13:2-3

第3課、2016年4月16日
「イエスがこれらの言を
語り終えられると、群衆
はその教にひどく驚いた。
それは律法学者たちの
ようにではなく、権威あ
る者のように、教えられ
たからである」
(マタイ 7:28, 29)
『イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。そこで、
イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。』(マタイ5:1−2)
)
山上の説教でイエス
様は王国の国民が
どのように生きるべ
きかを説明なさいま
した。
王国の国民は謙虚で恵み深い、心の貧しいもので心が清く、平和を作り出し、 悲
しみの人で、義に飢え乾いていて、時には迫害を受ける人たちです。
-困窮しなく、人を裁くかわりに人を探して呼びかけます。狭き道を歩き、実を 結び
岩の上に建てます。
「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思っ
てはならない。廃するためではなく、成就するために
きたのである。」
(マタイ5:17)
イエス様が“あなたがたは聞いているところで
ある…しかしわたしはあなたがたに言う。”(マ
タイ5:21-47)と言ったのは、十戒を廃止した
り置き換えたりするという意味でしょうか。
それとは全く逆で、イエス様は十戒を守る事
をより難しいものにしました。その教えはただ
殺してはならない、姦淫を犯してはならない、
仕返しをしてはならない、これらのことだけで
は不十分だというものでした。それは私たち
の考えや動機が、私たちの行動と同様に罪
深くなりえるとの教えでした。
イエス様は十戒を守ることによって救いが得
られると教えたのでしょうか。
イエス様は山上の説教で救いについてお話
しなさいませんでした。イエス様はクリスチャ
ンがどのように生きるべきかを説明なさいま
した。救いはただ恵みによって与えられます。
「わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して
天国に、はいることはできない。」 (マタイ 5:20)
パリサイ人の義
クリスチャンの義
• 殺すな、姦淫するな、誓
いをやぶるな。 (5:21-37).
• 目には目を、歯には歯を。
(5:38-42).
• 友を愛し敵を憎め。
(5:43-47).
• 献金や断食を人前でしな
さい、そうすれば他の人
があなたを褒め讃える。
(6:1-4, 16-18).
• 人前で祈りなさい、そうす
ればあなたがどんなに神
聖かみんなが分かる。
(6:5-8).
•罪深い事すら思ってはいけな
い。
•悪い人と争うな。仕返しをする
かわりに助けてあげなさい。
•敵を愛し、あなたを呪う人を祝
福しなさい。
•こっそり献金をしなさい。そし
て断食をしていても分からない
ようにしなさい。
•天の父に隠れて祈りなさい、
そうしたらあなたを公然に報い
てくださる。
パリサイ人は人に讃えられるために十戒を守っていました。
真のクリスチャンは十戒に基づいて生活するので神様が讃えら
れます。
「律法は聖なるものであるが、ユダヤ人は、律
法を守ろうとする自己の努力によっては、義に
到達することが出来なかった。キリストの弟子
たちは、天の御国に入りたければ、パリサイ人
の義とは異なった義を獲得しなければならな
い。神はみ子をお与えになることによって、律
法の完全な義を彼らに提供なさった。もし彼ら
が心を十分に開いて、キリストを心に受け入れ
るなら、神の生命そのもの、神の愛が彼らに
宿って、彼らを神ご自身のみかたちに変える
のである。こうして彼らは、報いを求めない神
の賜物によって、律法の要求する義を所有す
るのである。」
E.G.W. (祝福の山 3章68頁)
「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
あなたがたも完全な者となりなさい。」 (マタイ 5:48)
どうしたら神様のように完全になれるでしょうか。
私たちにはできません。(マタイ5:43−47)の聖句による
と、私たちのなし得る神様と同様の完全さは、私たちが全
ての人、私たちの敵さえも愛するときだということです。
神様は私たちにできないことは何も求められないこと
を覚えておきましょう。もし愛が私たち自身に任されて
いるなら、決して敵を愛することはできないでしょう。
敵を愛するようにこの世は動いていなく、もしそれがで
きるなら私たちが別の王国の市民だからできることで
す。
私たちは美しい約束を与えられています。もし私たち
が神様に服従するなら、「あなたがたのうちに良いわ
ざを始められたかたが、キリスト•イエスの日までにそ
れを完成してくださるに違いない。」(ピリピ1:6)
そして、神が私たちのうちに成し遂げることがおできに
なる最も偉大な働きとは、神が私たちを愛しておられ
るように、私たちが愛する人になるようになさることで
す。
「ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは
舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。イエスは
譬で多くの事を語り」(マタイ 13:2-3)
ある人が畑に隠してある宝
を見つける
彼は全ての物を売る
その畑を買う
商人が高価な真珠を見つけ
る
彼は全ての物を売る
その真珠を買う
救いは無償で与えられていて、買う事はできません。(イザ
ヤ55:1; マルコ8:36-37)イエス様は救われたい人は、救いを
受けるのを妨げるものがあれば何であれ捨て去らなければ
ならないと説明するため、これらの譬え話をされました。
「ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったの
で、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな
岸に立っていた。イエスは譬で多くの事を語り」
(マタイ 13:2-3)
網が海に投げ入
れられる
福音の網は色々な人を
集めます。それは異
なった理由で福音に従
う男女です。この世を超
えた永遠に価値を置く
人や、聖霊によって変
えられた人だけが永遠
の命を楽しめるのです。
様々な種類の魚
が集まる
良い魚は
かごの中に
集められる
悪い魚は捨てら
れる
永遠の命へ続く道への進みを何ものも妨げないようにしましょう。あなたの
永遠に対する関心が問われています。あなたの内に徹底的な働きがなさ
れるべきです。完全に悔い改めなければ、天国に入れないでしょう。しかし
イエス様は彼をあなたの力に、あなたの支えにしなさいと招いてくださいま
す。彼は必要な時はいつでもその時の助けになってくださいます。彼は疲
れた場所で偉大な岩影になってくださいます。この世で成功するかをひどく
心配するより、どうしたらより良い世界にできるか、救われるには何をすべ
きかを心の重荷としなさい。自分を救う時に他人をも救うのです。自分自身
を掲げるとき、他人をも掲げるのです。
真理と神の王冠を固く掴む時、神様の約束と永遠の王冠に他の人の弱く
震える信仰をしっかりと結びつける助けをします。 あなたが取るべき立ち
位置は救いをこの世の報酬より価値あるものとして尊ぶことであり、キリス
トを得ること以外の全てを損失と見なすことです。あなたの献身は完全で
あるべきです。神様は留保や部分的な犠牲を認められません。つまり私た
ちは偶像を大切にはできないのです。自己とこの世に死ぬ必要があります。
毎日あなた自身を神様に捧げましょう。永遠の命とは生涯にわたり、辛抱
強く、不屈の努力を要する価値があります。
E.G.W. (Testimonies for the Church, vol. 2, No. 15, cp. 3, pg. 48)