福津市 歴史資料室だより 第06号 2010年11月発行 資料室だより第6号をお届けします。 暦の上では、そろそろ立冬に入ります。今回の資料室利用は、大分県より日露戦争時の沖島艦(ア プラキシン)について調査依頼がありました。他には金刀比羅神社(津屋崎在自)資料調査や、市内 小学校総合学習に活用する資料調査等がありました。少しでも皆様方のお役に立てたなら幸甚です。 資料公開のご案内 先般市広報でお知らせしましたように下記の通り公開しています。 〈公開場所〉 旧福間町関係・・・・・福津市中央公民館2階 歴史資料室(研修室6) 旧津屋崎町関係・・・・・福津市役所津屋崎庁舎3階 歴史資料室 〈公開日〉 中央公民館・・・・毎週 木曜日 津屋崎庁舎・・・・毎週 月曜日 (祭日の場合は翌日) (祭日の場合は翌日) 〈公開時間〉 午前10時~12時 午後1時~4時まで ※ 公開日の変更がある時には、市の広報や資料室だよりなどでお知らせいたします。 問い合せ先 福津市教育委員会 教育総務課 文化財係 TEL 0940-52-4968 (津屋崎庁舎) FAX 0940-52-5888 このコーナーは身近な福津市の歴史をわかりやすく紹介し 今林家文書(旧福間浦) うら 今林家文書は、福岡県に現在する浦文書としては数量(約2600点)・内容とも最大の規模を誇る史料で か い じ し あり、近世における玄界灘を中心とした海事史の研究には不可欠のものです。 べんざし 今林家は、江戸時代初期から明治初期まで福間浦の弁指(後の浦庄屋)や大庄屋をつとめた家です。 福間浦は漁業がせまく小さな浦でしたが、元禄年間(1693~1702年)からは付近の村々からの年貢米を つ だ 藩の蔵へ運び出す「津出し」をすることによって、人々の出入りが多くなり商業も発展し、浦は栄ました。 下の史料は「津出し」の文書の一部です。 〔未ノ11月23日、福間浦助三郎船、年貢米150俵を福岡永蔵まで積む〕 (裏書) (表書) ★ ★ 上 乗 り ( 候 積 ★ み か 荷 加こ 子 の 管 水 理 夫 を す る 人 船 の 漕 手 「 表 書 之 通 聞 届 ) 未 十 一 御 月 番 廿 東 所 六 郷 当 日 宅 番 兵 、 」 衛 以 ㊞ 上 未 十 一 月 廿 六 日 東 郷 宅 兵 衛 ㊞ 御 番 所 当 番 」 「やさしい福間町の歴史」より ( 裏 書 ) 「 表 書 の 通 り 聞 き 届 け ま し た 。 以 上 御 当 番 様 未 十 ノ 一 月 廿 三 日 波 止 場 御 番 所 ( 裏 書 ) 御 当 番 様 波 止 場 御 番 所 未 十 ノ 一 月 廿 三 日 五 郎 右 衛 門 福 間 浦 五 庄 郎 屋 右 衛 門 御 書 被 成 可 福 被 間 下 浦 庄 屋 、 以 上 御 改 之 上 相 違 無 御 座 乗 百 姓 壱 人 、 都 合 三 人 乗 ハ 組 廻 、 着 御 仕 裏 書 当 浦 出 船 仕 認 め 書 き を し て く だ さ い 。 以 上 品 物 を ご 検 査 の 上 、 間 違 い な け れ ば こ の 書 類 の 裏 に 当 浦 を 出 船 し ま し た 。 船 頭 ・ 加 子 二 人 、 外 に 上 乗 り 百 姓 一 人 、 計 三 人 乗 組 ん で い ま す 。 着 船 し ま し た ら 、 船 頭 ・ 加 子 弐 人 、 外 ニ 上 福 間 浦 助 三 郎 船 、 御 米 百 五 拾 俵 積 立 、 「 解 読 」 福 間 浦 の 助 三 郎 の 船 が 、 年 貢 米 百 五 拾 俵 を 積 み 、 「 口 語 訳 」 こんな資料がありますよ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 県内の市町村史 県史ほか歴史に関する刊本 収集史資料のコピー本(多数有り) 収集史資料の目録 寄贈を受けた原本及び刊本 県立図書館所蔵目録及びその他の目録 神社仏閣調査資料及び写真 その他 (原本の閲覧については事前にご相談下さい。) 公開場所のご案内 福津市役所津屋崎庁舎 福津市中央公民館 JR 福間駅 問合せ先 福津市教育委員会 教育総務課 文化財係 (福津市役所津屋崎庁舎) TEL 0940-52-4968 FAX 0940-52-5888
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