Title プロクロスにおける「善一者」: 『神学綱要』(命題一

Title
プロクロスにおける「善一者」: 『神学綱要』(命題一-一三)を中心
に
Author(s)
岡崎, 文明
Citation
倫理学研究 = Annals of ethical studies, 20: 10-22
Issue Date
1990
Type
Journal Article
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publisher
URL
http://hdl.handle.net/2297/45126
Right
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15プロクロスにおける「善一者」
そもそも﹁無﹂が﹁共同させる根源﹂となることは不可能である。
かつこれを彼の﹁善﹂の探求の出発点、論証以前の大前提となして
もこれを事実として認め、この中に重大な形而上学的意味を見出し、
︵釦︶
したがって残るところこの根源は﹁ことなる。
の﹂として﹁多﹂に先立ち︵超越し︶、﹁多﹂に分有されることによ
︹’五︺ところで、右の窮極の根源となる.﹂は﹁一そのも
が如き.なるもの﹂は万有の根源にはならないとして退けられる。
八︶。︵ここで言う存在者とは万有を指すが、直接的には諸イデアを
ての存在者︵a等目︶の目的因であることを示すのである︵命題
を超越する愈鼠蔦ミロミミ等﹃Sご︶と共にそれに内在し、かつすべ
そしてプロクロスは、この大前提から﹁善﹂は、すべての存在者
いる。
って﹁多﹂に内在するという特徴を持つ。そして﹁多﹂︵﹁万有﹂︶
指している。なぜならイデアは﹁常にある﹂を特徴として持ってお
このようにして﹁多﹂に超越することなくして﹁多﹂に内在する
はこの.﹂の﹁分有﹂という仕方で﹁生成する﹂のである。これ
り、﹁ありかつあらぬ﹂ものではないのであるから、とりわけ﹁存
在者﹂の名に相応しい。︶
︵皿︶
が残ったdの場合である。
かくして、﹁多﹂に超越しながら内在する﹁ご・﹁一なるもの﹂
︹一七︺さて、命題八の論証部の論旨はある意味で明快である。
Iすべての存在者は善︵第一義的な善︶を目ざす。
が確立する。これがいわゆる万有の根源としての形而上学的な﹁一
者﹂である。そしてこの.者﹂は同時にすべての存在者の﹁存在
Ⅱしたがって、第一義的な善は明らかに諸存在者を超えている。
さて、第一前提であるが、これは右で見た論証以前の大前提であ
Ⅲそれゆえに、第一義的な善は善以外の何ものでもない。
因﹂︵ ﹁ 生 成 因 ﹂ 乃 至 ﹁ 発 出 因 ﹂ ︶ と な る 。
二善︵as三s︶
る。ここから直ちに﹁善﹂はすべての存在者・万有の﹁目ざすも
さらに、この﹁善﹂は﹁すべてのもの﹂︵存在者︶が目ざすもの
の﹂たる﹁目的因﹂であることが判明する。
たっても、先と同様に︹四論証されざる前提を持っている。それ
であるから、特定の善含ご負ま竜︶であってはならない。なぜな
︹一六︺次に﹁善﹂である。プロクロスは﹁善﹂を探求するにあ
は﹁すべてのものは本性的に善を希求する。﹂という形式で示され
ら、特定の善は﹁善﹂を分有している﹁特定のもの﹂︵存在者︶に
︵肥︶
る。これは既にプラトンやアリストテレス等に見出される。また、
内在し、その結果、その特定のもののみが目ざすに過ぎず、すべて
︵岨︶
当時の人々の一般的な考え方であったのかも知れない。プロクロス