20160415-p08-09(PDF形式:890KB)

歳
いきいき
まえばし人
さん・
双子でキュウリ栽培
江木町
堀越直樹
30
この建物を設計したのは、本
市 出 身 の 建 築 家、 林 昭 男 さ ん。
昭和 年5月に誕生した三代
目の館舎です。赤レンガ風の外
壁や、中央図書室の中2階、竹
前橋らしさ残す図書館で
が生えた中庭が特徴。和風と洋
懐かしさを感じながら
風の両方の雰囲気を感じること
ができるんです。
館内は 万冊を超える本な
前橋市立図書館は、赤いレン
ど を 収 蔵 。前 橋 の 人 口 と ほ と ん
ガのタイルで造られた洋風の建
ど 同 じ 数 の 本 が あ る ん で す よ。
物。明治時代、市内にはたくさ
一般的な書籍はもちろん、雑誌
んの赤レンガの建物があり、前
やCDなど、さまざまな種類の
橋の象徴でした。作られた当時
蔵書を収めています。その中に
はきっとモダンなデザインだっ
は酒井家や松平家などの郷土資
た の で は な い で し ょ う か 。今 は 、
料や萩原朔太郎の著作も。貴重
どこか懐かしく感じられます。
な資料たちを、この赤レンガの
建物で守っています。
昔の前橋らしさを、今も守り
続ける市立図書館。歴史を感じ
ながら、お気に入りの本を探し
てみませんか。次の担当は、当
館職員の平林花和子です。
8
広報まえばし 平成28年4月15日号
市役所 〒371-8601大手町二丁目12-1 ☎027-224-1111
9
49
中 央 小 で3 月2 5 日 に「 は ば
た き 式 」を 開 催 し ま し た 。会
場 に は59年 間 の 学 校 の 歴 史
を展示するコーナーが設けら
れ、当 時 を 懐 か し む 卒 業 生 の
姿 も 。児 童 た ち は 最 後 の 校 歌
を 力 いっぱ い 歌 い、新 た な 学
び 舎 と な る 桃 井 小 へ と、元 気
に羽ばたきました。
歳
3月2 3 日、前 橋 地 方 気 象 台
がソメイヨシノの開花を宣言。
4月1日には満開になりまし
た。薄 紅 色 の 桜 と 黄 色 の 菜 の
花との鮮やかなコントラスト
な ど 、美 し い 景 色 が 市 内 の あ
ち こ ち に 。前 橋 公 園 で は ラ イ
ト アップ が 行 わ れ、幻 想 的 な
雰囲気を演出しました。
Vol.01
市立図書館
大塚 樹里子
さん・
待ちわびた春に花開く
ー で の 勤 務 経 験 を 積 ん だ 後、
経営に参画した。
﹁幼い頃から一緒だったの
で 息 の 合 っ た 仕 事 が で き ま す。
お 互 い の 経 歴 を 生 か し、 3 人
分の力が発揮できていると思
います﹂と二人。
徹也さんは父から継承した
技 術 を 活 用 し、 直 樹 さ ん は メ
ーカー勤務で学んだ作業のマ
ニュアル化などを導入した。
﹁頑張りが成果に表れるの
が 魅 力 で す。 工 夫 を 重 ね、 子
どもが自然に後を継げるよう
な環境をつくりたいですね﹂
と徹也さんは語る。
二 人 の 力 を 合 わ せ る こ と で、
﹁堀越モデル﹂の魅力がさら
に高まっていくことだろう。
新校への思い羽ばたく
富田町
CLOSE UP
ことしで開館100周年
を迎えた前橋市立図書館
の今をお伝えします。
3 月 2 5 日 、上 毛 電 鉄 城 東
駅 に 東 口 を 開 設 。児 童 文 化 セ
ン ターや 勢 多 農 林 高 へ 行 き や
す く な り ま し た 。開 設 セ レ モ
ニ ー で は 、同 校 郷 土 芸 能部が
和太鼓演奏などを実施。ま た 、
招待を受けた沿線の園児た
ち が 、東 口 を 通 っ て 児 童 文 化
センターへ向かいました。
43
43
力を合わせて経営の質を高めたい
クローズアップ
双子でキュウリ栽培に励む
堀 越 さ ん 兄 弟。 農 業 経 営 の 発
展に貢献した人などを表彰す
る日本農業賞の大賞を受賞し
た。 雇 用 の 促 進 と 施 設 の 自 動
化 で、 快 適 で ゆ と り あ る 大 規
模 経 営 を 実 現 し た 手 法 は﹁ 堀
越モデル﹂と言われる。
﹁親の代から積み重ねてきた
ことが評価されたのだと思い
ます﹂と兄の徹也さん。
弟 の 直 樹 さ ん は﹁ 6 年 前 に
就 農 し、 少 し で も 力 に な り た
いと思い頑張ってきたのでう
れしいです﹂と語る。
二人とも高校まではサッカ
ー に 励 ん で き た。 卒 業 後、 徹
也さんは農林大学校で学び就
農。 直 樹 さ ん は 半 導 体 メ ー カ
城東駅が利用しやすく
堀越徹也
CITY WATCHING