【 特 集 】 ル ー テ ィ ン ! ― 自 己 管 理 と 効 率 ―◉ 編 集 長 イ ン タ ビ ュ ー 直線的な思考に陥ると、 問題を一足飛びに解決したくなるばかりか、 けい こ 近視眼的な論理に自ら加担していくことになる。 で あ 人の心の奥深くに存在するものに出逢うことを要求する。 能や禅、「道」 を究めようとする稽古や修行は、 よ 表層の 「こころ」 から、 その下層の 「おもひ」 、 そして深層の「心」へと到達させることによって。 しかし、 そのための 「習い」 は、 自分自身のものでなければならない。 せんの り きゆう いや、 自分自身が 「習い」 という姿になっていなければ意味をなさない。 「その道に入らんと思ふ心こそ 我身ながらの師匠なりけれ」 と歌に詠んだ。 千 利休は 安田登師も、「師匠よりも、 全身全霊で習うことを決心した自分自身こそ問われる」 と言う。 見えない世界を凝視する 「習い」 が、 戦争や教育、 経営を変えていく。 聞こえないものに耳を傾ける 「習い」 が、 新しい世界の胎動を聴く。 「 こ こ ろ 」か ら「 お も ひ 」 「 心 」へ 達 す る じ ちよう さん ぼ し えさ 安田 そうですね。むしろそうであることから今の政権にとっ そう て は、 現 代 社 会 は う ま く い っ て い る と 言 え る で し ょ う ね。 『荘 自殺や悲惨な事件が起こり、就職難や失業も改善されない、 四十代、五十代の引きこもりも増えている。高齢者も経済的な その意味で、政治は成功しているのです、残念ながら。 ケが回ってくるころには自分たちはいない、と計算している。 にツケの先送りをやってきた。政権を担っている人たちも、ツ し求めることが強要されているかのような感じがするのですが。 いうか、人としての経験や積み重ねよりも常に新しいものを探 しているのではないかという気がします。何か根が張らないと て上書き更新されていくかのようで、そのことが虚しさを助長 ――今の情報社会は、毎日毎日溢れるほどの出来事が情報とし も早く決めないと不安で、定年後にも老後の不安が待っている。 ました。小学校から、中学、高校、大学と受験して、就職まで 職活動のために公欠をお願いします」と申し出てくる時代にな ている友人二人が、最近大学を辞めました。三年生になると「就 おしまいなんだ」と言ったそうです。また、大学で教員をやっ のツケがくる前に次の新しい餌をぶら下げることで政治は巧み ても、そう見えます。ところが、それでは必ずツケがくる。そ ものをぶら下げれば騙されてしまいます。原発の再稼働に関し ったら喜んだという逸話)ではないけれど、目の前においしい つあげる」と言ったら怒り、「朝四つ、夕に三つあげる」と言 子 』 の「 朝 三 暮 四 」 の 話( 猿 に 餌 を「 朝 三 つ あ げ て 夕 方 に 四 不安がつきまとう。そういった危機的な状況になると、人間の まるで、不安創出社会、総不安神経症、そんな状況です。だか あふ 脳は思考停止になってしまい、 「朝三暮四」のような言説に惑 ら、 「朝三暮四」が効いてくるわけです。 って、もはや学問を教える余地がないと二人は異口同音に言い とら ――「能」は、死者と会話したり、時間的にも空間的にも「今」 安田 あの世とくっついてしまいますからね。総じて日本的な ものの良さは、「不変」か「変化」か、という二元論にならな むな わされやすくなるのです。 に囚われない世界ですね。 だま 危機的状況をつくられつつ、何度も同じやり方に騙されてし ま う こ と を 回 避 す る た め に 重 要 な の は、 「 時 間 」 の 感 覚 で す。 に育って能の世界に入った私が一人前と認められるには、三代 いことです。芭 蕉 が俳諧の考え方を「不易 流 行」と称しまし 能楽師は長い時間感覚を持っています。例えば、一般的な家庭 続く必要があります。能楽師たちはそこまで意識していますし、 たが、それも不易に根差しながら変わっていくという、二分し ふ えきりゆうこう 道具も数十年かけて育てるという感覚で使います。若い頃、失 ない在り方です。まず「型」を手に入れるのですが、次にそれ はいかい 敗したときに師匠から言われた言葉は今も忘れませ ん。 「二十 を超えていくという考え方ですから、型はマニュアルでも方法 ば しよう 。二十年間は我慢をしろ、という意味 年も経てば皆忘れるよ」 でもなく、奥にある普遍の真理を手に入れるためにあるわけで た です。 から、三年後、五年後を考えて戦略を立てていました。今では の涎を舐むることなかれ」。 不変と言うと、どうしても昔の人を真似したくなるものです が、 そ れ を 見 越 し て 芭 蕉 は こ ん な こ と も 言 っ て い ま す。 「故人 す。むろん、型が仕草になってはいけない。 大手のほとんどが四半期決算です。その近視眼的な時間意識は、 ――ヒヤリとさせられますね。禅で、「指」をじっと眺める愚 私が中小企業診断士の勉強をしていた一九八〇年代、日本は まだ多くの企業が終身雇用制度でした。決算も一年ごとでした ビジネス界だけではなくなっています。ある小学校で四年生の かさをたしなめて、大事なのは指差した先の「月」だと言った し げつ な 子がうなだれていたので先生が話を聞いたら、 「私立の受験に 「指月」に通じるようです。 よだれ 失敗して仕方なく公立に入ってきた、だから自分の人生はもう ◎月刊 MOKU 2016.5 0 1 6 MOKU 2016.5 0 1 7 ◎月刊 能楽師。1956年(昭和31)千葉県生まれ。学生時代に中国古代哲学を学び高校教師 となる。25歳で能と出逢い、ワキ方・鏑木岑男師に弟子入り。現在はワキ方として 活躍する傍ら、『論語』などを学ぶ「寺子屋」を東京ほか各地で開催する。米国のボ ディーワーク「ロルフィング」の公認施術者の資格も持ち、身体に関するさまざまな ワークショップも行う。著書に『イナンナの冥界下り』 『あわいの力』 (ミシマ社) 、 『肝 をゆるめる身体作法』 (有楽出版社) 、 『日本人の身体』 (ちくま新書)などがある。 安田 登 やすだ・のぼる
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