人文系の問いを 理科系の手法で探る

●視点・インタビュー
●インタビュー 東京大学大学院 教授
かめだたつや● 1960 年、東京都生まれ。専門は行動科学。1982 年、東京大学
文学部社会心理学科卒業。1984 年、同大学院社会学研究科社会心理学修士課程
修了。1989 年、イリノイ大学大学院心理学研究科博士課程修了(Ph.D.)。現在、
東京大学大学院人文社会系研究科社会心理学研究室教授。
亀田 「共感性」についてです。
共感性は複雑で多層な現象です。
原始的なレベルでは、ある人が
に こ っ と す る と、 他 の 人 も に
こっとする、表情の模倣現象が
あります。同じように、我々の
脳のなかには、他の人の行動を
鏡的に映してしまうミラー
ニューロンという仕組みがある
とされています。もう一つ上の
レベルになると、
ある個体が
「痛
い」と感じると、
他の個体も「痛
い」と反応するという情動伝染
があります。これらは他の動物
種にもあります。
しかし、もっと上のレベルに
なると、遠くで苦しんでいるア
フリカの人たちやシリアの人た
ちに共感するというものがあり
国立大の人文社会系学部の見
直しが波紋を呼んでいるが、人
文社会系学問のなかでも、理系
との融合で新しい展開を見せる
研究者がいる。東大の亀田達也
教授だ。社会心理学という枠を
越え、人間の社会行動に関する
問いを隣接領域の先端研究者と
のコラボレーションで紐解いて
いく。そのユニークな研究内容
とともに、人文社会系学問の可
能性についてうかがった。
人間の社会行動は
合理性を持っている
も、 ど ん な 観 点 か ら 研 究 さ れ て い
先生は、社会心理学のなかで
るのでしょうか?
亀田 僕はもともと人間の社会
行動に興味があるんですが、必
ずしも社会心理学という一つの
ディシプリンのなかで研究して
いるのではありません。文系・
理系の枠にも関係しますが、人
間の社会行動はとても複雑な現
象で、それを理解するには一つ
のディシプリンだけで見るには
到底無理があるからです。僕の
専門分野としては、社会心理学
3つ目はどのような研究でし
亀田 集団の知恵である「集合
知」に関心があります。シンプ
ルな例で言うと、素人の勝手な
判断をただ単純に統計的に平均
ょうか?
る、このような心理傾向を持つ、 ます。これはミラーニューロン
とします。
「~である」から「~
という動作系や情動伝染では無
べき」は導けないというのが基
理で、もう少し想像力を働かせ
本的な議論ですが、人間が生き、 ないといけません。
社会を作る上で、この2つは切
この高次の共感現象は、人間
れてはいけない。つなげる作業
にかなりユニークなものである
をきちんと考えることが必要で
はずです。実は、それはロール
はないかと考えています。
ズに近い話で、人文系の倫理や
2つ目はどのような研究でし
哲学が考えてきたような共感性
ょうか?
のあり方ではないでしょうか。
だ と し た ら、 我 々 が 共 感 と
いっているいくつものシステム
が ど の よ う な 形 で 動 い て い て、
相互作用するのかということを
知るのが大事なことです。
そこで、他の人の痛みを見た
ときにどのような情動が動くの
か、自律神経系反応や視線、脳
活動、情報探索行動などいろい
ろな指標を取ることで、いくつ
ものレベルの共感性の質や量を
調べ、人間の共感性の仕組みを
探るということをやっています。
亀田達也
というより「行動科学」と言っ
富の分配の仕方が社会的に正義
たほうがいいでしょう。
といえるのか」ということを哲
普通の社会心理学の発想では、 学的な思考実験から考えていき
「人間の社会行動にはいろいろ
ました。それによると、人々は
な問題がある」と考えることが
格差が大きい社会よりも最低限
多いですが、多くの生物の行動
の生活を保証する社会を選ぶと
が そ う で あ る よ う に、「 人 間 の
推論され、それが社会正義にか
社会行動というのは、適応的で
なっていると結論付けました。
合理性を持っている」という観
これは1970年代に出た話
点から僕は考えたいと思ってい
なんですが、本当に人々はその
ます。これを「進化・適応のメ
ように考えるのかを調べてみま
タ理論」と呼んでいます。
した。行動的な選択実験を行っ
具体的にはどのような研究を
て、その間に視線計測やMRI
されていますか?
