まず、音だけがあった。 グレン・グールドが1955年に

まず、音だけがあった。 グレン・グールドが1955年に録音した「ゴルトベルク変奏曲」のLPは、最初、日本コロムビ
アから、WL5205という番号で発売された。当時のぼくは、この作品をワンダ・ランドフスカが
チェンバロでひいて1945年に録音したLPできいていた。そのようなききては、お恥ずかしいこ
とながら、グレン・グールドの天才に気づく前に、ピアノでひかれた「ゴルトベルク変奏曲」の美し
さに驚いた。すでに、その頃にはイェルク・デームスがピアノでひいたウエストミンスター盤もあっ
たが、当然、日本盤ではでていなくて、ぼくもきいてはいなかった。 グレン・グールドについての知識も、カナダ出身の若いピアニストらしい、という程度のものにと
どまっていた。「ゴルトベルク変奏曲」をきく道すじに、たまたまグレン・グールドがいた、という
のが、グレン・グールドとぼくとの、今にして思えば幸運なめぐりあい方だった。しかしながら、幼
いききての耳にも、グレン・グールドのひいた「ゴルトベルク変奏曲」のうちの尋常ならざる輝きは
感じとれた。そして、音だけをたよりに、グレン・グールドの、次々と発売されてくるLPをききつ
づけた。ときおり外国のレコード雑誌に掲載されるグレン・グールドについて書かれた記事が、当時
のぼくにとっての、かすかな手がかりだった。 ついで、ことばの洪水がきた。 グレン・グールドについて語られた、さまざまなことばが、次第に音楽雑誌の誌面をにぎわすよう
になっていった。それは、とりもなおさず、グレン・グールドが多くのききてに認知されはじめたこ
との証でもあった。やがて、グレン・グールド自身のさまざまな発言も目にするようになった。 その気になれば、丸いものをも四角いといいくるめることさえできるのが、ことばである。グレン・
グールドの、徹底して抽象的な音楽と不純物が付着しがちなことばのであいには、もともと危険があ
った。しかも、ことばのうちの自己増殖の習性は、グレン・グールドという絶好の餌をえて、分際を
忘れ、その黒い翼をひろげた。それは、さしずめ、一点のシミのようにみえたカビが壁一面にひろが
るのに似ていた。 ああでもない、こうでもないとグールドについて書きたてられる文章を読んでいるうちに、ぼくは
迷宮にまよいこんだときのような気持になっていった。それと呼応して、それまでは目の前にすっく
と立っているように感じていたグレン・グールド像が、次第にぼやけていった。その際、ぼくは、そ
んなに何本もあるとは思えない、グールドをきくための貴重な命綱を、不覚にも手放してしまったの
かもしれなかった。 そうこうしているうちに、グレン・グールドは亡くなった。これからの、まだしばらくはつづくと
漠然と考えていた音楽をとおしてのつきあいが一方的に打ち切られたように感じ、その早すぎる死を
悲しむ気持より、戸惑う気持のほうがまさった。あちこちで語られたグールド追悼のことばが、鋭敏
で軽快な頭脳の運動に支えられた彼の明晰な音楽にふさわしくないように感じられた。そのためもあ
って、不謹慎にも、グレン・グールドの死を伝える訃報を、悪戯好きの彼が世を欺くために仕かけた
トリックではないか、と考えた一時期もあった。 グレン・グールドの死が世を欺くためのトリックではなく、現実のものであると納得するまでには
若干の時間が必要だった。10年待っても、グールドのイナイイナイ・バアはイナイイナイのままで、
バアはなかった。こうなれば、もう、グレン・グールドの死を認めるよりなかった。 しかし、その頃になって、ぼくらは、思いもかけないかたちで、動くグレン・グールドの姿に出会
う機会にめぐまれた。 ぼくが動くグレン・グールドの姿を最初に見たのは、ご多分にもれず、「オン・ザ・レコード、オ
フ・ザ・レコード」の不完全なビデオでだった。そのビデオを見たことによって、ことばの洪水を体
験したために目にこびりついてしまっていた鱗がおち、雑菌が洗いながされた。やはり、そうだった
か、と思わずにいられなかった。 眉間にしわをよせて、思わせぶりに身体を大きく前後に動かしながらピアノをひいてみせた後に、
「これはやらない。ポーズは苦手なんだ。肝腎なのは中身だからね」、といっているのは、ドキュメ
ンタリー・ビデオ「ホロヴィッツの想い出」における、往年の名ピアニスト、ウラディーミル・ホロ
ヴィッツである。ホロヴィッツは、また、「私の場合、顔に出ないから、写しても面白くないよ。音
だけなら、いけるかもしれないけれど」、ともいっていた。 しかし、それでもなお、ホロヴィッツの映像が巧まずしてホロヴィッツを語っていたように、ピア
ノをひいたり、語ったりするグールドの映像もまた、グレン・グールドを如実に伝えている。映像の
うちのグレン・グールドは、奇人でもなければ、変人でもなく、人懐っこい表情をした、笑顔の素敵
な永遠の若者である。しかも、同時に、これらの映像は、グールドが、その胸に孤独の竪琴をかかえ
た、徹底した音楽人間であることも無言のうちに教えてくれる。 「ピーター・ローリー(註:ローレと表記されることが多い。ヒッチコックの「暗殺者の家」の残
忍無比な暗殺者役が有名)のような俳優が幽霊屋敷でオルガンを弾く姿が目に浮かぶよ」、などとい
いつつ、グレン・グールドは、「楽器の問題」において、はなしのついでといったかたちで、半音階
的幻想曲をひいている。さらに、グールドは、「これが半音階的幻想曲の最初で最後の演奏だ」、と
もいっている。 その部分でもいっているように、バッハの半音階的幻想曲はグールドの好きな作品ではなかった。
にもかかわらず、彼は、その作品をなんなくひいてしまっている。そのことから、グレン・グールド
における暗譜とか、あるいはレパートリーといった概念が、他のピアニストたちのものと大きくちが
っているのがわかる。おそらく、嫌いな作品をさらうピアニストはいない。しかし、グールドは楽譜
を見ることもなく、半音階的幻想曲をさらりとひいてしまう。ここで、ぼくらは、グールドにおける
音楽とのかかわり方を垣間見たことになるのかもしれない。 「ゴルトベルク変奏曲」をひいているときのグールドに、ぼくらが見るのはグレン・グールドが音
楽にとけていく、まさに、その瞬間である。グレン・グールドはピアノをひくのではなく、微妙に自
己をコントロールしつつ、音楽発生体であるピアノに化していく。明晰な頭脳をもつグレン・グール
ドが闇雲に音楽に没入するはずもなく、彼は極度の集中力をもって音楽を構成する音の論理と力学を
解析していくのである。そして、その、グールドによる解析の解答が詩としてあらわれる不思議を、
ぼくらはここで目のあたりにすることになる。 音楽にとけていくグレン・グールドの姿をとらえた、これらのビデオは、彼の音楽とより深く対話
するための、あらたな、これが究極のものと思える命綱をぼくらにあたえてくれるように思われる。
これからも、グレン・グールドの音楽をさらに深く愛していこうとするききてにとって、これらのビ
デオは必須のアイテムである。