こちらから

2015年10月合宿
めったに行けない!
『滋賀湖北』+ 環境建築 +「新建」伴さんの建築見学報告 日程: 2015年10月18日(日)∼19日(月)
参加者:大津留せつ子 風祭千春 勝見紀子 加部千賀子 島田真弓 杉山経子 浜田幾惠 林屋雅江 松本みどり 柳川田鶴子 山本典子 以上会員 大平茂男 山本厚生 以上会員外
講師) 青木吉史 伴年晶 担当) 大平幸子 木村真理子 新見美枝子 西岡麻理子 山本ヒカル 行程: 18日12時米原駅集合。車5台に分乗して、米原から長浜、高島と湖北湖西
を走り、琵琶湖大橋を渡って湖南の守山で伴さん設計の施設を見学。
19日6時頃草津駅にて車を返し、解散。
琵琶湖が日本で一番大きな湖で古代湖だということは誰もが知っていますが、
では「琵琶湖は何県にあるでしょう?」と質問すると、答えられない人が結構い
るのだとか。滋賀県がどこにあるかを言えない人もいるのだそうです。このよう
に、どうも存在感が薄い滋賀県。また、滋賀県人は、アピールが苦手で地味で実
直な人が多いのだそうです。
しかし、琵琶湖周辺は、中世より歴史の舞台であり、重層する歴史上の出来事
を彷彿させる史跡の数々に、歴史マニアにはたまらない地域です。
また、琵琶湖は、陸運より水運が重視された近代以前の社会では、京の都の近
くに位置する日本最大の水上交通路であり、日本海側の物資の公式輸送ルートで
した。特に、敦賀から湖北の塩津は、物流の大動脈だったエリア。そして、塩津
から大津への湖上交通は、順風を待ちながら津を点々とたどるものでしたから、
湖北の塩津、大浦、菅浦は万葉集にも謳われた重要な津だったのだそうです。
そんなわけで、1日目は、滋賀の中でもマニアにしかあまり知られていない湖
北を中心に、湖北長浜が大好きで湖北の歴史に詳しい青木さん(昨年、私の主人
の実家近くの住宅開発をきっかけに滋賀県立大のコミュニティアーキテクト養成
講座(地域再生学座)で知り合った長浜在住の青年です)に、案内をしてもらい
ながら、湖北を半日かけて廻りました。
右ページの地図の番号と照らし合わせながら、読み進めてください。
米原駅(1)を出発した私たちは、長浜を縦に走る北国街道(国道8号線)を北
へ。まず、高時川を渡った馬渡集落(2)、その先の早崎集落(3)、そして、観
こんなにたくさん走りました!
見て聞いて感じて歩きました!
音の里・高月の渡岸寺で国宝十一面観音像(4)を拝みました。滋賀近江の文化
財は有名寺院に集中するのではなく、このように村々の寺社で守り伝えられてい
るのが特徴です。そして、その後、木之本宿へ。
木之本宿(5)は、北国街道と北国脇往還が交わる宿場町で、地蔵院の門前町
として栄えたところです。昭和の初めまでは中央に小川が流れ、柳の木が植えら
れた宿場らしい風情を残していました。今は埋め立てられてしまっていますが、
平入瓦葺でうだつの袖壁や連子格子のついた商家の家並みに昔の情景を感じま
す。雪深いのでしょうねえ、埋め立てられて広い道路の中央には、融雪装置がつ
いていました。とにかく時間がないので、木之本宿で買ったヨモギ饅頭を車の中
でほおばって、次の目的地へ。木之本を出た後は、表紙に紹介した鳥居のある伊
香具神社(6)へ向かいました。
滋賀は、「式内社」と呼ばれる律令国家が祭祀した神社の密度が高いところで
すが、ここは、式内名神大社格の湖北随一の名社だそうで、近江国風土記の羽衣
伝説に登場する伊香刀美を祀っています。
鳥居については表紙のキャプションの説明
のとおりです。
その後、日が暮れるのを時計と相談し、
ハラハラしながら、なんとか菅浦(7)に
到着。菅浦では、まずは高いところからま
ちを見下ろすべく、淳仁天皇を祀った須賀
神社への階段を上がりました。御陵に近づ
初めての顔合わせとは思えない、親子3代が
集まったような自然な感じの男性陣
く途中の階段からは土足禁止で村が用意し
たスリッパに履き替えです。菅浦について
は杉山さんの格調高い報告を!