を用いた脳画像計測などを行い
ます。その結果、ロールズの主
張はあながち嘘ではなく、人々
は イ デ オ ロ ギ ー の 差 を 越 え て、
最低限の生活を保証する社会を
望んでいる、あるいは、少なく
とも気にかけていることが分
かったのです。
亀田 倫理学や哲学は「~べき」
の学問です。人間はこう生きる
べき、社会はこう構成されるべ
き、と言います。それに対して
心理学は「~である」の学問で
す。人間はこのような行動をす
のでしょうか?
この結果は何を意味している
亀田 3つほど焦点をあててい
ま す が、 ま ず 1 つ 目 は「 正 義 」
の話です。
例えば、アメリカ大統領予備
選でサンダースが人々の共感を
呼んだ発言に「格差」の問題が
ありますが、我々はどうも格差
がある状態は正しくないという
気持ちを持っています。
実 は 格 差 の 問 題 は、「 富 の 分
配の正義」という倫理学や社会
哲学の中心的な問題です。これ
については、ハーバード大学の
ジ ョ ン・ ロ ー ル ズ の「 正 義 論 」
が有名です。彼は「どのような
まれないのか。かつ、どのよう
な条件がそろうと集団の知恵は
生まれるのか。集団の知恵のア
ルゴリズムを探るということを
やっています。
数 理 モ デ ル や コ ン ピ ュ ー タ・
シミュレーションを使って調べ
るほか、ヒトとアリとの比較実
験 を 行 い ま す。 こ の 実 験 で は、
ヒトよりもアリのほうが環境の
変化に集団として対応できるこ
とがわかってきています。ヒト
は他の行動を気にするレベルが
強く、空気を読む。このことが
環境の変化への対応を遅らせる
してあげたほうが、エキスパー
トの判断よりも良くなるという
現象です。例えば、ダーウィン
の従兄であるゴルトンという学
者の研究があります。牡牛の体
重当てコンテストで、全ての素
人の判断の平均値を出すと、ほ
とんどピンポイントで正解に近
く、牛を扱う専門業者よりも良
かったというものがあります。
このように、人々が相互作用
するなかで集団の知恵が生まれ
る場合もあれば、生まれない場
合もあります。では、どんな場
合に生まれて、どんな場合に生
2016 / 5 学研・進学情報 -2-
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人文系の問いを
理科系の手法で探る
●視点・インタビュー
場合があるんですね。
人文系は役立つ?
位相が変わると変わる
るのでしょうか?
なぜこれらのことを調べてい
亀田 どのテーマも、もともと
は人文社会系の学問だと思いま
す。僕は文学部にいるので、人
文学が数千年の歴史のなかで積
み重ねてきた知恵を、意思決定
科学や脳科学、経済学などの知
識を使って、いかに知恵と知識
をつなげるかということをやっ
ています。人文系の問いを理系
的な手法でアプローチするとい
うことになりますが、僕自身が
理系のテクニックを使うことは
ありません。そうした研究者た
ちとコラボレーションするとい
うことになります。
コラボレーションで大事なこ
とはありますか?
亀田 自分のやっていることを
相手の視点から見ることです。
僕自身は、人文社会系の問い
を理科系の研究者の知識を使っ
て や り た い と 思 っ て い ま す が、
それは彼らの目から見たらメ
とだと思います。
人文社会系を残すには、新し
い人文社会分野を作るという気概
も大切でしょうか。
亀田 文学部の学問は大きく分
けると、哲学・史学・文学・行
動科学になりますが、やはり大
本流は「哲史文」だと思います。
行動科学は新しくできた「鬼っ
子」のようなもので、でもだか
らこそ哲史文の本流に対して恐
れずにいろいろなことが言える
のだと思います。
ただ、哲史文の研究者が偉い
と思うのは、「これまでつながっ
てきた伝統をいかに次世代につ
ないでいくかが大事なんだ」と
言 っ て い る こ と で す。 確 か に、
そのような意味もあると思いま
す。
いろいろな立場があり得るわ
けですが、やるべきことは、そ
れ ぞ れ の 分 野 で、
「なぜこれが
大事なのか」を真剣にアピール
することだと思います。ただそ
の と き、
「いまのマーケットに
役立つか」ということは決して
言う必要はありません。
リットがありません。
ですから、彼らの立場に立っ
て自分の研究を再解釈し、彼ら
の知りたい問題として戻すとい
うことをきちんとやらないとい
けないと思っています。
そこまでできてはじめて「文
理融合」と言えると思います。
人文社会系の見直しの動きを
どのように見ていますか?
