 民 軍 2 ,8 映
〇 年 一月 に ﹁2 ・8芸 術 映 画 撮 影
た。
一九 五 〇 年 に ア メ リ カ 帝 国 主 義
一九 九 五 年 一〇
所 ﹂ に改 称 し た 。
月 に ﹁朝 鮮 人 民 軍 4 ・2 5 芸 術 映
川 への 玄 関 口 と い う べ き 重 要 な 軍
画撮 影 所 ﹂ に改 称 し 、現在 に 至 る 。
あ り、 俳優 や 監督 な ど は人民 軍 の
事 要 衝 地 で あ った 。 月 尾 島 の 戦 闘
を展開 したが、当時、 月尾島 は仁
所 属 と な る 。 朝 鮮 人 民 軍 2 ・8 映
に つい て は 金 日成 著 作 集 第 十 二巻
侵 略 軍 は仁 川 に大 規 模 な 上 陸 作 戦
画 撮 影 所 の 頃 は 、 主 に 軍 事 。戦 争
朝 鮮 人 民 軍 総 政 治 局 の管 轄 下 に
映 画 の製 作 を 行 った が 、 ﹁2 ・8 芸
関 連 映 画 だ け でな く 、 革 命 伝 統 と
で は こ の主 人 公 が 最 も 感 動 的 に描
。
兵 中 隊 中 隊 長 の り ・テ ウ ン 映 画
映 画 の主 人 公 は 、 朝 鮮 人 民 軍 砲
に も 言 及 さ れ て いる 。
階 級教 養 を主 題 に した芸術 映 画 も
か れ 、 映 画 が追 及 し て いる思 想 的
術 映 画撮 影 所 ﹂ に改 称 後 は、 軍 隊
製 作 し た。
2 ・8 芸 術 映 画 撮 影 所 は 一九 人
であ り 、 祖 国 に命 を 棒 げ る の は、
テ ー マ ﹁祖 国 は ま さ に 金 自 成 将 軍
将 軍 に命 を 棒 げ る こと だ ﹂ を 典 型
四年 に、 金 日成 勲 章 を 受 賞 し て い
る 。 2 ・8 芸 術 映 画 撮 影 所 の 後 進
。
的 に 表 現 し て いる
き た ば か り の 十 七 歳 の パ ク ・ヨ ン
映 画 の前 半 に 専 門 学 校 を 終 え て
の 朝 鮮 人 民 軍 4 ・2 5 芸 術 映 画 撮
影 所 で は 、 カ ン ヌ映 画 祭 に 出 品 さ
せ ﹁■
れた ﹁
あ る女 学 生 の 日記 ︵
オ クが 通 信 兵 と し て参 加 す る。 ス
五 日ま で二 日間 遅 延 さ せろ ﹂ と の
命令 を受 けた砲兵中隊 が、 小さな
ト ー リ ー は 、米 軍 の 上 陸 作 戦 を ﹁
十
5月 (395)号
下ろさ れた瞬間、 彼 ら の死闘 が始
ウ ン の、 砲 撃 を 指 示 す る 旗 が 振 り
島 を 守 り 抜 く 内 容 で あ る 。 り ・テ
) 2016年
蹟司 ご を 抒 情 的 に 歌 う 場 面 が あ る。
オ ク が ﹁私 は 知 っ て い る ︵
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映 画 で は 、 通 信 兵 の パ ク ・ヨ ン
言 い 残 し て こ の世 を 去 る 。
防 衛 す る こと 心 情 で島 を 守 れ 一 と
と は す な わ ち 将 軍 ﹂ と し ﹁将 軍 を
夜 、 中 隊 を 訪 れ た 大 隊 長 は ﹁祖 国
遅 延 さ せ な け れ ば な ら な い。 そ の
あ と 二 日 、 米 軍 の仁 川 上 陸 作 戦 を
こ の 状 況 の な か で り 。テ ウ ン は 、
一日 で 中 隊 の 半 数 は 戦 闘 で 倒 れ る 。
文 字 通 り 死 闘 のな か で、 最 初 の
ま る。
(愛 知版
日本と朝鮮
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『私は知つている』楽譜
中 隊 の兵 士 た ち は 歌 を 聴 き な が
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を金 正 日総 書 記 が 体 系 化 し た と い
金 日成 主 席 が 創 始 し た 主 体 思 想
った 。
ら ず 、 米 軍 は 月 尾 島 に上 陸 を は じ
撃 を 行 う 。 決 死 の抵 抗 に も か か わ
め る 。 そ し て り ・テ ゥ ン の そ ば に
