4月6日 入学式(西小学校 4月6日 入学式(西小学校) 4月6日

4月6日 桜(三嶋大社)
4月6日 桜(三嶋大社)
4月6日 入学式(西小学校)
4月6日 入学式(西小学校)
4月2日 三島みどりまつり(長伏公園)
4月2日 三島みどりまつり(長伏公園)
4月3日 桜まつり(楽寿園)
4月3日 桜まつり(楽寿園)
4月2日 文教テニスコートのリニューアル
4月2日
文教テニスコートのリニューアル
オープン記念イベント(文教町)
オープン記念イベント(文教町
)
30
3月20日 池田柊線・三島駅北口線開通式(長泉町中土狩)
日 池田柊線・三島駅北口線開通式(長泉町中土狩) 4月2日 桜(国立遺伝学研究所)
4月2日 桜(国立遺伝学研究所)
4月1日 富士山南東消防本部開所式(南田町)
4月1日 富士山南東消防本部開所式(南田町)
4月8日 夜桜(三嶋大社)
4月8日 夜桜(三嶋大社)
4月7日 障がい者応援大使任命式
4月7日
障がい者応援大使任命式
(市長応接室)
(市長応接室
)
4月11日 みしまびとによる映画完成報告(市長応接室)
日 みしまびとによる映画完成報告(市長応接室)
へ わ
向 り
か 徳
う 川
家いえ 家
達さと の
( 相
亀 続
之 を
助 許
) さ
な れ
ど て
が 駿
通 府
『
や
、 こ 官
新 の 軍
政 時 御
府 期 用
軍 、 日
の 東 記
ほ 海 』
か 道 は
徳 で 書
川 は か
慶よし 明 れ
喜のぶ 治 ま
に 天 し
代 皇 た
。
す
。
こ
の
よ
う
な
時
代
背
景
の
中
で
幸
と
江
戸
の
東
京
改
称
が
宣
言
さ
れ
ま
い
が
起
こ
り
ま
し
た
。
湯
本
や
畑
宿
の
と
な
り
、
新
政
府
軍
も
交
え
箱
根
で
戦
し
た
た
め
、
遊
撃
隊
と
衝
突
す
る
結
果
け
て
敬
意
を
払
っ
て
い
ま
す
。
小
田
原
も
か
か
わ
ら
ず
、
著
者
は
「
様
」
を
付
て
い
ま
す
。
ぜ
ひ
ご
活
用
く
だ
さ
い
。
軍
御
用
日
記
』
の
全
文
翻
刻
を
掲
載
し
郷
土
資
料
館
研
究
報
告
8
』
に
て
『
官
意
を
払
っ
て
い
た
こ
と
が
わ
か
り
ま
す
。
っ
た
後
で
あ
っ
て
も
徳
川
家
に
対
し
敬
藩
の
藩
論
が
佐
幕
か
勤
皇
か
二
転
三
転
ま
た
、
郷
土
資
料
館
発
行
『
三
島
市
▲『神社明細帳』
(明治7年成立、館蔵)
同
年
七
月
、
天
皇
の
江
戸
へ
の
東
京
行
戦
い
が
あ
り
ま
し
た
。
戊
辰
戦
争
は
そ
幕
府
勢
力
の
ひ
と
つ
と
新
政
府
軍
と
の
も
あ
り
、
箱
根
で
は
遊
撃
隊
と
い
う
旧
し
か
し
、
抗
戦
を
続
け
る
旧
幕
府
勢
力
藩
が
官
軍
に
従
う
意
思
を
示
し
ま
す
。
倒
幕
の
た
め
江
戸
へ
進
軍
す
る
中
、
東
戊
辰
戦
争
で
薩
摩
・
長
州
な
ど
の
藩
が
幕
末
、
慶
応
四
年
一
月
か
ら
始
ま
る
の
う
え
新
政
府
軍
に
抵
抗
し
て
い
る
に
宿
泊
所
や
彼
ら
の
動
向
が
詳
細
に
記
さ
た
め
、
三
島
宿
に
立
ち
寄
っ
た
と
き
の
を
受
け
た
遊
撃
隊
が
箱
根
を
通
過
す
る
戦
闘
を
始
め
ま
す
。
沼
津
で
そ
の
一
報
た
い
部 慶 ら
隊 応 れ
で 四 ま
あ 年 し
る 五 た
彰しょ 月 。
義うぎ 、
隊たい 旧
が 幕
東 臣
京 を
上 中
野 心
で と
と
し
て
駆
り
出
さ
れ
る
な
ど
負
担
を
強
に
は
十
五
歳
~
六
十
歳
の
人
々
が
人
足
り
に
来
て
い
ま
す
。
朝
廷
に
政
権
が
移
宿
場
の
西
端
に
あ
る
千
貫
樋
ま
で
見
送
宿
に
ご
機
嫌
伺
い
に
訪
問
し
て
い
ま
す
。
し と
て き
い 既
た に
韮 新
山 政
代 府
官 軍
江 に
川 従
英ひで う
武たけ 姿
が 勢
三 を
島 示
途
中
の
三
島
に
宿
泊
し
ま
し
た