役立たない学問はいらないと
亀田 人文系ピンチと言われて
いますが、ピンチはチャンスだ
と思っています。イギリスなど
世界の多くの大学で文系の学問
がクローズされてきている印象
がありますが、日本はまだ良い
ほうで、人文学は批判されるけ
れど捨てられない状態ですから、
チャンスだと思います。
僕は比較的恵まれていて、文
科省や日本学術振興会から、人
文社会系のカッティング・エッ
ジの学問として選ばれてサポー
トを受けています。ある意味責
任のある立場で、一つのモデル
ケースを作っているということ
だと思います。
い う 議 論 が あ り ま す が、 役 立 つ 学
環境変動に対応できる
バッファを持つ
就職を見据えた指導をすることに
高校の進路指導で、4年後の
ついてどう思いますか?
亀田 企業からの視点で考える
と、全て同じタイプの人間ばか
り採用したらどうなるのかとい
う問題があります。生物の適応
の話で、ローカル・マキシマム
という考え方があって、いろい
ろな適応をしていく際に、局所
的に一番いいところでやってし
まうと、少し環境が変わっただ
けで、あっという間に死んでし
まうということがあります。
そう考えると、環境変動に対
して内部的に対応できるバッ
ファのようなものを持っていな
いと危ういと思います。
多様化した高校生をどう導い
てあげればいいでしょうか。
亀田 生物の適応で普通に考え
たら、就職に合わせて平均的な
ところで染まっていくと思いま
すが、問題は、適応というのは
ど こ が 生 存 す る か「 ば ら つ き 」
があるということです。環境の
問 し か な く な る と、 一 面 的 な 考 え
方しかできなくなる危険性はない
でしょうか?
亀田 適応の話に戻して考えて
みると、例えば、純度の高い脂
肪と糖が含まれるチョコレート
は、進化時間で考えたら食べた
ほうが有利ですが、歴史文化時
間で考えたら、日本のような栄
養の高いリッチな社会ではあま
り食べないほうがいいとされま
す。一方、ハイキングで遭難し
かかったときには食べたほうが
いいですよね。
つまり、同じターゲットに対
す る 合 理 的 な 行 動 と い う の は、
時間のレベルが違うと変わって
しまうということです。
文学部の学問は、実時間で考
えたら役立たないと言われるか
もしれないけれど、歴史文化時
間や進化時間で考えたら役立つ
かもしれないということです。
社 会 に お け る 大 学 の 役 割 は、
いまここの問題を解くというこ
ともあるけれど、もう少し長尺
で、人類史レベルや日本の歴史
レベルで見る位相もあるはずで
す。全て一つの時間軸だけで見
てしまうのは、とても危ういこ
変 化 は 予 測 で き な い で す か ら、 ようなものです。もともと理科
系志望だったのが文転して、外
事前にそのばらつきをどう組み
交官、弁護士、ユング派臨床家
込むのかは読めません。基本的
などと目標が変わり、心理学を
には平均になるのは間違ってい
はじめました。心理学のなかで
ないと思いますが、平均だけで
も消去法で社会心理を選びまし
はないので、この「だけではな
たが、入ってすぐに後悔しまし
い」をどこまで読み切れるのか
がある意味、才覚だと思います。 た。僕はその後悔を一生かけて
いまの東大生の様子はどのよ
直しているんだと思います。
うに映っていますか?
ある程度、やり直しはききま
亀田 やはり潜在力は高いです
す。進路は狭く決めないほうが
が、平均的なレベルでどう勝負
いいでしょうね。大学の制度が
するかに懸けてきた学生たちで
ゆるやかならば、自己検閲や自
すから、冒険しない学生が多い
主規制をあまりかけないで、欲
で す。 な の で「 リ ス ク を 取 れ 」 望に忠実なほうがいいと思いま
とは言っています。ただ、何も
す。その時点でやりたいことを
バッファがなくリスクを取るの
やったほうがいいでしょう。
は無謀です。リスクヘッジしな
た だ、「 自 分 探 し 」 は 勧 め ま
がらリスクを取ることが基本に
せん。どうしてかというと、若
なります。これはある程度、教
いときは、自分のなかに回答を
育でなんとかなると思います。
求めても回答なんてあるわけが
日 本 で は「 リ ス ク は 取 る な 」 ないからです。知識や経験が限
ということが多い気がしますが、 られているから、自分が何を知
リスクヘッジしながらリスクを
りたいかなんてわからないと思
取るという訓練をしたほうがい
います。だとしたら、外に出た
いと思います。
ほうがいい。さまざまな経験を
高校生の進路選びに対してア
していくうちに面白いものが見
ドバイスをお願いします。
つかります。面白いと思ったら
やればいいのです。
亀田 僕がここにいるのは運の
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