湖の女神を祀る竹生島に向けた早崎の鳥居
木之本宿のまちなみ
ここでほぼ日没。それでも東京に比べ
ると30分は日が長いかと。まち歩きは早
起きした人が各自となりました。
中世の発達した自治的な村落を「惣
村」と言いますが、その三大 惣村文書の
ひとつが菅浦の「菅浦文書」です。この
文書のレプリカが展示してある資料館は
木之本宿で宴会用のお酒とお土産の調達
時間切れで行けませんでした。
朝食前に散策。菅浦のまちなみ
菅浦のまちなみ
半日、ハードにしっかり見て歩いて湖北を味わい、お腹もグッと空いたところ
で、菅浦の近くの国民宿舎つづらお荘での宿泊&懇親会となり、1日目の行程を
なんとかクリアです。夜は、楽しく美味しく更けていきました。。。 さて、明朝は朝8時半に、海津に向けて出発です。
海津(8)は、湖上交通の要衝として栄えた宿場町です。江戸時代に風や波から
海津の湖畔
ドライバーとナビ係の絶妙な組み合わせ
家を守るためにつくられた湖岸の石積みで、海津、西浜、知内エリアの水辺景観
は、重要文化的景観に指定されています。
※文化的景観とは、地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地
で、我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないものとして、文化庁により定められ
ている(文化財保護法第二条第1項第五号より)申請により 重要文化的景観として選定される。
次に、林屋さんのこちらも格調高い報告にある針江へ。針江(9)も同様に、
人の生活に結びついた水辺景観のまちとして、重要文化的景観に指定されていま
す。ここでは、とてもおもしろいエピソードがあったのですが、それは知る人ぞ
知るのお楽しみとして、合宿参加者に聞いて下さい。
お次は、高島ビレッジへ。高島ビレッジ(10)は、20年以上前から地元の商
店街商店主が中心になって、「民」だけのチカラで自主的にまちづくりに取り組
んできた、旧家や蔵を改装した一画です。 上手に改修して地元に貢献するような地の食材や地の工芸を扱っています。残
念ながら月曜定休が多く、中に入れるところが少なかったのが残念。
高島も近江商人の町で、室町時代から京都などへ移住して呉服などの商売に影
響を及ぼしたそうで、あの高島屋もこの高島から名を取ったのだそうです。
その後、湖上に鳥居が浮かぶ白髭神社(11)を見ながら、琵琶湖大橋(12)
を渡り、湖畔に建つエコホテルに向かいました。
セトレマリーナ琵琶湖でランチ
セトレマリーナ琵琶湖HPより、客室の版築界壁
セトレマリーナ琵琶湖(13)は、滋賀県立大の教員もしている芦沢竜一氏設計
のホテルです。琵琶湖岸の気候を読み、地元の技能や伝統の技を取り入れ、ま
た、本来琵琶湖と内湖が持っていた環境力を取り戻そうと取り組んだ意欲的なデ
ザインのリゾートホテル。構造設計は木構造にも意欲的な陶器浩一氏です。
ここで、イタリアンのランチ!
