平成27年7月 【第2号】 原告団ニュース 発行:「生業訴訟」原告団事務局 ℡024(572)6480 [email protected] 第40回全国公害被害者総行動デー に、原告団をあげて参加しました! 6月の3日~4日、東京の日比谷公園を中心に「全国公害被害者総行動」が開催され、全国から 集まった公害被害者団体が、公害の根絶と被害の救済を求めて様々な活動を行いました。 私たち「生業訴訟」からも多くの原告・弁護士が集結したほか、関東近郊にお住まいの支援者の 方々も駆けつけ、総勢100名近い参加者が存在感を示しました。 東京は朝から雨が降るあいにくのお天気でしたが、昼のデモ行進が始まる頃には雨も上がり、参 加者は霞ヶ関の官庁街を堂々とパレードしました。 その後は一番の目玉=国・東電相手の直接交渉に移り、会場を埋めた200人の参加者が放つ 熱気の中、白熱したやり取りが繰り広げられました。(詳細は別欄に。) 夜は、この集会を最後に取り壊しに入る日比谷公会堂での「総決起集会」に臨みました。集会で は40年にわたる公害との戦いの歴史が紹介され、運動を続ける被害者団体に向けて、熱いエ ールが送られました。 全国の仲間から勇気を与えられた二日間、 今年も大変貴重な経験ができました。 ご参加の皆さん、本当にお疲れ様でした! ☆決意を新たにした「直接交渉」 原告団事務局長 服部浩幸 毎年行われる公害総行動の中で、私たち原発被害者にとってのクライ マックスは、「加害者」である国と東電を目の前にして行う『直接交渉』です。 震災・原発事故から4年が経過し、様々な打ち切り政策がささやかれる 中で、被害者の要求は切実さを増しています。しかし回を追うごとに相手 側の交渉責任者の質は落ち、誠意のない回答(言い逃れ)に終始する場 面ばかりが目立つようになっています。「過去の直接交渉と比較しても、今 回の回答の無責任さは最悪のレベルだ!」弁護団の馬奈木事務局長が、 交渉の中でこう発言したほどです。 国も東電も責任を認めないという姿勢は一向に変わっておらず、結局 これを認めさせるには、「法廷の中で白黒付けるしかない」と改めて感じ ました。そう考えると、全国の先陣を切って裁判を進め、なおかつ最大の 原告を有する「生業訴訟」の責任は極めて重い、そんな思いがこみ上げ てきます。裁判終盤に向け、一層気持ちを引き締めた直接交渉でした。 要求実現への第一歩! 第1回 国会議員要請実施!! 公害総行動の二日目には、 「生業訴訟」独自で国会議員への要請行動を行いました。これは、全国の原発 立地自治体から選出された衆・参全議員を訪問して「生業訴訟」を紹介し、今後の支援をお願いするもの です。 支援者の方を含め約60名の原告・弁護士が10班に分かれ、約120名の国会議員を訪問しました。会 期中ということもあり、本人に直接お会いできたのはごく少数でしたが、福島から被災者が訪れたとい うことで、各議員には概ね好感触の対応をしていただけたようです。 私たちの裁判の真の目的は、国と東電の責任を司法の場で認めさせ、それをステップにして被害者の完 全な救済と原発のない社会を実現させることです。そのためには、法律を作る立場にある国会議員や、 それを運用する行政側の協力は欠かせません。 今回は初の試みなので「ご挨拶」的な意味合いが強かったのですが、今後はより具体的な要請(政策提 案など)へと発展させ、範囲も県議会議員や県庁、中央官庁へと広げていく予定です。 裁判も後半戦。これから判決後をにらんだ運動が本格化します。被災者の声を政治と行政に届けるため、 今後の要請行動にも、多くの原告の皆さんのご参加をお願いいたします! 第40回公害被害者総行動の2日間に参加して 私は将来的に健康診断と医療補償の獲得につながるよう、東電・政府交渉で発言をしました。沖縄 支部の原告には、子どものために避難を決断した世帯が多いからです。しかし案の定、国の担当者から は「福島では健康調査している」という回答がなされただけで、全くとりあう気が無いことが分かりまし た。原発被害者にとって今や「政府が一番のリスク」だと、強く感じました。 夜の決起集会には、全国の公害被害者グループが集まっており、何十年も声を上げ続け訴訟を戦 っている現実の重みに圧倒されました。無関心だった過去の自分を反省するばかりでした。 翌日の議員要請行動では、同じ班の皆さんから被害現地の生の声をたくさん聞くことができました。 現地ではどれだけの涙が流れたのか。改めて、福島の原発被害の苦しみの大きさを実感しました。 元の生活を取り戻すたたかいは、滞在者も避難者も長期戦・持久戦です。被害者の口を塞ぎ、加害 責任をうやむやにして幕引きを図る国策を、この裁判の判決で覆したいです! 原告団沖縄支部 代表・久保田さん 沖縄在住 支援者・Yさん 公害総行動には、私たちのように理不尽な公害で日々の暮らしを奪われた多くの人達がいました。 1日目の省庁と東電との交渉では、彼らに私たちの叫びが届いたかはわかりません。『仮設住宅に 行ったことがあるか?』という彼らへの問いかけに『ある』と答えた人はごく僅か。『これから行くか』とい う問いかけには、1人も手をあげませんでした。悔しい思いと、悲しみがこみ上げてきました。 しかし、声をあげることを止めれば、被害がなかったことにされてしまいます。歴史の裏側で隠蔽さ れてきた公害の真実を学び知った時、私が平和だと思っていた日々は偽物だったことに気付きまし た。公害被害者の方々は、いろんな思いを抱えて日々耐えています。いつか苦しみから解放される日が 来る事を信じて…。だけど、その日を誰かが与えてくれる事はありません。 だからこそ私は「生業訴訟」原告団、弁護団と一緒に『当たり前の暮らし』を掴み取るまで、必死に 声をあげていこうと思います。そんな決意を新たにした二日間でした。
© Copyright 2024 ExpyDoc