主の死を告げ知らせる聖餐 2015年1月19 日 九州キリスト教会館 山城 順 長崎ウエスレヤン大学宗教主事 元春日東教会牧師 テーマの意味について 1969年教師検定問題に端を発した、5項目の公開質問、二重教職制、 「聖餐」の問題は、九州教区においては10年にわたり、研究・討論会 が開かれたが、それ以降、取り組みは低下しているように思われる。 46年を経て、問題は何一つ解決されていない。 特に、関田氏が「聖餐とはなんだろう」と問う本質的問題は、教団レ ベルでは何ら議論されていない。 九州教区における取り組みの記録を呼び出すことによって、問題を 再現したい。そして、目指す目標、教師研修制度を取り入れることに よって、補教師制度を廃止することを再度提案する。教義的議論に終 わるのでなく、「主の死を宣げ知らせる」宣教の聖餐論としてお話した い。 「検定試験粉砕の」 1969年という時代背景 • 高度経済成長と公害、ベトナム戦争 • インフレによる学費の高騰 • 全国に広がった大学闘争(学費値上げ反対を契機に) • 日本基督教団「戦争責任の告白」 • 大阪万国博覧会「キリスト教館」出展と反対運動 • 教師検定における五つの公開質問 教師検定試験受験者推薦取り消し ①試験の合格基準は何か ②模範解答を示せ、 ③試験官の資格は何か、 ④推薦により、試験科目を免除する認可神学校の 授業科目の認可は何を持ってしているのか、 ⑤この試験によって生じる補教師、正教師(二重教職制度) その根拠 はなにか、⑥補教師が聖礼典を行えない理由など。 資料 ※「二重教職制が抱える問題と課題」-この重たい問題を忘れ去らない ために(2014.3.14九州教区) は、よくまとめられている。 私が持っている資料は以下のとおりである。 1,「石叫」2号、2-2号、4号(春日町伝道所、山城 順)、 2, 「聖餐」 1972年、1976年、1979年の冊子。九州教区宣教研究委員会。 3,「契約の血」についてー聖餐論、1988年3月21日 教職セミナー、 4,「教区通信」1975年、1977年、1979年。 (上記資料はPDFファイルあり) 「主の死を告げ知らせる」聖餐(Ⅰコリント11:26) • 宣教論のなかで議論する • google検索「聖餐」 404.000件 プロテスタント教会の教職制度 全信徒祭司制(万人祭司制、ルター:allgemeine priestertum) ・ルター派正統主義よりも、敬虔主義の流れを汲む社会福祉運動 「ディアコニー」の中で現代に至る展開をしている。 ・全信徒祭司制の不徹底を批判するグループ アーミッシュ、フッターライト、メノナイト、モラヴィア派、またクウェー カー派など全信徒祭司制を徹底している。 日本では内村鑑三が「無教会」を形成した。 日本基督教団の補教師・正教師 1941年、戦争国策によってプロテスタント全派が日本基督教団に一本 化された時、各派の教職制度が補教師と正教師の二重教職制度に 統合された。それはまったく政治的な統合で神学的議論はなされてい ない。 補教師は各派のいわば説教ができる牧師見習を補教師と認めたもの で、聖礼典は不可とされた。 戦後の宗教法人法の成立と共に二重教職制の議論を経ないで継承 され今日に至っている。 (この時以来「聖餐」についての議論は、教団レベルでなされてこなかった) 「聖餐」研究の要点 二重教職制、 補教師・正教師 宣教論的な視点から「聖餐」を議論する 小林信雄氏は、二重教職制に疑義を述べている。 実際に神学校出たての補教師は地方教会に着任することが多く、聖 餐式のために近隣の教会の正教師の応援を頼むとき、その資金や労 苦は重い。教会形成とその要である聖餐を、宣教論のなかで見ると、 地方教会こそ聖礼典を執行する者が求められる。 聖礼典 七つから二つへ ルターがプロテスタン教会の聖礼典をカトリック時代の七つから二つに絞 り、洗礼と聖餐とした事情は先に述べた聖職売買の横行が背景にあった。 批判の論拠を聖書に求めたことは周知のとおりである。聖書には使徒言 行録6章に使徒職と奉仕職の起源こそあれ、補教師、正教師にあたるもの はない。 また洗礼を受けることが聖餐に与る資格であることも、聖書にはない。そ れが規定されるのは修道院会則(「アウグスチヌス修道会規則」などであっ て、聖書より伝統を重んじるカトリックの歴史に中で成立したものである。し かし政治権力と結びつき、95箇条の腐敗堕落が指摘された。宗教改革をと なえたプロテスタント教会は伝統批判を聖書原理に立って、議論したのであ る。 聖書原理について 1969年当初より半世紀を経て、聖餐の宣教論的議論の展開はまだ 見られていない。 補教師、正教師―聖礼典執行者の資格・条件という枠組みのなかで 思考停止し、宣教は停滞している。 プロテスタントの聖書原理に立つならば、また宣教の必要から論じる ならば、執行する者(補教師・正教師)、また陪餐者(受洗・未受洗)は硬 直した議論ではなく柔軟に考えられるだろう。 聖餐の起源 ・12弟子との「最後の晩餐」を起源とする「聖餐」は①過越祭(マタイ 26:19)、②5千人のパンの会食、③弟子たちとの日常の会食の流れを 受けている。 最後の晩餐は、ペトロやユダをはじめ裏切る弟子たちと共にしてい る意味を考えなければならない。彼らがいてこそ、流される「契約の 血」が生きてくる。聖餐は主の死を告げ知られる宣教使命を要求する。 「多くの人のため」(マタイ、マルコ) 「あなたがたのため」(ルカ、Ⅰコリ 11:24) 初代教会 教職制度はなかった 身言葉の奉仕(ステパノの選出)、食卓の奉仕 弟子たちは全員洗礼を受けた記録はない。弟子たちの裏切りの予告 「あなたがたのために流す契約の血」の意味 愛餐と主の晩餐の分離 1コリント11 「ふさわしくない」貧しい人への無配慮 礼拝から分離される聖餐 (東ドイツの教会で) 出席者全員が受洗者の聖餐(その時代)、あまり多すぎて、 陪餐の代理をする司祭の時代 教職売買の時代 ルター(全信徒祭司制)、カルヴァン 非教職制度 絶対平和主義 クウェーカー派、モラヴィア派 メノナイト、フッターライト、アーミッシュ、無教会 カトリック ヴァチカン公会議以降のオープンミサ 結論 教条的にではなく、解釈を幅広く検討し、 これからの私たちの宣教にふさわしいあり方を共同討議のなかで、作 り上げることをめざす。 ※試験合格者の研修制度、その後按手礼執行。 インターセミナリーの精神の涵養
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