そして、昼食後は、いよいよ、伴さんの登場です。
伴さん設計の守山市内の老人施設(小規模多機能サービスとグループホームを組
み合わせた施設とデイサービス施設)(14)を見学させていただきました。
小規模多機能サービス+グループホーム
施設長夫妻の話を聞く
設計はヒトとナリが顕れますね。
フレキシブルで転用や多目的利用
が可能なよう、おおらかにシンプル
に構成を整え、絶妙な高さと距離感
で各用途を配した伴さんの設計は、
とても魅力的で参考になりました。 また、施設を経営する依頼主夫妻
の社会に対する熱さや伴さんへの信
頼、そんな夫妻の思いを実物として
しっかり実現する伴さんとのコンビ
あってこその施設だとうらやましく
もありました。もっと聞きたいこと
がありましたが、2日目も日が暮れ
ました。楽しく充実した2日間は、
草津(15)で車を返し、各々帰途
や次の旅先へと散会となりました。
(報告・文責 木村真理子)
絶妙なスロープスキップフロアのデイサービス施設
ランチ後、集合写真
行程記録 山本典子
「針江生水の里」を訪ねて 林屋 雅江
近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ 柿本人麻呂
今回の旅は、若き名ガイドの青木さんの案内で、この短歌のような湖北・湖西
の地理、歴史、生活などを五感で感じる旅でした。いくつか印象に残った中で、
私がひとつあげたいのが「針(はり)江(え)生水(しょうず)の里」です。やや湖西の
位置する高島市針江地区にある湧水のまちです。
湧水と水路沿いの各家々には、「川端(かばた)」
と呼ばれる小屋があり、水はそこに導かれて、
人々の生活用水として大切に利用され、引き継
がれています。今でも澄んだ水は枯れることな
く、また住宅内各所に配管するために「かば
た」内で地下約20m掘り、ポンプで配水してい
る例もあります。所謂上水道は使用していない家
が多く見られるとか。「水のまちは」飛騨古川
宿、郡上八幡や各地に残る湧水や山からの導水
による利用がみられます。この針江の川端(か
ばた)は、生活用水(特に飲用でも)として、
見事に町の景観に組み込まれており、人々は暮
らしの中で大切に、誇りをもって守っていること
に、感銘を受けました。
私の住む小金井市は、黄金(こがね)の水が湧くと言われ湧水も多く見られます。
市内の一か所ある深井戸は、特に飲用水として許可されて市民(会員制)は蛇口
をひねるだけで、取水し利用しています。街並み景観とは全くかけ離れているの
がとても残念です。
㊟東京都の水道法により湧水をそのまま飲用に使ってはいけないので、保健所
が定期的に厳しい水質検査を実施しています。
滋賀合宿に参加して-菅浦集落の風景- 杉山経子
めったに訪れることがない滋賀県湖北地方の合宿は、幹事の皆さまの周
到な準備、湖北を愛する青木さんの案内と伴さんの素晴らしい作品によっ
て、魅力満載のものでした。心より皆さまに感謝します。
今回私が合宿に参加した理由のひとつに、宿泊先ともなる菅浦集落への
訪問がありました。長浜市西浅井町菅浦は、竹生島を真近に控えた半島の
突端にある小さな集落ですが、中世より「惣」と呼ばれる強固な自治的共
同体を持つ特徴的な琵琶湖岸の集落として、2014年に「重要文化的景観」
に選定されました。私がここを訪れたかったのは、私の恩師である東京理
科大学工学部伊藤裕久教授が、中世から近世にかけての集落の居住形態の
成立過程を博士論文として明らかにしたからです(『中世集落の空間構造‐
惣的結合と住居集合の歴史的展開‐』1992年,生活史研究所)。では菅浦集
落について、少しだけ触れることにします。
菅浦は、奈良時代に勢力争いに負けた淳仁天皇(じゅんにん)が隠れ住ん
だところで、舟形御陵という天皇の墓(古墳)が現存し、須賀神社の御神体
として祀られています。集落の住民は天皇に追随した人々が源となり、中
世後期の16世紀には、祭祀などの年中行事、税金、土地や住居などが住民
組織によって管理運営されていきました。つまり公家や武士の支配とは一
線を画した住民の自発的自治の発達によって、集落の営みが形成されてい
たのです。このように菅浦集落は、自然発生的な集落とは異なり、日本で
もいち早い「惣」による自治的集落として形成されたことが着目されてい