。
こ
の
江
戸
か
ら
駿
府
へ
向
か
う
こ
と
と
な
り
、
十
三
日
、
徳
川
家
達
が
三
島
宿
の
樋
口
わ
り
ま
す
。
そ
の
約
一
カ
月
前
の
八
月
翌
日
に
は
、
三
島
宿
の
問
屋
・
年
寄
が
る さ
楠く
すれ
木の
きて
や い
犬い
ぬて
槇ま
き、
に 境
出 内
会 を
え 歩
ま く
す と
。 樹
齢
三
〇
〇
年
を
越
え
社 っ
な 領 て
お と 十
神 し 四
明 て 世
宮 「 紀
の 御み
成
そ
社し
ゃ 薗の 立
叢そ
う」 の
は の 裁
、 名 判
市 を 資
の 確 料
天 認 で
然 で は
記 き 、
念 ま 三
物 す 嶋
に 。 大
指
社
定
の
と
し
た
こ
と
が
よ
く
わ
か
っ
て
い
ま
せ
ん
。
さ
か
の
ぼ
神
宮
領
で
あ
っ
た
と
い
う
説
に
つ
い
て
は
、
は
っ
き
り
海
道
沿
い
で
は
小
田
原
以
西
す
べ
て
の
の
後
も
東
北
地
方
な
ど
で
続
き
ま
す
が
、
林 れ
忠ただ て
崇たか い
は ま
脱 す
藩 。
し ま
た た
藩 、
主 遊
で 撃
あ 隊
り の
、 大
そ 将
江
な
ど
が
家
達
の
領
地
と
な
っ
た
た
め
、
名
が
付
け
ら
れ
た
、
と
記
さ
れ
て
い
ま
す
。
こ
の
伊
勢
本
陣
に
宿
泊
し
て
い
ま
す
。
駿
河
・
遠
菜
を
た
て
ま
つ
る
神
領
で
あ
っ
た
た
め
に
「
御
園
」
の
の
伝
え
る
説
”
と
し
て
、
昔
こ
の
地
が
伊
勢
神
宮
へ
野
宮
の
台
帳
(
明
治
七
年
〈
一
八
七
四
〉
成
立
)
に
”
古
老
月
)
を
紹
介
し
ま
す
。
宿
で
は
、
新
政
府
軍
が
通
過
し
た
と
き
慶
応
四
年
九
月
、
元
号
が
明
治
に
変
二
月
~
明
治
二
年
〈
一
八
六
九
〉
二
御
用
日
記
』
(
慶
応
四
年
〈
一
八
六
八
〉
た
出
来
事
に
つ
い
て
書
か
れ
た
『
官
軍
今
回
は
、
三
島
宿
や
近
隣
で
起
こ
っ
圧
さ
れ
た
と
し
て
い
ま
す
。
ま
た
三
島
州
様
ニ
テ
乗
取
」
と
あ
り
、
官
軍
に
制
の
関
所
で
も
同
様
で
、
文
中
に
は
「
薩
い
う
表
現
が
使
わ
れ
て
い
ま
す
。
箱
根
生
々
し
く
表
現
さ
れ
て
い
ま
す
。
が
溢
れ
る
な
ど
、
箱
根
戦
争
に
つ
い
て
よ
う
に
血
が
流
れ
箱
根
宿
内
に
も
死
人
集
落
は
焼
き
払
わ
れ
、
付
近
に
は
川
の
「
御
三 園
島 」
市 の
御 呼
園 称
に が
つ 地
い 名
て と
は し
、 て
同 定
地 着
に し
鎮 ま
座 し
す た
る 。
神し
ん
明め
い
呼
称
で
す
。
そ
う
し
た
役
割
を
担
っ
た
土
地
の
多
く
で
様
に
供
す
た
め
の
果
実
・
野
菜
類
を
作
る
畑
地
を
指
す
位
置
し
て
い
ま
す
。
「
御
園
」
と
は
本
来
、
天
皇
や
神
No.
336
官軍御用日記
~三島宿維新活動の記録~
い
う
見
方
を
し
て
お
り
、
「
乗
取
」
と
し
、
近
隣
の
関
所
や
番
所
を
奪
っ
た
と
日
記
で
は
、
新
政
府
軍
の
行
為
に
対
ど
が
詳
細
に
記
さ
れ
て
い
ま
す
。
家
・
下
級
武
士
な
ど
の
名
前
や
動
向
な
隣
を
通
過
し
た
り
宿
泊
し
た
大
名
・
公
を
引
く
も
の
で
、
日
記
に
は
三
島
宿
近
過
し
ま
し
た
。
そ
の
行
列
は
と
て
も
目
◀
『
箱 官
根 軍
戦 御
争 用
に 日
つ 記
い 』
て
記
載
し
た
部
分
御
園
は
、
狩
野
川
と
大
場
川
の
合
流
地
点
の
北
側
に
( 御 三
島
中 園 の
村
郷
名
地
⑥
区
)
み
そ
の
問 郷土資料館(緯971-8228)
2016.
5.
1●広報みしま
31