え る 。 映 画 が 制 作 さ れ た 一九 人 三
主 体 思 想 討 論 会 に送 ら れ た 論 文 ﹂
年 に 金 正 日 総 書 記 は ﹁偉 大 な 首 領
は 二 人 の兵 士 し か 残 って いな か っ
のな か で主 体 思 想 に つ い て総 合 的
金 日成 同 志 誕 生 七 〇 周 年 記 念 全 国
い、
ついに は 三 日間
た 。 最 後 に は 一つ の 大 砲 の み で 最
国 主 義 侵 略 軍 の 島 への 上 陸 を 阻 止
に 解 説 し 、 イ デ オ ロギ ー の 解 釈 を
後 の 一 人 の兵 士 が 決 死 の戦 闘 を 行
、 ア メ リ カ帝
し た 。 映 画 で は 手 り ゅう 弾 の塊 を
、 マ ル ク ス ・レ
示 し た。 そ の ほ か
想 と の関 係 を 述 べた 論 文 も 発 表 さ
、主体思
ー ニ ン主 義 に 対 す る 評 価
、
抱 い て肉 弾 攻 撃 を 行 う 兵 士 も お り
。
ま さ に 死 闘 で あ った
ンオ ク も 二 日 目 の 闘 い で戦 死 す る。
期 に 思 い を は せ る 。 そ の パ ク ・ヨ
たせた歌謡
楽 形 象 を 通 じ て形 象 的 に 深 み を 持
に 対 す る 崇 高 な 志 を 特 色 のあ る音
■ ヒせ餓 司
て いる ︵
べ て の力 を 戦 争 勝 利 のた め に ﹂ と
す
金 日 成 主 席 は 一九 五 〇 年 六 月 に ﹁
朝
共 和 国 に お い ては祖 国 解 放 戦 争 ︵
。
鮮 戦争 ︶ 勝 利 三 〇周 年 にあ た る
映 画 が 公 開 さ れ た 一九 人 三 年 は
れ る。
パ ク ・ヨ ン オ ク ら の 死 闘 に よ り 、
れ 、 朝 鮮 の豊 か な 大 地 と 祖 国 愛 を
映 画 の 主 題 歌 で あ る ﹁私 は 知 っ
︶﹂ は 、 祖 国
二 日 目 は大 き な 戦 果 を 挙げ た。 中
歌 っ て い る 。 パ ク ・ョ ン オ ク の 死
。 二 つ の楽 章 で 構 成 さ
隊 の花 と し て愛 さ れ て いた パ ク ・
パ ク ・ヨ ン オ ク を 拉 致 し よ う と す
映 画 で は 月 尾 島 に偵 察 に来 た 米
兵 が 登 場 す る。 十 七 才 の通 信 兵 、
心 を 呼 び起 こし た。
六 回 党 大 会 か ら 二年 後 の こと であ
は、
一九 人 〇 年 の 朝 鮮 労 働 党 の 第
こ の 映 画 が 製 作 さ れ た 一九 人 三 年
の場 面 で も こ の曲 が 流 れ る
祖 国 解 放 戦 争 の勝 利 の た め に さ さ
主 席 の呼 び か け に応 え てす べ てを
。
る が 、 パ ク ・ヨ ン オ ク に 返 り 討 ち
つた 。 大 会 の 中 央 委 員 会 総 括 報 告
会 の主 体 思 想 化 ﹂ が 公式 で示 さ れ
た 。 指 導 者 と し て、 金 正 日総 書 記
*[
]=編集者注
︵
喘■4祖暑せ祥 二〇〇 一︶
﹃朝鮮 画報﹄ 一九人三年 四月号
﹃朝鮮 画報﹄ 一九人 三年七 月号
圏 産 皇 エ ロ一
≧戯 [
横 書 き です コ
︻参 考 文 献 ︼
げ た 戦 士 た ち で あ つた 。
こ の映 画 の登 場 人 物 は ま さ に こ の
にあ う。 捕 虜 と し てと ら え ら れ 、
で は 、 金 正 日 総 書 記 が 一九 七 〇 年
そ の状 況 のな か で機 雷 兵 は 機 雷
が 確 固 た る 位 置 を 占 め た 時 期 であ
▽ ▽
遺 書 を 残 し て息 絶 え る。 十 五 日 の
代 前 半 か ら 打 ち 出 し て き た ﹁全 社
を 押 し な が ら 敵 艦 へ体 当 た り の 攻
中 隊 は 壊 滅 の危 機 ま で さ ら さ れ る 。
前 日 十 四 日 の 時 点 で り ・テ ウ ン の
題 し た 放 送 演 説 を 行 って い るが 、
ヨ ンオ ク の 死 は 、 兵 士 た ち に 復 讐
成 将 軍 の 懐 の も と で 幸 福 だ った 時
ら 故 郷 に 対 す る 思 い、 そ し て金 日
2=4与