ます。伊藤教授は、『菅浦文書』や絵図を基に住民の階層構成や居住形態
の結びつきを丁寧に解き明かし、中世後期、幕末期の集落を復原しまし
た。 16世紀の菅浦では、集落は東村、西村に分立され、自治は両村が競合し
運営されていました。その証として、東西の端には集落の境界を示す四足
門が設置され、祭礼行事に使う御供所(ごくしょ)も同形式のものが2棟建立
されています。当時の集落は、すでに100戸以上の住戸がある高密度な集落
で、税金も住民の階層によって課税が分かれ、貧しいものは無税だったと
推察されています。
実際に菅浦を歩いてみると、護岸や家の境界に石垣が見られますが、こ
れは中世からの景観ではないかと考えられています。集落内には入母屋や
切妻造の瓦葺に、竪板張の焼板に上部を漆喰塗とした外壁の住居が多く、
殆どの家が木部を弁柄塗としていました。一軒の住居に住む若い女性にお
話を聞きましたが、築20年とのこと。景観規制からではなく、地元の大工
さんから「弁柄塗は持ちがよいから」と伝統的構法の家を勧められたとの
ことで、住民の意識の高さを感じることができました。またいくつかの家
で、「作業所no.○」と書かれた附属屋が見られました。これは戦後ヤン
マーの家庭内工場としてエンジン部品を製造していた作業所でした。現在
10棟ほどが残っており、菅浦の戦後の歩みをしるす重要文化的景観要素と
して着目されています。
駆け足で散策した菅浦集落は、とても魅力あるものでした。
参加者のみなさんのの感想
林屋雅江 素晴らしい企画に参加にできて、大変勉強になり、刺激になりました。ありが
とうございました。皆様の奮闘ぶりには脱帽、心から感謝です。
めったに行けない湖北!柔らかな日差しとそよ風、なだらかな稜線に囲まれた近
江の湖(うみ)のさざ波は、心癒されました。予想していたこととはいえ、素晴
らしかったです。
そして女技会こその街歩き、民家、街なみ、リノベーションまちおこし、水と
生きる暮らし、モダーンな建築と自然素材のあたたかな木の建築…久しぶりの脳
の活性化に一撃を食らった感じです。
最後の草津駅の感謝のお茶には参加出来ず心残りです。ごめんなさい。12時直
前の終バスのに滑りこんで無事帰宅しました。ありがとうございました。
浜田幾惠 今回も大変楽しい合宿でした。ありがとうございました。ここまでの下打ち合
わせや準備、又、当日の気配り等々、担当者の皆様のご苦労に感謝いたします。
歴史小説の中で登場する山々や集落、街道筋の歴史ある商家などなど、見どこ
ろ満載の琵琶湖の湖北周遊でした。単独ではめったに行けないような場所にも案
内して丁寧な解説をしてくださった若い青木さんにも感謝です。楽しかったで
す!
又、ケアハウスやグループホームなど、私としてはテレビや新聞、雑誌などで
しか知識はなかったので実際に見学し話を聞けたのはとても良かったです。まし
て建物として快適な空間を維持できているのは設計の素晴らしさと共にそこに働
く人の意識の高さを感じました。
天気に恵まれたこの2日間、楽しく過ごすことができたのは、素晴らしい女技
会の皆様のおかげ、と思っています。最後の新幹線の中でも楽しいおしゃべり
で、帰宅は11時過ぎでした。みなさま、ありがとうございました。
島田眞弓
細やかな配慮と何が起きても動じない強靭さと、ミスをプラスに変える柔軟さ
と、つくづく魅力の塊の女技会と再認識しました。
湖北は初めて訪れましたが集落ごとにまちのつくりに特徴がありますね。青木
さんのガイドで街の魅力が際立ったのでしょう。私のハンドル操作が誤ったのも
息子にしたいおばさん、おじさんの画策が面白く、ついダンボの耳をしてしまい
ました。みなさんにはご心配をおかけしましたが草津の駅で無事、車を返せて
ホッです。ありがとうございました。
勝見紀子
宿泊での合宿参加は久しぶりでしたが、掛け値なしで充実&楽しかったです。
大変お世話になりました。
今回は立ち寄るところどこも印象的でしたが、特に、
●早朝、杉山さんの解説を聞きながらゆっく∼り歩いた菅浦
●集落の中を信じられないくらいきれいな水が流れる針江
●伴さんのハートフルな建物と依頼主さんとの素敵な関係性
●熱心で、優しくて、真
な青木さんの佇まい
(後日くださったあのメールの内容に、またしびれました!)
