「主なるわたしは正義をもってあなたを召した。 わたしはあなたの手をとり

第7課、2016年5月14日
「主なるわたしは正義をもってあなたを召した。
わたしはあなたの手をとり、あなたを守った。
わたしはあなたを民の契約とし、もろもろの国びとの
光としてあたえ(る)」 (イザヤ 42:6)
「主なるわたしは正義をもってあなたを召した。
わたしはあなたの手をとり、あなたを守った。
わたしはあなたを民の契約とし、もろもろの国びとの
光としてあたえ(る)」 (イザヤ 42:6)
「主なるわたしは正義をもってあなたを召した。
わたしはあなたの手をとり、あなたを守った。
わたしはあなたを民の契約とし、もろもろの国びとの
光としてあたえ(る)」 (イザヤ 42:6)
ユダヤ人の主
• ユダヤ人への給食。マタイ 14:1-21.
• ユダヤ人より拒まれる。マタイ15:1-20.
異邦人の主
• 異邦人より受け入れられる。マタイ 15:21-28.
• 異邦人への給食。マタイ 15:29-39.
全ての被造物の主 マタイ 14:23-33.
「弟子たちは言った、『わたしたちはここに、パン五つと魚二ひきしか持っていませ
ん』。..みんなの者は食べて満腹した。パンくずの残りを集めると、十二のかごに
いっぱいになった。」 (マタイ14:17, 20)
ヨハネが首を刎ねられた後、イエス様は弟子
達を励ますため海を通って寂しい場所に連れ
て行かれました 。
そこに着いた時、多くのユダヤ人たちが海岸
から彼らの後をついて来て待っていました。
イエス様は「彼らを深くあわれんで、そのうち
の病人たちをおいやしになった。」
(マタイ14:14)
イエス様は夕方にはパンと魚を群衆に食べさ
せるために増やしました。ユダヤ人の伝統に
より、メシアはマナによってイスラエルを食べ
させました。
弟子たちでさえ彼をイスラエルの王と公言す
るのにふさわしい時だと思いました。
(ヨハネ 6:14-15)。
「『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れて
いる。 人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』」。
(マタイ 15:8-9)
「偽善者!」「彼らは盲人を手引きする盲人であ
る。」(マタイ15:7, 14)
それは「あなたの弟子たちは、なぜ昔の人々の言伝
えを破るのですか。」(マタイ 15:2)と聞かれた時の
イエス様の答えでした。
イエス様は彼らの愛する伝統が神の律法を破って
いると教えました。道徳的な清さは手を洗う事では
達成できません。
彼らは良い偽善者でした。彼らは祖先の伝統を尊重
する行動のもとに罪深い心を隠していました。
イエス様は「パリサイ人のパン種」(マタイ16:6)
に対して私たちに警戒してほしいのです。
偽善から離れなさい。
「すると、そこへ、その地方出のカナンの
女が出てきて、『主よ、ダビデの子よ、わ
たしをあわれんでください。娘が悪霊にと
りつかれて苦しんでいます』と言って叫び
つづけた。」 (マタイ 15:22)
これはカナン人女性へ
のイエス様の答えでした。
「わたしは、イスラエルの
家の失われた羊以外の
者には、つかわされてい
ない。」(マタイ 15:24)
異邦人はイスラエル人がすでに持っていた光を
受けていませんでした。彼らは“子犬”のように考
えられていました。
最初に来た時のイエス様の主な使命はユダヤ国
民に達することでしたが、誰も私たち救い主の
働きから除外されていません。
イエス様は娘を癒すことによって「ダビデの息子」
として異邦人の女性の信仰を勝ち取りました。
彼はユダヤ人と異邦人両方の神ということを
証明したのです。
「イエスは弟子たちに『パンはいくつあるか』と尋ねられると、『七つあります。また小さい魚
が少しあります』と答えた。一同の者は食べて満腹した。…そして残ったパンくずを集めると、
七つのかごにいっぱいになった。」(マタイ 15:34, 37)
「それから、イエスはまたツロの地方を去り、シドンを経て
デカポリス地方を通りぬけ、ガリラヤの海べにこられた。」
(マルコ 7:31)。イエス様はユダヤ人にもなさったように
異教の地でパンを増やされることを繰り返されました。
5.000 人の
ユダヤ人
4.000人の
異邦人
彼らを憐れまれた。
マタイ 14:14
マタイ 15:32
病人を癒された。
マタイ14:14
マタイ15:30
パンと魚を分け増やされた。 マタイ14:19
マタイ15:36
弟子たちが手伝った。
マタイ14:19
マタイ 15:36
弟子たちが残り物を集めた。 マタイ14:20
マタイ15:37
「それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。
また、異邦人の神であるのではないか。確かに、
異邦人の神でもある。」 (ローマ 3:29)
「しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれか
けたので、彼は叫んで、『主よ、お助けください』
と言った。」(マタイ 14:30)
イエス様—偉大な「私は在る」—はペテロを怖がらせた
強い風にも関わらず海の上を歩き始めました。
(ヨブ9:8参照)。
イエス様は万物すべての創造主です。彼は万物を保
ち、彼の意志でそれを明け渡すのです。 (詩編 104;
へブル 1:3)
彼は人種や国籍に関係な
くこの宇宙の全ての住民
をも気にしています。
異教の民から悔い改めへと招くことをどんなに気にかけ
ているか示す旧約聖書の多くの預言があります。
(イザヤ 15-21; エレミヤ 46-51; エゼキエル 25-32;
オバデヤ; ヨナ; ナホム)。
「私達の側に偉大なる『私は在る』お方が共におられると
きに、燃える芝は焼き尽くされず、命のパンは私達の全
ての必要を満足させ、世の光は私達を闇から遠ざけ、扉
は私たちが王国へ入ることを確保し、良き羊飼いは私達
に永遠の安全を提供し、私たちは真のぶどうの木に接
がれるのです。 (創世記 3:2–15; ヨハネ 6:35; 8:12; 9:5;
10:9, 11; 11:25; 15:1)。 そしてキリストはかって嵐の夜に
弟子たちに言われたように確かに、私達にも『勇気を出
しなさい。恐れてはならない。』と言われます。
恐れなく弟子としての道を歩むために弟子たちの目は
『私は在る』お方を固視していなければなりません。
しかしペテロは揺れ動いてしまいました。ペテロの目はイ
エス様を離れて騒々しい風に向けられ、『怖くなり』、沈
み始めたのでした。しかしながら、ペテロは叫び求めまし
た。『主よ、私を助けて下さい。』 そのような叫び声が答
えられないことは決してありません。」
Andy Nash (Sabbath School Lesson Quarterly, 2016Q2L7 Teacher’s section, Bible commentary “II. Jesus the Son of God”)