が、と∼っても心に響きました。
バタバタの日々の中、時間を作って行けてよかった∼と、今も思います。 加部千賀子
遅ればせながら、合宿では大変お世話になりました。
ホントに「めったに行けない湖北の旅」でした!綿密に計画されて、準備が大
変だったことと思います。無理しての参加でしたが、価値ある旅行でした。素晴
らしい経験をさせて頂き、ありがとうございました。
また、中年女性のハートを鷲掴みした青木さんをゲットしてくれた木村さんも
すごい!誠実な青年ですね。
西岡麻里子
憧れの湖西と湖北
司馬遼太郎の「街道をゆく」は「湖西のみち」から始まります。 (第1巻 「甲州街道、長州街道ほか」)
書き出しを少し引用します。
楽浪(さざなみ)の滋賀
「近江」というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がは
じまっているほど、この国が好きである。京や大和がモダン墓地のようなコンク
リートの風景にコチコチに固められつつあるいま、近江の国はなお、雨の日は雨
のふるさとであり、粉雪の降る日は川や湖までが粉雪のふるさとであるよう、に
おいをのこしている。
まだ一度も琵琶湖の周りというものを知らないと気がついたのはこの文章を読
んだ時でした。一度行ってみたい・・・司馬遼太郎の言葉をもう一度借りると、
「しかし湖西はこれが同じ近江かとおもうほどに人煙が稀れである。」
行くならば湖西に!いつしか恋い焦がれ、一人で電車とバスを乗りついで湖西に
出かけたことがありました。結果はさんざん。一日がかりで、思う旅程の3分の
1も
れず帰ってきました。
本当に交通の便が悪いのです。一日に数本のバスと2時間に1本の電車をうま
く組み合わせて行くしかなく、レンタカーで数人で回れたらいいな∼と夢想した
ものでした。
今回の合宿は私の夢が叶った旅となりました。司馬さんは京都で会った湖西の
村出身らしき婦人に『湖西はさびしいどすえ』と言われた、と書いているけれど
本当にさびしい沈んだような古い家並みが湖の周りに続いていました。雨の日は
雨のふるさと、という不思議な響きのことばがしっくりくる風景でした。
湖北、湖西をご案内くださった青木さんは本当に素晴らしかった!「青木さ
ん」と「おてんと様」の2つの輝きの強烈な光で全く知らなかった異世界のよう
な古い街道を照らしていただき、旅することができました。
セトレマリーナもよかったです。歴史の重みを味わったあと、環境問題の先進
地域琵琶湖畔の環境建築のおしゃれな空間でパスタをいただいて…メリハリのあ
る旅でしたね。
伴さんの凄さもわかりました。守山の「ゆーらいふ」は近所にあんな施設が
あったら、母がお世話になるのに!と思いました。私たちの近未来である老年の暮ら
しも、こんな人間理解の深い方たちがタッグを組んで設計し、運営する施設が増えた
ら、ずっと明るいものになると思いました。幹事の一人であるにもかかわらず、仕事
はお任せしてしまって、私はただただ楽しんでしまい、特に新見さん、木村さんには
旅の間じゅうご苦労かけました。
青木さん、伴さん本当にありがとうございました。 青木さんからも感想が届きました
2日間、とても充実した時間をご一緒させていただいたこと、心から感謝申し
上げます。本当にありがとうございました。
私の案内は、かなり主観的な見方、偏見に毒された部分もあったかと思いま
す。そのためもしかしたら、特に初めて湖北に来られた方には、偏った印象を植
え付けてしまったかもしれません。ですので(心配のし過ぎかもしれません
が、)、私の解説内容が「公正で正確なもの」などとは決して思われないよう、機
会があれば、参加者の皆さんに注意喚起していただければ有難いです。
「青木の考えはたくさんある湖北を愛する地元住民の主観的見方の中の一つで、
他にもいろんな見方・考え方がある」程度に捉えていただければ、嬉しいです。
ところで、皆さんのお姿に接して、「これからもずっと学び続けたい!!」
と、心底思いました。「負けてられない!!」と発奮もさせられました。
帰宅早々、家族の者から、「目が輝いてるね。よっぽど楽しかったんだね。」と
言われました。
皆さんのお姿から、皆さん以上に、私の方が、たくさん学ばせていただいたよ
うに思います(伴さんの言葉(Folk/Symbolic Architecture)が、ずっと頭の中で
鳴り響いています)再度、重ねて御礼申し上げます。
今回案内できたのは、湖北の一部のような気がしています。湖北は、まだまだ
奥深いです。ですから、もし、今回の合宿を機にもうちょっと湖北を回ってみた
いと思われる方がいらっしゃいましたら、どうか御遠慮なさらず、お声かけくだ
さい。自動車共々お供させていただきます。
私にとってもとても意味のある時間だったという感謝の念だけでもお伝えでき
たらと思い、メールさせていただきました。
これから益々秋が深くなり、油断をするとすぐに体調を崩してしまいそうです
が、どうか、御身お大事にお過ごしください。また、皆さまにも、どうかよろし
くお伝えください。次回お会いしたときに、今回の合宿を楽しく振り返ることが
できるのを、今から心待ちにしております。 青木吉史